rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

P-51 D Mustang Hasegawa 1/72, P-38 L Lightning Hobby Boss 1/72

2024-07-08 17:23:40 | プラモデル

第二次大戦中の定番ともいえる米軍の戦闘機2種を作りました。どちらも昔作ったことがある機体でしたが、再度作るにあたって1/72であまり良いプラモがなかった事もあって躊躇していました。またシルバー塗装がメインであることもどう納得行くように作るか迷う所でもありました。

現在もエアショーなどで活躍するP-51 Mustang

P-51 D マスタングは、名機であることを誰も否定しないほどの名機で、当初英国空軍からカーチスP40を製造するよう依頼されたNorth American Aviationが新しい機体製作を102日で仕上げてロールアウトして初号機が完成しました。アリソンエンジンからインタークーラー・スーパーチャージャーの付いたロールスロイス・マーリンエンジンに換装してテストすると航続距離を犠牲にせず、高度4,600m以上の高高度での飛行性能が改善され、ドイツ機と互角以上に戦える戦闘機としてP-51B/Cマスタングとして量産されました。P-51Dは水滴型風防にパッカード・マーリンV1650エンジンと6丁の12.7mmブローニング機銃を装備して最高速度710km、巡航速度583km、航続距離2660km(外部タンク使用)、上昇限度12,800mと申し分ない性能を発揮し、第二次大戦中各型合わせて4,950機の敵を撃墜したと記録されました。生産台数は15,000以上、各国空軍で1984年まで使用された他、現在でもエアレースなどで活躍する機体がたくさんあります。

パイロットはHasegawaの海軍搭乗員から流用、アンテナ線は伸ばしライナー(コックピット内)と0.2mm真鍮線使用。

モデルは安定のHasegawa製ですが、タミヤの大型スケールからのサイズダウンされたシリーズなど多くのメーカーからP-51は発売されているので、どれが良いとも言えないです。Hasegawa製は内部の造りも割とあっさりしていて、パイロットは付いていないので、例によって他から改造して入れました。実機のシルバーはジュラルミン地が割と強い印象なので、ベースに白を吹いてからシルバーリーフスプレー缶で塗装して、乾いてからティッシュで表面を磨いて平にしてみました。ティッシュで磨く前と後では写真の様に照り具合が変わります。あえてInvasion stripeのない第4戦闘航空軍334戦闘飛行隊所属機を選びました。

白地にシルバーリーフ缶のスプレーをして、乾燥してからティシュで磨くと翼上面の様にジュラルミンぽく光る(下面は磨く前)。

P-38は1930年代、P-35や36などが主体であった米軍戦闘機に対して、高高度戦略爆撃機の迎撃に使用できる最高速度640km20mm機関砲装備の戦闘機の要求に対してロッキード社が1937年に1150馬力アリソンV1720を2基装備した双発双胴の戦闘機として開発されました。高速で重武装ながら旋回性能が悪く、片方のエンジンが止まるとスピンしてしまうなど、日本軍から「ペロリと食えるぺろ38」などと揶揄される機体でしたが、エンジン出力を上げてタービンエンジン、インタークーラーの改造、パイロットの完熟訓練などで十分な戦果を挙げるようになりました。L型は最大速度667km、増槽付きで航続距離4,180km、20mm機関砲1,12.7mm機銃4の他、ロケット弾12発、爆弾1,000kgまで装着可能でした。L型はシリーズ最多の3,923機製造されました。

L型はエンジン吸気口が顎の様に飛び出しているのが特徴

モデルは以前ハセガワ製があり、自分も作ったことがありましたが、現在は入手困難で、1/72以外はタミヤなどからも出ていますが1/72は中国製のHobby Bossが最も出回っています。胴体と翼が上下2部品構成で、箱絵からも余り出来上がりが期待できない感じですが、プロペラは説明書にないものの両側外側へ回る様に設計されていて、秋葉原の中古プラモ店でSuperscale製の古いデカールを購入して1944年St.Quentinにおける367戦闘航空軍所属クラーク・リビングストン中尉のMoonlight Cocktail号にしてみた所、実機に近い細かいデカールも多く付いていて割と良い感じに仕上がったと思います。シルバーはテカリを抑えたいぶし銀的な色になる様に、黒をベースに吹いてから通常のシルバー缶スプレーで塗装しています。2機並べた時にシルバーの違いが少しわかるかと思います。

細かい穴とかもできるだけ開けて実機に近くしてみました。機銃は中央に20mm上に12.7mm4丁。全体のフォルムはまあまあか。

細かいデカールのお蔭で感じが良くなった。P51とシルバーの色合いが少し違う。

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Douglas AD-4 Skyraider Hasegawa 1/72, Westland Wyvern Trumpeter 1/72

2024-06-03 17:16:27 | プラモデル

第二次大戦後実用化され、異なる命運をたどった2機を作りました。ダグラス・スカイレイダー(空の侵入者)はヘルダイバー、アベンジャーと言った艦上攻撃機の後継として1944年に設計され、オーソドックスなレシプロ機ながら高性能で使い易かったため、海兵隊の地上援護機や偵察・救難など幅広く使われ3,180機が生産され、朝鮮戦争、ベトナム戦争でも1968年まで使用されました。18気筒2,800馬力エンジンを搭載し、航続距離2,000km、最高速度500km/h、3,500kg近くの各種爆弾兵装搭載可能で、4発のB−17(3,600kg爆弾)に迫る攻撃能力でした。20mm機関砲4門を装備し、ベトナム戦ではミグ17を撃墜した記録もあります。

凡庸なデザインながら汎用性があり各種任務に多用された最後のレシプロ攻撃機。 飛行機の絵を描けと言われるとまずこのプロフィールを書きそうな体型

 

模型は安定のHasegawa製で比較的新しい金型を今年新たに再販したものです。機体は1960年空母イントレピッド搭載の165攻撃飛行隊司令官機で下面白、上面SF16440です。

爆弾とロケットポッド、増槽を装着した機。パイロットはハセガワの現用空軍兵のセットを使用。

一方のウエストランド・ワイバーンはレシプロ機のブラックバーン・ファイアブランドやフェアリー・スピアフィッシュに替わるターボプロップエンジン搭載の雷撃機として設計されましたが、ロールスロイス社がターボプロップエンジンの開発を延期したのでアームストロング・シドレー社のエンジンを使用することになり、開発が送れた上に性能低下も起こしました。シドレー社のターボプロップエンジンは後のフェアリーガネットに搭載されて活かされますが、ワイバーンは開発に苦労した割に127機の生産に終わり、実戦も空母イーグルに搭載されてスエズ危機に出動した程度で終わりました。

ターボプロップエンジン搭載のユニークな機体。複雑な機構で、尾翼の安定板などに苦労の跡が偲ばれますが、活躍の場も少なく、短命に終わりました。

模型はマカオにあるトランぺッター社製で、金型も丁寧で日本のフジミ製品なども作るだけあって安定しています。複雑なワイバーンの機体を良く再現していて搭載武装も豊富なバリエーションでした。上面エクストラダークシーグレー、下面スカイでスエズ危機の際のイーグル所属の機体を作りました。二重反転プロペラながら、ガネットと異なりエンジンは1機で3,500馬力、離陸には翼下にロケットを追加装備する必要があり、スカイレイダーと比べても使い勝手は悪そうです。2機とも大きな機体で、第二次大戦機であれば双発機ほどの大きさがあります。やはり大型機であったガネットと並べてみました。

艦上機で翼の折り畳みが複雑な上にダイブブレーキまで付いていてビジーな下面。離陸にはロケットブースターが必要で魚雷は第二次大戦以来の安定板が付いている。

少し大きいガネットはシドレー社のターボプロップエンジンをタンデムに2基搭載している。

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V1(Fiselar Fi103)1/72 airfix, V2(A4) Takom 1/72

2024-04-07 13:28:57 | プラモデル

第二次大戦においてゲームチェンジャーにはならなかったものの、次世代の兵器体系の基準となったナチスドイツの革新兵器の二つを作りました。パルスジェットで自動飛行するV1は後の巡航ミサイルに、成層圏にロフテッド軌道で打ち上げられて迎撃不可能な状態で落下爆発するV2は弾道ミサイルの原型になったことは言うまでもありません。

博物館に展示された発射台上のV1とV2 V2は黒白の実験用の塗装

両者の特徴と違いを表にまとめました。それぞれ基本的な戦術思想の違いが明らかですが、V1は無人航空機爆弾として空軍が、V2はロケット砲弾として陸軍が担当しました。敗戦近いナチスドイツにとってどちらが有益であったかは判定し難い所ですが、コストパフォーマンスはV1が圧倒的で、パルスジェットという容易な作りのエンジンはyou tubeの「でんじろう先生の簡単な実験」で再現できるほどです。

構造はV1の方が単純だがよく考えられていると思う。

Vはvergeltungswaffe(報復兵器)の略で、宣伝相ゲッペルスが対英報復を目的に命名したとされます。同じく負けつつあったロシア戦線に使うつもりはなかった様で、実際にロンドンなどの英国都市部以外は、アントワープなどの欧州都市部には使われましたが、広大なロシア戦線には戦術として命中精度の点で使い物にならない物でした。敵にとってはどちらも厄介な兵器ですが、V1は迎撃可能なだけに高速戦闘機や対空砲火で応戦せねばならず、V2が爆弾量が全重量の10%以下であるのに比してV1は全重量の40%が爆弾という極めて効率の良いペイロードを実現している点、そしてパルスジェットの特徴的な爆音が鳴り響くとどこに落ちてくるか分らないという心理的効果を含めて「報復効果」はV1の方があった様に思われます。V1は撃墜しても地上で爆発するのでたまりません。第二次大戦末期は、連合軍も無差別爆撃をしており、この報復兵器も軍、民間を問わず無差別殺戮兵器でしかありません。戦術的には破綻した兵器と言えます。V1に対して、現在の自爆ドローンの様な無線操縦であれば妨害電波で操縦不能にしたり、逆転させて敵に向かわせる事も可能かもしれませんが、高圧空気とジャイロを用いたプリセット自動操縦であり、小型モーターなどは一切使用していなかったため、銃撃の他、飛行中の翼を叩き落とすなどする他飛行を止める手段がなかったと言われます。

V1飛行姿勢のものしか作れないので他社のスタンドを流用

モデルはV1V2共に部品点数も少なく、作るのは簡単でしたが、意外と塗装が面倒でV1は下面ライトブルーに上面はダークグリーンとグレーグリーンの迷彩、スライドマークは他の模型で余っていた物を、実機を参考にして付けてみました。機首先端のプロペラは自作です。

V2はグレーグリーン、ミドルストーン、FS17875(白)を一応マスキングしてから筆塗りしたのですが、スプレーの方が良かっただろうと思います。墨入れはペン型のガンダムマーカーの様な物を使ったのですが、筒状の物には描きにくく、どうも手書き感満載になってしまいました。大きさ比較のためにハーフトラックと並べてみました。

V1の方が小型で報復兵器としてのコスパは良かったようだ。

 

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Heinkel He219 A-0 UHU Dragon 1/72

2024-02-25 11:03:59 | プラモデル

香港のプラモメーカードラゴン製のハインケルHe219 UHU(ミミズク)を作りました。He219は1941年に長距離戦闘機兼急降下爆撃機として開発された複座双発機ですが、途中からMe110の後継機がMe210に決まったため夜間戦闘機に改造されました。1942年11月に初号機が初飛行し、終戦までに268機が作られました。A0は夜間戦闘機型としての量産機で1943年オランダのフェンローに展開していたNJG1に送られました。そこで夜戦エース、シュトライプ少佐は初戦でランカスター5機を撃墜するなど華々しい戦果をあげ、本機の優秀さを証明しました。本機はDB603 1750馬力の強力エンジン2基を装備、9.2tの機体を最大速力670km、11,800mまで上昇させ、航続距離は2,400㎞でした。夜間戦闘機用リヒテンシュタインレーダー、消炎排気管、与圧キャビン、戦闘機では初めての射出座席など先進的な装備を持ち、胴体下のガンパックにMK130 30mm機関砲4門、翼付け根にMG151 20mm機関砲2門という強力な武装で、数発当たれば大型爆撃機も撃墜できる武装でした。型によっては胴体上方に30mm機関砲を2門斜め上方に射撃できる斜銃を装備しました。

UHUの実機と1/72Heinkel He219

本機の優秀性は証明されていたにも関わらず、空軍次官ミルヒは生産機種の統一を主張して、性能の劣るJu88や、188の夜戦型の量産が強行されて少ない生産数で終わりました。本機の優秀さはむしろ手痛い被害を受けた英国空軍が高く評価していて、戦後英国が捕獲した機体が種々のテストをされ、次世代戦闘機の開発に用いられたと言われます。UHUが千機以上大量生産されていたら、英空軍の夜間爆撃は戦略変更を余儀なくされただろうと言われています。

レーダーはエッチング部品なので取り付けはやや技術が要ります。乗員は付いていないのでいつものハセガワ製を改造。

模型は比較的新しい金型でストレスなく作れました。ただし前輪降着機の模型なので主車輪より前に釣り用の重りや粘土をできるだけ詰めて、エンジンのカウル内にも追加で粘土を詰めるなどして自立可能にしました。結果的にかなり重い模型になっています。塗装は1944年ベルギーNJG1所属のマウエル大尉機に準じていて、上下面がグレイブルーFS35237、上面の斑点迷彩はRMN75グレーバイオレットを使いました。迷彩は始めにグレーバイオレットを塗装してから粘土で残す部分を覆ってグレイブルーを全体にスプレーする方法を取りました。これだと細かい型紙を作る必要がなく、不定形の斑点を描けるのでお勧めです。夜間戦闘機としてレーダー装備と消炎排気管を装備して使用されたFW190と並べてみました。高空で大口径砲を駆使できるUHUの大型機ぶりが分かります。

斑点迷彩は先に濃い方をスプレーしてから引き算形式で下地になる色を後から塗りました。スワスチカはミリタリ奄さんのもの。

下面のガンパックの30mm砲、砲身は自作。全体が薄目の色なので墨入れはダークグレーでかなり丁寧に行いました。FW190よりもかなり大型。

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Boeing B-17F, Fortress II A Coastal Command (Academy 1/72)

2024-02-10 10:44:07 | プラモデル

220 Coastal command所属のFortress II 機首の窓などがE型とF型で少し異なる。 米軍仕様のB-17よりも機銃などが省略され、初期型のASVレーダー( Air to surface vessel radar)が装備されている。

B-17の英国に供与されて対戦哨戒機として使用された機体を作りました。元はC・D型がFortressIとして英国に供与されたのですが、武装が弱く、強化されたB−17EがFortress IIとして45機が供与されました。その後F型が12機、G型が3機対戦哨戒機として使用されたと記録にあります。米軍は昼間爆撃機としてB−17を多用しましたが、英軍は安定性に欠けるものの爆弾搭載量の多いランカスターやハリファックス爆撃機を好み、B−17は沿岸警備や対潜哨戒に使われました。それはB−24も同様で、いずれB−24の対潜哨戒型も作ろうと思います。第二次大戦中の米第8空軍などのB−17の活躍は映画「頭上の敵機」やテレビシリーズ「爆撃命令」(どちらも原題はTwelve O’clock High)などでも有名で、私も小中学校項夢中になりました。中学高校時代にB−17のプラモデル自体レベル製のF型1回、Airfix製のG型を2回作り、今回で4機目になります。Academyからは対戦哨戒機型のモデルも出ていたのですが、日本で出回った物は数少ないようで、中古店などでも見かけたこともありません。今回は、たまたま20年位前に購入していたF型の「Memphis Bell」が放置されていたのでこれを利用して作る事にしました。

資料によると、胴体横と上部のアンテナが後期のものとは異なるようだ。

しかしいざ作るとなると、1/72でCoastal Command型を作った例などが海外のサイトでも殆どなく、資料も少ないので数少ない写真などを参考にASVレーダーなどを自作で製作しました。どうも一般的なASV2を装備した物よりも初期の物と思われるアンテナを装備した機体が載っていたのでそちらを付けてみました。塗装は下面が白、上面はダークシーグレーの物とエクストラダークシーグレーとダークスレートグレーの迷彩の物があったようで、今回は後者にしました。疲労感を出すために接合部にレッドブラウンで筋を入れてから白をスプレーしました。プロペラ等はE型に合わせていますが、機首はF型です。韓国のメーカーであるアカデミーはややアバウトな所があるので整合など補修が必要です。搭乗員は付いていないのでハセガワ製を改造して機首の爆撃手、操縦手、副操縦手、尾部銃手を付けてみました。デカールはランカスター等の別売りを流用しました。以前作ったやはり米国供与のカタリナの対戦哨戒型と並べてみました。

アンテナ支柱はライナーを伸ばしたもの、アンテナは0.2mm真鍮線を使用しました。

翼下面にはエアダクトの穴が複数あるのですが、模型では省略されていたので開けました。旋回砲塔は比較的よく再現されています。

救難任務にも使えるカタリナも多用されました。カタリナはダークシーグレーとスレートグレーの迷彩(大戦後期はダーク系が好まれたようです)。

 

追記:2024年2月11日

秋葉原のレオナルドLG2号店でアカデミー製のCoastal command Fortress IIのプラモを見つけました。2200円のほぼ定価販売でした。部隊名のデカールは資料の実機通りのものでしたが、ASVアンテナは模型自体に作られていないようで、製作するなら今回と同様自作になると思われ、手間は一緒の様でした。

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Armstrong Whitworth Whitley GR7 Airfix 1/72

2023-12-03 11:11:29 | プラモデル

英軍のホイットレー爆撃機を作りました。Armstrong Whitworth Whitleyは1936年に正式採用され、ウエリントン、ハンプデンとともに開戦時の英国爆撃機主力機の一つでした。ウエリントンが生産性を無視したかご状鉄骨に羽布張りという構造で、ハンプデンが射界改善として細く珍妙な形態に至った事に比してオーソドックスで無骨な形態であり、最も多く生産されたMk5は最高速度357km、航続距離2600kmと大戦初期ではまあまあであったが、中期以降は哨戒、輸送などの任務に就かざるを得ない状況でした。それでもMk5のみで1476機が生産され、初めてのドイツ本土爆撃やイタリア本土爆撃に参加するなど活躍しました。Mk5は他の同時代の爆撃機が空冷星形エンジンが主流であった時代に戦闘機にも用いられる液冷マーリンエンジンが使われ、尾部にはその後4発爆撃機に使用された4連装電動ナッシュアンドトムソン砲塔を備えるなど尾翼に支柱がついているような古い設計にしては近代重爆につながる装備を備えていました。私としてもそんなチグハグな所にも魅力を感じています。

ホイットレーGR7の実機と箱絵

 

模型は老舗のAirfixで2000年代の新金型であり、修正なくきれいに仕上がる安心モデルです。作ったのは対潜哨戒型のGRで、1941年初めて航空機によるUボート撃沈を果たしたことでも有名です。記録によると、対潜哨戒型ホイットレーが就役中に撃沈したUボートは、5隻に上ったそうです。プラモデルは機種の内容のみでなく、箱絵に惹かれて購入することも多いですが、このプラモの箱絵も非常に気に入っています。波穏やかな北海でASV2レーダーに捕捉した浮上航行中のUボートに雲上から近づくホイットレー哨戒機。雲間から突如現れた対潜哨戒機にEmergency diveの警報が鳴り、観測員が船内に入ってハッチを占めると同時にすでに潜航に入りつつあるUボート。機銃を浴びせつつ、次のパスで止めの攻撃に入るための旋回に入るホイットレーの緊張した場面を見事に描いた箱絵です。

搭乗員はハセガワ製を流用 無骨さと近代さを兼ねた姿

下面は白ですが、疲労感を出すために接合部にレッドブラウンの筋を塗ってから白をスプレーしてみました。上面はエクストラダークシーグレーとダークスレートグレーの迷彩で、502Coastal Command所属の機体です。搭乗員は付いていなかったので、ハセガワ製の海軍搭乗員セットを改造して操縦士、航法士、銃手2名を載せてみました。開戦時に同様活躍したウエリントンと並べてみました。空冷ブリストル・ハーキュリーズエンジンが後ろから見て左回転であるのに比して、液冷マーリン5エンジンが右回転であり、翼の構造などに設計思想の違いが目立ちます。

同時代の設計ながらウエリントンの方がスマートに見える。

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Vought OS-2U Kingfisher AZ model 1/72

2023-10-08 19:32:58 | プラモデル

米国製水上フロート機ボートOS2キングフィッシャーの英国海軍版を作りました。キングフィッシヤー(カワセミ)はカーチス・シーガルの後継機として1938年最新技術で翼を設計された単葉機として開発され、フィラデルフィアの海軍工廠で製造されました。フラップとエルロンを同時に活用して高い揚力を得られるよう工夫され、空冷星形プラットアンドホイットニー450馬力エンジンを搭載していました。機首と通信士用の後席スカーフリングマウントに装着した7.62mmブローニング機銃を装備していました。最高速度は275km、航続距離は1,400㎞、295kgまでの爆弾、爆雷を装着可能でしたが、主に偵察、救難任務、訓練に用いられました。英国には約100機が引き渡されて哨戒、救難任務などに使用されました。大戦後半からは後継であるカーチス・シーホークに変わられ、1944年まで使用されました。

模型の元になった実機とAZ model 1/72 OS2U kingfisher

モデルはチェコのAZモデル製で、金型は比較的新しいものの東欧のプラモデルらしいアバウトな作りであり、それなりに形を整えるには工夫が必要です。パーツは55個で陸上型も作成可能ですが、本来のフロート機で作成。英国海軍2種とオーストラリア海軍のデカールが入っていました。フロートの策や手すり、ピトー管などは自作が必要です。乗員は付いていないのでハセガワ製を流用しました。前任のカーチス・シーガルと後継のカーチス・シーホークを並べてみました。大戦中の飛行機発達の歴史が分かる感じです。

上面エクストラダークシーグレーとダークスレートグレーの迷彩、下面はスカイ

後継のカーチス・シーホークと前任のカーチス・シーガル

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F-16 C Fighting Falcon 1/72 Hasegawa (ゲームチェンジャーになれなかった超傑作機)

2023-09-03 20:54:00 | プラモデル

最近ウクライナへの供与で俄に脚光を浴びているジェネラル・ダイナミックF-16 Fighting Falconを作りました。F−16は1970年代に最後の有人戦闘機と言われたF104の後継機として、大型のF14やF15が計画されていた際に、小型軽量で機動力とコストパフォーマンスに優れた機体を模索した米国空軍により研究開発が発注されてジェネラル・ダイナミックス社、現ロッキード・マーチンが提案した機体です。胴体も翼の一部として一体的に設計するBlended Wing Bodyによる美しい形状、操縦もフライバイワイヤとコンピューターを駆使した当時最新のメカニズムを搭載して試作機の登場時点から注目を集めました。私も1970年代に試作機YF-16を見てから、P−51ムスタング、F-86スーパーセイバーに継ぐ傑作戦闘機であると注目して当時ハセガワから出た1/72のプラモデルを早速作りました。

F16C 実機   70年代に出たYF−16のプラモ 米国旗をモチーフにしたトライカラーで塗装されていた。現在の塗装、濃淡グレーの競演とは対照的。

F−16は数々の改良を加えながら4,604機も製造され、NATO各国など10数カ国で使用され、現在も次世代機との交換まで使用されています。

1980年代以降中東などほぼ全ての戦乱に参加はしてきましたが、湾岸戦争やコソボ内戦など戦況を転換させるほどの活躍に至る事はなかったようです。ウクライナ戦争においてもウクライナ軍への供与が戦況を変える切り札になる如く言われていますが、100%無理です。機体をみれば解る様にステルス性はほぼなく、現代の高性能対空ミサイルにチャフで回避する他ありません。空戦性能も最新でなく、対地攻撃も十分な管制バックアップが必要とされます。何よりウクライナ軍に戦闘機パイロットがおらず、ロシア軍機とはヘッドアップディスプレイで表示される機体の傾きが逆でもあります。吸気口が胴体下部で大きく開口しており、車輪も小さいので整備された滑走路が必要です。

在欧米空軍86戦術航空群512戦術飛行隊所属の機 中央から300ガロン、370ガロン増槽、BL755クラスター爆弾 AIM9L(第3世代)サイドワインダー4機装着。

モデルは安定のハセガワ製なので安心して作れましたが、最近の米軍機はNATO仕様も含めて濃淡グレーの競演と呼べる様な塗装で、グレーだけで6種類くらい使いました。幸いクレオスから各種カラーが発売されているのでそれらを使用して作りました。梯子に乗っている地上員はハセガワ製の米軍航空員セットから流用しました。キットにはBL755クラスター爆弾が搭載されていましたが、攻撃する側がクラスター爆弾を使うと、味方が不発弾で負傷して湾岸戦争では多数の米軍兵が犠牲になったと言われます。それが解っていながら、攻撃しているウクライナ軍にクラスター弾を供給している「米国の非情さ」を批難しない専門家も酷いものだと思います。一方で守る側はクラスター弾は威力が弱く、壁を破壊しないので余り怖くないと言われています。

デカールは細かい所までよく出来ていました。

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Bristol Blenheim Mk I Airfix 1/72

2023-08-13 14:50:27 | プラモデル

第二次大戦初期の英国爆撃機ブリストル・ブレニムMk1を作りました。1935年に高速旅客機として開発されたブリストル142を母体として高速性能を買われて量産が決まり、1936年に実戦配備されました。第二次大戦では既に防御武装が7.7mm背部旋回銃塔1丁と左翼の1丁のみという貧弱さで犠牲が多く、重武装化したMk IVに変わりました。しかし運動性能の軽快さなどから戦闘機型、偵察機型など各種改造され、また大戦前にはフィンランド、ルーマニア、トルコなどにも輸出され、枢軸軍機としても使われました。乗員は3名、機体重量は5,670Kg、ブリストル・マーキュリーMk8 9気筒840馬力2機を装着して最大速度418km、航続距離は1,810km、爆弾454kg装着可能でした。レストアされた飛行可能な実機は2016年の映画ダンケルクでも救出に出向く小型船の上空を横切る味方機として登場しました。

レストアされたBristol Blenheim Mk 1 実機       Airfix 1/72 model

モデルは安定のAirfixでしかも新金型であり、設計図も丁寧に記載されていて安心して組み立てられます。前作に難物(ブレゲーアトランティック)だったりすると気安く作れるモデルを次に入れて一休みします。上面ダークアースとダークグリーンの迷彩、下面は黒で1941年マレーシアButterworthのビクトリアクロス受賞者Arthur Stewart 指令搭乗機の物です。箱絵は日本軍の一式戦闘機「隼」に追いつめられている図ですが、加藤隼戦闘隊の加藤健夫中佐を撃墜したことで有名です。モデルには操縦手1体が付いていましたが、ハセガワ製の搭乗員2体を機首に追加してみました。昔作った旧金型のブレニムMk IVがあったので比べてみました。外見上機首の爆撃手席が延長されて独特の形状である点と武装が強化されている点が異なります。

機首部に搭乗員3名を入れてみました。  翼端灯は自作なのでやや形が悪い

車輪や爆弾槽の造りは新金型なのでさすがに精巧です。

箱絵は日本軍の隼戦闘機との空戦           武装強化型のMk IV(昔作った旧金型)と比較 機首に1、下面後方に向けて2、銃塔が2連装になる。

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Dassault Aviation Breguet Atlantic 1 “Italian Eagle” Revell 1/72

2023-07-23 20:50:59 | プラモデル

ドイツレベルから2021年に再販となったブレゲー・アトランティック1を作りました。ブレゲー・アトランティックは、フランス・ブレゲー社によって1959年から開発が始まり、欧州諸国の共同開発で1965年からNATO各国で就役しました。対戦哨戒機P−2ネプチューンの後継機とされ、アトランティック1は2019年頃まで、フランスが採用した外形が同じのアトランティック2は現役でNATO海軍の守護神として活躍中であり、2023年春のNATO演習中にバルト海でロシア領に近づきすぎて緊急発進したロシア空軍のスホイ戦闘機に追撃されたというニュースがありました。

イタリアン・イーグル実機                ブレゲー・アトランティック1 ドイツレベル1/72

乗員12名、全長31m、全幅36mと大型の機体で、1/72の模型も翼幅50cm近い大型の模型です。エンジンは小型で構造が単純な上高出力が可能なターボプロップエンジン(ロールスロイス・タインRTy20 5,500馬力)2機を装備し、最高速度658kmで航続距離9,000kmと18時間の連続哨戒任務が可能です。電子機器は米国製で、2重バレル型の胴体の乗員が搭乗する上方が与圧式になっています。1は87機が生産されました。Mk46魚雷8、機雷、爆雷など搭載可能で2型はフランス空軍のエクゾセミサイルも搭載可能です。米軍、海自でも使用しているP-3Cも1962年就役の息の長い機で、やはりターボプロップ4発エンジンで航続距離は6,700kmです。海自は国産でターボファンエンジン搭載のP-1に換装されつつあります。

イタレリのNATO航空要員を流用(見えなくなりますが)             デカールは大きく長い物が多く、皺が出ない様貼るにはコツが要ります。

モデルは再販は2021年と新しく、デカールの出来は良好でしたが、金型自体は20年近く経過していて接合も最近のコンピューターで設計するairfixのモデルの様にはぴたりとは合いません。製作難度も5と銘打つだけあり、細かい部分や、制作図を型取りしてスプレーするなどかなり手間がかかりました。派手な鷹の模様は色塗りの部分と頭や爪の部分のデカール貼付部が混在しており、デカールの色に合わせて胴体を塗らねばならず、クレオスのブラックグレーに黒を加えて調整するなどの手間が必要でした。また前輪降着の例に漏れず、機首側に120gも錘を入れねばならず、空間は大きな胴体だから十分あるものの、機体自体が大変重い物になってしまい、車輪が破損しないか心配なほどでした。説明書などのサンプルカラーに合わせて、機体はライトグレー、下面はクレオスのスカイブルー、機体内部はタミヤカラーのライトサンドを使いました。操縦手などは付いていなかったのでイタレリのNATO空軍兵セットから流用してイタリア海軍航空隊のグリーンの服に塗装してみました。イタリアン・イーグルは2006年のイタリア41航空隊88群所属の機体で、平和な時代を象徴してか国籍識別記号がこれで良いのかというほど小さい替わりに、ドームにFIFA world cupのイタリア優勝トロフィーが国籍マークより大きく描かれています。1957年から84年に自衛隊で活躍したグラマンS2F-1トラッカー対戦哨戒機と並べてみました。S2Fは艦載機とはいえアトランティックの大きさが解ります。

とにかく出来上がりも大きい。

S2Fトラッカーと並べると親子の様。

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Martin B-26 C Marauder Airfix 1/72

2023-05-22 20:22:03 | プラモデル

1939年双発5人乗りの中型爆撃機として米マーチン社で開発されました。高速爆撃機として設計され、アスペクト比の小さい機体であり、初期型のA型は着陸速度が240kmという高速で、それ以下だと失速してしまうことから「後家作り」という不名誉なあだ名を付けられてしまいます。B型以降は翼の拡大などで改善され、爆弾搭載1,800kg、機銃12.7mm8門、機首7.7mm1門、2000馬力、プラット&ホイットニーR−2800 2機を搭載して、最高速度462km、航続距離4,500kmでした。発展型を含めて5,000機が生産され、米陸軍航空隊の他、英国、南アフリカ空軍などでも使用されました。

第9空軍で同様の塗装を施した実機 模型のC型はピトー管が機首下方にある。

模型はAirfix製ですが、金型は1970年代と思われ、モデル自体は1992年頃再販された物でデカールは30年経過してましたが、使用可能でした。レベルやハセガワからも発売されていて、ハセガワ製の物が新しく出来が良いのですが、かなり昔に購入して積まれていた物を今回作りました。古い模型なのでAirfix製でもパテ処理など必要でしたが、機体内部や爆弾槽、降着装置の作りなどは良く再現されていて、接着固定も良好な作りでした。前輪降着なので例に依って機首に錘をかなり入れる必要があるのですが、A-20やB−25に比べるとずんぐりした機体で、航法士席の空洞がパイロット席と爆弾槽の間にかなりあったので釣り用の錘を粘土で固定して多めに入れ、エンジンナセルにも追加して楽に自立できました(かなり重い機体にはなりましたが)。ノルマンディ作戦時のinvasion stripeを施した米第9空軍386爆撃隊所属の機体で、上面オリーブドラブ、下面ニュートラルグレーの定型的な塗装です。B-25と並べるとずんぐりした機体の特徴が解ります。

ノーズアートはyankee Guerilla 上面オリーブドラブ 下面 ニュートラルグレーの標準塗装

操縦士2名と爆撃手(ハセガワ製の日本軍搭乗員を改造)、上方銃手が搭乗。クリアパーツは綺麗

爆弾槽内、脚収納庫も良く再現されている。 B−25(2000年代、新金型のAirfix)と並べると胴体の太さや翼の短さなど特徴の違いが明瞭。

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Soviet Douglas A-20 B/C Havoc Special Hobby 1/72

2023-04-23 14:11:29 | プラモデル

第二次大戦中にソ連軍に米国からレンドリース供与されたダグラスA-20ハヴォック爆撃機を作りました。A-20 (ダグラス社番号DB7)は主に米国で使用されましたが、1/3以上の2,908機がソ連にアラスカーシベリア空路で移送されて爆撃機として使用され、ソ連の爆撃機として主要な地位を占めました。英国に爆撃機として供与された機体はBostonの名称で呼ばれ、夜間戦闘機として使用された物や、オーストラリアなどの連邦国で使用された機体はHavocの名称で使われました。1942年夏にドイツ輸送船団に10mの低空雷撃攻撃を仕掛けたソビエト海軍航空隊は多大な損失を被り、機首の機銃を12.7mm機銃から連射数が大きい7.62mmのシュカスに変えたりしました。また独自のUTK1回転銃座を機首後方に設けて対空戦闘能力を高める工夫を830機に施しました。ライトR−2600空冷14気筒1,600馬力エンジンはソ連パイロットからの信頼性が高く、最大速度510km航続距離3,380km爆弾904kg搭載可能でした。

ソ連に供与された実機  A-20 B type

モデルはチェコのスペシャル・ホビー製で、A-20の1/72模型としては比較的新しい2000年以降の物ですが、一つの金型で多くのバリエーションの製品を作る同社の性質もあり、例えばUTK銃座を取り付ける部位は自分で胴体を削り出さねばならず、どれくらい削れば良いかの指標がありません(スジとか)。最終的に合わせる段階でプラ版やパテで整形が必要になります。また前輪降着をさせるためには半端ない量のバラストを機首側に入れねばならず、通常使用する粘土や釘では足らず、ネジやナット類を前輪格納庫やエンジンナセルの空いた部分などに詰め込み、前車輪の軸が折れる心配をする程フロントヘビーにする必要がありました。それでもソ連仕様のA-20はレアなモデルなので苦労して作る甲斐はあると思います。箱絵にもなっている逃げるヒトラーのノーズアートがある8GBAP(Guards Bomber Aviation Division)の221BAD(Bomber aviation Division)1944年の塗装にしました。上面はオリーブドラブ、機首は黒とロシアングリーン2、下面はニュートラルグレーです。米国製爆撃機で英国にレンドリース されたB−25(airfix)と並べてみました。

操縦席の天板は開く様に組み立て可能な所は良い。

かなりノーズヘビーにしないと自立しない。錘を追加しながら接着しなおし複数回。前輪格納庫にもナット類を入れる。

A(attacker)とB(Bomber)の違いはあるが、B−25とほぼ同じ大きさ。

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Arad Ar234 B-2b Blitz Dragon 1/72

2023-03-11 18:05:27 | プラモデル

世界初の実用ジェット爆撃機アラドAr 234を作りました。第二次大戦末期に実用化されたターボジェットエンジンを搭載して、レシプロ戦闘機が追いつけないスピードでピンポイント爆撃を行う電撃戦的発想で計画された飛行機ですが、エンジンの実用化に手間取り、質の良い原材料が入手し難くなった大戦後半の状況で、画期的な爆撃機でありながら殆ど活躍せずに終戦を迎えました。本来爆撃任務よりも高速偵察機として期待され、後部胴体に2機のカメラを搭載したB−2型は1944年8月Kommando Sperling(つばめ部隊)に所属し、デンマーク、ノルウエー、英国本土などの偵察撮影に活躍しました。爆撃機は1944年12月にバルジの戦いの最中に橋梁の爆撃に使用されたり、1945年3月のレマゲン鉄橋の爆破に成功した事が有名です。

Ar234B実機と模型 エンジンの外側にあるのはRi-202離陸補助ロケットエンジンで離陸後切り離され、頭部に付いたパラシュートで回収される。

 

ガラス張りの機首に乗員1名を配置し、テーパー翼は肩翼配置として両脇にポッド型にユンカースJUMO004エンジンを吊り下げて整備交換を容易にしています。胴体はほとんどが燃料タンクで当時のジェットエンジンの燃費の悪さを反映しています。初期型は車輪も収納できず、スキッドと呼ばれる台車に乗った状態で離陸し、着陸はソリで行うという非近代的なものでしたが、さすがに実用的でないということでB型からは引き込み脚を装備しました。推力900kgのターボジェットエンジン2基を装着していましたが、500kgの爆弾を搭載して8.4tの全備重量で離陸は困難であり、離陸後に切り離し、パラシュートで回収するRi-202離陸補助ロケットをエンジンの外側に2機装着しました。着陸も尾部のパラシュート索が引かれて制動用パラシュートを開いて止まる方式でしたが、これは米軍のB−47爆撃機を初め、現在のジェット戦闘機にも狭い飛行場での着陸用に装備されています。初動はロケットでの加速が必要ながら構造の簡単なパルスジェットエンジンと異なり、ターボファンで圧縮空気を作るターボジェットエンジンは構造が複雑でターボファンの寿命も当時は短く、6時間毎に分解整備、20時間でエンジン寿命という厄介な代物でした。ターボファンを最初に機動するためのオートバイ用小型ガソリンエンジンが付いていました。最大速度は742km、航続距離は1,630kmで、武装は基本なしでしたが、高空を高速で飛翔していれば当時の戦闘機で追いつく事は無理でした。それでもMe262の様に連合軍爆撃機や戦闘機を畏れさせる活躍をしたため、以降のジェット機時代につながる重要な役割を果たした機体と言えます。

操縦席上に「とさか状」に突出するのはBZA1-B照準頭付きRF2Cペリスコープ、下方に突出するのがロトフェ7K爆撃照準機用窓 左翼下に突出するのはFuG25ロッドアンテナ

迷彩はライトグリーンとブラックグリーン(オリーブドラブという記載も)の標準的な迷彩としました。

模型は83年製造の香港ドラゴン製でハセガワが輸入元になっています。ハセガワ監修なので割と良い作りで整合も良く、透明部品も綺麗でした。しかしデカールは92年製と記載されていて模型自体中古ショップで袋売りだったこともあって劣化が酷く、国籍マークなどは他のモデルのものを流用しました。塗装はスミソニアン博物館にあるものなど参考にしてRLM82ライトグリーンと70ブラックグリーン、下面ライトブルーにしました。迷彩パターンはドイツ中型機の規定通りです。乗員は付いていないのですが、別売りのハセガワ製のジェットパイロットを改造して載せてみました。複座型の夜間戦闘機Me262Bと並べてみました。爆撃機と言いながら意外と小さい機体であることが解ります。

エンジン下に300L増槽を懸吊している。模型はSC1,000kgへルマン爆弾搭載状態。 同じユンカースJUMO004を搭載したMe262との比較、意外と小降りな機体であることが解ります。

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Supermarine Stranraer matchbox 1/72

2023-02-11 21:05:56 | プラモデル

古い金型ですが、イギリス空軍で1930年代に活躍した飛行艇Supermarine Stranraerを作りました。このモデルはかなりレアもので、アマゾンでも外国から取り寄せで2万円以上するのですが、秋葉原の中古店で探していたら前回はなかった所に今回は4600円で置いてあるのを見つけ、即買いしたのでした。

ロンドンの英国空軍博物館にある実機(rakitarou撮影)       内部構造などの説明図

 

Supermarine社は、1925年に前型となるSouthamptonを製造し、軍民両方で使われました。その発展型として双発複葉のStranraer(スコットランド南西部の都市名)が1933年プロトタイプとして製作され1937年から量産就役しました。920馬力のBristol Pegasus X9気筒を2機装着し、1,000ポンドの爆雷などを翼下に付け時速165マイル、航続距離は1,000マイルでした。第二次大戦初期には沿岸哨戒任務につきましたが、1942年には米国製のカタリナに替わりました。カナダなどでは1946年まで使用されたと記録にあり、民生用は1957年まで就役しました。総生産数は57機でした。

アンカーボルトやエルロンを動かすバーは自作ですが、出入り口は開口可能で、機首の手すりなども付いており、古いモデルながら細かく再現されていました。

ロンドンのイギリス空軍博物館に実機があるのですが、目立たないながら非常に美しい機体で、レアものながらプラモとして是非作ってみたいと思っていました。Matchboxの製品は例の3色プラスチックでできているのですが、古いながら良く形作られています。しかし複葉機は全てそうですが、上翼を正しく付けるのには2日がかりで、リグを張るのも2日がかりになります。今回は気合いを入れて、海外のサイトなどで紹介されている内部構造も紙やプラ版で製作してみました。細かい所はパテやヤスリで合わせる補修が必要でした。上面ダークシーグレーとダークスレートグレーの迷彩、下面はシルバーで、1940-41年のScotland240飛行隊所属の機を作りました。同じ系統の複葉小型機、Supermarine Walrus(airfix)と比べてみました。

リグはミシン糸と0.3mmの真鍮線を使用しました。

見えなくなりますが、内部の桁も作ってみました。

胴体は金属製だが、翼は羽布張りで、歩行可能域が指定されている。 同系のワルラスは艦船にも搭載されて偵察や救難任務に使われた。ストランラーはかなり大型。

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Airspeed Oxford Mk1 AZmodel 1/72

2023-01-02 11:10:55 | プラモデル

英国第二次大戦時の練習機定番といえるAirspeed Oxfordを作りました。Airspeed社はグライダーのHorsaとこの練習機Oxfordが代表機で割と地味な航空機メーカーです。1930年代初頭に航空機の発達によって引き込み脚や可変ピッチプロペラ、銃手や爆撃手などのトレーニング用航空機の必要性を空軍省が各メーカーに発注し、AS6として6番目の開発航空機としてAirspeed Envoyを開発していたAirspeed 社はその発展型としてOxfordを上梓し、その扱い易さや高性能によりAS10として採用されました。パイロットの練習用にdual control可能な並列シートを採用し、爆撃手練習用には機首に腹臥位で確認できる大きなガラス窓を採用しました。航法士席をパイロット後方に、銃手練習用にArmstrong Whitworth回転銃座が採用されました。Mk1はArmstrong Siddeley Cheetah IXエンジン350馬力2機を搭載して最高速度300km/時でした。Mk1は固定ピッチの木製プロペラで可変ピッチはフェイクでしたが、後の改良型MkIII以降ではWASPエンジン搭載で可変プロペラになりました。初期型はスピンに入ると立て直し難いという欠点があったようですが、改良され戦後に至るまでAirspeed社で4,411機その他の社で4,175機計8,586機作られました。英国連邦のほぼ全ての国で練習機の他多用途機としても1950年代まで活躍しました。

英国練習機の定番Airspeed Oxford  AZmodel 1/72  英軍機の特徴として、大戦前と大戦後半米軍が参戦してからは翼下面にも国籍マークがある。

モデルはチェコのプラモデルメーカーAZ model製で、日本語の解説もあります。20年くらい前の金型で、レジン製部品も含まれます。Frog製の古いモデルもありますが、それよりもVariationが出る様改良されています。しかし古い東欧製のモデルなので整合は今ひとつでパテとヤスリ掛けは必要です。制作図通りに下面はトレイナーイエロー、上面はダークアースとダークグリーンの迷彩にしました。ミッキーマウスパターンなので初めにダークアースを塗ってから、油粘土とキッチンペーパーでマスキングしてダークグリーンをスプレーします。どちらも100円ショップで買えますし、油粘土は回収して何度でも使えます。

油粘土とキッチンペーパーでマスキングする。      いずれにしても組み上げてからヤスリとパテ作業が必要。

機銃手訓練用のGun turretを装着したバージョンはプラモデルとしてもレアものと思います。秋葉の中古ショップで2,000円で見つけて即購入。

40年以上前に作った多分Frog製のOxfordと並べてみました。

大昔作って残っていたOxfordと並べてみました。下面はskyで塗装してます。

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