rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

書評「憲法改正の真実」

2016-04-16 15:43:52 | 書評

書評「憲法改正の真実」小林 節、樋口陽一 著 集英社新書0826A 2016年刊

 

集団的自衛権を日本が発動する事を合憲と解釈した上での立法について、参考人として国会に招聘され、招聘した自民党の意に反して「違憲」を明言した「改憲派」の憲法学者の小林 節氏と古くから護憲派の重鎮として有名な憲法学者の樋口陽一氏の対論形式で、現在の自民党政権が行いつつある立法の異常性、新たに定めようとしている憲法の異色性について明快に論じた解説書です。

 

「集団的自衛権に反対している人達は平和ボケの左翼でしょ」「本の内容もそんな感じでしょ」というレベルの人達には何を言っても無駄と思いますが、私には現在進行している議論や自民党が示す新たな憲法案とされるものの異常性について、普段感じているもやもやしたものを整理して説明してもらったような内容でした。本の表現とは異なりますが、内容を要約すると以下のようになると思います。

 

1)          閣議で憲法解釈を変更してよいという認識は著しいコンプライアンスの欠如である。(法的根拠がない、しかもその事に誰も異議を唱えないという異常)

2)          解釈を変えれば何をしても良いという考えは立憲主義、法の支配(rule of law)に反する。

3)          自民党の憲法草案は改憲ではなく新たな憲法の制定である。

4)          自民党の憲法草案は西欧諸国の常識とされる立憲主義を否定し、国のあり方を大和朝廷の時代にまで遡らせようとするに近い。

5)          憲法制定権力(新たな憲法を制定する権力)の基本は革命政権である。従ってそれを試みる安部政権は革命勢力とみなされる。

6)          憲法も人と同様「出自」にこだわるのではなく、「社会に何をなしたか」で評価されなければならない。

 

1については以前から私が主張している内容と同じですが、国民にはコンプライアンスの遵守を強制しておきながら、政府、政権党がこれを軽視するというのは「あはれ」さえ感ずる知能の低さです。法は所詮人の作ったものであり、完璧ではありません。現実に照らして国家国民の存立にかかわる事態において「法を破らねばならない」場合があることは認めますし、それを決断するのが政治であると思います。しかしその場合には「これからこれこれの状況に対応するために止む無く法を破ります。その責任は事態が収拾したら必ず取ります」と宣言してから行うのが為政者たる者の姿です。それが納得のゆくものであれば国民は違法であっても従います。現政権にはそういった「自己への厳しさ」が著しく欠けている。あるのは政権の延命ばかり、それだけで国家を預けるに足る資質に欠けていると私は思います。

 

2は法律学の基本であり、理系の私でも理解できている問題なので記するまでもありません。

 

3について、憲法改正と新憲法制定は全く別の事態であるという認識を今回新たにしました。憲法改正とは、国のあり方についての基本は変えず、現実に合わなくなった一部の文言などを時代に合わせて変えることを意味します。無謬の不磨の大典は一言一句変えるべからずなどということはありえない。その意味で小林 節氏の改憲容認の姿勢は私と同意見と思いますし、9条についても自衛隊の存在を自然権としての個別的自衛権発現の手段として明記することは日本国憲法をよりよくする意味でOKと思います。集団的も個別的と同じ自衛権だという議論が間違いであることについては別の本(亡国の集団的自衛権 集英社新書0774A 柳沢協二著) で十分解説されているのでここでは割愛します。

 

新憲法の制定とは国家の作り変えを意味します。明治維新(革命)、昭和敗戦(革命)によって日本国の憲法は新しくなり、国家の基本的な概念が変更されました。明治維新では徳川幕府による封建体制から近代西欧の立憲君主国になるべく国家のあり方が変更になり、主権者は天皇でしたが、憲法に基づいて法が作られ、それに従って政治が行われることが徹底されました。本でも紹介されていますが、伊藤博文が帝国憲法制定会議において「そもそも憲法を創設するの精神は、第一君権を制限し、第二臣民の権利を保護するにあり」と明言しているように、本来明治の元勲たちは新日本を作るにあたって天皇の地位を玉として利用しただけであり、「天皇機関説」としての国を治める上での役割を与えたに過ぎないというのが真実だろうと考えます。戦前の一時期天皇が神として祭り上げられ、天皇の権威を持ち出せば誰も反論さえできないなどという時代は日本国の姿としては一過性のものでしかも誤りであり、日本は天皇を中心とした神の国などという概念は「戦前お花畑幻想派」のノスタルジー的な夢に過ぎないといえます。

本来明治期における日本の姿はもっと西欧的民権主義の躍動感に満ちたものであったというのが真実です。憲法の存在する意味は、「憲法は国民からの国家権力への命令である」という小室直樹氏の本のタイトルの通りです。そして明治憲法においても基本はここにあったのであり、国民のあり方を憲法で規定するという自民党の改憲案は明治憲法すら否定して大和朝廷の時代に遡るほど時代錯誤した不勉強極まりない内容の物という事がわかります。

 

自民党にもかつては世界のインテリ達に引けをとらない知性のある勉強家が多く存在したと思いますが、小選挙区制となり党の公認を得ればサルが服を着ているような馬鹿でも国会議員になれるようになり、地方議員を含めて「ろくな奴が議員になっていない」ことは最近の低レベルのスキャンダルを見ても明らかです。仕事柄地方の各政党の議員後援会長などと話す機会もあるのですが、「議員となる人の人材の劣化」は目を覆うばかりであると後援会の人達でさえ嘆いているのが事実です。あとの望みは優秀な国家官僚達が天下国家を思考し、国益と国民を守るために奮闘してくれることを望むしかないということでしょうか。省の壁を越えて彼らが結託し、愚かな政治家達の暴走を防いでくれることを望むばかりです。

 

6の日本国憲法の評価ですが、この言葉は私も学生時代に憲法学の本を買って勉強したことがある憲法学者の宮沢俊義氏が1957年に「憲法の正当性ということ」という論文で述べたと本書で紹介されているのですが、これは戦後70年経過した現在でも全く正当な評価だと私も思います。法学の基本も理解していないような人達が薦める新憲法など出自を問題にするならば初手から失格と言えます。まずは本当に改定しないといけない字句の有無を丁寧に精査した上で時間をかけて変えてゆくのが憲法改正の本来の姿といえます。

 

そんな事を言っても「急迫する世界情勢が」という意見もあると思います。その急迫する世界情勢と言われている物の特に軍事的な面(中国軍の動向など)について、別の本で検討しているのですが、どうも元自衛官の私からみて、その認識も随分一方的で怪しい議論のように見えますので、その件については後日解説したいと思います。

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物理音痴の理系に雑誌Newtonの特集が解りやすい

2016-04-05 19:15:22 | その他

雑誌Newtonは昭和56年からある古い雑誌ですが、たまに興味があると買ったりしていました。今年の2月にアメリカ重力波観測装置LIGOが遂にアインシュタインの最後の宿題と言われていた重力波の測定に成功したというニュースがあったことで感心を持ったのですが、雑誌ニュートンで重力や分子間力といった基本的な力について解りやすく解説した特集がありました。

 

そもそもエネルギー不滅の法則というのがあるのに常にある重力は作用した後どうなってしまうのか、磁力は目に見えないのにその強さの違いはどのように物質に異なって作用しているのか、といった事は気にしなければどうということはありませんが、きちんと説明しろと言われると困ってしまう事柄です。

 

今回ニュートンスペシャル2号連続企画と題されて2016年4月号と5月号で物質を形作る素粒子と反物質について、重力、電磁気力、素粒子を結びつけて陽子や中性子を作る強い力、素粒子や電子をやり取りする弱い力の4種類の力について解りやすく解説されていました。

 

この特集を読んで何に感心したかというと、スタートレックなどのSFの世界で描かれていた反物質エネルギーエンジンや、物質転送などの技術もかなり実際の最先端の科学で解って来たこれらの理論に基づいて考えられていた事、ニュートリノとか最近のノーベル賞における話題がどの辺りの発見についての事であったかが解った事です。

 

反物質などというのは空想上の物かと思っていたのですが、エネルギーが質量に変わる時に物質と反物質が対で生成される(加速器で)とか、病院で日常的に診断に使っているPETは反物質(陽電子)を見ているといった説明は非常に興味深いものでした(良く知りませんでした)。

 

物質を構成する素粒子には質量を持つ素粒子と力を伝える質量を持たない素粒子がある(下図)、これらは交互に移行しあえると考えるのが「ひも理論」であり、質量のある素粒子はヒッグズ粒子(見つかっていないがそこら中に充満している)とぶつかるので光速で移動することができないが、力を伝える素粒子は質量がないのでヒッグズ粒子と衝突せずに光速で移動できる、というのは面白いと思います。前回のブログで紹介したコメディ「Big bang theory」の主人公シェルドン・クーパーが研究しているのは「ひも理論」ですし、スタートレック・ネクストジェネレーションで人を空間転送する際、一度素粒子まで分解して質量のないエネルギーに変えて波として相手方の装置に送って再度質量のある素粒子に復元して人に戻すという作業を瞬時に行うということになっていて、「転送開始」の指令は原語では”energize”(エネルギー化せよ)であるというのが理解できた時には成る程と膝を打ってしまいました。

   

  Star trek next generationの転送室

まあ半可通はすぐ襤褸が出てしまうのでこれ以上は書きませんが、重力などのエネルギーを伝えるしくみはこうなっていたのか(いると考えられている)と感心し、時々読み返してみようと思う雑誌の特集でした。

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