rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

グレゴリー・ペック主演の映画2題と米中露北朝鮮情勢

2018-07-31 16:19:11 | 映画

勝利なき戦い(Pork Chop Hill) 1959年 米国MGM ルイス・マイルストン監督 主演グレゴリー・ペック(ジョークレモンス中尉) ジョージ・シバタ (スギ・大橋中尉)

概要:Wikipediaから

1959年アメリカ映画朝鮮戦争の最終局面、板門店で休戦協定会議が開かれる中、交渉を優位に進めるために両軍が国境付近の丘を巡って不毛で熾烈な争奪戦を余儀なくされる。

1953年に起こったポークチョップヒルの戦い英語版)を題材としており、主人公のジョーゼフ・"ジョー"・クレモンス英語版)中尉は実在の人物である。

あらすじ

休戦協定を少しでも有利に進めるため、クレモンス中尉(グレゴリー・ペック)率いる米陸軍の部隊に対して板門店の近くにある中国人民義勇軍に占拠された丘「ポークチョップヒル」を奪取するように命じられる。休戦を間近に控えた部下の兵士らの士気が上がらない中、丘を巡って両軍の激しい争奪戦が繰り広げられる。

映画自体のアメリカでの評判は今ひとつのよう。  戦闘場面は大量の中国軍など独特。    副官の日系大橋中尉が良い味を出しています。

感想:

トランプ 金正恩会談で朝鮮戦争の終結が話題になる中、休戦協定直前の中間線における両軍の激しい、しかも内容的には虚しい攻防を描いたという点で朝鮮戦争の実相が浮き出されていると言えます。戦闘場面は迫力があるものの、この映画は朝鮮戦争や時代背景をある程度理解していないと解り難い部分があるように思います。

北朝鮮軍がソ連の支援を受けて1950年6月25日に突如(米国がわざと隙を見せたという説も)南北境界線を突破して南進して始まった朝鮮戦争ですが、韓国駐留米軍が国連の決議を経て国連軍としてマッカーサー指揮の下、仁川上陸で形勢逆転、中国の境の鴨緑江まで北朝鮮軍を押し返します。ここでマッカーサーは台湾の蒋介石と計って成立したての共産中国に攻め入りそうになります。危機を感じた毛沢東は廃残国民党軍の多数の残党を後方から「督戦隊」が銃で脅し、「せめて中国のために死ね!」とばかりに装備の整った国連軍の前線に「人海戦術」で送り込みます。倒しても倒しても雲霞の如く押し寄せる中国軍に米軍を中心とする国連軍は38度線まで押し返され、そこで膠着状態のまま1953年7月に停戦協定が国連軍と中国北朝鮮の間で結ばれて今日に至ります。

 この映画はこの停戦協定間際での戦いを描いており、米軍の兵隊は全く戦意がなく、早く停戦が適って帰国したいと皆考えています。戦う相手はこの時点では北朝鮮ではなく、中国人民解放軍に変わっていて米中の代理戦争が行われていたのが実体でした。

 面白いのは、主役のクレモンス中尉の副官として日本人二世(と思われる)スギ・大橋中尉というのが全編に渡って主人公から信頼され、かなり良い働きをする様が描かれる所です。1959年は60年安保で世の中が揺れていた時代であり、反安保、反米感情も国内で強かった時代です。また59年には二世部隊の英雄ダニエル・イノウエ(ホノルル空港の正式名に引用)が米国初の日系上院議員になり、戦争中の日系人強制収容などの見直しがなされていた事とも関係するかも知れません。さしずめ現代に直すと「集団的自衛権の発動で米軍と自衛隊は信頼しながら協力して戦おう」というプロパガンダになるかも知れません。後半の白兵戦で突撃をする場面で大橋中尉は「先祖達は万歳突撃を得意としたからね。」と冗談めかして言う場面があるのですが、朝鮮戦争のつい数年前に日本軍が行っていた事です。トランプは金正恩と終戦協定を進めていますが、この映画で描かれるように現実には中国と終戦をしないといけないように思われます。

 

 

渚にて(On the Beach) 1959年 米国MGM ネヴィル・シュート原作 スタンリー・クレイマー 監督

主演 グレゴリー・ペック(タワーズ中佐 潜水艦Sawfish艦長) エヴァ・ガードナー(モイラ)アンソニー・パーキンス(ホームズ大尉)

 

 あらすじ

米ソの核戦争によって北半球が壊滅し、人間を含む全ての生物が放射線で死滅してしまった所から話が始まります。米国潜水艦Sawfishは核戦争を生き延びて未だ放射線プルームが到達していないオーストラリアの南側にある都市、メルボルンにやってくるのですが、放射線のプルームはやがて同地にも到達する運命にあります。映画は自分達が起こした訳でもない核戦争によって死に至る運命にある人達の苦悩を淡々と描いたものですが、当時は本当にいずれ近いうちに核戦争が起こると世界中が考えていた時代であったのでこの淡々とした描き方に説得力があります。活劇やスペクタクルはありません(ストーリーと関係ない自暴自棄の自動車レースはある)。潜水艦で偵察に行く太陽に照らされたサンフランシスコの無人の街(どうやって撮影したのか)がとても不気味です。メルボルンの市民達は最後放射線障害で苦しむことがないよう、子供達の分も含めて自殺用の薬を政府から配給されます。主人公達もそれを服用してメルボルンの街も無人になる所で映画が終わります。

 

まだ時間はある・・というのは当時の世界へのメッセージか。

 感想

現在においても米露は人類を何回も絶滅できる数の核爆弾を保有し続けています。米露が戦争をすることがあっては絶対にいけません。しかしトランプとプーチンが仲良くすることに対して、世界中は非難囂々です。日本でも比較的リベラル・反戦を唱えるマスコミ勢力でさえもがトランプのロシア外交を批難しています。核戦争を回避するには、首脳同士が信頼関係を結び非戦の誓いを立てる他ないのに、トランプの外交を批難するリベラルというのは所詮「似非平和勢力」であったことが明確になりました。恥を知れ!と普段偉そうな事を言っていたマスコミを思い切り軽蔑したいです。二度と自分達を平和愛好家などと自慢するな!と言いたい。

 

当時はありませんでしたが、現在コロラドやテキサスの都市地下には広大な核シェルターがあり、一部の金融支配層は核戦争が起きても生き残れるように準備が整っているようです。モスクワにも市民全員が入れる核シェルターがあると報道されています。シリアやウクライナでしきりにロシアと戦争を起こさせようとしていた勢力は、何があっても自分達は生き残る前提で仕掛けていたのでしょう。そのような動きを批難・報道しないメディアの「腰抜けぶり」には反吐が出る思いです。

 

トランプと金正恩トップ会談のその後ですが、私はやはり北朝鮮内部の調整が取れていないために進展が遅いのだろうと考えています。中朝の協同歩調による離反という説もありますが、中国の習近平体制は今北朝鮮に関わって米国に敵対する余裕はないように見えます。貿易戦争では負けつつ有りますし、EUに接近していますが結構足元を見られているようにも思います。結局「中国が損をしない範囲で北朝鮮を処分する」という方針は変えようがないでしょう。

トランプの米国内での政治体制ですが、確かに中間選挙を意識した調整に苦心している事は否めないでしょう。ロシア疑惑もしつこく報道されていますが、金融Deep state側の犯罪もどこかで暴露追求(メディアが報じないので出し方に工夫が必要)して逆襲を計っていると思われます。ただネタニヤフとの蜜月、イランとの対立をどこまで行うのか、プーチンとは先日の直接会談で(2時間近く通訳のみで会談したという)ある程度打ち合わせを済ませていると思われますが、現状では政権の不安定要因であることは確かです。

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2018大河ドラマ「せごどん」の「大欠点」と「一寸だけ良い所」

2018-07-30 21:43:26 | その他

日曜夜8時といえば、小中学生時代はNHKの大河ドラマと決まっていました。1970年代の事でしょうか。当時は日本史に詳しくないながらも、「樅の木は残った」、「天と地と」といったいまだに名作と言われる大河ドラマがあり、印象に強く残っています。しかし大人になってからはとんと見なくなりました。長丁場のドラマを毎週見れる身分でなくなった事もありますが、あまり面白いと感じなくなった事も大きい原因です。

 

ところが昨年ひょんなことから「女城主直虎」の第一回目を見たら「面白い」と感じてしまい、毎週楽しみに見るようになりました。昨年の「直虎」は期待を裏切らず、最終回まで次はどうなることかとワクワクしながら見る事ができました。家康や信長との確執など、歴史の新しい解釈(こういうのも有りかな)が楽しく、また今まで光が当たらなかった今川氏真などの人物像を描いた所も新鮮でした。

 

新しい大河の姿を見せた直虎    途中退場なのに存在感抜群だった小野政次  したたかに生き抜いた姿が新鮮な今川氏真

次の年は明治150年を記念して「西郷隆盛」の生涯か、と非常に期待して今年の大河が始まるのを待っておりました。しかし・・今年の大河は「大外れ」であります。まず人物がつまらない、ストーリーにワクワクしない、画面に工夫がない。今年の大河のダメ出しについてはいろいろな所で語られていますので、詳細は省きますが、一番の欠点だけ指摘しておきます。

 

「主要な人物の生き方のバックボーンを描かない事」

今年の西郷は「皆から愛される西郷」を描く、と脚本家が述べたということですが、西郷隆盛は自身の損得や出世よりも「天に向かって恥じない生き方」を常にしてきたと思います。江戸の街をわざと荒らしたり悪い事もかなりやりました。しかしそれは他国に侵略されない新日本を作るという島津成彬の理想を実現しようとする過程における手段として行って来た。そのような「天に向かって恥じない」所こそ皆が愛した理由だとして描くならば見応えがあるのですが、毎回「表面的な良い人ぶり」「民のため」とか「戦争は否」とかそのような台詞で皆に愛されるという描き方では全く説得力がありません。底知れない悪い事もするけどよく見て行くと「天に恥じない生き方」が通奏低音として見えてくる、といった描き方こそが1年を通じてドラマを作る大河の醍醐味でしょうに。このドラマは複雑な幕末の薩長・幕府・朝廷の事情や考え方、事件を殆ど説明することなく、適当に西郷の周辺に起こった事だけを繋いでドラマが進んでゆくので、幕末とは、明治維新とは、といった中身は自身で勉強するか、時代背景は考えず無視するかしないとさっぱり理解できない造りです。おまけに「侍」というものの魂を全く無視しているので簡単に仲間内で刀を抜いたり、上の者に刀を向けたりします。そして役中の善玉悪玉の区別が小学生並みに明らかすぎる。遠山の金さんや水戸黄門でももう少し丁寧な造りをするのではないかと残念に思います。

 

この銅像も薩長史観に基づく

一寸良い所

最近は新しく見つかった資料を元に史上語られて来た薩長主観による明治維新の見直しがなされて来ています。勝てば官軍で薩長によって新しい斬新な思想の明治政府が作られた。征韓論に敗れた西郷は不満分子に祭り上げられるようにして西南戦争を起こして死んだ。そこで古い体制が終焉して帝国日本が築かれて行った。とされていますが、実際の明治政府はグダグダであったし、幕府の方に私利私欲に捉われない優れた頭脳の知識人が多数存在していた。西郷は征韓論には反対であり、西南戦争も政府を諌めに旅立った西郷をかねて用意周到準備を整えていた政府軍が一方的に成敗した、というのが本当の姿だったようです。このドラマの良い所は、わずかですが端はしにこの新しい解釈を入れている所です。第一回目冒頭の上野の西郷さんの銅像除幕式で3番目の妻「いと」が「あの人はこんな人ではない!」と叫ぶ場面から始まるのですが、このストーリーは本当のようで、「犬をつれてウサギを追っている暇人」ではなく、「常に軍服に身を固めて天に恥じず生き、背筋を伸ばし天下のために生きた人」だというのが「いと」にとっての西郷だったということです。しかし明治新政府にとってはその西郷を銅像にすることは不可であった(実際に軍服姿のものから作り替えたそうです)。その西郷の真の姿が1年のドラマで見られるかと期待したのですが、大外れだから残念至極なのです。

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