rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

体験的くるま論 メルセデスベンツVクラス230

2008-04-30 19:49:24 | くるま
体験的くるま論 メルセデスベンツVクラス230

自分で運転していた車についての評論です。専門家ではないから誤りもあるかと思いますが、基本的には自腹で買った好きな車についての雑談です。

ベンツVクラスは98年に初めて外車、しかも今までトヨタを愛用していた私が高嶺の花と思っていたベンツを思い切って買った第一号です。かしこまった雰囲気のヤナセに入るのは敷居が高い感じでしたが担当の方の対応も気持ち良いものでした。

その時ライトエース「ノア」初代に乗っていたのですが、これは私が子供の頃こんな車があったら良いのにと想像図を書いたのをそっくり現実化したような良い車で車検が迫っていたものの特に手放す気持ちになれませんでした。他の車にするなら「ノア」を超える良い車しかあり得ないと思い雑誌をめくっていたら何とあのベンツからこのVクラスが出ていた訳です。当時は現在ほどワンボックスやミニバン全盛の時代ではありませんでしたので選べる車種もトヨタはグランビアやハイエース、日産は初代セレナ、エルグランド位しかなくVクラスの実車を見たときの斬新さ、美しさは他を大きく離していました。

<Vクラス(前代)の魅力>
何といっても車内の広さとガラス面が多い事からくる解放感、明るさ。6席全てがキャプテンシートという思い切った豪華さ。グランビアも車内の広さは文句ないのですが、車内の広さに比較して運転席が狭い。何といっても運転手である自分が広く使えなければ広い車に乗る意味がないでしょ。まるで乗り合いバスの運転手みたいで。それに比べてVクラスの運転席の解放感、広さはショウルームで乗った他の日本車ワンボックスには全くないものでした。恐らく現在(08年)でも数年前より各車の運転席は広くなっているでしょうが、当時のVクラスを超えるものはないのでは。今は珍しくなくなったけれどダッシュボードにシフトレバーがあるのも、前の席どおし、また後ろの席までフラットフロアで移動できるのも斬新だった。後から出てくる日本車の多くがVクラスを意識した造りになっていた(特にステップワゴンとか)ので何か自分に先見の明があったように感じたものでした。

<Vクラスへの苦言>
インターネットでもVクラスの故障の多さは話題になっていましたが、ご多分に漏れず私のVも7年で2―3回壊れました。特に電気系統がいかれて自動変速が効かなくなりダッシュボードのあたりを全取っ換えしたこともあります。補償期間内だったから良かったけど。Vクラスがスペイン製だからとか、無理やり右ハンドルにしたからとか言われてましたが、他のベンツがそんなに故障しない(1回位はするらしいけれど)ことからどうもVクラスはベンツの中ではユーザー、ディーラー両方にとって「困ったちゃん」に入る部類だったのかも知れません。しかしヨーロッパに行った時にはあらゆる種類(商用車含めて)のVクラスを頻繁に見かけたからそんなに欠陥車であるはずもなく、これは日本で売られているVクラスに特有のものだったのかも知れません。
ステレオ系が貧弱、2000年の前とはいえカセットとラジオが標準はあまりにも貧弱。400万以上するベンツですよ。オートバックスでCD付けたけど。

<Vクラスの走り>
2300ccではこの大きな車体を引っ張るには重い。でも一度スピードに乗って高速を走っているような時には路面に吸い付くような安定した走りでとても安心感がありました。ノアの時には120キロ超えると空を飛びそうな感じでしたけど140出ても全く不安がない。さすがアウトバーンで鍛えた車だなあと感心。ロードノイズはやや大きめ。都心や狭い路地が多い所ではやはり走るの苦しい感じだったかな。でも大きなベンツマークのおかげで大抵道は譲ってもらえた。燃費はリッター6キロ台で長距離乗る人には辛いかも。

<隠れた魅力>
運転席に座った時のコックピットとスクエアな広い視界は第2次大戦中のメッサーシュミットBf110双発の重戦闘機のコックピットを思わせるんですな。メッサーシュミットのエンジンはダイムラーベンツ(フォッケウルフはBMW)。V280はフォルクスワーゲンのエンジンですが230はベンツのエンジンだったから、横置きでFF、細かな振動がハンドルに伝わるけれど「シュルルル」というベンツのエンジン音は何とも魅力的だったです。実はこれが一番気に入っていた所かも知れません。
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映画 「Mr.Brooks 完璧なる殺人者」感想

2008-04-30 19:29:02 | 映画
映画感想 Mr.Brooks ー完璧なる殺人者ー
監督 ブルース・A・エバンス 出演 ケビン・コスナー/ウイリアム・ハート/デミ・ムーア他

昨年外国に行く飛行機の中で見た。今年(08年)の5月に日本公開だという。サイコスリラー的な作品で日本で爆発的にヒットするとも思えないが、お子様向けのつまらない映画が多い最近の洋画の中ではかなり面白い作品ではないかと思った。

アメリカの地方都市で経済界の名士として活躍し、模範的な社会人であり、夫であり、父親であるアール・ブルックス(K・コスナー)にはもう一つの連続殺人鬼としての顔が隠されている。殺人を犯す時の彼は用心深く、しかも表の顔が素晴らしいので誰も彼を疑ってはいない。この映画が秀逸であるのは彼の悪魔の人格を別の俳優(W・ハート)が演じていて、心の葛藤を画面ではあたかも二人の人間(マーシャルという別人格としてブルックスは対している)が会話をするように見せている所である。つまり殺人をやめて善良に生きたいとするブルックスを「そろそろ殺人をやりたいだろう、いままで同様ばれることはないよ」と別人格のマーシャルがしきりに唆すのである。

マーシャルの方が人間(悪魔?)が一枚上であり、ブルックスはまた殺人を犯すのであるが、たまたまそれを目撃した変質者や彼の血を受け継いでしまった娘がやはり殺人を犯してしまうことの後始末をし、自分の血統を継がせてしまったことを悩んだり、親近感を抱く女刑事(D・ムーア)がからんできたりと物語が展開するのだけれど、私はもう一つの人格であるマーシャルとのやりとりがまるで舞台演劇を見ているような緊張感があって好きである。

自分も含めて人間は誰でも心に悪魔がいると思う。西洋の哲学では人間は悪魔と神の中間の存在であり、長尺の中間地点の神寄りにいるか悪魔寄りにいるかの個人差はあっても完全な悪魔や神はいないのである。従って、誰でも心の悪魔とどのように一生付き合ってゆくかというのが神から与えられた命題であり、生きてゆく上での修業でもあるだろう。マーシャル(ブルックス)は人が殺される直前に見せる恐怖の顔貌が見たくて殺人を犯すのだという。このような理不尽な欲望というのがいかにも悪魔らしい。各人の心に住む悪魔も冷静に考えれば「何故?」と思うようなことを各人にやらせようとしていないだろうか。

ジキルとハイド氏は二重人格であるが、このブルックスとマーシャルは二重人格を表わしているのではない。あくまでブルックスの心の中にいる悪魔をマーシャルという人格で表現しているに過ぎない。このあたりを勘違いしてレビューする人が出てくるかもしれない。殺人を犯すブルックスには感情移入できないけれど、マーシャルとのやり取りや、社会と心の中の対比葛藤という造り込みにおいてこの映画はかなりレベルの高いお勧め作品と言えるように思う。結論は言わない方が良いと思うがこれも現実的でうまい終わり方だと思った。
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地獄の黙示録(特別完全版2001年)感想

2008-04-29 21:00:00 | 映画
地獄の黙示録(特別完全版2001年)

監督 フランシス・フォード・コッポラ
主演 マーチン・シーン/ロバート・デュバル/デニス・ホッパー他

難解なことで有名な映画。初版を見たのは20年以上前だが、前段後段のつながりが分からず難解のまま終わっていた。立花隆氏をはじめこの映画(初版)の細かいところまで薀蓄を傾けて解説を試みたものがたくさんあり、確かにいろいろな見方があるのだろうとは思います。しかし初版で割愛された部分を付け加えた完全版を見てみると初版で考察された種々の薀蓄も否定される部分がだいぶ出てくるのではないかとも思われます。

今回この完全版で初版の時によく分からなかった前段の「動」を中心にしたベトナム戦争の分かりやすい戦争表現と、後段の「静」の場面が多いカーツの帝国に入ってからの繋がりをどう解釈するのか、その謎が解けたように思います。コッポラが描きたかったのはアメリカの新植民地主義、今の言葉で言えば米国グローバリズムに対する痛烈な批判ではないだろうか。新たに加わったフランスの植民者達との邂逅で謎が解けた。

旧来の帝国主義に基づく植民地経営は入植者が土地を開墾し、自分の物として利益を得るものである。原住民から見れば迷惑な話だろうが、支配する側からは彼らにも生活の糧と文化を与えそれなりに「うまく」やって来たという自負があるのだ。フランス人達は悩みながらも軸足はぶれていない。しかしアメリカの新植民地主義はどうだろう。文化の違う(未開と見なす)土地に入ってゆき反対者は圧倒的な軍事力で排除するけれども、命を懸けて戦う兵士達自身には何の利得もない。せいぜい占領地でサーフィンをしたり、圧倒的な戦力で奇兵隊ごっこをして胸の空く思いを堪能するだけで利得は内地で机に向かっている「誰か」の物でしかないのである。世界の警察と言う建前で船を臨検するけれど、もともと欺瞞に満ちた存在でしかないから無実の人々に銃弾を浴びせ、怪我をしたからといって病院へ連れてゆこうと主張するのである。

カーツ大佐は新植民地主義の使い走りとしての自分に嫌気がさして、一人城を作るのだが結局作った城はアメリカが第三世界で行ってきたことと同じであることで悩む。そしてウイラードに自分を抹殺してこの城も焼き払えと命ずるのである。軸足ぶれぶれのウイラード大尉もカーツの意図を察してカーツを殺して元の世界に帰ってゆくのであるが、元の世界もカーツの城と同じ地獄であることを知ってしまったのだろう。

アメリカの新植民地主義の顛末は現在のアフガニスタンやイラク、アフリカや中南米を見れば明らかである。まっとうな精神を持った優秀な軍人ほどアメリカの新植民地主義を武人としての命をかけるだけの意味を見出せない「乱痴気騒ぎ」のように表現した製作者に共感するだろう。映画として初版では興行を考えてアジアの未知の秘境に入り込んでゆく冒険譚に仕立ててしまった事が魅惑的であり難解であることの原因となったのだろう。完全版ではカーツの城の情景がやけにあっさりとして見えたのは全体がうまくつながったからかも知れない。21世紀に入ってからのアメリカの活動を見る限り、この映画は原題通りの「現在の黙示録apocalypse now」になったようだ。
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書評 中国の闇 マフィア化する政治 何清漣 著

2008-04-28 23:27:37 | 書評
中国の闇 (マフィア化する政治) 何清漣 著 中川友 訳 扶桑社2007年11月刊

アメリカの経済覇権にかげりが見え始めた現在(08年4月)、世界経済の機関車といわれる中国がこのまま破竹の進撃を続けられるのか、アメリカの経済失速とともに大きく衰退し、膨らみすぎた風船のように国内に溜まった格差や不良債権などの矛盾が一機に破裂して再度改革開放前の状態にまで後退してしまうのか、正確に予測できる人はかなりの中国専門家でもいないと思われる。オリンピックを前に中国は前代未聞の経済発展を見せている。一方でチベット問題と世界を回る灯火リレー、各地で繰り広げられる留学生らの異様な体制支援のパフォーマンスは世界の人々の中国を見る目を変えるに十分な効果があったと思われる。

中国の政治体制は「制度が腐敗しているのでなく腐敗が制度化している」と評されているが、毛沢東時代の文化大革命やそれらを絶賛する日本のメディアの印象が強い私には中国の官僚体制がそこまで腐敗しているということがにわかには信じられない。しかし著者は中国における政府行為の黒社会化(非合法組織との連携化)は1990年代の後半から本格化し、この10年ですっかり根付いてしまったと説明する。何故中国で非合法組織がはびこりやすいかというと、経済的豊かさを縦軸に人口を横軸においた「社会経済的地位指数」が先進国ではピラミッド型を作る(頂点の尖り具合はいろいろあるだろうが)のに対して中国では逆T字型を示していて、要は中間層がなく少数の大金持ちと大多数の貧民しかいないことが原因のひとつであるとしている。そして「政治的権力」を持つ者と「経済力」を持つ者が同一(つまり共産党員で官僚)であることは、「金を儲ける」ための「権力の行使」に非合法組織を使うことが容易であるといえるのである。都市部においては僅かながら中間層といえる人々が育ちつつある。しかし14億の全人口に占める中間層の割合はあまりにも少ないのであり、現在の中国指導者たちが「和諧社会による格差の是正と中間層の成長」を目指していると言っても権力層と一致している一部の金持ちの金を均等に国民に分けることなど考えておらず、現実には貧しい者が自分で稼ぐことで自ら中間層にあがることを妨げないという程度のことに見える。

著者は政府行為の黒社会化の実態を数多くの実例を示して説明している。その多くは実際に中国国内のメディアで報道されたものであり中国を脱出した著者の裏情報ではない。開発の名の下に農民たちの家や土地が公に示された一割にも満たない額で取り上げられ、途中の役人達が本来農民達に渡るはずの賠償金のほとんどを横領してゆく。立ち退きを拒否する者達を追い出すのも官僚の横領を中央に訴えようとするのを押さえ込むのも役人に雇われたやくざ者の「黒社会」であり、集団で訴える者たちには共産党直属の人民解放軍や武装警察といった権力が行使されるのである。

中国よQuo Va Disどこへ行くのか?というのは中国関連のニュースを見るたびに思うことである。計画経済が行き詰まって改革開放路線となり、政治は共産党独裁のまま経済だけ資本主義、「なれる人から金持ちに」という思いつきでしかない政策変更を行ってしまった中国。特権を持っている者が豊かになるという当たり前の結果が出ているにすぎない現在様々な矛盾や問題が表出してきている。日本も将来についてしっかりした骨格があるとは言えないが強大な軍事力は持たず、技術立国を目指し、国民は平均的に豊かで日本文化を大事にする北欧的な国になってゆくのが漠然とした目標である。中国はアメリカのような軍事力を背景にするアジアの覇権国を目指すのか(太平洋の半分をよこせといった中国海軍の司令官がいたな)。経済は工業中心なのか農業中心なのか、国内は日本や北欧のような福祉重視の貧富の差の少ない社会を目指すのか、アメリカ的な一攫千金社会を目指すのか。おそらく誰も答えられないのではないか。

悪徳権力者を糾弾する言論を続ける著者は2001年に身の危険を感じてアメリカに脱出するのであるが、彼女が愛国者であることは間違いない。また愛国者であるからこそ著者も中国よどこへ行くという問いを発している。この本の第二部「強権統治下における中国の現状と展望」において中国の今後を強く案じている。今後繁栄し続けるか、崩壊するかの予測については種々の証拠をあげて「繁栄論の根拠が間違っている」ことと「社会権力構造が巧妙であることから容易に崩壊しない」という両方の結果を導いている。つまり繁栄が行き詰まりつつもしばらくこの状態が続くということであろうか。

著者の危惧することに目先の効く富を得た権力者たちが既に国を捨て海外に逃亡する準備を整えつつあることをあげている。この「政治からの退場メカニズム」と呼ぶ構造は、富を得た権力者が家族を海外に住まわせたり子弟を留学させて海外に拠点を設け、稼げるだけ稼いで、いざとなったらいつでも母国から逃げ出せる準備を整えていることを指している。ロサンゼルスの郊外にはすでにそのための居住区までできているという。私が米留中や日本において会った中国の留学生たちは本人達も優秀であったけれど、確かに皆共産党の幹部の子弟たちであった。

著者は今後の中国を「危機に満ちた長いプロセスをたどりながら紆余曲折を経て民主化が進んでゆくほかないであろう」と推測する。富を得た政治エリートは海外へ勝ち逃げするだろうが、民主主義のリーダーたる資質を持った愛国的指導者は踏みとどまって祖国のために頑張るかもしれないと期待する。公衆にとっては改革のコストを今払うか、子孫の時代に先送りするかの選択を迫られることになるだろうと結論付ける。著者は燦然たる文明の歴史を持つ中国が近代的な民主政治を孫文いらい100年たっても達成できない歯がゆさを憂い、ぜひ自分たちの時代に世界に誇れる民主国家に脱皮して欲しいと訴えている。私は彼女は真の愛国者であると思う。
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書評 日中戦争 殲滅戦から消耗戦へ 

2008-04-28 00:43:20 | 書評
小林英夫著  講談社現代親書2007年7月刊

2007年は日中戦争開始から70年目の節目の年だそうだ。日本は現在でも南京の虐殺や中国侵略時における贖罪意識について中国から追及されている。その立場は常に「責める中国」と「謝罪する日本」という図式であり、希に日本が中国のチベット侵略の非について口にしようものなら「お前何勘違いしている」とばかりに「ぼこぼこに殴られる」のを覚悟しなければならない(とマスコミも政治家も国民も暗黙の内に思っている)。丁度学校における苛められっ子がたまに反論しようものならさらに酷い仕打ちを受けるようなもので、漫画どらえもんで口答えをしたのび太が「のび太のくせに生意気だ」という理由でジャイアンに殴られるのと同じであると戦後生まれの日本人は感じている。

2007年の70年前の1937年、7月7日は蘆溝橋事件勃発の日である。我々歴史に疎い戦後生まれの人間にとって、日中戦争の始まりは蘆溝橋事件であるという事は理解していても実感として掴み難い。なぜならその前の満州事変は日中戦争に入らない(ここまでは批難の対象外?第一次大戦のチンタオやその後の山東出兵とか)というのがどうも理解しにくいように思うからである。しかし台湾からの友人と話した時も彼らは歴史上蘆溝橋事件を日中戦争開始と習ったと言っており、日中共同の認識としてこれは正しいのだろうと思われる。

太平洋戦争の呼び水となった日中戦争が何故行われたのか、日本は何を目的に、どのような心構えで戦争に突入していったのかというのは誠に興味深い所であり、前の保阪正康氏の「昭和史の教訓」においても最も知りたいところであった。亜細亜近代史の研究家である小林英夫氏の日中戦争(殲滅戦から消耗戦へ)は日中両国の本戦争におけるスタンスの違いを分りやすく見事に解説している。

一言で言えば、日本は強力な軍事力をもって短期決戦で決着を付ける殲滅戦思考であり、中国は弱兵であるが長期消耗戦に持ち込んで相手の疲弊したところで最終的に勝ちを取る消耗戦思考である、という事である。また直接戦闘にかかわる戦力や軍備を生み出す産業力を「ハードパワー」、国家戦略や宣伝、外交力などを「ソフトパワー」と表現し、日本は前者は強いが後者は弱く、中国はその逆であると分析している。重要な点は当時の日本にはこの分析はなく、中国の蒋介石総統は的確にこの分析を行った上で、彼の戦略にどおりに戦争が行われていったことにある。

本の中にある、1938年の蒋介石対日言論選集からの引用で、日本と中国の長所短所の分析を蒋介石がいかに的確に行っていたかがわかる。

<日本側の長所>
こざかしい事をしない
研究心を絶やさない
命令を徹底的に実施する
連絡を密にした共同作業が得意
忍耐強い

<日本側の短所>
国際情勢に疎い
持久戦で経済破綻を生ずる
何故中国と戦わねばならないのか理解できていない

<中国側の長所>
国土が広く人口が巨大である
国際情勢に強い
持久戦で戦う条件を持っている

<中国側の短所>
研究不足
攻撃精神の欠如
共同作戦の稚拙
軍民のつながりの欠如

蒋介石は日露戦争後に4年間日本に留学して日本の陸軍士官学校で学び日本軍の中で生活した経験があるから日本及び日本軍の長所短所を実に的確に把握していたのである。私がこれを長く引用したのは蒋介石のこの日本分析が現在の日本にもそのまま当てはまると思われるからです。それに引き換え中国側の短所は現在かなり改善されているように思うのは私だけでしょうか。日本は第二次大戦の教訓から何も学んでいないのではないか。

殲滅戦、消耗戦という視点で興味深いのは圧倒的なハードパワーを持った現在のアメリカとイラクゲリラの関係、現在の中共とチベット独立派の関係、当時のソ連とアフガンゲリラの関係が重なって見えることです。そういえばベトナム戦争においてもアメリカは圧倒的軍事力を持ちながら消耗戦でやられて金本位制を保てなくなって何とか戦争を敗けで終わらせたニクソンが経済も四苦八苦していたのを思い出します。

著者は日中戦争の実態を庶民の立場から紹介する目的で1953年に中国吉林省の関東憲兵隊司令部跡地で発見された当時の郵便検閲をの結果をまとめた「検閲月報」を紹介引用している。日中戦初期から後期に分けて日本人、中国人、その他外国人の手紙を検閲して、反日抗日的内容、厭戦反戦的内容、軍機密に係わるもの、親日的内容、流言飛語、銃後の民心に係わる戦争の実相を示す物など例をあげて紹介している。この章で印象深かったのは、どれを紹介するかという点で著者のバイアスが入る事は否めないとしても、検閲月報に書かれていることは真実であると考えられることから、特に銃後の民心に係わるとして削除された中国人殺戮の模様や村落からの物資略奪の模様が中国が「日本の戦時中の悪行」として批難している多くの内容と合っていることです。勿論、南京虐殺や100人切り問題や日本の悪行の代表として喧伝されているものの多くは事実以外の誇張が含まれていて多分に政治的意味によって脚色されているとは思います。しかし極限状態の戦場において日本軍は何も残虐なことや悪い事はしていないなどということはあり得ないということがこの検閲によって削除された内容を知る事で理解できます。

日本はうまくいった満州事変の如く華中にも日本支配の及ぶ地域か中国全体に親日的な政府を簡単に造れるだろうと目論んで戦争に突入し、蒋介石の消耗戦戦略にまんまと乗せられて中国奥地への泥沼の戦いに導かれてゆきます。途中早く戦争を終結させようと汪兆銘に傀儡政権を造らせますが近衛内閣の蒋介石への態度が二転三転で結局親日的な汪政権にも不誠実な対応しかできず、ついには欧米を蒋介石の側に付かせてしまい太平洋戦争が始まる事になります。この辺の経緯において、戦前日本は民主国家でなく軍事独裁国家ということになっているのですが、では明確な国家戦略を描いて独裁の指揮をとっていたのは誰なの?と聞いてみたくなります。天皇でもなく、転々と変わる首相でもない、陸海軍の首脳も百花総覧いろんな考えの人がいる。ただ「血気盛んな若手」とか「統制派・皇道派」に代表される「空気」があってそれに逆らわないように物事が決定されていったに過ぎないのではないかと思ってしまいます。

今の日本はしっかりした国家戦略を持っているのでしょうか。独裁はいけませんが、民主的に選ばれたリーダーは日本の進む道を明確に示しているでしょうか。日本の経営が、誰が決めたか分らない「空気」に反しないような選択肢をただ選んでいるだけであるとすれば、これまた日本は戦争から何も学んでいないということになると思います。
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昭和史の教訓 書評

2008-04-27 14:49:42 | 書評
保阪正康著「昭和史の教訓」書評 朝日親書 07年2月刊

日本は何ゆえに無謀といえる太平洋戦争に突入していったのか。その疑問に自信を持って答えることができる日本人は少ないと思う。「軍部の暴走」、その理論的バックボーンになった「統帥権の干犯」、きっかけを作った「陸海軍大臣現役軍人制」これらは教科書的には理解することはできてもこの組み合わせがイコール真珠湾攻撃には結びつかない。日本が戦争に突入してゆく昭和10年台に我々日本人は何を考え、指導部はどのような国家戦略をもっていたのかを振り返り、反省を行い教訓をくみ取ることは未曾有の犠牲を払った戦争を繰り返さないために必須の作業になると思う。

保阪氏の視点は常に反省的である。しかしそれは戦前をすべて悪とする非生産的なステレオタイプの決め付けではなく、極めて理論的に原因や背景を考察し、当時の指導層である政治家や軍人に対するだけでなく、当時の一般国民にも鋭い自省を促している。それは現在一般人であるわれわれすべてが日本の将来についての責任を負っているという認識に基づくものであると言えるし、私も共感を覚えるところである。

昭和10年代の日本の状態を保阪氏は「主観主義」という言葉で表現している。主観主義とは自己中心的とか他者への思いやりがないということではなく、他者の立場に立って考えることがない、自分本位の考え方ということに近い。支那の中華主義や軍事力を全てとするパワーポリティクスでもない。保阪氏は主観主義の一例として皇紀2600年において作成された「皇国二千六百年史」の存在をあげている。これは当時の日本国民から広く募集されて政府編集の上で刊行された日本古来からの天皇中心の歴史をまとめた史書で「天皇の神格化」がこれにより完成したと評されている。

明治維新までは天皇は存在したものの庶民の間で天皇は神として崇められていた訳ではなく、また明治の激動期においても天皇は国家の主権者ではあったが神ではなく、明治政府をきりもりしていた元勲達にとって天皇は国におけるひとつの機関つまり昭和初期においてまさに不敬として断罪された美濃部達吉の「天皇機関説」的な合理的考えで扱われてきたと言える。日本は昭和初期においてまさに「天皇の神格化」を行うことによって天皇および直轄する皇軍について議論することを禁止されてしまうのである。

この主観主義に基づく天皇の神格化は国家のあり方についての議論を封じ、結果として広く国民が日本という国家のあり方、国家戦略を考えることも封じてしまうのである。その典型は「戦争の目的」「戦争の終着点をどこにおくか」を全く考えずに戦争に突入してゆくことに集約されてゆく。ヒトラー、ムッソリーニ、スターリンなどの独裁者、英米などの民主国家においてもその指導者はそのときの国家目標、国家戦略というものを明確に持っていて国家の上層部はその戦略に従って仕事をしていたといえよう。しかし当時の日本においては、日中戦争を例においてもアジアの西欧からの開放とか五族協和といった漠然としたスローガンはあったものの具体的な到達目標のようなものはなかったといってよい。当時の軍は軍功を重ねて日本の版図を広げることが天皇に対する自らの忠誠、忠心の証となると考え、それが自らの存在価値を高めることであると信じていたのである。その行いに意見することなどありえないことであって神である天皇に尽くすことを否定することは許されないという形になってしまったのである。このやみくもに日本が版図を広げていった結果として、日本は米英から危険視され国際的に孤立してゆき、対米英戦争に突入することになったというのが結論である。

面白い指摘として、氏はこの本の中で対米英戦の終結目標についての当時の公式文書を紹介しているのであるが、それが当時の陸海軍の一課員が官僚の作文よろしくまとめた文がそのまま政府の公式文書になってしまい、最も大切な戦争の終結点、目標について政府の中枢においてろくに議論すら行われていないことが判明している。

保阪氏は「歴史への謙虚さとは何か」と題されたこの本の終章において、庶民の側からみた当時の状態を四つの枠組みで囲い込まれた時代と表現している。

四つの枠組みとは(カッコ内はrakitarou註)

1. 国定教科書による国家統制 (検定教科書ではなく、国が決めた選べない教科書)
2. 情報発信の一元化
3. 暴力装置の発動      (公的、非公的を問わず、体制に逆らうとひどい目にあうこと)
4. 弾圧立法の徹底化     (治安維持法のようなあからさまな物や人権擁護法のように紛らわしいのもあると思う)

である。この枠組みで囲い込まれて生活することを余儀なくされると人は体制に対する疑問を感じてもそれを発信したり自ら変えようとしたりできなくなる。この状態を保阪氏は「国家イコール兵舎」「臣民イコール兵士」と表現している。この四つの囲いは昭和初期のように一見文化経済が発展していて国民が豊かになっているように見えていても存在しえるのである。現在の中華人民共和国などこのよい例であろう。

現在の日本は幸いにしてこの四つの枠組みからは解き放たれていると思われるが歴史に対して常に謙虚であろうとするとき、いつまたこの枠組みが作られてゆくかを注意深く見つめる必要がある。天皇は神ではなくなったものの日本人の「主観主義」や「国家戦略の欠如」といった当時と同じ根本的欠陥は現在も変わっていないのだから。
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