rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

書評 小沢一郎の最終戦争

2010-08-29 21:11:43 | 書評
書評 小沢一郎の最終戦争 木下英治 著 KKベストセラーズ2010年刊

総理を目指してまさに最終戦争を始めた時の人、小沢一郎ですが、この人ほど好悪の評判が別れる政治家は珍しいと言えるでしょう。私は以前からブログに書いていたように党幹事長という直接行政執行の権力がない所に国政の全ての決定権を集中させていた鳩山政権時代の氏のありかたには反対していました。権力を集中させて政治を行なうなら「首相になって全責任を持って国民に見える所でやるべきだ」と考えていました。その点で今回の決断は自分としては賛成で首相として命がけで(途中で暗殺されるかも知れないから)やって(官僚内閣制の打破、公務員改革<特別会計の見直しを含む>、米中とのバランスの取れた外交<中国で日本開放司令官と言ったのはジョークでしょう>、景気対策<成熟型社会への移行>など)くれれば良いと応援しています。

その上で小沢氏の今までの政治的奇跡というか、何を主にやりたいのか、を知る上で本書は参考になると思われます。本書は金丸氏の側近としての自民党幹事長時代に政治改革として小選挙区制を導入する所から始まり、自民党を離党して新生党、自由党などを経て民由合併の後、偽メール問題で辞任した前原氏の後を受けて民主党の代表にもなるのですが、福田政権下での大連立構想が民主党内で却下されたことを受けて辞任します。そして幹事長として選挙を仕切り、政権奪取に至ります。経時的にこれらの出来事と小沢氏、小沢氏の周りの政治家の言葉がふんだんに述べられながら話しが進んでゆくのですが、著者が「いくつかの著作を合わせた」と述べているようにやや著述内容が冗長になってそれぞれの個所で今何を述べたいのかが解りにくくなっています。ただ著者の得意とする、それぞれの時代における小沢氏を取り巻く政治家の生の声を聞くような編集になっているのでその時々でどのような思考で小沢氏が動いていたかが解るのは良い点です。

この本を読むと、「政治とは権力闘争である」と自任している小沢氏が自民党時代、細川・羽田内閣時代を含めて権力の頂点である総理大臣になろうと思えばいくらでも成れたことは明白です。福田氏との大連立の時にもやり方次第で次期総理も可能であったでしょう。「最終目標総理大臣」というだけの政治家であれば小沢氏の戦争はとっくに終わっていたはずですが、彼が政治家として目指しているのは二大政党制の確立と政治家主導の政治、国民の生活を主目的にした政治ということは間違いないようです。小沢氏の政治のやり方は自民党的と批判されますが、政治には金がかかる以上ある程度しかたない面もあります。草の根運動で政治をするには公明党か共産党のようなやり方しかないのですから。この本で加藤紘一氏の小沢評として「彼はどちらかというと総理タイプの人だ。自らの理念を信じてぐいぐい引っ張ってゆく理念型である。」しかしこのタイプは最も総理にふさわしいのに本人は金丸型のキングメーカー、幹事長タイプだと思い込んでいるところに大きなギャップがある、と記されている所が小沢氏の生き方の特徴を良く表わしていると思いました。

「政治とカネの問題」などと実際には帳簿記載上の不手際にすぎず、起訴さえできない問題を印象操作し続けるマスコミはよほど小沢氏が嫌いなのでしょう。新生党時代から小沢氏を評価するマスコミ論調はあまりなく、常に批判にさらされてきた小沢氏ですが、現実に大悪党かというと政治手腕が強い以外のことはないように見えます。米中を含めて世界で日本の現在の政治家で一人選べ、と言われると小沢氏以外の名前は出てこない。だから私は小沢氏が総理で良いだろうと思います。ただし外国人参政権とか人権擁護法案とか移民受け入れとかの国益に反する法案はくれぐれも拙速に出さないことを期待します(国民が十分議論する時間を与えて反対デモなど十分する時間があって議論するなら良いですがね)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

似非医療について

2010-08-25 20:03:25 | 医療
ホメオパシー 日本医師会・医学会、学術会議に賛同(朝日新聞) - goo ニュース

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ホメオパシーなどという似非医療は聞いた事もなかったのですが、けっこう広がっていたようでそれなりの機関が公式に意見を表明するというのはただならぬことだと思います。「毒をもって毒を制するの始めの毒の部分を0に近くなるまで水で薄めて、薄める過程でよく振ることで水に記憶させる」とかいう「バカでもうそだと解る理屈」に基づいているらしいのですが、このようなものに意見表明しないといけない事態そのものが日本の理系思考の衰退を憂える異常事態といえるでしょう。

ほかの似非医療にも言えることですが、似非医療の特徴は「明確に定義されている西洋医学の疾患名」をそのまま用いて単純に治るだの効くだの効能を述べる事です。例えば糖尿病はインスリンを出す方が異常か、受ける側(レセプター)が異常かで型が別れて、それぞれに定義に従って対応も異なるのですが、「糖尿病が治る」と言っている似非医療は「何がどう治るのか」疾患の定義に従って説明しているものを見た事がありません。

「がんが治る」という言葉は癌の専門医である私は患者さんに言った事がありません。切除して五年間再発しなければ一応治ったと考えられるけれどもまた出てくる可能性もありますし、抗がん剤で癌を制圧できてもそれは寛解しているだけのことが多いので「治った」などと軽々しくは言えないからです。そもそも「がん」とは何か、「がんが治る」とはどういうことか、世の中に数多ある「がん」それぞれに「定義」や「性格」が異なるから一口には言えません。それを「・・・を使えばがんも治ります」などと書かれていたら100%似非医療と言って良い。どこの癌がどのような形に変化するのか試しに聞いて見ると良いです。どうせ嘘なので答えられません。「がん」といっても悪性黒色腫のように悪性度の高いものから早期前立腺癌のように放っておいても死なないものまで様々です。

前にも書いたように、現代の西洋医学は急性期疾患はかなり「治す」ことができるようになりましたが、慢性疾患を根治することはできず、症状をごまかすことしかできません(血圧を下げるとか血糖値を下げるとか)。だから慢性疾患(あるいは成人病など)になった結果惹起される急性期疾患を予防するための予防医学が発達してきてしまいました。しかしこの予防医学はくせ者で、いんちきではないものの急性期疾患に対する医学が「病人を正面から対峙して扱う」のに対して、健常人を検査値でもって病人にしたてて治療してしまうという側面があり、「本当に万人に必要な医療と言えるか」という弱みがあります。

似非医療が入り込む余地は現代西洋医学の弱点である慢性疾患や、急性疾患でも進行癌のように治癒しきれないもの、先のブログ「往きの医療、還りの医療」の項で述べた「治癒」を目的とした積極的医療では対応しきれていない分野において蔓延っていると言えます。似非医療の中には現代西洋医学が対応しきれていない部分を引き合いに出して西洋医学を全否定してみせたり、似非医療を認めようとしないのは「医師の頭が悪い」からと言い、自分たちのサイエンスとしての権威がないことを医師を罵倒することで「西洋医学の世界よりも自分達が高い位置にある」みたいなことを印象づけようとする姑息なものが見られたりしています。

医療者の中にも似非医学と本来のサイエンスに基づく医学における新しい流れ、緩和医療などをごちゃまぜにしている人もいることが問題です。医療者が間違うようでは一般の人がだまされてしまうのも当然といえます。各人が自己責任で何を信じようと勝手ですが、似非医療とはこのような物だとマスコミは解りやすく知らせるべきですし、学校教育においても簡単に似非医療にひっかかることがない程度の科学的思考(ことばの定義・前提をきちんと説明しているか)といったことを義務教育で教えてゆく必要があると思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

靖国神社参拝

2010-08-23 18:43:55 | その他
ここ数年夏の年中行事として休日に靖国神社に参拝しています。15日はうるさいのでそこは避けて今年は1週間後の昨日に行ってきました。直射日光もまぶしく照り返しも暑い一日でしたが、境内は既に静かであり、二拝二拍手の時も神様の前で一人でお参りできました。

参拝後は遊就館で名物の海軍カレーをゼロ戦を見ながら食べて、帰りはのんびりと神田神保町の方に回ってジャズの中古CD店や古本街を散策し、三省堂などに寄って秋葉原に寄って帰宅します。暑い一日でしたが、適宜冷房の効いた店舗に入ってクールダウンするので熱中症になることもなく快適に半日歩けた上、なかなか良い買い物もできました。

靖国神社は三十歳台まではあまり興味もありませんでしたし、左翼系のネガティブキャンペーンもあって足が向くことはなかったのですが、中韓が政治問題化してからは日本の戦没者を自分たちの利益のために政治問題化するあざとさに却って反発を覚えて感謝の意を込めてお参りする事にしました。

昨日は入り口近くで「何とかの会」の有志の人達がテントを張って寄付を募ったりしていました。その一人が「靖国神社は日本国の英霊が祭られた神社です、皆さんお参りをして感謝の心を捧げましょう」といったことをマイクで放送していたのですが、「言っている事は間違いではないが、そういうことは大声で言うものではない」と感じました。「場の雰囲気と違う」という違和感を強く感じたからです。よほど注意しようか、とも思ったのですが私は変な左翼ではないし、炎天下で頭に血が上っている人に思いが上手く伝わる自信もなかったのでスルーしました。

靖国に祭られた戦没者の多くはそれぞれの大事な生活もあったであろう時に当時の日本の時流に逆らえず止むなく戦場に行き、倒れた人が多かったと思っています。職業軍人であっても優秀な軍人ほど太平洋戦争については愚かな戦いであったことは実感していたはずです。「自分は人生を犠牲にしてしまうけれど、それが無駄死にではなく、将来の日本に少しでもプラスになってくれれば良い。戦死すれば靖国に祭られることになっているから、未来の日本人が無駄死にではありませんでしたとお参りに来てくれるだろう。」と考えて犠牲になった人達が沢山いたと思います。

私の父も一橋大学在学中に学徒出陣で中国戦線に送られた一人で、よく学徒出陣の記録映画に出てくる丸めがねの一人は父ではないかと感じてしまうのですが、「招集直前まで英語の授業があった」というほどの大学だったので「ばかな戦争を始めたものだ」と友人と話していたそうです。父は戦死はしなかったのですが、主計少尉として任官中に肺結核になり内地に送還されて療養所で終戦を迎えました。療養が長引いたので、結局終戦後は学歴を活かすこともできず(息子が言うのも僭越ですが)能力から見れば不遇な人生を送る事になりました。父は三十年以上前に他界していますが、父以上に人生を狂わされた多くの戦没者達に感謝の心で静かにお参りしたい、という所で言わずもがなのマイク放送は邪魔以外の何ものでもないと感じたのです。それぞれの気持ちで静かにお参りをする分には、特攻服だろうが軍服だろうがかまわないのですが他の人を邪魔してはいけません。

近くに千鳥ケ淵戦没者墓苑という施設があります。こちらはまだ行っていないのですが、軍人だけでなく民間人も含めて戦争で犠牲になった人の行き場のない遺骨が納められているそうです。靖国神社の代わりにこちらを推奨する人もいますが、こちらは墓苑であって遺骨の納められた墓なので私は意味が違うように感じています。靖国参拝を批難する人が毎年欠かさずこちらを参詣しているのならばそれも見識なので良い事だと思いますが、大抵批難はするけどどちらにも行かない人達ばかりなので犠牲になった人達は浮かばれないことになります。

九段下の駅を出た所でどのような組織か解りませんが「台湾独立を、チベットウイグルへの弾圧反対」を訴えるビラを一人静かに配っている人がいました。帰りにも同様に配っていたので誰に邪魔されることもなく活動できていたようですが、このような活動ができているうちは日本は自由な国なのだと感じました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏休みの宿題

2010-08-18 18:54:17 | 政治
イラン、ウラン濃縮で第3の施設建設へ(読売新聞) - goo ニュース

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
高校生の息子が夏休みの宿題として、「世界の核軍縮の動きについて調べる」ことにした由で早速このニュースをピックアップしていました。曰く「イランの核保有の動きはいけないと思う。」「うーん、それは正しいけれど、宿題をまとめるにあたって次のような視点でまとめたらどうか。」と提案しました。

1)なぜ今世界的に核軍縮の動きが出てきたか。
2)従来の核保有国である戦勝5大国以外が核を持つとどのような影響が出るか。
3)北朝鮮の時にはあまり騒がなかったのに何故イランに対しては大問題になっているのか。

1)については核兵器維持の費用の問題とか、5大国以外に核兵器を持つ国が増加してきて核保有が軍事バランスの維持としての意義を持たなくなりつつある事などがヒント。
2)については、上記に加えて核兵器が小型化して管理がずさんになり、テロに使われる危険性が出てきたこと。
3)については、敵対する核保有国であるイスラエルがアラブの盟主ペルシア(イラン)と核戦争を本気で起こす可能性があり、正に第3次世界大戦に発展する可能性があること(だからそうなる前にイスラエルはイランを爆撃しそうだ)、というヒントを与えました。頑張ってまとめるように。

中学の息子は「何故靖国神社参拝が問題になるのか」を疑問に。「うーん、それを宿題としてまとめるには第一義的には第二次大戦は全て日本が倫理的に悪であって、アジアに対して侵略戦争を起こしたことの象徴として靖国神社が扱われている」という公式見解を述べてから、一歩進んで1)何故日本の戦前を倫理的に悪と規定して全否定する必要があったのか、2)何故韓国と中国だけがことさら自国民の幸福に結びつかない日本の神社の話しをしつこく因縁つけてくるのか、を考える必要があると指導しました。

1)についてはアメリカの日本の戦後支配の目標、現在の日米の政治的力関係を考えること。「それでは日本が原爆落されて戦争に敗けた上に一方的に悪者にされていて理不尽だ。」という主張には「アメリカは自国の戦争を正義としてしまったために戦後もずっと侵略でしかない戦争を正義の戦争と言い繕ってやり続けないといけなくなってしまった。アメリカが戦争をしない国になるには第二次大戦まで遡って戦争に参加したのは倫理的に誤りであったと反省しない限りこれからも(悪)でしかない戦争をアメリカ国民はやりつづけないといけない宿痾を背負ってしまったんだよ。」と話しました。
2)については戦前の(うそのない)日本統治の時代と戦後のそれぞれの国の国民の幸福を比較すればどう繕っても本当は分が悪い。高齢の人ほど真実を知っているし、大学教授などが昔の史料を正確に調べると真実が出てきてしまって韓国では時々大問題になってしまう。何が何でも日本統治の時代より現在の自分たちの政府が素晴らしいのだという自己正当化をするためには日本がひどかったと繰り返し言い続けないといけないからだ。誰が見ても明らかに現在の方が良いのならば政府が必死にキャンペーンをしなくても良いはずでしょ。というのがヒント。

息子の中学は公立の地元中学なのですが、幸い戦後戦勝国による「日本教育に対する支配のための犬」として使われてきた日教組がおらず「自由な意見が許されている」学校なので安心して本当のことが教えられます。21世紀は世界がどうなるか解らないのですから、押し付けられた世界観や歴史観に疑問を持って自分で自由な発想で考え、日本が未知の世界において生き抜いていけるよう、子供たちに力をつけてもらうことが「真の歴史教育」だろうと考えています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書評 韓国併合への道

2010-08-12 00:38:44 | 書評
書評 韓国併合への道 呉 善花 著 文春新書 086 平成12年刊

菅総理が日韓併合100年を記念して謝罪の談話を発表しました。それは日韓併合は倫理的に日本が悪であり、被害者である韓国国民に対して反省と許しを乞うという一方的なものであり、残念ながら日韓の将来に何の良い事も残さないものとなるでしょう。日本の文化は「謝って低姿勢に出れば相手も許して今後仲良くやってゆける」ものであるからそれを期待しているのであり、韓国の文化は謝罪するということは「両者の上下関係が明確になることであり、罪を認めるからにはそれなりの補償をする」ことを期待することです。当然どちらの期待も裏切られる運命にあります。だから真の賢者はこのような謝罪などしませんし、要求もしません。日韓の反目が国益に叶う米中はこのような謝罪を日韓にけしかけますし、愚者はそれに乗っかります。これから先も同じでしょう。

さて、本書の著者 呉 善花氏は公平な立場で歴史の史料を検討し、日本に併合されるに至った韓国(大韓帝国)側の問題点を究明することを目的に本書をまとめた、と前書きにあります。つまり併合した日本を加害者として糾弾することしか戦後韓国は行なっていなかったが、(併合という)国家敗北の原因が何であったかを反省することが、日本人を「過去を反省しない人達」と蔑む自分たちにもできていないじゃないか、ということが出発点になっています。

私も韓国に対する開国要求や西郷隆盛の征韓論などが何故必要だったのか不明ですし、日清戦争後の下関条約で韓国の自主独立を清国から認めさせたのは良かったのですが、その後李朝政府がロシアへ接近するに連れて日本が強く韓国に干渉するようになり日露戦争後のポーツマス条約で日露、桂・タフト協定で日米(米のフィリピン領有)、第2次日英同盟で日英(英国のインド領有)において日本の朝鮮半島の利権を各国に認めさせたことになってゆくあたりは侵略主義と言われてもしかたない部分があると考えます。この結果第2次日韓協約が結ばれて韓国が保護国となり、韓国統監府がおかれることになる訳です。

著者は李朝朝鮮は両班時代においては派閥抗争、開国後は日本、清、ロシア、米国、それぞれの派閥に加えて親皇帝派が入り乱れて統一した開明運動につながってゆかなかったのが(日韓併合への)最大の敗因と分析しています。また一進会の李容九らは日韓合邦推進論者ですが、これは日本による韓国の併合ではなく、あくまで合邦(対等な立場で国が一つになる)を推進していたのであると一定の評価をしています。

私としては日韓併合の日本側の論理からの分析ももう少し読んで見たいと思うところですが、著者はあくまで韓国側から同国の瑕疵を検討することが著作の動機であるということなのでその目的は十分果たされていると思われます。菅総理が主張する反省と謝罪は韓国併合への過程に対して行われるとすればどこの部分に対してなのか、詳しい説明が欲しいところです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書評 病院化社会を生きる

2010-08-12 00:35:53 | 書評
書評 病院化社会をいきる(医療の位相学)米澤 慧 著 雲母書房2006年

「人の一生は病院から始まり、病院で死ぬことで終わる」という現代日本。最近では健康な人も病院に呼び込んで「病気にならないため」と称して「高脂血症」などの病名を付けて予防医療を施す。病院なしでは生きられない日本人の現状を「健診」「セカンドオピニオン」「アルツハイマー」「死生観」「医療事故」といった33のキーワードから述べた医事評論です。月刊「ばんぷう」という雑誌のコラムをまとめたものなのでそれぞれが数ページにまとめられて読みやすく構成されています。それだけにやや突っ込みが足りない、著者はもっと書きたい事があるだろうに言葉足らずかなと思う所もあります。

著者の米澤 慧氏は雑誌「選択」で「往きの医療、還りの医療」という医事コラムを担当されていて、私はそのバックボーンのしっかりした医療に対する思想に感銘していました。早稲田大学教育学部を出られて非医療者の立場から医療、看護、生命に関する評論を多数出しておられますが、本書でも千葉大学教授の広井良典氏との同名の対談を収録していて大変読みごたえがありました。端的に言うと「疾患を治癒させることが良く生きることにつながるのが(往きの医療)であるが、治癒を目標にしない医療で良く生きることにつなげる(還りの医療)があっても良いではないか」というのが氏の一貫した提言です。

現在のジャーナリズムの常識では「がん」が治癒しなければそれは医療における「敗北」であり、5年生存率が良いのが「医療レベルの高い良い病院である」と決めつけられてしまいます。これは「往きの医療」からのみの視点であって、がんで亡くなる人が「亡くなるまでの人生においていかに良い生活を送ることができたか」を良い病院であるかどうかの指標にしよう、というのが「還りの医療」の視点です。

「緩和」「癒し」「精神的ケア」「老いの受け入れ」といったことは宗教的生活が日常的でない日本においては必要にせまられないと考えないものです。特に医療においては私が普段主張するように「急性期医療は治って当たり前」になってしまった現在、治らない病気をいかに受け止めるかを主眼においた医療評価というのはすぽっと抜け落ちている分野のように思われます。だからこそ氏の主張、提言は現代社会において重要であり、これだけ医療が発達して国民が医療の恩恵を十分にうけていながら医療に対する満足度があまり得られない原因になっていると私は感じます。

良く生きるためには「往きの医療」が良いのか「還りの医療」が良いのかは患者それぞれの状態によって異なります。限られた医療資源を有効に使うために、また何より「良く生きる」ために「往きの医療に全勢力を費やすのが良い」時代はもう終わったと私も思います。

実はこのパラダイムシフトは医療だけでなく、社会や経済においてもあてはまるのではないかと思われます。広井氏との対談の中でも語られていますが、常に高度経済成長の発展型社会でないと「失われた20年」などと表現される日本ですが、北欧型の成熟した「定常型社会」を目指す事で日本人は十分幸福に生きられるのではないかと提言されています。今「成長著しい中国を見習え」などという掛け声がさかんに聞かれますが、本当に日本は80年代のような高度経済成長を続けていないと不幸だと誰が決めたのでしょう。建設や製造業の景気が悪いと就職先がないという社会構造がおかしいのであって、福祉、サービスや科学技術の研究分野、はたまた農業などでもっと若い人が働ける社会構造であれば別に高度経済成長型の社会でなくても日本人は幸福になれるのではないかと強く感じます。

6月の学会出張の際にミュンヘンの近郊、ローゼンハイムの牧畜業を営む友人を訪ねました。主人は小生と同じ年(52)、80代後半の父君も健在、二十歳の息子は牧畜業を継ぐために専門学校在学中、長女は大学を出て就職で家におらず、次女は中学を出て銀行勤め、実際には中学出の次女が一番英語が上手くて私との通訳も勤めてくれたのですが、アルプスに近い美しい土地で農業を実に楽しそうに親子三代でやっているのですね。中学出て社会に出て働いている娘も実に充実していて高校に行っている小生の愚息達よりよほど英語力も社会力もある。日本は大学に行かないと不幸だ、良い会社に勤めないと不幸だ、田舎で農業をやるなどというのは社会的に行けてない、といった根拠のない決めつけに自縄自縛になっていると言えます。もっと各人それぞれに良く生きる生き方がある方が成熟した社会と言えるように思いました。

秋に主催する学会に米澤 慧氏を招聘して講演をお願いする予定にしているのですが、今から直接お話を伺うのを楽しみにしています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北朝鮮で何が起こっているのか

2010-08-11 21:09:53 | 政治
相変わらず情報が外に出てこない北朝鮮ですが、種々の間接的な情報をまとめるとやはりキナ臭いことが起こりつつあるように思われます。ここはジャーナリズムのブログではないのでそれぞれの引用元は示しませんが、
1) 金正日の病状が悪化して痴呆状態であり国家の運営はすでにできない状態らしい。
2) 後継者と目される三男「ジョンウン」氏は一向に表に出ず、父子で共に写った写真すらない。
3) 韓国船沈没は北の仕業とされている(北は公式には否定しているが確証はない)。
4) 米韓は7月末から3ヶ月にわたる軍事演習を継続して行なっていて、空母「ジョージワシントン」が日本海に入る予定である。
5) ジョージワシントンは黄海に入る予定だったが中国に強く拒否された。
6) 米韓の演習に対して最近北が砲弾を発射して威嚇した。

特にこの時期に米韓の軍事演習を長々と行なうという意味が重要だと私は思います。軍事演習というのは「いつでもその態勢で実戦に移行できる」という意味があります。3月の韓国船沈没も米韓の演習中におこったことのようですが、今回最新型の空母も交えて演習を長期間行なうということは何らかの軍事的動きが北朝鮮で見られていると考えるべきではないでしょうか。

私は金正日の後継者争いが紛糾していて内戦に発展する可能性があるのだろうと見ています。昨年の突然のデノミは大失敗に終わり、経済が混乱して最近は軍人までも脱北する者が出てきたと言います。デノミの発案者は公開処刑されました。元々北の後ろ盾になっている中国は三男の世襲には反対の立場だったと言われています。だから北朝鮮には親中国寄りの三男に非協力的な勢力、国連や六カ国協議などで親米、親韓国寄りの勢力、純粋に金正日べったりの勢力と三者が入り乱れて争っていると考えられます。

もし内戦が起これば大量の難民が中国と韓国に押し寄せることになるでしょうし、中国は親中国的政権を樹立するために北朝鮮国内に一気に乱入するでしょう。既に中国は大分前から北朝鮮国境に部隊を配置していつでも侵攻できる準備を整えてきました。

当然米韓も内戦勃発と同時にそれなりの軍事的干渉をするでしょう。長期の演習はそのためと思われます。そして中国の動きを牽制するために空母を黄海に入れようとしたけれど拒否された、というのが真実でしょう。

クリントン国務長官が日本にちょこっと寄っては中国に行き、その後日本の首相が「北の情勢もあり、沖縄の基地は重要」と言い含められたのも「米国のメンツ」もあるでしょうがそれなりに緊迫した情勢も本当にあると考えた方がよさそうです。

9月上旬に北朝鮮では44年ぶりに朝鮮労働党代表者会が開かれます。そこで金正日の後継者が選ばれると言われていますが、その近辺が内戦勃発のXデーであると思われます。しかしこの国のメディアは何故これだけ状況証拠が出ているのに私のような推測や解説を出さないのか不思議ですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする