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rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

人材軽視を改めよ

2008-12-30 16:07:44 | 社会
第二次大戦の大きな反省の一つに人命軽視があります。優秀なパイロットを育てるには年余の日数がかかるのに飛行機の装甲は薄くし、行方不明のパイロットを十分捜索することもありませんでした。台湾航空戦などパイロットの浪費とも言える作戦も平気で行いました。パイロットに限らず「お前達の代わりはいくらでもいる。」とばかりに貴重な日本国民を無駄死にさせ、負け戦になると捕虜にさせず万歳突撃や自死を強要しました。これはいかに死ぬかに美学を求める武士道の影響もあるのでしょうが、「人命軽視」と共に「人材軽視」の風潮が日本にあったからであることは否めない事実と思います。

戦後「人命は地球よりも重い」ことにはなりましたが、残念ながら「人材軽視」の伝統は現在も続いています。今話題になっている派遣労働者の首切りも、本来技能を身に付けた人材が売り手市場で働きやすいように人材派遣法ができたのに、90年代の終わりに単純労働に派遣業を拡大適応したことで奴隷の売り買いと同じ感覚で「人材」でなく「労働力」を買う買い手市場の法律に変わってしまいました。単純労働であっても正規雇用をして生活を保証することが愛社精神を育て独自の改善を生み出し熟練工に育ってゆくインセンチブが芽生えていたのであり、それが日本の製造業の発展を促す原動力であったはずです。経営者たるもの人件費を削って経費を浮かせるのは最も最後に行うべきことであるというのが日本の伝統であったはずですが、現在の経団連に属するような企業経営者達にはそのような「経営者道」などかけらもなく、目先の利益を上げるのが良い事と本気で考えてしまっているようです。

医学部入学から一人前の医者を育てるには10年、外科医は15年かかりますが、医療を行った結果が悪ければ医者を犯罪者にしてしまえば良い、という考え方も「人材軽視」に立脚していることは明らかです。勤務医不足の対策が現在働いている勤務医を大事にするのでなく、医学部の定員を増やす事だとする結論にも「人材軽視」の思想が脈々と流れています。

「お前達の代わりはいくらでもいる」など言っている本人にも何の根拠もない言葉でしょう。「君たちの代わりはいない、君たちはかけがえのない人材だ」というのが正しい。今の日本には正規労働に就けない若者たちが溢れている一方で介護福祉など人材不足に悩んでいる職種が沢山あります。政府のやるべきことは、人材不足の職種に若い人達が就いて暮らしてゆけるような予算的裏付けをすることです。また農林漁業のように国家戦略として日本の将来のために育ててゆかねばならない分野に若い人が就けるような環境整備を行うことも大事です。それらはすぐには収益が出ないでしょうから国家予算の持ち出しになることは明らかですが、本来国家予算とは民間では収益が上がらずできないような国家戦略的事業のために使われるものです。効果も不明な全国民への金の一律支給よりは、戦略的な若者達の正規雇用の創出の方がよほど内需拡大に貢献するでしょうに。

アメリカを金融の中心とし、世界の資源を中国に運んで安い労働力で製品を作り世界で消費するというグローバリゼーションはすでにピークを迎え、資本主義自体は変わらないでしょうが、世界経済の色分けが再編されることは明らかと思われます。結局価値あるものを作る能力がある国や社会が今後も栄えることは変わりなく、日本が進むべき未来も「価値あるものを作り続ける」以外にはないと思われます。それには「人材」を育て、大切にすることが大事であるという主張に異論はないと思います。

新しい年を迎えるにあたり、新生日本は「人材軽視」の風潮を今すぐ改めなければなりません。
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エジプトとイスラエルの思い出

2008-12-29 23:47:53 | 政治
イスラエルがガザ地区のハマスを攻撃し、多くの市民も攻撃に巻き込まれ犠牲になっています。もともとこの手の武装グループは市民に紛れ込んで生息し、国軍に攻撃された時に市民も一緒に犠牲になることで相手(国軍)が市民を虐殺したという事実を訴えることが活動成果につながるのだからイスラエル軍はハマスの活動目的達成に協力していることになります。これはイラク・アフガンにおける米欧軍の活動にも言える事で「テロとの戦いに国軍を使ってはいけない」と私が前から主張している通りです。

市民がいくら犠牲になろうとも力でねじ伏せれば最後は相手も黙り抵抗しなくなる、という前提でイスラエルも米欧も国軍を使ってテロとの戦いをしているのですが、ユダヤ人は徹底的にナチスに力でねじ伏せられた時何の恨みも持たず粛々と服従したでしょうか。それとも自分たちは神に選ばれた民族だから人からやられるのは否だけれど人にやるのは良いと思っているのでしょうか。

十数年前のことですが、2年続けてエジプトとイスラエルを学会で訪問したことがあります。私は反アラブでも反イスラエルでもなくあまり思い込みを持たずに両国を訪問したのですが、観光客としてどちらの方が居心地が良かったかというとイスラエルの方に軍配が上がります。英語が通ずる、街が清潔、食べ物が(日本人にとって)旨いといったことによるものでしょうがエジプトのアラブ文化が日本とかなり異質であったことが強く印象に残っています。(有り体に言うとエジプト料理が3日続いた時早く日本に帰りたくなった)

ピラミッド観光をしたことがある人は多いと思いますが、私達一行(日本人はわずか)がバスから降りるとアラブの少年が近寄ってきて「俺の眼を見ろ、人は絶対に騙さない。金は要らない。ラクダに乗ったら写真を撮ってやる。」と言います。写真を撮って金をせびるのは分っていましたが、あまりにもあからさまに「絶対に嘘は言わない。」と言うので、どのように嘘を言うのか良い経験になると思いラクダに乗って見ることにしました。父親らしき年配者が連れているラクダに乗って写真を撮ってもらい「ありがとう」と言うと「さあ、カメラが欲しければ金を出せ。」と言います。(ああ、若いのにアラブ人というのは見事な嘘つきぶりだなあ。)と思い幾許かの金を渡すと「もっとくれ」と言います。しぶしぶもう少し付け加えて「返せ」と言うと今度は父親が「俺の分もよこせ」と言い出しカメラを隠します。さすがに「このやろう」と思いましたがもともと自分で騙されてみようと思ったのが発端でしたので同様に金を払い日本円で2千円位でしたか、やっとカメラを返してもらいました。すると先程の少年が「ガイドには黙っていてくれ」と何とも厚かましい事を言い出します。私もアラブ人の商魂を見たようで、腹を立てるよりも思わず笑ってしまいました。金を持つ者が貧しい者に分け与えるのは当然であるというのがアラブの道徳だと聞いていましたので金持ちの日本人を騙して少々の金を巻き上げるのは「問題なし」なのだろうと改めて思いましたが、日本人の精神性からはかなりかけ離れた行為だと感じました。

イスラエルでは、死海で泳ごうと思い立ち、エルサレムの百貨店で海パンを買った時のことです。景気が悪いらしく、従業員に賃金が払われず、商品券が賃金がわりに渡されていたようです。私が海パンを買おうとレジの所に行くと若い二人組の女性が金と商品券を交換して商品券で海パンを買ってくれと言います。「何故だ」と聞くと不景気云々と説明はしてくれます。「では私にとってのメリットは何だ?」と聞くと「No merit」とぬけぬけと言います。(ユダヤ人とはこんなものか)と経験できたお礼と思い商品券と交換してレジで海パンを買いました。

テルアビブの空港では1:00発の飛行機を10:00発と間違えて乗り遅れてしまい、「Oh My God!! What a fool!! What should I do?」と我ながら大げさに嘆いていたところ係の人に70ドル位でドイツ経由の代わりの便の切符を手配してもらい助かりました。イスラエルは当時もテロを恐れて空港の身体検査が厳重だったのですが、当時日本の公用パスポートを持っていた小生は100%安パイな存在だったので若い女性の係官から「私は見習いなのですが、練習のためにいろいろ詳しく聞かせて下さい。」などと頼まれて飛行機を待つよい時間つぶし(英語の練習?)ができたりしました。

エジプト人は一部のエリートとその他の一般人の差が極端に大きく、エリートの人達は非常に勤勉で誠実、頭脳明晰で優秀です。しかし街に出ると、道端でボロを着た若い者が何もせずにたむろし、博物館や遺跡でトイレに行くにも浮浪者に小銭を渡さないといけない。その点、それなりに皆働いていてアメリカで過ごす感覚がそのまま通用するイスラエルの方が印象としては分が良い。一般のアラブ人の精神性よりはユダヤ人の方がまだ理解できる。友人を作るならイスラエルかなとは思いますし、アラブの民衆と信頼関係を作ってゆくのはきっとイスラエルの人達にとってもタフなことなのだろうとは思うのですが、やはり国軍を使ったテロとの戦いは見直すべきではないかと思います。
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現在のアメリカを理解する好著2冊

2008-12-28 23:02:09 | 書評
○アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない 町山智浩著 文藝春秋08年刊

○ 次の超大国は中国だとロックフェラーが決めた(上下) ヴィクター・ソーン(副島隆彦訳)徳間書店06年刊、文庫本08年刊

「アメリカ人の・・」はいろいろな所で取り上げられている話題の本で、週刊現代で06年から08年6月まで連載された著者のアメリカ観察のコラムを編集しなおしたものだそうです。表題や水道橋博士絶賛といったややB級的宣伝からは毒気のない肩の凝らない読み物を連想してしまうのですが読みごたえのある思わず「アメリカはどうなってしまうのか」と唸ってしまうような内容です。後者の「次の超大国・・」がアメリカの政治経済のストーリーを書いてきた人達、つまりアメリカを陰で動かす人達の存在を露にした本とすれば、前者はアメリカの一般ピープルがいかに何も考えずに動かされているかを市民目線から赤裸にした本と言えるでしょう。前に少し紹介した堤未果著「ルポ貧困大国アメリカ」(岩波新書08年)も庶民の目から現在のアメリカ社会を描いた好著でしたが、真面目に勉強して働こうとしても現在のアメリカは下層階級の人は中流になどなれず、一層酷い状態に落ちてゆくしかないような社会のしくみになっているという悲劇を描いているのに対して、「アメリカ人の・・」はそのようなアメリカ大衆が現在のアメリカに対して問題意識を持っていない、つまり愚民化され搾取されている「おばかな状態で良い」と思ってしまっていることを種々の例をあげて証明している点で一層救いがたい状況であることを明らかにしています。

アメリカを駄目にしてしまっている重大因子として氏は「キリスト教原理主義」「ユダヤ的拝金主義経済」「愚民化を促すメディア」の存在をあげています。「キリスト教原理主義」は聖書の教え通りにつましく生きるというよりも「異教徒の排除」とか「科学的合理的思考の排除」とか「同性愛の禁止や堕胎の禁止」など現代的思考から離れたエキセントリックな生き方を強要することで愚民化を促し闇の支配を行いやすくしていると言えます。「拝金主義」は現在の経済破綻とアメリカ製造業の衰退を見れば解るように「目先の利益追求」と都合の良いグローバル化が結局アメリカの製造業を衰退させ社会構造を貧困にさせてしまった原因です。「愚民化を促すメディア」は日本も当てはまりますが、民衆を都合よく洗脳するためには嘘やでっちあげも平気で繰り返し流すジャーナリズム精神など消滅した「利益集団にに支配されたマスコミの現状」のことです。「次の超大国は・・」でも触れていますが、テレビだけでなく大新聞も殆どが金融財閥に直結した一部の人達に所有されている現実はヒトラー時代のメディアによる大衆操作以上のものです。

町山氏はだからアメリカの時代が終わり、アメリカはもう駄目なのだと嘲笑しているのかというとそうでもありません。第6章「アメリカを救うのは誰か」と終章「アメリカの時代は終わるのか」の所でSFでしか存在しえなかった黒人大統領が21世紀早々に出現したことと、アメリカ的良心を体現したようなマケイン氏が大統領候補になったことへの期待が語られ、世界から金や資産がアメリカに持ち込まれ、世界各地から希望を持った人材がアメリカに集まってきている現実に触れています。アメリカに住む人達が期待できないなら世界から夢を抱いて集まってくる人達にアメリカのあるべき姿の実現を託そうよ、と言っているようです。

「次の超大国は中国だとロックフェラーが決めた」は副島隆彦氏の学問道場では「中国ロック本」と呼ばれて重要視されています。私は当初題名から中国のことを重点的に書いた本かと思っていたのですが、原題「The New World Order Exposed」が示すようにヴィクター・ソーンが原著で示したのは民主国家を偽装したアメリカを陰で動かしてきた勢力、つまりロックフェラーやロスチャイルド、ワールブルグといった巨大財閥とそれを取り巻く外交問題評議会や三極委員会がアメリカの政治経済のかじ取りを行っている現実であり、それを50冊以上の書物から抜粋・紹介しています。またアメリカ政治のバックグラウンドに暗い我々日本人読者の理解のために副島隆彦氏が解説文を注釈の形で挿入しているところが重宝します。日本語の題は「暴露された新世界秩序」では日本人にインパクトがないので(アメリカを食い尽くした)「国際ユダヤ資本が次に根城にしようと狙っているのは中国だ」という本の結論的な部分から付けられたものだと解ります。この本はある種の陰謀論を暴露した本とも言えるのですが、アメリカの様な超大国が、民衆による民衆のための政治をてきぱきと行えるはずがなく、誰かさんが書いた筋書きをあたかも民主主義的に決められたような劇場型政治に上手に持って行っているのだということを説明した本とも言えます。問題なのは優れたリーダーが国民全体の幸福のために筋書きを書いているのではない点で、だからこそ筋書きが決められる過程が隠されている、また隠されていることを国民が知りたがらないようにパンとサーカスを与えてごまかしていることにあるでしょう。

日本は幸いにして世界を征服している国ではないので、日本の政治経済の筋書きを裏で書いている人も所詮誰かの使い走りでしかなく、日本人の中に支配者と被支配者がいるわけではないのが救いですが、アメリカや世界の政治経済のレベルでは支配者と被支配者が存在するのだなということが良く解ります。解った所で自分が支配者の側に廻りたいとも思いませんが、このような状態を理解した上で世の中の動きを見て初めて21世紀の波乱の世界情勢の中を日本が生き抜いてゆく知恵が生まれるのではないかと愚考する次第です。

オバマ=クリントン政権は間違いなく中国重視の政権であり、アジアにおけるアメリカの存在が縮小する一方で中国が覇権を拡大することは明らかです。中国の経済発展と軍事的覇権拡大を容認する国務省がある一方でアメリカの覇権を維持したい国防総省は中国の覇権拡大には反対であり、日本に一層の軍事的パートナーシップの増大を期待してくるでしょう。国際ユダヤ財閥としてはここで日中に一戦交えてもらって一儲けしたい所でもあるでしょう。副島氏はその筋書きが見えているからこそ「アジア人同士戦わず」とのスローガンを掲げているのであり、天木直人氏が憲法9条を擁護するのも同じ危惧を抱いているからと考えます。

中国人が中華思想を刺激されて日本に対して覇権拡大の欲望を露にしてくることは大いにあり得ます。現在の日本の外交姿勢を考えると日華事変の前のように散々挑発した揚げ句に島の一つや二つ占領しにかかるかも知れません。日本に求められるのは、隠忍自重の揚げ句に結局挑発を正面から受けて立つような「狙い通りのうすらバカ」ぶりを発揮するのではなく、中国に挑発させる隙を与えないよう守りを厳重にしつつ、そのような意図を諦めさせることが大事だろうと考えます。簡単には日本と戦えないぞという姿勢を示すことも大事ですし、日本とは戦争するより経済その他で協力関係でいた方が得だと思わせることも大事だと考えます。

主題が逸れましたが、この2冊、隆盛を誇ったアメリカがなぜ現在のようになったのかを理解するには必読の書かもしれないと思います。
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左翼と右翼の定義:何故インテリは左翼が好きか?

2008-12-18 00:29:16 | 社会
反日主義が大好きな人達や本格的に戦後日本占領政策の工作員として思想統制を行っている人達にとっては、私のような考えを持つ日本人は「ネット右翼」と括られるのだろうと思います。要は反日主義に同調しない面倒な奴=民族主義右翼とし、彼らの作り上げた戦前を全て「倫理的悪」と規定した範疇に放り込み、倫理的に善である「戦後民主主義思想」の範疇から追い出すことで黙らせたい人達に入るのだろうと思われます。

反日でグローバリストが左翼であり、国家や郷土を大切にすることが右翼であるという色分けは左翼=社会主義、共産主義であった時代が終わって共産主義社会自体が消滅してしまった現在、コミンテルンの指令の下国家の枠を超えて世界革命にまい進するグローバリズムの精神(地球市民とか)だけが形骸化して残った哀れな姿の様にも見えるのですが、「反日」という点では中国韓国のばりばりの民族主義右翼と結託しながら、アメリカのユダヤ民主党系のグローバリズムとは一線を隔している(実体は利用されているのかも)ようで彼ら自身自分の明確な立ち位置は「反日」以外なくなってしまっているのではと思われます。

私が大学受験をしていた1970年代といえば経済学部は「マル経」以外は殆どなく、近代経済学などバカにされて学問としては顧みられることがなかったようですが、結局日本の優秀な学生達が何の役にも立たない「マル経」を勉強させられた御蔭で日本の経済学者は現在もろくな人間がいませんし、官僚や銀行員も先をきちんと読める人間が育たずバブルや失われた15年といった苦節を日本が味わう事になったのだろうと思います。

私は昔から愛国者でしたが、家は貧しく階級的には貧民でした。だからプチブル出身のくせに左翼ぶって大学でセツルメントなどの活動をして上から目線で偉そうな事を言っている左翼学生達は大嫌いで「貧乏人の気持ちも知らないくせに何を言っていやがる」と思っていました。そういうのが今では商社のお偉いさんになって「ワインのことなら任せて」などと言うやらしい中年になっているので今でも嫌いです(ルサンチマンかもしれませんが)。

さて、私は人間性を顧みない社会主義や共産主義は昔から嫌いでしたが、比較的偏差値の高い「インテリ層」にあたる人達が何故左翼思想にかぶれる(或いはシンパシーを持つ)のか不思議に思っていました。私の場合、愛国心があるだけで皇国史観など一かけらもないので右翼ではないのですが左翼でなく、愛国心が強いというと「右翼」に分類されてしまうところが日本の思想の貧しいところだと常々感じていました。

京都大学人間環境学教授の佐伯啓思氏の「自由と民主主義をもうやめる」幻冬舎新書2008年刊に「何故インテリは左翼が好きか」という問の答えに近いものが書いてあり興味深く読みました。

ある学生の「左翼」と「保守」は何が違うのかという質問の答えとして、氏は

(引用はじめ)
「左翼」は人間の理性の万能を信じている。人間の理性能力によって、この社会を合理的に、人々が自由になるように作り直してゆくことができる、しかも、歴史はその方向に進歩している、と考える。

一方「保守」とは人間の理性能力には限界があると考える。人間は過度に合理的であろうとすると、むしろ予期できない誤りを犯すものである。従って過去の経験や非合理的なものの中にある知恵を大切にし、急激な社会変化を避けようと考える。

これが本来的な意味での「左翼・進歩主義」と「保守主義」の対立です。社会主義か資本主義か、或いは親米か反米か、といったこととは関係ありません。
(22-23ページ 以上引用おわり)

と説明していて、氏としては真の日本的保守主義を見直そうという趣旨でこの本を書いているのですが納得のゆく説明だと思いました。「合理性」=「ラチオナル」であることで社会は善なるものに矯正できるというのはいかにもインテリ好みな考え方です。

世の中「きれいごと」のみを声高に叫んで追及しだすと大抵おかしな方向に向かいます。最近の医療問題しかり、個人情報保護問題しかり、環境問題しかり、教育問題しかり、全て現状維持が良いとは言いませんが長い時間をかけての結果でそのようになってきた状態を理屈だけで変えようとすると無理がしょうずるものです。その意味で氏の主張に私は近いものがあると感じました。
コメント (6)
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世界AIDSデーと日本、近隣国のHIV感染

2008-12-10 23:39:28 | 社会
12月1日は20回目の世界AIDSデーでした。日本ではあまり大きく取り上げられませんでしたが、アフリカ諸国などに比べて数は少ないものの日本は先進国の中では感染者が増加している国の一つだそうです。私はAIDSの専門家ではありませんが、性感染症は扱いますし、興味のある分野でもありますので備忘録の意味も含めて少しまとめてみました。

言葉の定義として重要なのはHIV感染者とAIDS患者の違いでして、HIVに感染した上で免疫低下による何らかの病態を発症して初めてAIDS患者と認定されます。しかし感染が明らかな段階で治療および他者への感染予防は必要になります。一般の方向けの解りやすい資料としてはYWCAが発行している資料(http://www.ywca.or.jp/image/AIDS2008.pdf)は良いと思いました。

日本のHIV感染の動向としては厚労省AIDS動向委員会の07年の報告が参考になります(http://api-net.jfap.or.jp/mhw/survey/07nenpo/gaiyou.pdf)。その中でいくつかの項目について日本のHIV感染の特徴を以下に取り出してみました。

1)HIV感染者およびAIDS患者報告数の推移(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2250.html)
特徴は年々日本人男性の感染者が増加していること(AIDS患者を含む感染者が1,500名中1,274名)、日本に在住する外国人の比率に比較して外国籍の感染者数が多いこと(約1割)、日本人の女性感染者と外国籍女性の感染者数がほぼ同数であること(日本人女性の計が60名と少ない一方比率的に外国籍女性の感染計が56名と多いということ)。

2)07年末の累計感染経路集計(http://api-net.jfap.or.jp/mhw/survey/07nenpo/hyo_02.pdf)
特徴は日本人については同性(男性)間の接触による感染が50%を超えている一方で外国籍の感染者は異性間接触による感染が50%以上あること。(女性については日本人外国籍の者ともに異性間接触による感染が殆ど)

3)国籍別年齢別感染者推移(http://api-net.jfap.or.jp/mhw/survey/07nenpo/hyo_06_02.pdf)
特徴は日本人男性はバブルの頃30前後だった人が歳を経ても感染している人数が多いこと、(20台や50台以降の人もいますが)、日本人女性は90年台も2000年以降も20台から30台前半に感染者が多いこと、外国籍の感染者は男女ともに常に20台から30台前半に多いこと。

これらの結果から言えることは、日本人男性は圧倒的に同性愛者による感染蔓延が原因である一方で異性間接触による感染も増加していて特に女性の感染は異性間によるものであってその原因は男性にあると言えましょう。外国籍の感染者は旅行者であるはずはないので、何らかの形で日本に住み国内に今後感染を広める可能性があると言えますのでしっかり治療と感染予防をしてもらう必要があります。また外国籍の人の感染保有率は明らかに高いことから新たな感染者の国内への導入を防ぐことを真剣に考えないといけません。

人口あたりの都道府県別感染率は東京、長野、茨城の順に多いようですが、長野茨城はまんべんなく多いのではなく、岐阜よりと軽井沢近辺の一部、茨城南部の一部に集中して多いと言われています。

AIDS感染率はタイや東南アジア諸国に多いこと統計上明らかですが、日本への出入りの多い隣国の状況についても一応調べました。

韓国:数は少ないものの増加の傾向は同様です。しかし日本と異なり異性間接触による感染が多いようです。(http://www.jcie.org/researchpdfs/RisingTide/rok.pdf)気になる記述としては、HIVと直接関連はないのですが韓国のcommercial sex workersの総人口が514,000人から120万人の間であると記載されていること。総人口が5千万人として半分の2500万が女性、その半分がsexually activeと考えると韓国人の20人から10人に一人がcommercial sex workerになってしまうのですが。出展(Goh Unyoung. 2001. “Epidemiological Characteristics, Estimation and Prediction of HIV/AIDS Epidemic in Korea.” Dissertation prepared at Hanyang University Graduate School. (In Korean))

中国:中国は人口も多く正確な数字は把握できないと報告されていますが、増加傾向は同様で特にsex workerにおける感染の蔓延が懸念されています。(http://www.avert.org/aidschina.htm)sex workerが1000万人いて、そのうち12万7千人がHIV陽性と考えられていると報告されています。

中国韓国に気軽に旅行をして羽目を外すということも今後は十分気をつけた方が良さそうです。また国内のアジア系何とかパブのような所も外国では異性間接触による感染が多い背景を考えると十分気をつけないといけません。

日本は幸いHIV感染大国ではありませんがその分国民の関心も低く、普通の性感染症患者が増加している若年層に今後HIV感染者の増加が懸念されます。行き過ぎた性教育や性否定教育は考えものですが、性交渉のないプラトニックな付き合いは「ダサイ」といった風潮は好ましくないと言えるでしょう。
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外交はタイミング(2)

2008-12-04 00:18:45 | 政治
北方領土 首脳会談 ロシア大統領が意欲 『解決次世代に委ねない』
2008年11月24日 東京新聞朝刊
 【リマ=佐藤圭】麻生太郎首相は二十二日夜(日本時間二十三日午前)、当地でロシアのメドベージェフ大統領と初めて会談した。大統領は、最大の懸案である北方領土問題について「解決を次世代に委ねることは考えていない」と述べ、早期解決に強い意欲を表明。両首脳は、それぞれの政府内の実務担当者に交渉の加速を指示することも確認した。
 来年初めにロシアのプーチン首相が日本を訪問する機会も含め、領土問題などの解決のための首脳レベル対話を集中的に展開することでも一致した。両国はプーチン首相の年内訪日で合意していたが、ロシア側の事情で見送られた。
 会談で麻生首相は、領土問題について「大統領の解決の決意が事務レベルの交渉に反映されていない」と指摘。大統領が、七月の主要国首脳会議(北海道洞爺湖サミット)での福田康夫首相(当時)との会談で「最終的に解決するために前進させる」と明言しながら、ロシア側担当者の動きが鈍いことに不満を表明した。大統領は「どこの国でも官僚の抵抗は存在するが、首脳の善意と意志があれば解決できる」と応じた。(http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2008112402000088.html)

――以上引用終わりーー

外交はタイミングが大事であることは前の拙ブログ(http://blog.goo.ne.jp/rakitarou/e/01f315b20900c66b3a5db108252563e0)でも述べました。アメリカ帝国が勢いを無くし、次期民主党政権がクリントン政権の閣僚(及びライバルだったカミサンまで)を重用して再び中国重視の姿勢を明らかにした以上、日本は米中同盟に骨までしゃぶられる前に何らかの手を打たなければなりません。

原油の値崩れで一時の勢いは落ちたとはいってもロシアは今回の経済恐慌にはアイスランドに融資するなどまだ余裕で対応しています。また上海協力機構で米国封じ込めに共同戦線を張ったとは言っても直接国境を接する中国に対して、一方的な軍事力増強に脅威感を募らせていることも明らかです。欧州では親米反露の旧東欧諸国と独仏の親露諸国に分かれてきているようで、世界情勢は新たな展開を見せつつあります。

私はこの辺でロシアと領土問題を解決して仲良くなっておく事も良いと考えています。恐らく中国との領土問題解決と同様、北方四島を面積で二分割して3島プラスアルファを日本に返還というwin-win外交を持ち出してくるのではないか、それに経済協力などを付けて御互いにとって良い方向になるよう話しを進めてくるのではないかと思われます。

日ロの領土問題解決を最も嫌うのはアメリカです。日本を重視しないオバマ政権が経済で四苦八苦している内に話しをまとめてしまうのが良いでしょう。日本はロシアに対して戦争に勝ったという優越感と第二次大戦でひどい目に遭ったというトラウマがあり、信用できないと考えている国民が多いと思います。信用できないのはアメリカも中国も一緒であって、どこの国も日本のために自分を犠牲にしてくれるような国はありません。それが外交というものです。だから御互いに利になる所は利用し、懸案解決で国益になるものは大いに進めるべきだと思います。日本が将来中国の一部になる位ならばロシアとも手を組むをことを選ぶべきです。但し米ロの代理として中国と再び戦争をさせられるのは避けないといけませんが。

日本の官僚、政治家には全ての外交問題はアメリカに任せておけば良いといまだに考えている人がいるようですが、徹底的にアメリカの議員を日本の思い通りに動かすようなロビー活動をするでもなく、何故アメリカに任せられるのか不思議でなりません。多分自分で考えるのが面倒な上に、アメリカが言ったからと言えば責任回避ができるとでも勘違いしているのでしょう。

このような国益に係わる話しが出ているのに日本のマスコミは総理大臣の言葉の揚げ足取りばかりをしている。領土問題で国民が盛り上がるのは今のマスコミにとっては都合が悪いということなのでしょうか。
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メッセージのないテロ

2008-12-01 00:29:51 | 政治
インドムンバイで起こった今回のテロはようやく終息を迎えたようですが、これだけ大きな犠牲を出しながら一体犯人達は何を望んでいたのかが明らかになりません。デカンの聖なる戦士と名乗っているそうですが、意味が通らなければテロを起こした意義がありません。無防備の一般人をターゲットにした無差別テロは最も卑劣卑怯なやりかたであり、どんなメッセージがあろうと正当化できるものではありませんが、そのメッセージすら出ないのであれば、日本でも時々おこる通り魔殺人となんら変わりがありません。

911の時は、イスラム諸国にキリスト教国の米軍基地を置くことが赦せないというアルカーイダのメッセージだったようですが、100年前の大英帝国の時代から基地はあったのであり、むしろ後から出された「これからはテロとの戦争の時代だ」というアメリカのメッセージの方が明確で説得力を持ってしまいました。

今回のテロの背後にはパキスタンがいるという憶測もありますが、もともと仲の悪いインドとパキスタンの関係を険悪にさせる意味、犯人は英国人と米国人を狙ったと言う話しなどからこれらの関係国からテロを受けてどのようなメッセージが発せられるかが注目されます。どうも結果的にまた新たな戦争が起こされるのではないかと心配です。

第二次大戦の敗戦国である日本とドイツは倫理的に悪であると規定されたためもあってその後戦争を起こす事はありませんでしたが、戦勝国は全く同じ(或いは敗戦国以上の)ホロコーストを行ったのに「倫理的に良い戦争」をしたことになったために戦後も紛争解決の手段として戦争をし続けています。朝鮮、ベトナム、印パ、アフガンなどは勝敗がはっきりしないために戦後倫理的な善悪を決めつけることができず関係国は犠牲を出したのみで歯がゆい思いだったでしょう。だからボスニアやグルジアでは発生早期からマスコミを使って善悪の決めつけをいかに行うかが競われたりしました。それでも90年の冷戦終了後は圧倒的な軍事力を持つ米国に対して「国軍」対「国軍」で戦争をすることがなくなりました。イラクは例外ですが、これは米軍が一方的に「これから悪をやっつけます」と宣言してイラク軍を滅ぼしてしまった戦争です。

「国軍」対「国軍」の戦争がなくなると、次は「国軍」対「武装グループ」という戦争になりました。軍隊というのは本来相手国の軍と戦うように組織され、武器を揃えていますので、市民に紛れ込んでいるような「武装グループ」を相手に戦うことは苦手であることは以前のブログ(http://blog.goo.ne.jp/rakitarou/e/d143d1dff0d4c2178ddbf3e1ad3e3bf4)にも書いた通りです。南京陥落時に安全区域に避難している市民に紛れ込んだ中国軍を掃討する際に市民も一緒に殺害したとして後に日本軍は「南京大」とアメリカを含む戦勝国から批難され戦犯として裁かれ現在に至るも謝罪を要求されています。同じ構図がイラク、アフガン、パキスタンで毎日のように起こされていて、米軍人を含む当事者達が心身に深い傷を負っていることが明らかなのに何故戦争のやり方が間違っていると誰も指摘しないのか不思議です。

「国軍」対「武装グループ」の戦争は国家が相手ではないのでいくらでも続けられ、何処でも起こす事ができるので、戦争で儲かる人達にはたまらない商売です。武装グループに安めの武器を横流ししておけば永久に続けられる錬金術のようなものです。後は「テロとの戦いは正義の戦争」ということを「国軍を派遣している国民」(納税者と兵士の供給元)に納得させるために本当のテロを時々起こせば良いのですから。

私はテロをなくすには「国軍」対「武装グループ」という戦争を止めることが第一であると確信します。第二は武器商人を取り締まること。第三に戦争に使われる金をテロリスト達の供給元になっている政情不安定な地域の生活を安定させるために使うこと、だと考えます。言うは安し、行うは難しで世界中の8割の人達は平和を望んでいるのでしょうが、2割の経済と権力を握っている人達は望んでいないのでしょう。
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