rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

Fairey Battle Mk. 1 Airfix 1/72

2020-07-23 18:01:38 | プラモデル

1936年、Hawker Hartの後継として軽爆撃機としてロンドンの航空ショーでデビューした当時は、空力的に流麗な容姿に1,030馬力のロールスロイス・マーリンエンジンを装備したバトルは世界最高の軽爆撃機と評されました。三座機であり、軽爆というよりも彩雲の様な日本の艦上攻撃機に類する物かも知れません。37年から部隊配備され、オースチンなどの自動車工場でも生産されて2,419機も生産されました。しかし栄光も束の間で、昼間爆撃ではメッサーシュミットなどの高性能戦闘機の餌食となり、1940年のダンケルク撤退の際に他に使える機体がなく全力で爆撃に参加した本機部隊は、殆ど全滅するほどの大打撃を被った記録があります。以降は夜間爆撃と練習機などに使用されるのみになりました。以降この手の軽爆が昼間爆撃に活躍する場はなく、1938年にデビューしたホーカー・ヘンリーに至っては一度も実戦配備されることなく終わったと言われます。

Airfix 1/72 Fairey Battle Mk. I  450kgの爆弾搭載量からするとやや無駄に大きいような感じもするがスタイルとしては流麗

モデルは70年代の金型と思われますが、2010年に再販されたもので、新しい説明書と英国Oxfordshire  63 Squadron 1939年とギリシャ空軍のスライドマークが入ってました。比較的整合は良く、スライドマークもマークソフターを用いれば奇麗に貼れました。下面黒、上面はダークグリーンとダークアースの典型的な迷彩塗装です。今回はダークアースを全面にスプレー塗装してから筆で薄いダークグリーンの境を書き入れて、ダークアース部分をマスキングゾルで筆塗りしてからダークグリーンを吹く事を試してみました。紙絆創膏で追加的にマスキングすると剥がす時も一緒に奇麗に取れて楽でした。大戦初期の塗装をしたハリケーンと並べてみましたが、かなり大型の機体であることが解ります。この頃の英国機は尾翼に三色の国籍マークを入れてない機体もあるようで、Battleの実機の写真でも入ってない機を見かけます。Hendonのイギリス空軍博物館ではBattle of britainのエリアに展示されていました。

ハリケーン戦闘機と比較しても大き目    英国空軍博物館の実機

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Republic F-84 Thunderjet タミヤ 1/72

2020-07-14 17:43:27 | プラモデル

大戦中のP-47の後継機として1944年にジェット戦闘機として開発された機体で1949年から実戦配備されました。AからG型までの直線翼を持つサンダージェットとH以降の後退翼を持つサンダーストリークに分かれます。巡航速度781km、航続距離2,390kmでしたが、ジェットエンジンがまだ非力で、離陸に長距離を要し、後部に補助推力ロケットを装備して使われ、高性能のMig-15が朝鮮戦争で使われだすと、戦闘機としての機能はF-86に譲り、直線翼の低地安定性から戦闘爆撃機として使用される機会が増えました。戦略空軍(Strategic air command-直訳して戦略空軍命令という珍名の映画がありましたがB-36の実機が出てくる貴重な映画でした)では空中給油機能を持たせて核搭載が可能となり1957年まで使用されました。

米国空軍博物館に展示された実機 朝鮮戦争時大邱空軍基地所属の機体塗装(このアルミの感じがなかなか出ない)

プラモは天下のタミヤ模型なので安心して作れるのですが、デカールが多く、マークソフターを使って丁寧に張ってゆかないと失敗します。張る順番ももう少し説明があると親切なのですが、箱絵を良く見ながらやるべきと思いました。また前車輪の飛行機はバラストを機首に入れる必要がありますが、説明書に「2g」と書いてあって、「こんな僅かな量で足りるのか?」と疑問に思いつつ結局「まったく足りない」事が出来上がってから判明。機体の底部の蓋を開いて釘や粘土をたっぷり詰め直す作業が必要でした。

銀の塗装色をうまく出すのも工夫が要ります。白のサーフィサーをスプレーしてからシャインシルバーを吹き付けてみたのですが、異様に白っぽい彩色になったので結局普通のシルバーを使いました。実はシルバーは黒を下地にした方が、色味が映えるというのを後で知りました。次は黒を使います。ネットでは仮組みしてデカールを張って組み立てという完ぺきな作例があって、さすがと思いました。私のは、底の赤い線を先に張ってしまって胴体のデカールずれてしまいました。

機首の50口径機銃が見えるようにハッチを開けた状態でキャノピーも開けた状態にしてみました。

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映画『コッポラの胡蝶の夢』感想

2020-07-07 18:52:24 | 映画

映画『コッポラの胡蝶の夢』(原題Youth Without Youth)は、2007年のアメリカ・ドイツ・イタリア・フランス・ルーマニア映画。原作はミルチャ・エルアーデの小説『若さなき若さ』。監督、脚本はゴッドファーザーや地獄の黙示録のフランシス・フォード・コッポラで、主演はあまり有名でないティム・ロス(ドミニク)、アレクサンドラ・マリア・ララ(ラウラ、ヴェロニカ)

ストーリーは、1938年、70歳の言語学者ドミニクは、自身の言語学の研究も未完のまま、「別の世界にあなたは生きている」と言われて別れたラウラを忘れられない孤独な日々を送っていた。ある復活祭の日、彼は突然雷に打たれ病院に収容され奇跡的に一命をとりとめる。しかも驚異的な頭脳と若き肉体に復活し、しかも手に取った本の内容を直ぐに理解するといった超常的な能力まで獲得してしまう。

1955年.ラウラに生き写しのヴェロニカと出会うが、自分と同様に落雷に遭った彼女は、1400年前インドに住んでいたルピニの知識を得て、サンスクリット語で話すようになっていた。彼らは「輪廻転生」と騒がれるが、ドミニクは彼女の力で自分がなしえなかった言語の起源を探究する研究を達成しようとする。しかし若返る自分と異なり、早老化してゆく彼女を救うために自分が彼女から離れる決断をし、故郷で自分を導く鏡の分身を壊すことで本来の年齢に戻って雪の中息絶える。

1969年、故郷のブカレストのカフェに行き、友人たちに荘子の「胡蝶の夢」(夢と現実の堺がない話)を語る所から邦題がつけられました。

主人公ドミニクはラウラとそっくりのヴェロニカと出会い夢のような日を送るが

 

SF的なストーリーを理解することは困難ではないのですが、監督脚本を敢えてコッポラ本人が手掛けて、私財を投じてこの作品を作ったコッポラの狙いは何であったかは難しい問いであると思います。主人公のドミニクの様に自分のやりたい事を若返ってやり直したいという欲望のようにも見えますが、その解釈ではやや弱い。私はコッポラ流の世界における真善美の意味表現であったように感じました。奇才スタンリー・キューブリックは、彼の世界における真善美の意味を映画「バリー・リンドン」で表現したと前に論考しました。キューブリックは真(宗教)、善(バリーの生き方)、美(映像)をこの映画で表現したのですが、コッポラは真(ドミニクが追求した学問)、善(人類が核戦争で滅びて新しい人類となってより高いステージに上るという未来予知を伝えるべきかで悩む)、美(ラウラ、ヴェロニカへの愛情)という内容を描いています。

 

学問について  ドミニクは言語の起源、紀元前のエジプト、インカ、メソポタミアなどの言語まで理解するに至り、もう少しで自分の研究を極める所まで行きますが、ヴェロニカへの愛情(美)を優先させることで断念します。

善について ドミニクは未来を正確に予知する能力を得て、人類の未来を解読不能(将来コンピュータの発達で解読できるようになるだろう)の文字で記述し、某所に保管します。これは未だに解読不能とされる奇書「ヴォイニッチ手稿」を連想させる描写であり、 謎のイラストとして紹介されているものにも通じます。ドミニクは人類が核戦争で一度滅びて(第六の絶滅と表現しているー第五は恐竜の絶滅)新しい人類に昇華するという未来を「進化のために善である」という自分と、「多くの罪のない人が死ぬ事は善ではない」というもう一人の自分の板挟みにあって悩み、結局答えは出ずに終わります。キューブリックにとってもそうであったように、コッポラにとっても「善」とは移ろいやすい物という結論なのでしょう。

美について これはキューブリック同様「変わらない物」「真よりも優先される物」としてコッポラはとらえたように思います。ラウラを思い続け、ヴェロニカへの愛情で学問を捨てるという決断、雪の中で息絶えたドミニクの安らかな瞳は、胡蝶の夢で夢と現実を行き来しながらも、美を追求できたという満足を表していたように感じました。

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