rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

米軍のイラク完全撤退に思う

2011-12-29 10:26:21 | 政治

2011年12月18日、米軍は2003年3月のイラク侵攻以来8年9ヶ月に渡るイラク国内への部隊派遣を終了し、一兵残らず完全撤退をしました。最後の部隊が隣国のクウエート国境を超えると部隊の兵士達は喚声を上げたそうです。米軍は13万人規模の駐留を行なってきており、ブラックウオーター社などの民間軍事会社が18万人規模で軍に準じた(それ以上の?)活動を505ヶ所の軍事基地を中心に行なってきました。

 

米軍は昨年からイラク撤退に向けた準備を始めていましたが、当初は親米のマリキ政権に5万人規模の訓練部隊の持続的駐留を求めていたようです。懸案のイラン問題があり、スンニ派とシーア派の対立も治まらず、シーア派のイランにイラクの多数派であるシーア派が取り込まれてしまえばイラク戦争自体が米国にとって元も子もない完全失策になってしまいます。しかしマリキ首相は日本型の米軍駐留を拒否して完全撤退と言う形にまとめ上げました。 

 

これが現時点のイラクにとって良いかどうかは解りませんが、長期的視野でみて米軍を国内に居座らせないことができたというのはかなり画期的な事だろうと思います。 

 

翻って、日本には戦後60年以上を経た現在も135個所の米軍基地と45,000人の米軍が駐留しています。(沖縄には37個所の基地があり、県土の10%が基地であり、日本全国の米軍基地の面積率で23.4%が沖縄にあります。)日本は親米であり、同盟国であり、米軍に対してテロ活動も行なっておらず、基地の維持費も「思いやり」と称して税金で負担しています。

 

冷戦時代はまだしも、とりたてて侵略の危険がない現在、米軍が大量に日本に駐留しないといけない理由はありません。中国云々というのは全く意味がなく、米国は中国と戦争をする予定はイランと戦争をする予定に比べれば全くと言って良いほどありません。それなのにイランと陸続きのイラクからは撤退して、日本に5万人規模の米軍を駐留させておく理由というのは軍事の常識から考えれば全くないと言えます。

イラクのマリキ首相に米軍の完全撤退の実現ができて、鳩山首相に基地一つ(普天間)の撤退すらできなかったという事実を日本人はもう少し真剣に考え、反省しても良いと思うのですが、未だに普天間の県内移動が必定とかしたり顔で解説する識者が沢山いることに私は疑問を感じざるを得ません。軍事的には駐留が必要なイラクから撤退して、必要のない日本に居続ける理由を米軍側から考えると、要は「米軍にとって日本は居心地が良い」ということ以外にはないように思います。

 

だからといって思いやり予算を一機に無くすとか、米軍にテロを起こすといったことは現実にはできない相談でしょう。私は福島の原発事故で米軍を含む外国人が一目散に逃げ出した事や、横須賀や厚木の米軍施設に危険が及ぶから浜岡原発を停止しなさいと菅首相に指示したとされる経緯などを考えると、米軍に日本から退散してもらうには、全国の原発をフル稼働し、現在原発のない沖縄県にも県北に原発を誘致してフル稼働すればそのうち米軍は出てゆくのではないかと思います。それは事故が起きれば日本人が犠牲になりますが、米軍を立ち退かせる平和的自爆テロとしては地震&原発フル稼働くらいしかないのではと思うのですが。

 

 

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チェルノブイリ膀胱炎は低用量放射線発癌のモデルとなるか

2011-12-28 18:34:16 | 医療

チェルノブイリ原発の事故後、ウクライナ地方の膀胱癌患者が10万人あたり26人(1986年)から43人(2001年、2005年は50.3人)に増加していることを受けて、膀胱癌増加の原因がウクライナ地方が137セシウムに広範に汚染されていることにより、体内に取り込まれた低レベルの放射性セシウムが濃縮されて尿として排泄される際に、膀胱粘膜に慢性的に癌を惹起させるような刺激を与えた結果ではないか、という仮説に基づいて、日本バイオアッセイ研究センターの福島氏らが164名の前立腺肥大症手術によって得られた膀胱粘膜の変化を、セシウム高暴露地域(5-30Ci/km2)、中間暴露地域(0.5-5.0Ci/Km2)、非暴露地域に分けて組織学的、分子生物学的に比較した結果、高暴露地域、中間暴露地域の順に膀胱癌の前癌病変が疑われるような変化が見られた、という結果からこの特異な炎症性変化をチェルノブイリ膀胱炎と名付けて、低用量放射線被曝のモデルと考えようというものです(1)。2011年9月14日の東京新聞で取り上げられて一般に広く知られる所になりました。

 

日本でも福島原発の事故後、大量の放射性セシウムが拡散し、土壌や植物に付着したことでそれらが住民の体内に取り込まれて長期暴露の後に発癌の因子になるのではないかという危惧がもたれ、福島県内の母親の母乳や子供の尿からセシウムが検出されるに至って低用量放射線の汚染と被曝にどう対処するべきかが議論されています(2)。

 

放射能汚染の問題を論ずることは、本来科学的な問題であるはずの事柄でありながら、政治的意味合いが強くなりがちです。それは前にも述べましたが、現実社会においては右端に絶対的安全、左端に絶対的危険が存在する直線上のどこかに区切りをおいてその右側を安全域、左側を危険域として扱わねばならず、安全の基準をどこにおくかによって、区切りを置く位置が右寄りになったり左寄りになったりするに過ぎないからです。右寄りにおいた方が安全基準がきびしいことになるし、左寄りの方が甘い基準になります。

 

放射線は非日常的な物であり、また目に見えない物でもあるので安全基準は厳し目(右寄り)に置かれることが普通でした。しかし現実に事故が起きて厳しい基準のままでは生活できない状態になったので政府が基準を左に動かした所、国民の生命・健康を軽視するのか、損ねるのかと非難轟々の状態になりました。除染をするにしても現実的には予算にも限りがあるので汚染の酷い所を優先してする他ない、或いは除染は諦めて汚染の結果被爆し、健康被害が出る可能性の高い小児や妊婦を長期に疎開させる方が現実的という考えもあります。このような政治的決断にかかわることが関係するので畢竟政治的意味合いが強くなるのだと思います。

 

放射線被曝と発癌についてはそれなりに知識はありましたが、科学と政治は同じ土俵で語れないため、あまり福島の現状について意見を述べる気にはなりませんでした。しかし今回チェルノブイリ膀胱炎と発癌については、膀胱癌が自分の専門領域でもあることからいくつかの疑問点に分けて少し検討を加えて見る事にしました。

 

1)チェルノブイリ膀胱炎は低用量放射線被曝による発癌のモデルと言えるか。

 

これはいきなり結論といえるコメントになりますが、疫学的には有意に低用量放射線発癌の可能性を示したモデルと言えると思います。但し示された事実がそのままセシウムによる汚染で膀胱癌が増加したという仮説を裏付けていることにはならないことを以下に考察します。

 

2)チェルノブイリ膀胱炎は放射性セシウムによって起こされたと言えるか。

 

直接の因果関係を示す証拠は何もありません。膀胱炎発現の頻度と汚染地域の濃度が3段階の比較で一致していたに過ぎません。患者の尿中のセシウム濃度も汚染濃度に比例して多かったというデータは示されています(1)(3)。しかし全く別の原因でこのような組織変化がおきていた可能性は否定できません。低用量慢性被曝という実験に向かない仮説を証明する限界といえるかも知れません。今後10年以上経過して福島県の高度汚染地域(浪江町や飯館村が同等の土壌汚染地域と言える)に住む人達から同様の膀胱組織変化が得られたとすれば、低濃度放射線被曝という条件が一致することになるのでこの仮説を支持することになるでしょう。

 

3)特異な膀胱炎の所見はそもそも前癌病変なのか。

 

膀胱癌には前立腺癌のような前癌病変(前立腺癌のpinと呼ばれる病変も厳密には前癌病変とは言えませんが)の明確な既定はありません。論文で上皮内癌(CIS)として述べられている所見は前癌病変ではなく、臨床では治療対象の癌として扱う所見と思われます。従ってたまたま取ったサンプルにCISがあったものを前癌病変と言うのか癌があるというのか意見が別れるところでしょう。(臨床的にはまだ癌と認識されていなかったはずです)他にも分子生物学的に細胞増殖を示すki-67、PCNA、CyclinD1や上皮増殖因子受容体の下流に位置するMAPキナーゼなどが活性化されている所見が組織化学的に病変部で高いことが示されています。これらは前癌病変としての傍証ではありますが、これから必ず癌になる、或いはこれで癌と証明できるというものではありません。

 

放射線治療に用いる高用量放射線はDNAの直接障害を引き起こします。この直接障害が新たな癌化にも関与するだろうと言われているのですが、細胞の癌化とはDNA自体の変異によるものだけではなく、DNAには変化がなくても遺伝子の修飾(メチル化など)によって発現が変化することで多段階的に癌化することが解ってきています。人間の遺伝子解析が終了しても癌が解決しないのは、遺伝子の無限ともいえる修飾の具合によって癌が多段階的に起こっていることが遺伝子解析後の時代(この10年のepigenetic era)において明らかになったことによります。逆に言うと癌化の過程というのは種々の前癌状態と思われるものの傍証を積み上げてゆくことによってしか証明できないことを意味しています(4)(5)。その点でこの研究の方向性は間違ったものではないと言えます。

 

4)サンプリングに偏りはないのか。

 

男性の高齢者に見られる前立腺肥大症の患者のサンプルから取った膀胱粘膜(しかも肥大症手術で得られた前立腺腺腫に付いている内尿道口の近くの粘膜)のみで検討していることは、この種の検討では限界があるとは言ってもサンプリングに偏りがあると言わざるを得ません。他の死因で亡くなった患者さんの剖検で得られた膀胱粘膜にも同様の所見が散見されないかといった検討も必要であると思います(6)。

 

5)今後の検討課題

 

日本の膀胱癌患者の罹患率は概ね10万人あたり10人位で、欧米の白人はその倍で20人位と言われています。東ロシアに位置するアルハンゲリスク地方におけるコンピューターを用いた癌登録の集積結果(1993-2001)の報告(7)では、膀胱癌の発生率(new case)は人口10万人あたり13.4人と報告されています。ウクライナにおける膀胱癌の罹患率が2005年には本当に50.3人に増加しているとすれば、それはアルハンゲリスクにおける胃癌の発生率に等しい、頻度の高い癌に膀胱癌がなっていることになり、かなり問題になるはずです。この高頻度になった膀胱癌の組織所見、腫瘍以外の部の膀胱粘膜所見がチェルノブイリ膀胱炎を背景としたものであるという報告はまだありませんが、そういった報告がなされて初めてチェルノブイリ膀胱炎が低用量放射線被曝から癌になる前癌病変モデルとして科学的に認知されるものになると思われます。

 

ということで、私は低用量放射線被曝については未だ確定的な発癌の証明はなされていないけれども、上記のような報告が今後集積してゆけばより明らかな結論が出せるであろうと考えています。

 

参 考

(1) Romanenko A., et al. Urinary bladder carcinogenesis induced by chronic exposure to persistent low-dose ionizing radiation after Chernobyl accident. Carcinogenesis vol 30 (11) 1821-31. 2009.

(2) 児玉龍彦. チェルノブイリ膀胱炎、長期のセシウム137低用量被曝の危険性 医学のあゆみ vol 238(4) 355-360. 2011.

(3) Romanenko A. et al. DNA damage repair in bladder urothelium after the Chernobyl accident in Ukraine. J Urol. vol 168, 973-77. 2002.

(4) Trosko JE., et al. Low-dose ionizing radiation: induction of differential intracellular signalling posiibly affecting intercellular communication. Radiat Environ Biophys vol 44 3-9. 2005.

(5) Trosko JE., et al. The emperor wears no clothes in the field of carcinogen risk assessment: ignored concepts in cancer risk assessment. Mutagenesis vol. 20 (2) 81-92. 2005.

(6) Jargin AV., comment to (3) J Urol. vol 177, 794-95. 2007.及び私見

(7) Vaktskjold A. et al. Cancer incidence in Arkhangelskaja Oblast in northwestern Russia. The Arkhangelsk cancer registry. BMC cancer vol. 5:82. 2005.

 

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新しい医療技術は日本を幸福にするか

2011-12-07 23:11:31 | 医療

20世紀は科学技術が飛躍的に進歩した100年でした。医療における進歩は目覚ましく、先進国の乳幼児死亡率は0に近くなり、出産による母体の死亡も100年前は1割近くあったものが死亡したら医師が刑事事件で訴えられるほど希有な事象になりました。感染症は克服され、心筋梗塞や脳梗塞も克服まであと少しとなりました。癌はまだ治りませんが、早期に発見することでそれを取り除いてしまうという解決方法が取られていて、「早く見つけて取り除く」技術の革新が日々行われています。

 

医療が行われる目的は「健康」を維持することですが、その「健康」とはどのような状態かは前に「WHOの健康の定義」でも述べたようにいくつかの解釈があるところです。また老いや自然死までも「健康でないもの」と定義して不老不死を求めることを医療が行なって良いのかは大いに疑問があります。また人間が本来持っている「病気を治そうとする力」を補助する医療は人類全てにとって「良い医療」と言えますが、不妊治療や臓器移植、透析、遺伝子治療といった人間がもともと持っている能力にない医療、或いは本来持っている力がかえって邪魔になる(例えば移植医療における本人の異物を拒否する免疫力)ような医療は「神が行われると予想していなかった医療」であって、医療を受ける本人にとっては良い事であっても、未来を含めた人類全体に本当に福音をもたらすかは解らないというのが正直な答えだと以前紹介しました。

 

今回は種々の医療における新しい技術の中でも、外科において進歩が著しい腹腔鏡手術とロボット手術の話題を取り上げて見ます。皮膚と筋肉を20cm位切開して肉体内部の臓器を取り出したり修復したりするのが通常行われている観血的手術ですが、直径5から15mm位のトロッカーと呼ばれる筒を皮膚と筋肉に数本通して体腔内に炭酸ガスを入れて空間を作り、その空間内でトロッカーに通した種々のデバイス(操作具)を用いて手術を行なうのが1990年代に発達した腹腔鏡手術です。2000年代になるとトロッカーにヒトが遠隔操作しながらコンピュータ制御されたデバイスを通して手術を行なうロボット手術が実用化されて、いままでの腹腔鏡手術よりもより複雑な操作が可能となりました。

 

腹腔鏡手術はその成否においては極めて術者の力量による所が大きく、巧拙の差が術者によって如実に現れます。それだけ習得に努力と時間がかかる手技といえます。しかも「基本は観血的手術がきちんとできること」が必要で、教科書的な型通りの手術が予想される場合以外はやらない方が良いと言われています。腹腔鏡手術の観血的手術に対する利点は「皮膚筋肉を切らない事」と「ガス圧で出血がやや抑えられる事」の2点以外はありません。欠点は「細かい操作が苦手」「操作の自由度が限られている」ということです。手術成績は観血的手術と同じであることが目標とされていて、従来の手術よりも癌の根治率が高いとか、合併症が少ないといった結果は出ていません。慣れた術者が腹腔鏡手術をやるとあまり慣れていない術者の観血的手術よりも時間や出血が少ないといった成績はあります。しかし慣れていない腹腔鏡術者が行なう手術よりも観血的手術の方が種々の点で良いことは麻酔科医や手術室の看護師に尋ねるまでもなく外科医においては当然の常識と言えます。胆嚢の摘出や副腎の腺腫の手術は腹腔鏡で行なうのに最も適した手術と言えます。

 

新しい技術であるロボット手術は、腹腔鏡手術に比べると観血的手術ができる医師ならば比較的早く習得できます。それは手技が観血的手術のそれに近いからであり、あたかも自分の手が手術をしているようにデバイスが自由に動いて細かい手術操作をしてくれるからです。従って利点は腹腔鏡手術の「皮膚筋肉を切らない事」と「ガス圧で出血がやや抑えられる事」に加えて「ヒトの手で縫合しにくい細かい縫合が可能であること」という因子が増えます。欠点は「とにかく器械が高い事(ダヴィンチというロボット手術機は一式3億、年間2千万の維持費で元を取るには手術一件100万円近くかかり、年間70−80件は必要)です。今のところ「ロボット手術でないとできない手術」というのはありません。つまり観血的手術や腹腔鏡手術でもできる手術をロボットでもできる、という段階に過ぎません。体に残る傷が少なく、社会復帰も早いというのが腹腔鏡手術やロボット手術の患者さんにとっての利点ですが、今後観血的手術がなくなって全ての手術が腹腔鏡かロボット手術になるか、と言うとそれは100%ありません。事故などの外傷治療は観血的手術以外ありえません。また進行癌や型通りにゆかない手術は腹腔鏡やロボットは不可能であって従来の観血的手術になります(限られた名人はできるでしょうが)。

 

時に型通りに行かない手術を無理に腹腔鏡手術でやって患者さんが亡くなってしまった(のではないか)という事例をニューズなどで見かけます。腹腔鏡は難しい手術なので「限界への挑戦」として困難例も腹腔鏡手術をやりとげてみたい、という功名心を外科医はもちがちです。うまくゆけば勿論患者さんは喜びますが、観血的手術であっても結果がよければ患者さんは同じように喜びます。困難例においては「傷が小さいことと少し社会復帰が早いという利点」が「外科医が腹腔鏡で手術することにより与えてしまう患者へのリスク」を上回ることは殆どないことを外科医は肝に銘じないといけません。

 

一方で、現在日本では外科医が不足してきています。医療崩壊のテーマでいつも述べているように「安い給料で24時間リスクの高い医療を行なう病院勤務医」がどんどん減ってきており、私の病院では癌の手術も1ヶ月待ち位で入りますが、医療過疎地の病院では癌の手術が3ヶ月待ちになっています。改革前のイギリスでは癌の手術は1年待ち以上になっていて「その時まで生きていたら手術しましょう」という状態になりさすがに政府国民が目覚めて医療費を倍加させて状態を改善させました。

 

来年の診療報酬改定について最近政府内で議論がかわされたようですが、結局医療費の増額はなしで配分を調整して危機が叫ばれている分野により重くする、また在宅医療を充実させて病院の負担を減らす、といった方向性が決まりました。「リスクの高い医療を行なう勤務医への優遇」は実質見送りとなりましたので研修を終えた若い医師達の外科離れ(リスクの少ない楽な科を選択する)嗜好は今後も変らないでしょう。

 

アメリカでは腹腔鏡やロボット手術の技能があることは、リスクの少ない楽な科の仕事をしている医師の数倍のギャランティとして戻ってきますので、型通りの手術ができる症例(リスクを伴わない症例)を集中治療センター(例えば前立腺手術ばかり行なうセンター)病院で多数こなすことで医師にとっても大きなメリットとになり、努力して技術を習得する糧になります。そのような医師は日本の医師のように雑用に忙殺されることもなく私生活も充実しています。

 

翻って、日本では観血的手術でさえやる医師が激減しているところで、習得が難しい腹腔鏡や、維持費のばか高いロボット手術が今後残ってしかも発展してゆくかどうか危ぶまれます。観血的手術を習得して中堅医師になって腹腔鏡手術を習得しても技を伝える若い人達が育ってこなければ日本の医療においてはそれらの手技が廃れて行くのはやむを得ないことです。

 

TPP加盟が決まって、アメリカ製のロボット手術の高い機械(ダヴィンチ)を各大学に買わないか、実は厚労省から打診が来始めています。本来ならば新しい技術を取り入れて広めてゆくことは大学の使命でもあるので大学の外科系としてはありがたい申し出と言えなくもないのですが、実際の現場では「えーっ、若い医師が入ってこないのにそんなに高いもの入れてこれから我々が努力して習得して、しかも年間80例とか手術しないと元とれない、自分で自分のクビを絞めるようなものでは?」という反応が出ています。

 

収益を上げろ、医療ミスはするな、教育の負担増(医学生増加)、研究もやれよ、給料はそのままだぞ、と言われてその上「新しい器械を入れて技術を習得して手術して元も取れ」と言われたら「もう勘弁してくれ」と言いたくなるのも当然でしょう。しかも患者さんにとってものすごくメリットがあるというわけではないのですから。

 

新しい医療技術も適切に使い分けてゆけば必ず日本にも幸福をもたらすものと思います。外科医全員が腹腔鏡やロボット手術に習熟する必要はありませんが、それらの技術を努力して習得しようという若い医師達にはインセンティブとなるようなメリットがないといけません。「功名心」だけがメリットで努力できていたのは我々8090年代に医師になった組までであり、時に功名心が仇で患者さんに不要なリスクをかけてしまいます(これは厳に謹まないといけません)。これからは違ったアプローチで医療技術の発展習得をめざしてゆく工夫が必要であろうと私は思います。

 

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