rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

医療におけるコスト意識の用語について

2014-04-22 19:05:49 | 医療

診療報酬の単価が上昇していないにも関わらず、国民の医療費が年々増加しており、限られた医療資源を有効に活用して、国民の健康と皆保険制度を守るために、医療現場においては医療におけるコスト意識が重要になっています。米国ではオバマケアが導入されましたが、既に低所得者層を対象にしたメディケアは行き詰まりの感を呈しており、また支払い側である医療保険会社からの締め付けも年々きびしくなっていることから、病医院における医療コストについての議論は日本以上に盛んに行われています。もともと米国の国民医療費はGDPの18%を占めており、年間260兆円(ドル100円として)ものコストがかかっています(日本は2010年度37兆円、GDPの9.5%)。今回米国泌尿器科学会のまとめた総論(review)を読む機会があったので、備忘録として医療におけるコスト意識の医学英語をまとめて記しておきます。

 

○ Efficacy

この場合の有効性とは厳密にコントロールされた条件下で得られた治療効果を言う。

 

○ Effectiveness

この場合の有効性は総合的な治療効果の事で、より一般的な実臨床に即した効果・効率を述べる時に使う。

 

○ QALY(quality adjusted life year)

治療の経済コストを計算する場合に暫定的に用いる指標。治療をしないと死んでしまうが、10円かかるA治療をするとあと10年生きる事ができるけれども、失禁が残るので失禁の健康に対する係数を0.8とするとA治療でQALY上8年の余命を得ると表現する。一方100円かかるB治療をすると失禁がなく10年生きられるとするとQALYも10年になる。

 

○ ICER(incremental cost /effectiveness)

金をかけた事で得られる余命の質を計算するもの、上記の場合は、(100円-10円)/(10年-8年)で1年あたり45円かかることになる。米国では一般に年あたり500万円(ドル100円として)が経済効率の指標とされてきたが、最近は医療コストの増大で1000万円になりつつあるという。

 

○ Comparative effectiveness

コストを度外視した純粋なAとBの治療効果の比較。上記ではBはAより2年良いと言える。現実医療では、非常に高価な新薬Bが前に発売された安価なAよりも優れている(或は同等=非劣勢)といった場合にこの表現が使われる。

 

○ Cost minimization

AとBの効果が同じと仮定して純粋に価格を比べたもの。ジェネリック医薬品などで使われる表現。

 

○    Cost effectiveness

効果とそれにかかる費用の相対的な多寡を示したもの。安くて効率が高いほど良いのは他の経済指標と同じ。

 

○    Cost benefit

かける費用によって得られる経済的メリットとコストの比較。例えば50円の新たな器材を購入することでいままでかかっていた100円の人件費が浮くとすると50円のコストベネフィットがあると表現する。

 

実社会において、これらの表現で注意するべきところは、治療効果が同等であると仮定しているか、或は実は桁違いにかかる費用が違うのに僅かな治療効果の違いを示されて「良い治療」などと騙されていないかといった条件づけです。我々医療者、また国民もよくそこを見極める眼力を持たないといけません。えてして「健康に関わることに金を惜しんではいけない」などというヒューマニズムが日本にはあるので、そこを金儲けのチャンスとつけ込んでくる人達(外国勢)がいることも現実です。

私がよく問題にする成人病などの予防医療のための国民医療費に占める薬剤コストや医療費が、それに見合うcost benefitを日本国民に与えているか、十分な検証がなされているか疑問です。景気がよく、医療費も潤沢にあるのならば、科学に裏付けられた医療である以上何の問題もありませんが、厳しい予算の中で経済効率を考えた場合、一部の製薬会社と開業医・薬局の利益になっているだけではないか、本当はよく検討するべきだと思います。

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世の中にある2種類の真理

2014-04-10 18:34:43 | その他

最近よく感ずる、世の中には2種類の真実があるな、という話です。一つは時代、社会、或は生物の範囲を超えて動かせない真実というもの、もう一つはある決め事の上に成り立つ真実というものです。

 

以前自然科学について論考した時に帰納的真実と演繹的真実に触れましたが、その分類もこれに関連していると言えます。つまり後者は前提に基づいて導かれた結論が、前提が正しく、論理展開が正しければ自動的に正しい結論になるというものです。

 

解りやすく言うと、誰も否定しようがない絶対的真実というのは、生物はいつか死ぬとか、食べなければ腹が減るとか、太陽は東から昇るといった事実で、犬猫にいたるまでこれを否定することはできません。しかし1+1=2というのは10進法でそう決めたから2になったに過ぎません。約束事の上での真理です。100円という通貨もその価値を皆が認めるように決めたから通用するのであって、江戸時代に持っていって通用するものではありませんし、犬に上げても餌を分けてくれるものでもありません。水に火をくべると沸騰しますが、沸騰する所までは絶対的な真実ですが、100度で沸騰するかどうかは決め事の上での真理でしかないと言えます。

 

真理・真実に2種類あるのは言われてみると当たり前のように思いますが、世の中で真理について議論する場合、この二つが混同されている場合が実に多いと思います。例えば宗教上の真理というのは後者の典型的なもので、信じている人にとっての真実でしかありません。

 

この絶対に動かす事ができない真実を「レベル1の真実」、約束事に基づく真実は「レベル2の真実」と呼ぶ事にします。レベル1の真実に対しては、人も動物も場合によっては命をかけて対処します。餓えや自然との戦いにおいては殺し合いをすることも厭わないことは、人も動物も古代人も一緒です。しかしレベル2の真実について殺し合いまでしてしまうのは現代人だけではないかと思います。動物は宗教戦争などしませんし、金や土地、資源を巡る戦争、殺し合いも経済観念というものを持ってしまった現代人だけが行う所業です。まあ決め事の上での真実で殺し合いまでしてしまう事が「ヒトのヒトたる所以」であるとも言えますが、それが本当に賢い所業とは必ずしもいえないように思うのです。つまり「決め事」を変えてしまえば殺し合いにならないのならば「決め事を変える」事の方が正しい選択だろうと。

 

医療においても、動かせない真実に対する医療と決め事に基づいた上での医療というのがあります。怪我をした、感染した、腫瘍ができた、といった事態に対する医療はうまく対応すれば死なずに済むものです。しかしコレステロールを下げれば心筋梗塞や脳梗塞にならない、というのは統計的な真実に基づく医療であって、コレステロールが正常でも梗塞は起きますし(むしろその方が多い)、コレステロールの薬を飲んだからといって死なずに済む訳ではありません。絶対的真実に基づく医療を「レベル1の医療」、決まり事に基づく医療を「レベル2の医療」に分けるとすれば、多くの急性期疾患や救急医療はレベル1の医療となり、予防医療と言われるものはレベル2の医療になります。しかし医療においては動かせない真実に対する医療と決まり事に基づく医療を区別して考えようとすることに抵抗があり、「レベル1の医療のみを保険診療の対象にしよう」などと言うと猛攻撃を受ける事になり、どちらの医療も混同して考えることを要求されます。医療者が大変でリスクの高い医療はレベル1の医療であり、医療者は楽で薬屋さんや業界が儲かる医療はレベル2の医療だからです。

 

本来レベル1の真実に基づく揉め事に対応するために、便宜的に人間は種々の決め事を作って対応してきたと言えます。しかし知らず知らずの内に、レベル2の真実も動かす事ができないレベル1の真実と混同してしまい、結果的に悲劇的な結末を招いてしまっていることが日常多いように感じます。「真実・真理(と言われているもの)を疑うという姿勢は大事だ」とある講義で話したので備忘録として記しました。

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