rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

MacかWindowsか

2009-04-29 20:53:05 | その他
コンピュータを使うならMacかWindowsかという問題はとうの昔に答えが出ていて何をいまさらという感じかと思います。答えはWindowsに決まってます。機種やソフトの多さ、何よりインターネット環境など各種デバイスはWindowsを基準(スタンダード)にして作られているのですから。しかしコンピュータとして優れているのはどちらかと言えば、私なら迷わずMacに軍配をあげるでしょう。

もともとWindowsの見たままの状態でソフトが使えるようにという発想はMacがオリジナルであって、1990年位に当時1台100万円したMacのパソコンがMacintosh Classicとして20万円で買えるようになった時以来、私はMacを使い続けています。現在も職場ではMac、家ではWindowsを使っていますが、論文を書いたり学会発表の準備をするのは使い慣れたMacが一番です。

Macユーザーは説明書を読まない、というのが昔からの評判ですが、私もWindowsを使うまで説明書を読んだ事はなかったです。音楽を聞くiPodやコンピュータ上の音楽管理ソフトのiTunesはWindows使用者でも汎用されていますが、あれらは説明書など読まなくても使えると思います。あの使い勝手がそのままコンピュータ全部にあてはまるのがMacの特徴と言えるでしょう。職場では4年前に購入したiMacをまだ使用しているのですが、最近Windows Vistaのパソコンと最新のMac book(白)を購入してみて、やはりMacの方が使い勝手は数段上だと確信しました。

Windowsで不満なのは頻繁にOSが書き換えられてその度にどんどん重くなってゆくこと。職場で使っているMacはOS10.4を入れてから全くシステムは変えていません。Macユーザーにとってはシステムをいじるなどというのは全てを理解しているコアなユーザー以外ご法度であり、恐ろしい爆弾マークが出ないようにOSには近づかないのが常識でした。Windowsのように終了の度にインターネットの遠隔操作で改善と称して何か勝手に入れられてしまうというのはどうもMacユーザーには否な所作です。まあそれだけ汎用されていて悪意をもった人によってセキュリティに穴ができるのでしょうが、本当に勝手に人のコンピュータをいじくるMicrosoftが信用できるのか、Microsoftは善意の塊であり邪悪な意思は一かけらも持たないのか、はなはだ疑問に感じるところです。

最近You TubeでDownloadしたビデオを家のDVDで大きい画面の良い音で聞けないものかと思っていたところ、Macにおまけで付いていたiDVDというソフトが簡単に解決してくれました。MPEG4をMPEG2に自動的に変換してくれますし、ドラッグ&ドロップでiTunesから直接入れたいビデオを持ってくるだけという気軽さで改めてMacの良さを認めたというか・・・どうもアップルの回し者のようなブログ記事になってしまいました。

最近のMacに苦言を呈するとすれば、いやにWindowsにすり寄っていること。昔からMac上でWindowsを動かすソフトはあったのですが、OS自体をWindowsで開始するboot campなるものを装備してしまって、「Windowsも快適に操作できるMac」とか言ってもそれじゃ始めからWindowsで良いじゃんと思ってしまいます。またOS9のClassic環境が使えなくなったのも大きな減点。Power PCの時には付いていたOS9を使う機能がなくなってしまったので昔からの資料を仕事で使いたい小生には今後もPower PC G4のiMacを使い続けるしかないということでしょうか。RAMが500Kb、ハードディスク40MB(GBでない)のMac Classicで作った文章も最新のMacで読めるというのが良さだったのですが残念です。
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アメリカのイヌ媒体がよくわかりました

2009-04-22 23:30:26 | 政治
北方領土返還「3・5島でいい」前外務次官の発言巡り波紋(読売新聞) - goo ニュース

戦後日本の最大の懸案の一つは北方領土問題と日ソ(日ロ)平和条約の締結です。日本の漁船が根室の目と鼻の先でロシアの警備艇に銃撃されたりだ捕されたりすることにどれだけ北海道の漁民達が悔しい思いをしてきたことでしょう。今回の経済危機でロシア経済も打撃を受け、プーチン・メドベジェフ体制としてはやっと上向きになってきたロシアの国力を維持したい気持ちで一杯でしょう。また軍事力を増強し続ける中国と(米中)同盟関係になりつつある米国のロシア包囲網に対抗したい気持ちも十分汲み取れます。日本が米国からの真の独立国家となり、また中国の属領とならないためにはロシアと相互利益を持てる関係を作っておくことが常識的に考えた国防上の要諦です。その意味で水面下で領土問題の解決を政府が進めていたことはGood Jobだったと言えるでしょう。

ここでこのような形で毎日が抜いたこと、それに対して各媒体が「とんでもないこと」と判で押したような反応を示したことは何とも情けない気持ちになります。そりゃアメリカ様から「日ロの交渉を潰せ」とメディアは命令されたでしょうけど、いわれるがままに批難一色の報道をするとはね。21日のNステでも反3.5島返還の意見しか報道してなくて「ああ、結局この連中も反日な上に媚米なだけか」との思いを新たにしました。君たち日本人をなめるな。

国防の8割は軍事以外の経済や食料、外交の巧拙で決まるというのが常識です。ましてや核を持っているかどうかなどというのは国防問題の2-3%程度の要素でしかありません。勿論外交問題の最後の解決手段は軍事力であり、軍事力の最後の決定的手段は核ですが、そこまで使って外交問題を解決して国民が幸福になれるなどと考えている人間がいるとしたらあまりに政治音痴というかナイーブというか。世界で一番核と軍隊を持っている米国とロシアの一般庶民が日本人よりはるかに幸福と言えるかどうか考えればわかることです。インドやパキスタンが世界を動かしていないことを見ても核の有無は外交上の一部の要素にしか成り得ないことはわかるでしょう。

経済や食料の問題を省略し、外交はけんか腰、軍事力も国民に対して武器を向けて、外には最後の手段の核のみで勝負している国が日本の隣にありますが、一部メディアにはこの国を「外交上手」などと評しているものもあり鼻白む思いをすることがあります。

私は3.5島返還で大いに結構と思います。ロシアに足下すくわれないよう気をつける必要がありますが、それは中国・米国も同じです。日本国民にとっての「国益」とは何かを論理的・冷静に評論できるメディアを待望します。
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病気を誰かのせいにしたい人達

2009-04-12 00:39:06 | 医療
医療者に理不尽なクレームをつけてくる人達は大きく3種類に分かれます。一つは所謂モンスターペイシェントと呼ばれる人達で、「自分だけは特別に扱われるのが当然」と考えている人達。待ち時間が長いとか事務の対応が悪いということで謝罪を要求したり病院にホテルのような接待を要求したりする人達です。この種の人達は教育界のモンスターペアレントやモンスタークライアントと一緒で「単なる我侭」、社会に対して子供のような要求をしてそれが通ると勘違いしているに過ぎない人達です。

この種の人達への対応は「できないものはできない」と言明することで、他人への迷惑になるほど我侭がすぎる場合には警察や法的対応をとることを明らかにすることです。要求の本質は単なる我侭ですから社会常識的対応を取ればそれ以上我侭を続けることはできなくなりますし、本人も自分の我侭に対して法律的対応を取ることはしません。せいぜい「マスコミに訴えてやる」といった捨て台詞を言う程度でしょう。この背景には「弱者を名乗ればマスコミは理由の如何を問わず味方になる」という偏見に基づく甘えの感情があります。

二番目ははじめからクレームの目的が金銭の要求にある人達です。この手の人達は説明や謝罪ではなく「誠意を示せ」という専門用語を用いるのですぐわかります。「金を出せ」と明言するのは「恐喝」にあたることを知っている人達です。この種の人達への対応は即座に法的手段を取る事です。暴力団関係の場合もあるので対応を誤ると暴力をふるわれる場合もあり注意が必要です。

三番目が本日の話題の「病気を誰かのせいにしたい人達」です。実はこれが一番対応に苦慮します。「誰か」とは医師、看護師などの医療者のことです。

「病気になるのは誰のせいでもない」ことは皆承知していることです。しかし自分や自分の家族が重い病気になり、苦しい思いをしたり苦労したりする期間が長引くと「まわりの健康な人達は何食わぬ顔で生活しているのに何故自分だけこんなに苦労しなければならないのか」と思うようになります。それが長い期間になると「何故自分だけ・・」という自問を繰り返し繰り返し行うことになります。勿論この問いには答えなどありません。「これは神から与えられた試練なのだ」と思い受け入れるしかないでしょう。ところが「病気は治るのが当たり前」「医療を行った結果がわるいのは医療ミスである」という風潮が起きてから「病気になったのは仕方ないとして、こんなに苦しい思いをしているのは医療に瑕疵があったのではないか、あの時別の選択をしていれば今こんなに自分が苦労しなくても良かったのではないか」と思うようになります。

この「何故自分だけ・・」の疑問に「あの時医者の診断や治療が間違ったから・・」という答えが出るのではという誘惑はとても強いものです。この時からインターネットをはじめとする「猛烈なエネルギーを使った間違い探し」が始まるのです。苦しい状態が続いていればそれだけ「何故自分だけ・・」の答え探しにエネルギーが注がれ続けてゆきます。「医療は教科書どおりやって60点」と前に説明したように、日常診療において教科書どおりでないことなどいくらでもありますから一般論でしか記載していないインターネットや本で、自分の事例と異なる部分を見つけることは容易です。

「何か違うぞ」という部分が見つかったら、次のステップは「権威付け」です。知り合いに医者や看護婦がいれば完璧です。「本にこのようなことが書いてあったけど、自分の場合はこうだった、これはおかしいでしょ。」と言われれば一般論は正しいことしか書いてないので聞かれた方は「そうかも知れない。」と言う外ありません。私も知人などから意見を聞かれることがあるのですが、もしかするとこの「権威付け」の段階かも知れないと思い答えは慎重になります。何しろ本人にとっては自分の思い込みがこの「権威付け」によって「何故自分だけ・・」の答えとして完成するのですから自分にとって都合のよいようにしか言葉を受け取りません。

「あの時医療者の判断(治療)が誤ったから今自分がこんなに苦労しているのだ。」という答えが出来上がったら次はいよいよ病院に乗り込むことになります。医療者に対して「説明を聞きたい」と言って話を持ってゆきます。患者さんや家族から「説明を聞きたい」と言われればそれに答えるのは医療者の務めですから時間を取って話しを聞くことになるのですが、医療者にとってはここからが大変なことになります。

「なぜこのような判断だったのか」という問いに対する答えは医療者にとって容易に出てくるものです。医療というのは論理で行われるものですから、カルテなどを見ればそのとき何故自分がそのように考えたのかを説明するのは容易なのです。しかし患者さんにとっては医者の論理的説明など初めから聞く耳は持っていません。本の記載と知り合いの医療者の権威付けがあるのですから、相手が「ミスをした」ことを認めない限り「納得できない」の繰り返しになります。

医療者がどんなに懇切丁寧に説明しても「本の記載と違う」「知り合いの医者もおかしいと言った」「納得できない」の三点セットが繰り返されるようになり、ただでさえ多忙な医療者はさすがにいらだってきます。患者側は行動の原点が「論理」でなく自分が苦しい状態にあることによる「感情」にあるのですから医療者側の「感情」が出てくれば自然とヒートアップしてきます。「ははあ、やはりやましいところがあるのだな。」と患者側は確信してしまいます。

医療者側の力量が試されるのはこの段階です。ここで対応を誤れば問題はこじれて一機に裁判まで持ち込まれる可能性があります。暴言などがあっても我侭や金目当てのモンスターペイシェントと同様の法的手段といった対応はこの場合行うべきではないでしょう。いかに理不尽なクレームであっても患者さん側は確信を持って自分が正しいと考えていて、しかも苦しんでいる原因の答えを出すことにエネルギーはいくらでも注げる用意があるのですから。この段階になると「医療ミスを認めさせることは、今後自分と同じ苦しい思いをする人をなくすための正義の戦いである」というところまで思いを高めてしまっている人が殆どです。

医療裁判においても「真実を出しなさい」という言葉は「ミスを認めなさい」という言葉を言い換えたものだといわれますが、患者側にとっての「真実」とは実際はどうかではなく「医療ミス」以外にはありえないのです。なぜなら苦しい思いをしている理由を求めることがそもそもの動機であり、ミスはない、という結論では「なぜ自分が苦しい思いをしなければいけないのかに対する答えが出ない」という振り出しの状態にもどってしまうからです。論理的な判断によって医療者側が無罪になってもマスコミは「法の壁」「医療の壁」を突き崩すことができなかった、などと真実よりも患者側の主張が通らなかったのは不正義として報道するのですが、論理的に真実が明らかになったと何故報道できないのかいつも不思議に思います。

この段階で医療者側のとるべき対応はまず一度話し合いを切り上げることです。その際この場を収めるために安易に「ミスがあったことにしましょう」的なことは絶対に言ってはなりません。日本の政治家はありもしない従軍慰安婦問題を「日本が悪かったことにしてこの場を収めましょう」といったためにその言質をとられて既成事実とされ日本の罪悪として延々謝罪や補償の対象とされてしまいました。ミスがないのにミスがあったような形で収めることは医療者として絶対にやってはいけないことです。

医療者としてはこの精神状態になっている患者さんに対して、その苦しい胸のうちを十分理解してあげることが大事だろうと思います。感情的にならず、あくまで論理的に説明することが大事なのですが、必要があれば患者さんが信頼する冷静な第三者の人をまじえて改めて説明する機会を設けるなどの対応が望ましいでしょう。「病気で苦しい、苦労していることを誰かのせいにしようとしても何の解決にもならない」ことを患者さん自身に悟ってもらわなければ根本的な解決にはならないのですが、これは短時日には解決できない困難な問題であろうと思います。悟ったとしても患者さん側には解決のつかない苦しい思いだけが残るのですから、残念ながら多くは医療に対する不信が残って終わることになるのが現実と思われます。
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歴史観の自然な移り変わりに必死に抵抗する人達がいる

2009-04-08 23:36:52 | 社会
サブプライム問題に端を発した市場万能グローバル資本主義の敗退、脚本でもあるかの如く人攫い(拉致)、偽札造り、麻薬栽培、収容所国家、そして日曜日に他国の領空へミサイルを飛ばすという「絵に描いたような悪役」を演じ続ける国家。現在の世界で何が「善」であり、何が「悪」であるかを適確に表現することは不可能ではないかとつくづく思います。

小泉首相の時代、21世紀の初めにおいては、真実はさておいて「正義」とはテロと戦うアメリカを中心とする自由主義社会であり、市場経済の障壁をなくして世界にアメリカ的資本主義を拡大することが人々が豊かに暮らせるようになる「否定しようのない善」でした。NHKを含むマスコミはこの前提に立って報道する限りどこからもクレームは出ず何の問題も起こりませんでした。

第2次大戦後の昭和の時代においては「ナチスおよび戦前の軍国日本は倫理的に絶対悪であり、専制国家たる日本やドイツに対して自由を守るために戦った連合国は倫理的に善であり、世界の抑圧された人達を開放したのは欧米および中ソなどの戦勝国家達であった」というのが我々が教育された歴史観でした。そして同じ戦勝国の民主国家においても欧米などの資本家を中心とした資本主義国と貧しい民衆を主役とした社会主義、共産主義国家に戦後別れ、日本では資本主義を保守、社会共産主義を革新と呼んでどちらかと言えば後者をより「倫理的には善」とする価値観を与えてNHKを含むマスコミ、教育界は日本人を洗脳してきました。そのような世界観に立っている限りどこからもクレームは出ず、何の問題も起こらなかったのです。結果的にソ連、中国、朝鮮がどんなに悪らつ非道なことをしようが全て無視、報道も批判もせず、日本人には戦前の日本が倫理的に悪であったということのみを繰り返し報道し続けることで日本人を政治音痴にし続けてきました。

ソ連が崩壊してスターリンの恐怖政治や東欧に対する帝国主義的抑圧がより明らかになり、中国も天安門事件をきっかけに単なる専制国家であることが証明されチベットやウイグルへの植民地支配も隠しようがなくなってきました。韓国はどんなに援助しても悪口しか言わない国であり、北朝鮮に至っては「絵に描いたような悪役国家」を自ら演じています。テロとの戦いも単なる利権の維持を目的とした市民虐殺にすぎないことが解り、迫害され大虐殺をされたはずのユダヤ人国家イスラエルはパレスチナの市民を迫害し大虐殺しています。

我々日本人が正しいと教え込まれてきた世界観はおかしいのではないか、という疑問はよほどの低能バカでない限り持つのが当たり前でしょう。「どこの国もいつの時代においても自分たちが得するように勝手な事をしているだけである」と言う事くらいそろそろ気がついてもよさそうに思います。「我々も悪かったけど他の連中も皆同じだよ。」と言った途端に罷免された空幕長がいましたが、自分で物を考える能力のある人は皆同じ結論に達していることであって、世界中のリーダー達はその認識の上で丁々発止国際政治の舞台でしのぎを削っているのです。

どうも最近「日本民族は倫理的に悪」という世界観がゆらぐことをとても嫌がっている人達がいることが明らかになってきました。戦後ずっとその価値観で生きてきてもう動脈硬化で柔軟な考えなどできない団塊の世代の人達は致し方ないとして政界やマスコミの中枢には、世の中の事態を普通に受け止めて「皆自分勝手なだけだったのだ」という結論に結びつけることを執拗に嫌がる人達がいるようです。彼らの特徴は自分たちが倫理的に善と考えてきた国がやっていることは誰が見ても悪い事であるのに批難しようとしません。また日本が悪であることを否定しようとすることにはヒステリックなまでに攻撃してきます。

北朝鮮がミサイルを飛ばしても批難しようとしない政党、台湾の人達が「日本も悪かったけど戦後やってきた中国はもっと悪かった」と発言した後半の部分をわざと削除して放送するNHK。日本の経済改革はまだ足りないなどと未だに言い続ける対談番組など21世紀の社会の変化で歴史観や世界観は変わってきた(というか今までの洗脳が通じなくなった)ことが解らない、いや変わらせたくない人がいるということなのだと思います。

化石燃料万能の時代が終わりつつあり、世界の多くの人達が共通の情報を共有することが可能になってきた21世紀は巨大国家が力で世界を支配する時代ではなくなるだろうと思います。多くの指摘があるように、民主主義が有効に作用して国民が幸福に暮らせるのは人口5千万位までの国であり、力で支配しても国民が幸福でない国は情報を隠しきれないから内部から崩壊してゆくことでしょう。反対の意見や価値観を赦さず、情報をコントロールしようとすることは専制国家のやることで民主主義に反します。マスコミや教育界において、いろいろな価値観の共存を認めることは複雑な21世紀の世界を日本がしたたかに生き抜いてゆくために必須の条件になることは明らかであると思います。思考の柔軟性を保ちたいものです。
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