民主主義と資本主義が同じであるか、といった問題についてイーロン・マスク氏がツイッターを買収した件にからめて10月30日のサンデーモーニングでも取り上げていましたが、リベラル的な説明では極めて誤解を招くというか、ほぼ理解不能な問題と思われたので改めて図示した上で検討しようと思います。
I. 1990年代に民主主義と資本主義がセットで社会主義に勝利したという誤解
1988年から91年のソビエト連邦崩壊により、国家の枠を超えた東側コミュニズム体制と社会主義経済が終了しました。西側陣営は当然喜んだのですが、これは社会体制として共産主義に対して民主主義が勝利したのと、経済体制として社会主義計画経済に対して資本主義経済が勝利した2つの意味がありました。
元々「経済体制としての資本主義」に対立する形で「マルクス主義経済学」が出現して社会主義国家が誕生した訳ですから、政治体制としての「民主主義の対立軸」として共産主義が出現した訳ではありません。だから計画経済が立ち行かなくなり、社会体制として東側社会主義国家が消滅して、世界中が資本主義にはなったとしても、政治体制が自動的に民主主義国家になる訳ではなかったのです。共産党一党独裁を貫いたままGDP世界2位になっている中国が良い例です。
資本主義を追求すると自然と民主主義になるということはなく、むしろ資本が力を持って民衆を平気で支配する事も可能になりました。つまり民主主義が対立軸を失って弱体化しているのです。ここに現在に至る問題の根源が潜んでおり、また東西冷戦時代の右翼左翼の定義で現在の体制を理解できない理由があります。
II. 市場原理主義(リバータリアリズム)から独占資本主義(モノポリー・キャピタリズム)強化へ
戦後冷戦期において、日本では左翼と言えばマルクス主義を信奉し、社会主義国家、計画経済による統治、当時のソ連や中国の在り方を「良し」とする考えを指しました。一方で右翼とは、ウエストファリア型の民族国家の繁栄を個人の自由よりも上に置いて、帝国主義的資本主義を「良し」とすることを典型としました。一方で左右どちらにも偏らないながら、個人の自由を尊重して国家の枠に囚われない「地球市民」的発想をリベラルと称していました。これらはやや極端な色分けですが、現在も概ねこのような概念で「レッテル貼り」が行われていると思われます。しかし図に示す様に、現在の社会を理解するには20世紀的な右翼・左翼の定義では理解できない状態になっています。
90年代に共産主義と社会主義経済がセットで敗北すると、マルクス主義に忠実な左翼は消滅します。一方で左翼全体主義の傾向を持った一群が資本主義に合流して「ネオ・コンサーバティブ」という法的統制を伴う狂暴な資本主義を推し進める事で、統制を嫌い市場の自然な動きによる発展を好む市場原理主義的資本主義(リバータリアリズム)は影を潜め、巨大資本が法的統制力で帝国的支配を広げる「独占資本主義(モノポリー・キャピタリズム)」が勃興し、国家の枠を超えて世界を統一的な価値観で経済を支配する、所謂グローバリズムにつながって行きます。新興国の中には、国を挙げて企業を支援する国家資本主義で独占的巨大資本に対抗する勢力も出てきました。これがソ連崩壊後から2010年頃にかけての世界経済・社会の動きであり、図の矢印の様にそれぞれが部分的に旧来の右翼・左翼的要素を取り入れてはいるものの、既に旧来の右翼・左翼の定義で社会を分析することは不可能になりました。
世界を一つの価値観で支配したいグローバリストは、LGBTなどの少数派尊重や温暖化阻止などの環境問題を重視している様にみせかけて、以前のリベラルの要素を取り込んでいます。また国家資本主義はまさに国家権力の伸張を重視する20世紀的帝国主義の要素があります。そういった要素で右翼左翼といった旧来のイメージがついたレッテルを、メディアを使って貼付けることで現実の姿、本当の目的を見えなくしているのです。
そして現在、一見国民国家毎に民主的に物事が決められて世界が動いている様に見えながら、実際はグローバリズム経済を仕切る国家の枠を超えた一部の人達の決定に従う国(西側と括られる)と、中国・ロシア・南米・中東第三世界などの非グローバリズム国家の対立の構図が出来上がって、新型コロナ、地球温暖化、ウクライナ紛争などで異なる対応をして対立しているのです。
III. 帝国(グローバリズム)の時代に20世紀的右翼左翼の定義では理解できない
イタリアの哲学者アントニオ・ネグリと米国の哲学者マイケル・ハートが2000年に出版した「帝国」はグローバル資本主義が既に国家以上の権力を持って「帝国」として人類を支配する事を警告する古典的名著ですが、彼らはその「帝国」にあらがう人々の「形」をマルチチュードと表現しました。しかし「帝国」が明確な概念である一方で「マルチチュード」が具体的にいかなる存在かまでは明らかにできませんでした。現在「グローバリズムの帝国」に明確に対抗しているのは、やはり一個人から見ると「帝国」である「国家資本主義からなる多極主義勢力」という事になります。「マルチチュード」=「多極主義勢力」ではないものの、グローバル帝国に対抗する多極主義勢力をやや期待を持って見守るほか、力のない一個人にはできないのが現状です。現在、米国では民主党がグローバリズム勢力、共和党が多極主義勢力側に概ね付いていると言えます。日本は与党も野党もグローバリズムに忖度した行動しかしません。もはやどちらが右翼、左翼と言ってみた所で当てはまるものではないし、理解もできないと納得されたのではないかと思います。