rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

映画「恋のゆくえ」(Fabulous Baker Boys)感想

2022-06-24 21:32:59 | 映画

「恋のゆくえ」(Fabulous Baker Boys) 1989年20世紀Fox スティーブ・グローブス監督・脚本 主演 ジェフ・ブリッジズ(ジャック・ベイカー)、ボー・ブリッジズ(フランク・ベイカー)、ミッシェル・ファイファー(スージー・ダイアモンド)

字幕はありませんが、雰囲気は判るtrailer

 

医者になってから、若い時に映画館で見た数少ない作品のひとつ。デイブ・グルーシンのジャズが全編に散りばめられて、内容もおしゃれな感じで29歳の監督・脚本(自分と同じ年)とは思えない「大人の映画」という印象でした。今回CSで久しぶりに見る機会があって、当時気が付かなかったというか、当時と全く違う感想を持ったので、改めて感想を記すことにしました。以下ネタバレを含むあらすじです。

 

ホテルやバーのラウンジでピアノ演奏をする兄弟が、落ち目の人気を挽回しようと女性ボーカリストを入れる事を決意してオーディションをします。やる気はあるけど使えない応募者ばかりの中で、遅れてきたハスッパな感じの今でいう「コンパニオン」のスージー・ダイアモンドは、ダメ元でMore than you knowを唄わせたらプロの二人が直ぐに解るほどの上手さだった。舞台経験がないながら3人でのショーは次第に人気を博してゆく。いままで断られた仕事先からも、「是非演奏して!」と手のひら返しに。そんな中、上品で型どおりの舞台を続けたい兄のフランクと、有り余る才能で自由にジャズとして楽曲や演出の幅を広げたいジャックとスージーが対立してゆきます。子供が怪我をして家に帰ってしまったお目付け役のフランク兄がいない高級リゾートホテルでの大晦日年越し演奏会では、ジャックとスージーが才能満開の超一流の演奏を繰り広げて万来の拍手を浴びます。そして二人は自然の経過の様に結ばれて・・。

その後型どおりの演奏を強要するフランクにスージーは別れを告げ、ずっと従ってきたジャックも反旗を翻して喧嘩別れをして3人は別々の人生を歩むことになるのですが、フランクは近所の子供たちにピアノを教える先生、ジャックは場末のジャズバーでピアノ、スージーは洗剤CMの歌手と本来望むところとは異なる姿に。ジャックは再びスージーに会いに行くのですが、その恋のゆくえは?で終わり。

 

日本名の「恋のゆくえ」はおしゃれなラブストーリーとして興行する上では良い題名ですが、年を取ってCSで再度見直してみると、この映画が本当に描きたかったのは「恋のゆくえ」ではないと気付かされます。不器用ながら「音楽に対する情熱・愛情」を持って生きる人達の生きる姿、を描きたかったのではないかと思いました。兄のフランクはピアノよりも堅実なマネージメントに才能があり、彼も弟ジャックの「ピアノの才能は天才的」と認めているのだから、人気のあるスージーと自由に演奏させて上手にマネージメントすれば二人はスターになって皆ハッピーになれるのに・・と観ている方は簡単に考えてしまうのですが、世の中はそんなにうまくはゆかない。逆に世渡り上手な人は「そんなに純粋に音楽を演奏できない」のかも、とこの年になると気が付きます。兄フランクにも自分の理想とする音楽がある。それを曲げて「売れるためだけのマネージメントを器用にやる才能」まではない、ということ。かく言う私も、もっと手術が上手な若手をうまく使ってマネージメントをして病院内で自科の売り上げを伸ばす事も部長としてできたけど、自分のやりたい医療を追求したのが今の姿なのだと思うと他人の事言えないと気が付きます。

その後の映画にも影響を与えた名シーン

 

ダメダメのオーディションシーンでジェニファー・ティリー演ずるウエイトレス「モニカ・モラン」が我を忘れて「キャンディーマン」を唄うのですが、終盤のシーンで兄と喧嘩して傷心のジャックが再びモニカの歌で目を覚ます所があります。ジャックはモニカに遊びで手を出してやろうか、とも思うのですが、彼女がベイカー兄弟の音楽を愛している(店にポスターを貼っている)のを見て思いとどまります。モニカは端役なのにロングパスが生きるけっこう重要な役です。それでジャックはもう一度スージーに音楽をやろうと会いに行くというラストに続きます。エンドロールは映画「夜の豹」でヒロインがダメ男(フランク・シナトラ)に唄ったMy funny valentineをミッシェル・ファイファーの歌で締めるのですが、ジャックが「もう一度会えるよね、直観(intuition)だけど。」という言葉の返事が「不器用でいかさないけど、あなたが好きよ」という歌であるところが何ともおしゃれです。

キャンディマンを唄うモニカ ダメダメオーディションシーンとスージーの登場「直観だけどあんたたち売れないね」というスージーの第一声もロングパス

 

80年代後半は主演の俳優達も皆若いのですが、実際も兄弟であるジェフとボーは、弟がその後アカデミー賞受賞など輝かしい活躍をする一方、兄のボーはテレビドラマなどで名わき役として渋い俳優活動を続けます。ミッシェル・ファイファーはブルーノ・マーズの2014年のヒット曲(Uptown funk)の出だしでThis hit, that ice cold, Michelle Pheiffer, that white goldと歌われる位coolな人の代名詞になる映画女優になります。スージーがジャックの奏でるピアノの上に乗って雰囲気たっぷりに歌い上げるMakin’ Whoopeeのシーンはその後のジャズやミュージカルの映画にもたびたび再現される名シーンになりました。音楽担当のデイブ・グルーシンはgrp all starsレーベルを手掛ける実力者で、イージーリスニング的な音楽中心かと思っていたのですが、この映画ではジャズに対する思い入れを存分に感じさせる曲作りをしているのが解ります。本当にジャズが好きなんだな。

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勝てないが負けない軍として育てられたウクライナ軍

2022-06-06 18:42:01 | 政治

以前のブログでウクライナ軍は2014年のマイダンクーデター後に陸軍は総勢5万であったものが20万人まで急ごしらえに拡張した軍隊であることを説明しました。その間米軍やNATOが直接訓練をし、ドンバス地方で8年に渡って分離独立派と実戦戦闘を重ねてきたとしても、手練のロシア軍とどこまで互角に戦えるのか疑問に感じていました。

 

ウクライナにおけるロシアとの戦争も3か月に入り、種々の戦況が報道されるようになって大分双方の戦法や戦力が理解できるようになりました。日本の大手メディアの分析は一方的でウクライナ軍に都合が悪い事は出さないので参考になりませんが、退職した自衛隊高官の説明や欧米でも客観的に戦況を報じているサイトからはかなり参考になる分析が入手できます。日本人のブログでこの辺をまともに解説しているものは見当たらないので私が解説します。

東部戦線の戦況説明 5月初旬から中旬は北から南への渡河をロシアが試みていたが、下旬からは南方から花が開く様に展開してウクライナ軍の退路を断つ作戦に変更したと説明される。

 

Ⅰ.  勝てないが負けないウクライナ軍

 

軍を戦略的に運用するには全体として機動性、統率、打撃力維持のための後方支援など軍全体としての成熟が必要で、全ての会社組織と同様、数だけ揃えても「寄せ集めでバラバラ」では使い物になりません。優れた指揮官、部下との信頼関係や性格などの知悉が組織の運用には必須であることは軍隊でも同じ、むしろヒトが命をかけて戦う軍隊の方が「より緊密である必要がある」と容易に理解できます。高々数年で促成栽培されたウクライナ軍がこれらの要素を満たしていることはあり得ない事は明らかです。従って、ロシア軍と戦闘することを前提にウクライナ軍を鍛えてきたNATO諸国がウクライナ軍に採った戦法は、大掛かりな機動的戦闘、戦略を要しない戦法、「小規模な各個撃破に徹する」「目の前の敵を破壊するのみ」という戦法にしたのです。代わりにジャベリンやドローンなど欧米の優秀な最新兵器を潤沢に与えて「近づいて引き金を引けば相手を倒せる」訓練はアゾフの若者達を中心に行ってきました。「勝てないが負けない軍」の完成です。

 

開戦初期にロシア軍はキエフ北方、ハリコフ、ドンバス南部の三方向から攻め込む外旋戦法を取ります。一方でウクライナ軍は元々ドンバスに攻め込む予定であったため、主力の半分を東部に置いていました。兵員数としては双方拮抗した状態で開戦した場合、同じ戦法であれば軍としての統制が取れていないウクライナ軍は即壊滅的打撃を受けるはずでした。双方同じ実力ならば責めるロシア軍は三倍の兵力でなければ勝てません。しかしキエフを包囲してしばらく待っていてもウクライナ軍は組織立った行動を取りません。ロシアが戦車を一列縦隊に道路に並べても攻撃してこない。しかし小規模な各個撃破的な攻撃は各地で行われ、最新兵器の威力で次々とロシア軍の戦車や装甲車は破壊されて犠牲は次第に増えてゆきました。当初私も「ウクライナ正規軍の姿が見えない」と記したのは、師団規模の組織立った攻撃が行われる形跡がなかったからです。ウクライナ軍の戦法を見誤り、短期間に終結を狙ったロシア軍が戦略の再考を迫られたことは明らかです。

 

Ⅱ.   西側諸国とロシア軍の指揮命令系統の違い

 

自衛隊を含むNATO諸国の指揮命令系統は、師団長(部隊長)の下に副師団長、幕僚長、幕僚である1-4部長がいて、師団の運用を計画する3部長(作戦部長)の立案を師団長以下幕僚が決定するので師団長が戦死しても副師団長、幕僚長、3部長と指揮権は移行して作戦がしっかりしていれば滞りなく実行されます。一方でロシア軍は伝統的なソ連軍の方式を継承していて、部隊長の権限が強く、幕僚は作戦に応じて部隊長が決めます。従って将官クラスの部隊長が戦死すると作戦実行に支障が出る可能性があります。ウクライナ軍がスナイパーを用いて将官クラスの狙撃を執拗に行っていた目的はここにあります。ただし、近代ロシア軍はこの弱点をかなり改善しつつあり、シリアなど対ゲリラ戦の経験から、現場の中隊長クラスにかなり自己決定権を付与する方向にあると言われます。またソ連型の重厚な5千から1万人からなる師団編成から機動力を生かせる千-二千人規模の戦闘団編成に変えてきている事も新たな変化と言えます。但し今回のウクライナ戦争では小規模な戦闘団では予備がないために、25%程度が死傷すると部隊全体が機能しなくなるという予備力のなさを露呈してしまう結果となりました。ウクライナ軍も2014年まではロシア軍的な指揮命令系統であったと思われますが、2015年からのNATOの介入によって大きな改変が行われた模様です。以下の国防総省が2022年5月4日にメディアに対して行った「ウクライナ軍への訓練」についてのブリーフィングその記事からも状況が伺えます。

米軍が行ったウクライナ軍への訓練の様子

以下国防総省がメディアに行ったブリーフィングの要約(rakitarou)

米国第7軍が2014年以降にドイツとウクライナ国内のヤボリフ(Yavoriv)にある訓練センターで23,000名に及ぶAFU(Armed Forces of Ukraine)に対して行ってきた内容は、かなり実戦的なものです。それはNATOにおける戦術訓練に即して対戦車ミサイルを用いた自己防衛に主眼を置いたものです。また現場指揮官の統制に基づいて行動する訓練もNATO方式に基づいて行われました。ロシアについて失敗があるとすれば、我々に訓練の時間を8年間も与えたことです(Todd Hopkins中佐)。

 

Ⅲ.  「勝てないが負けない軍」が勝つのは相手が諦めた時のみ

 

「ロシアに経済制裁を」「政権内部に反乱」「市民は戦争反対」西側諸国が開戦以降徹底してロシアに対して働きかけてきた攻撃は、「プーチンが諦めて撤退する」と決断するようなものばかりです。それはウクライナ軍が勝つ唯一の方策は「ロシアが諦めて撤退」する以外ないからです。逆に言えば「長期戦に持ち込まれてじっくり責め」られれば必ずウクライナ軍は負けます。ロシア軍がキエフから撤退してから採った戦法はこれです。マリウポリが陥落し、5月中旬以降、じわじわとロシア軍がドンバス地域を包囲殲滅する統制の取れた作戦を行うにつれて、戦略的戦闘ができないウクライナ軍の敗勢が明らかになり、前線の兵士たちから「指揮統制の欠如」「後方支援の欠如」といったウクライナ軍の根本的欠陥をSNSで訴える姿が多く見られる様になりました。気の毒に思いますが当然の帰結と思われます。

バックアップなしではやってられないとゼレンスキー大統領に訴えるウクライナ軍兵士

 

IV .  手じまいを模索し始めた欧米諸国

 

今年のダボス会議でソロスは金をつぎ込んで準備したこともあって第三次大戦化を含む徹底抗戦を訴えましたが、キッシンジャーはロシアに妥協して早期停戦を訴えました。EU中枢と英国は抗戦を訴えますが、独仏、欧州各国は「もう勘弁してくれ」「ロシアのエネルギーがなければ国が持たない」というのが本音です。米国のネオコン巣窟であるランド研究所からも「ウクライナ中立化というトルコ和平案の再考」という論文がForeign Affairs誌に掲載されるなど、新たな動きがあります。「ロシア内乱」「プーチン重病」といったヨタ情報を発信しつづけていた英国情報部も最近は沈黙しているようです。プーチンが米国にロシア領内に届く多連装ロケット弾を供与するな!と命令した事を米国は守ることにしました。一時は核戦争になだれ込む事も危惧されたウクライナ戦争ですが、DS一極主義者たちが諦めれば平和は思いのほか早く訪れる希望もあります。

ロシアに妥協して戦争を終わらせようと訴えるキッシンジャー氏

コメント (13)
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