rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

米国の宿痾とクリントン候補

2016-03-20 19:59:38 | 政治

米国の大統領選は2016年3月中旬の時点では共和党トランプ候補、民主党クリントン候補が優勢と伝えられています。共和党のトランプ氏以外の本命視されていた候補者達が消えて行く中で、何故共和党中枢とかメディアがトランプ氏や民主党のサンダース氏が本命になることを嫌うのかを考える時、米国の政治における潮流を検討せざるを得ません。

 

1)      理想主義と現実主義に揺れる米国政治

A)  理想主義 自由と民主主義を押し出し、世界に広げる。侵略的 世界統一的 キリスト教を押し立てて未開地を侵略して行った精神に通じる。

  成功例  戦後日本へのsocial engineering ソ連崩壊と東欧の民主化

  失敗例  イラク、中東の春、中国が民主化しなかったこと、ベトナム戦争、中南米諸国への介入など多数

B)  現実主義 孤立主義 国内の充実に重点 愛国的、多極主義的

 

以前米国の政治について解説した中野剛志氏の「世界を戦争に導くグローバリズム」(集英社新書0755A)でも紹介しましたが、歴史家E.Hカーが分析するように、米国政治には理想主義と現実主義の二つの潮流があり、理想主義に立脚して政治をすると戦争になる(1919年から1939年、2001年以降のブッシュの時代)と言われています。また慶応大学教授の渡辺靖氏の米国の社会と政治を紹介した「アメリカのジレンマ」(NHK出版新書464)においても米国の政治潮流の4つの柱としてハミルトニアン、ジャクソニアンを現実主義、ジェファソニアン、ウイルソニアンを理想主義として紹介しています(179ページ)。つまり米国の政治はAとBの狭間を行ったり来たりしながら行われて来た歴史があります。そしてソ連が崩壊して社会主義経済が消滅してからは、米国の一極社会によるグローバリズム、世界統一政府の方向に向かおうという勢力と多極社会で国家として米国を繁栄させようとする勢力に別れているように見えます。

 

現在の大統領候補を見ると、クリントン候補は明らかにAであり、トランプ候補はB、サンダースやクルーズもBであることが明らかです。ウォール街やグローバル企業、投資家達にとってはAであるクリントン候補が都合よく、大量の資金援助をしています。一方でBを勧める候補者達には米国市民からは多くの賛同が集まっているにも関わらず、メディア(資本家から金をもらっている)を含めて冷たい報道しかないことは見ていても明らかです。トランプやサンダースは大統領の器ではないと決めつける報道が多いのですが、単に彼らに都合が悪いだけのことで大統領の器とはAを押し進める人でなければならない訳ではありません。むしろ1回一時間の講演で7,000万円の講演料をもらっておかしいと思わない「貧富の差開いて当然」と思っているクリントンを大統領としてふさわしいと考える人達の方が狂っているとしか思えません。草の根募金でクリントンを追い上げているサンダースこそ「自分達自らの力で旧世界の束縛から自由な国家を作ろう」としたアメリカ建国の精神に基づいた戦いをしていると外国人である私にも解ります。

 

2)      Political Correctnessという虚構への挑戦

トランプ候補の毒舌や差別的な発言をPolitically correctとされる暗黙の社会通念への挑戦であるという評価を聞きます。どこかから金をもらって急に広がった「反トランプデモ」もpolitically correctに反しているというのが主張です。しかし人種や性差別、LGBTへの不自然な気の使いようなどを「胡散臭い」「虚構」と感じている米国民はやはり多いと私は思います。米国コメディの超人気番組「The Big Bang Theory」は2007年からCBSでシーズン8まで放送されている人気番組で日本でもCSで見れますが、これなどは黒人の女性教官にテレビ映画「ルーツ」のビデオを家族で見るようにプレゼントするなどpolitically correctを徹底的に皮肉ったような内容があります。台詞もコメディだから許せるギリギリ差別的なものも多く、この番組が大人気(コメディ部門は1位で主演のジム・パーソンズもエミー賞など取っている)であることは、米国人が本音では奇麗事的理想主義に辟易しているのだろうと感じさせます。もっと社会が安定して中間層が豊かであった1960年代の方がほのぼのとしたコメディ番組が多かったように思います(I love Lucyとか奥様は魔女とか)。

 

今全米で大人気のBig bang theory                             かつての人気番組奥様は魔女

 

現代は過剰なpolitically correctを強調する一方でテロ対策と言えば愛国者法によって人権の殆どは無視してよいとされ、拷問も合法とされます。それでいてテロの犠牲者は年間10人程度である一方で銃の乱射は日常茶飯事(オバマ大統領言)で年間3万人が犠牲になります。形だけの理想主義はもう沢山と考えるまっとうな米国人が増えるのも当然と思います。

 

3)      戦後秩序という言葉を2つの流れから再度考える

私のブログでも度々取り上げる「戦後秩序」という言葉ですが、この意味は第二次大戦の戦勝国が戦後の世界を支配しやすくするための秩序であるという定義は変わらないのですが、米国が使う場合、中ロが使う場合で多少実際の意味合いが異なって来ていることは否めないと思います。米国にとっては一極支配に基づいて大資本を中心とした拝金的資本主義と(米国に都合が良い)民主主義で世界が統一されてゆくことが望ましい戦後秩序であるのに対して、中ロは地域覇権国家としての両国の地位が担保されていることを要求している、多極社会を担保した秩序を想定していることは明らかです。中ロにとってはAよりもBの方が彼らの唱える「戦後秩序」に適う候補者達であると言えるのです。

 

4)      日本にとってどちらが良いのか

では日本にとってはAとBどちらが国益に適うのでしょうか。TPPを推進し、世界統一政府とグローバリズムを信奉し、日本の特異性や文化などどうでも良い、そのくせ中国やロシアがのさばるのは嫌だという人達にとってはAこそが希望に適う候補つまりクリントン氏が大統領になって欲しいと思っていることでしょう。クリントンに好意的な意見や報道を見ればその本心が上記のような人達であることが解ります。一方で真の日本独立派、大変だけれど日本の独自性を保ちながら、二千年の歴史を大切にし、今後は米中ロと丁々発止でやりあってゆくのが日本国の未来に有益であると考える人はBを好ましいと思うはずです。私はBです。好みではサンダースでしょう。

アメリカの宿痾とは、米国を取り締まるより強い権力がないため、戦争をやり続け、世界で必要のない殺戮を続け、結局自国民をも不幸にしてゆく現実を言います。クリントンが勝てばその宿痾が間違いなく続きます。この宿痾を排除し、米国国民全体の幸福を考える政府を作れるのはサンダースくらいしか見当たりません。結果的に世界へのアプローチは減るでしょう。それで丁度よいのです。米国が出しゃばるほど世界は不幸になってゆくのですから。現在の米国はグローバル資本家や兵器産業の利権を犠牲にして世界を動かすことは決してしません。理想主義をかかげながらやる事は資本家による搾取と政府に変わる大企業による社会の統治を手伝う結果にしかなりません。大統領選は次第に宿痾クリントンが本命になりつつあるようですが、米国民の覚醒と大逆転を期待して見守りたいと思います。

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魔女の秘密展に行って来た

2016-03-01 18:31:35 | 歴史

先日原宿のラフォーレミュージアムで開催されている「魔女の秘密展」に行ってきました。新聞にポスターが掲載されていて、黒猫があしらってあり、場所も若い人の多い原宿でしたので、どちらかと言えば漫画や明るい魔女を中心に、魔術や今流行の猫とのからみなどを展示した物かなと軽い気持ちで行ったのですが、真面目な内容でドイツの複数の博物館でテーマ開催された内容を日本に運んで来て1年かけて各地で開催されているという本格的なものでした。

 

せっかく真面目な内容であったので備忘録的に感想を記しておこうと思います。詳しくはホームページからも見れます。

展示はテーマ毎に大きく4つに別れていて、「第一章」信じるーでは、中世の一般の民衆にとって魔女と言われる人達の扱う呪術や錬金術など初歩的な科学的な行いが、「自分とは違う能力、異能」として信じられていた様子が展示されます。

「第二章」妄信するーでは、当時の寒冷気象による不作や疫病の蔓延がキリスト教的には「異端」とされる魔女達の悪魔的な行いのせいである、という思い込みから魔女の弾圧に至る心理的な経緯が書物や絵画などで説明されます。

「第三章」裁くーではいよいよ「反キリスト」「「異端」とされる「魔女達」あるいは「魔女っぽい流浪の民」、単に気に入らない「全くの無実の人」までも無理矢理拷問で「自分は魔女です」と言わせて処刑してきた歴史が様々な道具や書物ともに展示されます。ビデオによる疑似魔女裁判体験というのも日本語で流されています。

「第四章」想うーでは18世紀になって科学の進歩とともに非科学的な魔女狩りや魔女伝説による処刑は反省されるようになり、逆に魔女を文化として受け入れて行こうとするムーブメントが起こり現在に至る状況が説明されます。

 

全体としては良くできた内容なのですが、キリスト教や一神教の素養がない我々日本人としてはもう一ひねり説明があると良かったと感じました。つまり魔女弾圧は「キリスト教が各地域に伝来していた地場の宗教(多神教)を弾圧して一神教を徹底させるため(異端審問制)に行った」言ってみれば「日本におけるキリシタン弾圧の逆バージョン」であったという基本概念を理解する必要があるということです。ニーチェが「神は死んだ」と言ったのは地場に置ける伝統的宗教をキリスト教が殺した、という意味だと言われていますが、その基本が理解できていないと魔女展の4つの章の成り立ちが解りにくくなります。つまり魔女とは各地域における伝統的宗教の呪術や薬草などを用いた医術、おまじないを行って来た人達であり、1198年のローマ法王の十字軍による異端討伐や1231年の異端審問制によって伝統的宗教が弾圧されてきた歴史が魔女狩りに裏付けられていると言えるのです。今流行の薬草やハーブは伝統的な西洋医術の中で伝えられて来たものですし、ハロウイーンのように反キリスト教的な伝統的祭りがキリスト教に取り込まれて残っている(潰しきれなかった)ものまであるという事です。

もし日本が戦国時代からキリスト教国になってカソリックのローマ法王に従う国になっていたら、巫女やイタコは魔女として火あぶりになっていたでしょうし、仏教もどうなっていたか解りません。尤も日本は神仏習合という特殊な宗教観が根付いている位なので多神教的一神教(結婚はキリスト教、死んだら仏教、子供が生まれたら神道)に早くからなってしまったかも知れません。江戸時代にキリシタンになった若者が「死んだおっかあに会えないならば地獄に落ちても良いからキリスト教が認めない先祖供養をしたい」と言って棄教したという話も伝わっています。一神教の非寛容性は日本人には馴染まないのだと思います。

 

そのような視点で再度展示を見てみると、キリスト教側も伝統的な宗教が持つ魔術に対抗するための護符を作ってみたり、キリスト教における悪の化身と無理矢理魔女をくっつけて見たりと苦心の跡が見られます。現代科学はキリスト教自体の非科学性までも暴いてしまうのですが、キリスト教、イスラム教それぞれの原理主義が現在の世界平和の障害になっていること、また一見科学的に見える経済学(実は限られた帰納的論理展開しかできないという説もある)が行き詰まって宗教をダシにした戦争(イスラムテロとの戦争を含む)で「ウオーエコノミーによる経済活性化」を狙っているという現実を考えると「魔女の秘密展」というのは意外と深い物を展示しているかもしれないと思うのでした。

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