rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

10年ブログが続きました

2018-04-25 18:12:21 | その他

2008年4月27日に50歳でブログを開始してからいつのまにか10年が経過し、幸い大きな病気や事故もなく10年がすぎて、本日ブログアクセス数が40万、Viewも100万を超えていました。

検索などにかかったものを含めてどこまで皆さんに読んでいただいているかは不明なるものの、アクセス解析などを見ると、医療関係や他で展開されていないような考察をしている内容には古い物でもアクセスがあるようだと感心します。少なくとも医学における学会発表よりも発信した内容を読んでもらえる率が高いのでブログを書く「書きがい」があると今まで感じて来ました。

10年前と比べて年はとりましたが、自分が成長したかは不明です。一番最初に書いた文を読み返してみると「日本は何故戦争をしてしまったのか」というブログを始める上での長期的なテーマから入っていた事が解ります。書評ながら良い点を突いていたなあと思ったので備忘録的に再掲してみました。日本はまだ「囲い込まれた時代」には入ってはいませんが、米国・日本を含むマスコミの現状は危ない方向に向かっているようにも感じます。

(2008年4月27日再掲)

保阪正康著「昭和史の教訓」書評 朝日親書 07年2月刊

日本は何ゆえに無謀といえる太平洋戦争に突入していったのか。その疑問に自信を持って答えることができる日本人は少ないと思う。「軍部の暴走」、その理論的バックボーンになった「統帥権の干犯」、きっかけを作った「陸海軍大臣現役軍人制」これらは教科書的には理解することはできてもこの組み合わせがイコール真珠湾攻撃には結びつかない。日本が戦争に突入してゆく昭和10年台に我々日本人は何を考え、指導部はどのような国家戦略をもっていたのかを振り返り、反省を行い教訓をくみ取ることは未曾有の犠牲を払った戦争を繰り返さないために必須の作業になると思う。

保阪氏の視点は常に反省的である。しかしそれは戦前をすべて悪とする非生産的なステレオタイプの決め付けではなく、極めて理論的に原因や背景を考察し、当時の指導層である政治家や軍人に対するだけでなく、当時の一般国民にも鋭い自省を促している。それは現在一般人であるわれわれすべてが日本の将来についての責任を負っているという認識に基づくものであると言えるし、私も共感を覚えるところである。

昭和10年代の日本の状態を保阪氏は「主観主義」という言葉で表現している。主観主義とは自己中心的とか他者への思いやりがないということではなく、他者の立場に立って考えることがない、自分本位の考え方ということに近い。支那の中華主義や軍事力を全てとするパワーポリティクスでもない。保阪氏は主観主義の一例として皇紀2600年において作成された「皇国二千六百年史」の存在をあげている。これは当時の日本国民から広く募集されて政府編集の上で刊行された日本古来からの天皇中心の歴史をまとめた史書で「天皇の神格化」がこれにより完成したと評されている。

明治維新までは天皇は存在したものの庶民の間で天皇は神として崇められていた訳ではなく、また明治の激動期においても天皇は国家の主権者ではあったが神ではなく、明治政府をきりもりしていた元勲達にとって天皇は国におけるひとつの機関つまり昭和初期においてまさに不敬として断罪された美濃部達吉の「天皇機関説」的な合理的考えで扱われてきたと言える。日本は昭和初期においてまさに「天皇の神格化」を行うことによって天皇および直轄する皇軍について議論することを禁止されてしまうのである。

この主観主義に基づく天皇の神格化は国家のあり方についての議論を封じ、結果として広く国民が日本という国家のあり方、国家戦略を考えることも封じてしまうのである。その典型は「戦争の目的」「戦争の終着点をどこにおくか」を全く考えずに戦争に突入してゆくことに集約されてゆく。ヒトラー、ムッソリーニ、スターリンなどの独裁者、英米などの民主国家においてもその指導者はそのときの国家目標、国家戦略というものを明確に持っていて国家の上層部はその戦略に従って仕事をしていたといえよう。しかし当時の日本においては、日中戦争を例においてもアジアの西欧からの開放とか五族協和といった漠然としたスローガンはあったものの具体的な到達目標のようなものはなかったといってよい。当時の軍は軍功を重ねて日本の版図を広げることが天皇に対する自らの忠誠、忠心の証となると考え、それが自らの存在価値を高めることであると信じていたのである。その行いに意見することなどありえないことであって神である天皇に尽くすことを否定することは許されないという形になってしまったのである。このやみくもに日本が版図を広げていった結果として、日本は米英から危険視され国際的に孤立してゆき、対米英戦争に突入することになったというのが結論である。

面白い指摘として、氏はこの本の中で対米英戦の終結目標についての当時の公式文書を紹介しているのであるが、それが当時の陸海軍の一課員が官僚の作文よろしくまとめた文がそのまま政府の公式文書になってしまい、最も大切な戦争の終結点、目標について政府の中枢においてろくに議論すら行われていないことが判明している。

保阪氏は「歴史への謙虚さとは何か」と題されたこの本の終章において、庶民の側からみた当時の状態を四つの枠組みで囲い込まれた時代と表現している。

四つの枠組みとは(カッコ内はrakitarou註)

1. 国定教科書による国家統制 (検定教科書ではなく、国が決めた選べない教科書)
2. 情報発信の一元化
3. 暴力装置の発動      (公的、非公的を問わず、体制に逆らうとひどい目にあうこと)
4. 弾圧立法の徹底化     (治安維持法のようなあからさまな物や人権擁護法のように紛らわしいのもあると思う)

である。この枠組みで囲い込まれて生活することを余儀なくされると人は体制に対する疑問を感じてもそれを発信したり自ら変えようとしたりできなくなる。この状態を保阪氏は「国家イコール兵舎」「臣民イコール兵士」と表現している。この四つの囲いは昭和初期のように一見文化経済が発展していて国民が豊かになっているように見えていても存在しえるのである。現在の中華人民共和国などこのよい例であろう。

現在の日本は幸いにしてこの四つの枠組みからは解き放たれていると思われるが歴史に対して常に謙虚であろうとするとき、いつまたこの枠組みが作られてゆくかを注意深く見つめる必要がある。天皇は神ではなくなったものの日本人の「主観主義」や「国家戦略の欠如」といった当時と同じ根本的欠陥は現在も変わっていないのだから。

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ロボット手術の未来

2018-04-23 23:39:44 | 医療

 4月17日から22日にかけて京都でアジア泌尿器科学会と日本泌尿器科学会総会が開かれ、参加してきました。今年の保険診療報酬改定では、今まで泌尿器科領域の前立腺全摘術と腎癌の腎部分切除術のみがロボット手術による保険診療による請求が認められていたのですが、新たに胃癌や子宮摘出など多くの領域の一般的に行われている外科手術、腹腔鏡手術がロボット手術による保険請求が可能になりました。今後は200台以上日本国内で普及したロボット手術の機械でこれらの手術が行われて行く機会が増加して行くものと思われます。

 それに伴って、ロボット手術の未来、ロボット手術のできる外科医師をいかに育てるかという事が最もロボット手術が進んでいる泌尿器科領域における新たなテーマとなりました。私自身はロボット手術がどんなものかは理解していますが、自分では術者をやりません。腹腔鏡手術はある程度やりましたが、専門医としてあらゆる手術をこなすほどではありません。だからロボット手術に対してはやや冷めた見方になっていることは否めないのですが、30年間外科医として手術を行って来た経験を踏まえて自分なりの考えをまとめておこうと思います。

 

1)      現在のロボット手術のロボットとしての自動化レベルは“0”

 

 患者さんが一番誤解しているのは、ロボット手術はロボットが手術していると勘違いしていることです。工場などのロボット化されたオートメーションや、自動車の自動運転システムのイメージから、ロボット手術は精巧なロボットが間違う事なくヒトの身体を手術してくれるとイメージしがちです。しかしそれは誤りです。小さい複数の穴から体内に入れたロボット的な装置を外科医が100%操作をして通常の手術を行うのが現在のロボット手術で、手術結果は外科医の腕次第であることは開腹手術と全く同じなのです。

 ALFUS(Autonomy Level For Unmanned System)という米国政府公認の工業界が決めたロボットの自動化の度合いを決めるスケールがあり、軍事技術などでも使われていますが、現在のロボット手術はLevel 0つまりロボットによる自動化率は0%で全てヒトが操作をするレベル(Human-robot interaction100)なのです。私が前立腺癌に行っている高密度焦点式超音波治療(HIFU)はこのスケールではLevel 1 (設定をすると決まった範囲で機械が自動的に治療する)に相当します。

    (2005 SOIE Defense and security symposium, Orland Florida)

  ちなみに自動車の自動運転システムはレベル0から完全自動運転のレベル5まで定められていますが、先日事故を起こしたGoogleの自動車はレベル3-4のチャレンジをしていて失敗した例と言えます。

    自動車の自動運転システムのレベル

 

2)      通常の開腹手術とロボット手術の違いはオフロードバイクとキャデラック

 

 では、3億円のロボット手術の機械を買って、1回100万円かかるデバイスを使って専門のトレーニングを受けた術者がロボット手術を行うことと、通常の開腹手術の違いは何かというと、例をあげると現状ではある目的地に行くのに「キャデラック」で行くか「オフロードバイク」で行くかの違いであると言えば良いでしょう。東京駅から帝国ホテルに行くには多分キャデラックで行った方が快適であるし運転者(術者)も乗客(患者)も快適です。しかし目的地が階段状の坂道のある丘の上であったり、人がやっと通れる細い路地の奥であった場合にはキャデラックでは到達できません。乗り心地が悪くてもオフロードバイクでしか行けないことになります。現状ではロボット手術でないとできない手術はありません。しかしロボットではできない手術は山ほどあります。最近私が経験した例でも、膿腎症の緊急手術、腎部分切除後の再発で下大静脈と腎が癒着している症例などロボットでは不可能です。多発外傷も無理です。

 同じ手術の場合、癌の治療効果についてはどんなに検討しても開腹手術とロボット手術の差は出ていません。しかし入院期間や出血はロボットの方が少なく済む事は確かです。

 一部の患者さんには最新のロボット手術を受けた事を自慢に思っている人もいます。それは自由なのですが、同じ病気で通常の開腹手術を受けた人に対して「優越感」のような物を持っていたり、上手な開腹手術ならば起こらないような合併症であるのに、ロボットでも起こったのだから仕方がないと変に納得している患者さんもいます。医師やマスコミがロボット手術について正しく情報提供をしていない事が原因かもしれませんが、患者さんの側も自分が医療を受ける目的が何かを十分理解する必要があると感じます。

 

3)      若手外科医の教育の問題

 

 熟練のオフローダーがキャデラックも運転できるようになれば、素晴らしいドライバーになることは必定です。しかし大学病院でロボット手術を多用するようになったため、卒業したての若手医師達が通常の開腹手術を学ぶ機会が減っています。彼らは、キャデラックの運転はできるようになるのですが、オフロードバイクに乗れないので丘の上や路地の奥の目的地には行けません。中堅以上の外科医達は若い時からオフロードバイクで鍛えられて来たので険しい道のりをどう工夫すれば乗り越えられるかの知恵があります。またこれは踏破不可能と判断して引き返す限界も解っています(手術不能の判断ができる)。

 現在学会の課題としてキャデラックの運転しかできない若手医師をどうするかという問題が検討されています。中堅の市中病院で経験を積む必要があるのですが、そういった病院にもロボットが入ってくると結局本当に手術ができる外科医が育たず、ロートルが引退すると今まで治療可能であった疾患が治らない事態が生じます。

 

4)      ロボット手術の今後

 

 ロボット手術が今後発展する方向性として

(1)ALFUS levelの向上で術者の技能に関わらず手術ができるようになる。

(2)開腹手術しか出来なかった内容の手術もロボットでできるようになる。

(3)より安価な装置が普及する。

 といった事が考えられます。腹腔鏡手術が20年前に出現した際には、将来これで全ての手術ができるようになって開腹手術はなくなるかも、と言われましたが、結局そうはなりませんでした。ロボットは明らかに細かい作業や、見え難い術野の手術が可能になっているのでまだ発展する可能性はあり、到達できる目的地が増加していることは確かです。

 

しかし、疾患を治療する方向性として、「手術によらない治療」が増加していることも事実です。動脈瘤、脳血管障害、狭心症、弁膜症、早期の消化器癌、膀胱癌、前立腺癌も手術によらない治療法が主流になりつつあります。今後は外傷などロボットでできない手術のみが手術的治療として残り、いままで手術治療をしていた定型的な手術はなくなってゆく可能性が高いとなると、ロボット手術というのも時代のあだ花で終わるかも知れません。

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反戦?映画今昔「未知への飛行(Fail safe1964)」と「5デイズ( 5 Days of War)」

2018-04-09 23:38:58 | 映画

CS放送で対照的な2つの反戦?映画を最近見て、印象に残ったので備忘録的に記しておこうと思います。

 

1)5デイズ(5 days of war)2011年(米国) レニー・ハーリン監督 ルパート・フレンヅ、エマニュエル・クリキ、ヴァル・キルマー主演

 2008年、北京オリンピック開会中に発生したグルジアー南オセチア紛争において、グルジア側から取材に入った西側の戦場ジャーナリスト達が、ロシア軍がグルジアの村々に爆撃、侵略をして戦争犯罪と言える虐殺を起こす様をフィルムに収め、世界に発信しようとする努力を描く内容。

 あくまでグルジア側は善い者として描かれ、ロシア軍は無力なグルジア市民に一方的に武力攻撃をし、特に正規軍でなく「傭兵」として一線で戦う「コサック兵」達の残虐ぶりが強調されて描かれます。サーカシビリ大統領はNATO、米国に軍事的な救援を要請しますが相手にしてもらえず一方的な休戦によって何とか独立は保たれます。

 ロシア軍は圧倒的に強かったのですが、映画では余りに「ロシア=悪逆」で描かれ、主人公達が危機に陥る度にいかにも都合良く「救援」が入るというご都合主義が娯楽映画的で鼻につきます。サーカシビリは「ジョージア(グルジア)の自由と独立が守られた」と最後に演説をするのですが、初めに南オセチアの自由と独立を認めたらそもそも紛争が起きなかったのでは?と突っ込みたくなります。

 この南オセチア問題を始め、ウクライナ、クリミア、シリア、トルコにおいて、そして現在の英国スパイ暗殺事件においてもロシア(プーチン)は悪の権化として打倒するべき対象とされています。ロシアは本格的な西側との戦争を避けようと自重をしていますが、ロシアとの戦争の恐怖を米国、西側の人達は忘れてしまったかのようです。

 

グルジアへのロシア軍の砲撃(本物)  ロシアの爆撃による犠牲者

 

2)未知への飛行(Fail Safe1964) 1964年 米国 シドニー・ルメット監督 ヘンリー・フォンダ、ダン・オヘイリー主演

 核を搭載した戦略空軍爆撃機が正体不明の侵入機(UFOと表示)に反応してソ連との核戦争準備に入るのですが、コースを外れた民間機と判明。しかし1グループのみがソ連の妨害無線によって警報解除の指令が届かず、そのままモスクワへ水爆投下に向かってしまう。大統領(ヘンリー・フォンダ)はソ連の議長とのホットライン、国防総省などと協力して攻撃命令の中止、爆撃機の撃墜を計るのだが・・。Fail safe機構というのは失敗しても安全な方に自動的に導かれる仕組み、或は最小の損害で済むように導かれる仕組みの事を指す専門用語で航空機や医療の世界では日常的に使われる言葉です。この映画におけるFail Safeとは機器の誤作動で核戦争が始まってしまう状態になった時のFail Safe機構が自軍の戦闘機による撃墜、人間の声による命令、そして最後は自国の爆撃機をニューヨークに飛ばして自ら水爆をニューヨークに落とす事でモスクワに水爆を落とした事と釣り合わせて世界破滅の核戦争を防ぐ事をソ連の議長と約束する、というショッキングな内容です。

 ソ連との戦争が人類の破滅に直結すると言う危機感を世界が共有していた時代の作品。「論理的に最後の最良の選択がこれなのです」という厳しいメッセージを当時の米国市民達はどのように受け止めたか。最近の米国における、安易なロシアとの敵対をあおる風潮に私は危惧を感じます。何故何の証拠もないの元スパイ殺害容疑で世界中からロシアの外交官を追放しないといけないのでしょう。もう一度世界、特に米国民はこの作品の重み、何度も人類を滅ぼせるだけの核を持ってしまっている自分達への厳しさを確認するべきだと思いました。またこのような自国民に対して厳しい問いかけをする映画を作れていた当時のハリウッド、現在のセレブと体制リベラルに媚を売り、低俗な映画しか作れなくなったハリウッドとの明暗を感じざるを得ません。

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日本の本当の黒幕 を読む

2018-04-06 19:19:15 | 書評

日本の本当の黒幕 上下 鬼塚英明 成甲書房 2013年刊

 

 幕末から維新・昭和初期まで生き抜いて、伊藤博文の時代に明治天皇の宮内大臣を勤め、以降日本の黒幕として政界・経済界に影響を及ぼし続けた田中光顕(1843−1939)を中心に歴史の表では語られる事のない背景を数多くの資料を駆使して暴いた労作です。著者自らあとがきで述べているように、「田中光顕という人物を通して著者が幕末・明治・大正・昭和を研究した本であって、この本は間違いなく独断と偏見に満ちている」というのは本当だと思います。しかし我々が戦前史を知ろうとする時、世界における日本の動きは非常にダイナミックであったにも関わらず、どこか戦後押し付けられた一方的な「見方」からしかアプローチできず、またあれだけ皇室というものの絶対性が語られながら、その皇室を様々な角度からありのまま記した歴史書が非常に少ない事も事実です。だから表に出ていない部分を探ろうとする時に断片的な資料から時に大胆な類推や想像で説明を試みなければならないという現実があります。ネットなどで見られる「トンデモ説」「陰謀論」という括りで片付けてしまう事は簡単ですが、実社会で30年揉まれて生活してくると、社会というのは表に出ていない様々な思惑や陰謀で物事が決まって来る(現実には謀の2-3割しか思惑通りにはならないけど)と言う事を実体験として知るようになります。様々な裏の話を「そんなのは陰謀論」と言って本気にしない人というのは実はあまり社会を知らない「お目出たい人」だと私は思います。誤りも半分と思ってこの本を読み進めてみると、明治から昭和、戦争に向かう日本社会の裏側のダイナミズムを感じます。中身が広範雑駁でまとまりに欠ける所があって、理解しにくい所もある本ですが、そのような意味で有益な本ではないかと思いました。以下特に昭和初期の時代を決めることになった事態について、印象に残る内容を備忘録的に記しておきたいと思います。

 

田中光顕 

1)      田中光顕が宮内相引退後も政界などに力を持ち続けたのは「皇室の秘密」を武器にしたから。

 

○ 明治帝は孝明天皇の後嗣睦仁親王が長じて成ったのではなく、大室寅之佑なる山口県田布施からの出自不明の若者であるという前提で話が進みます。事の真偽は証明しようがありませんが、幕末の志士と言われるさして教養もない勢いだけの人達にとって「皇統の血筋を守る」意味などなく、「玉を担ぐ事で錦の御旗を得る」以上の物ではなかった、それくらい幕末というのは荒々しい激しいものであったというのが本当だと私は思います。大室寅之佑も南朝の末裔などと言われていますが、これも明治期に、水戸学の影響で南朝を正当な皇統と見なす事に成ってから後付けされた由緒のようです。

○ 明治帝は在職中、公式には伊藤博文、山県有朋、井上馨の元老以外は宮内相の田中光顕を通してしか他人と遭う事が適わなかったと言われていて、本当の明治帝を親しく知る人と言うのは実際にはいないのが現実だったようです。幼なじみの西園寺公望ですらあまり親しく接することがなかった(いろいろバレてしまうから)とも記されます。

○ 一方で明治帝は一般に真面目で勉強熱心で知性も高く判断力に優れた大帝という評判ですが、実情は「酒色に溺れる毎日だった」という噂もあります。明治帝には昭憲皇太后の他に記録上5人の側室がおり、10人の娘、典侍 柳原愛子に第三皇子として成人まで達した大正天皇(嘉仁親王)がいます。しかし梅毒であったという噂があって、大正帝の脳病も梅毒からみ、大正帝は幼少期から病弱で不妊であったという事も言われています。

○ これらの(勿論)公にはならない情報を武器に田中光顕は引退後も政界に力を持ち続けた、しかも要塞のような寝室を自邸に構えて、常に暗殺の恐怖に備えていたことも事実です。

 

貞明皇后と皇子達

2)      大正帝と妻貞明皇后の時代が後の昭和の方向性を決めた。

 

○   不妊で病弱の大正帝に、伊藤弘文と大山巌は妻捨松、津田梅子らと計って九条家からということにして会津出身のクエーカー教徒である節子を貞明皇后として迎えます。大正帝と貞明皇后の間には4人の皇子がいるのですが、それぞれが種違いと説明されます。1901年昭和帝(裕仁)は父が西園寺八郎(西園寺公望の養子で毛利元徳の八男、大正帝の学習院同級生)、1902年秩父宮帝(父は東久邇宮 稔彦 昭和帝の妻、香淳皇后は姪であり、終戦時の内閣総理大臣)、1905年高松宮帝(父は有栖川宮—元高松宮)、1915年三笠宮(父は有栖川宮か近衛文麿)。大正帝の息子達は兄弟と言えど、姿形が随分と違うということからこれらの推察もあながちデタラメではなさそうなのですが、なんせ不敬罪に関わる事ですから正史に出来るはずがありません。

 

3)      幕末の志士、明治の元勲、右翼左翼の大物は紙一重

 

○   幕末の志士の一部が明治政府の要職に就いて、後の元勲と言われる明治以降の日本の枠組みを作って行く役割を果たす事は正史で習う通りなのですが、後に赤旗・大逆事件で恐れられた幸徳秋水や中江兆民といった思想家が坂本龍馬の海援隊に入っていたり、大杉栄が後藤新平とつながっていたりします。田中光顕が裏で応援する右翼の大物、民間の元老と呼ばれて昭和帝の結婚式にも招待されたという頭山満も幕末の志士達と共に写真に納まっている若き日があります。

○   幕末の志士、明治の元勲、右翼左翼の大物というのは実のところ出自は変わりなく、時の流れと運でそれぞれの歴史的役割に別れて行ったというのが本当ではないかと思われます。明治になってから京都で長年生息してきた多くの「お公家さん」達は実のところあまり活躍はしていません。皇室を中心とした歴史が新たに始まった事は事実ですが、二千年の歴史を持つ旧来の皇室・お公家さんを中心とした政治が帝都で行われて明治が作られて行ったのではなく、田舎の下級武士達を中心に「一神教としての天皇教」を掲げた立憲君主国としての明治政府が試行錯誤されながら新たに作られたというのが正しい解釈だと思われます。だから明治政府中枢では常識では考えられない事も「何でもあり」だったと言う事ではないでしょうか。

 

4)      三菱→田中光顕の金の流れが昭和テロルのバックボーンとなった。

 

○   テロルというのは何の背景もなく、突発的に起こるものではなく、必ず裏で金の流れを追うことでその黒幕を暴く事が出来る、というのは鬼塚氏一流の歴史解釈です。これは現代のIS(イスラム国)成立における金の流れ見る事でも役立つでしょう(サウジアラビア、ユダヤ財閥など)。昭和にも結盟団事件、一人一殺の井上日召などのテロ事件が多発し、何より五・一五事件、二・二六事件という軍によるテロ事件が起きて、後の戦争へと繫がって行きます。実はこれらにも必ず金の流れがあって「黒幕としてのまとめ役」がなければこれだけの事件を起こす事は不可能です。

○   田中光顕と山県有朋の二人はその立場からは信じられない程の財を成した、と言われていますが、山県は政府の金、田中は岩崎弥太郎と親しくなることで継続した金の流れを作ったと説明されます。田中は引退後も金を得続けてそれらをテロルの資金として活用することで三菱の利益に資することもしたと説明されます。勿論一企業の利益のためにテロルを指揮したのではなく、国家主義者としての田中の信念が頭山満などとのつながりを持たせ、五・一五事件などへの関与に至ったという説明ですが、詳細は複雑なので省きます。

 

今二十一世紀の新たな世界情勢を迎え、日本も世界も新展開を迎えようとしています。その荒波の中を何とか日本という国と国民が生きながらえてゆくには、格式に捉われない柔軟な発想と知恵が必要だと思います。世界の動きが「とても賢い人達が人類全体の利益を考えながら慎重に動かしているはず」などと考えない方が良いでしょう。もっとデタラメ出たとこ勝負で物事は実は決まっているというのが幕末から明治の日本を見て感じます。「何でもあり」だと言う心構えで知恵を働かせて行かないとこれからの世界、生き残って行けないとこの本を読んで感じました。

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