日本の医療問題とは何か?(2)医療を語る時に欠かせない視点
昨日は日本の医療問題の根本について書きました。要は経済問題である。ということです。本日は種々のメディアなどで医療問題を扱う際に欠かせない視点について述べます。昨日に引き続き本日は病院責任者当直をしています。勤務医なんてそれが普通です。明日の夜は家に帰るぞ。
医療を語る時に欠かせない視点―それは「日本の医療はどうあるべきか」という原則が述べられているかどうかです。
1)日本の平均寿命は世界一であり、2000年のWHOの評価の通り、医療の効率性、医療機関への敷居の低さ、実効性とも世界一なのだから医療の質は現状維持で良い。国民皆保険を維持して必要最低限の医療は保障できるように公的予算を付け、自己負担も相応にするのか良い。 これは私の意見です。
2)人の生命は地球より重い。全ての国民が普く最高の医療を受けられるようにしなければならない。 これも日本の医療のあるべき姿を示す視点で、実効性はともかく医療を語る上でこの立場であることを明記してくれればひとつの見識と言えます。
3)お金を払える人は良い医療、そうでない人は標準医療の2階建て構造の医療が良い。 これも現実的な考え方で、その方向性を将来の日本の医療像として示している物もありますが、原則を明示すると人の命を差別化するのかという批判をする人がいるのでなかなか示せないようですが。
4)お金のある人だけ、保険を払える人だけ医療を受ければ良い。 これはアメリカ型医療で、アメリカ礼賛の医療番組の視点は本来これであることを明記しないといけません。
2)の立場を取る論者はこれが莫大な費用がかかるものであり、国民にこの費用負担、税金であれ自己負担であれ「覚悟しなさい」と断ってから論を進めなければなりません。「費用負担については知りませんけど」医療はこうでなくては、という人は「お前に医療を語る資格などない」と始めから明言しておきます。医療は夢ではなく「現実」だからです。
分りやすい例をあげます。ある病態においてCTスキャンの検査を受けることで100人に一人の割合で病気が見つかるとします。その一人は検査を受けることで病気が見つかるので大変助かるのですが、残りの99人は無駄に検査を受ける事になります。この99人の医療費(公費私費含めて)、費やされる医師、技師の時間、労力それら全てを必要なものと考えられるか、一人の病気は見逃すことになってもそれは致し方ないと考えるのが合理的か、という問題です。2)の立場を取ると一人のためであれ、全員CTを撮りなさいということになります。
現実には100人に20人の割で病気が見つかるとなればCT検査をすることは正当化されるでしょう。患者さんの立場に立っても20%の方に入らなかったという安心料として検査費用を負担することも納得できると思います。
かつて割り箸がのどに刺さって、脳に達して子供さんが亡くなるという事故がありました。非常に気の毒な事例と思います。しかしその時に診察をした医師がCTを撮らなかったことは医療ミスであるとして訴えられました。毎年何人もの子供がのどに割り箸を刺して脳に達して亡くなっているのならば、検査を怠った医師は当然行うべき検査を行わなかったミスを問われても致し方ないでしょう。しかし古今東西このような事例は初めてに近いものなのですから、「医療の常識」から考えると過剰な検査はするべきではない、医師の処置は誤診ではあったけれどミスではないことになります。
問題はこれをミスとして医師が事実上(正式な判決は別として)裁かれてしまったことにあります。医者は医療を「夢」ではなく「現実」として扱います。政府も医療を「現実」として扱い、余分な検査をすれば保険を査定してカットし、病院負担(持ち出し)にしてきます。しかしマスコミや司法(現判決では刑事民事ともに無罪)は2の立場をとって医師を批難してしまったのです。
毎日「現実」として救急医療を行っている普通の医師にとって「夢」の通りの医療をしろ、しないと訴えて犯罪者にしてやる、と言われれば「私にはできませんから救急医療は辞めさせていただきます」と答えるのが当たり前です。それが現在の医療現場です。
昔開業医は電話一本でかかりつけの患者さんの所にバッグ一つ持って往診に行ったものでした。当然大した検査もできないし、大病院に行っていれば助かった病気も「先生に診てもらったのだから仕様がないね」といって自宅で息を引き取ったものでした。救急外来も研修医のような若い医者が野戦病院のような所で「お産以外は何でも診ますよ」と言っていました。9割方は問題なかったでしょうが、1割位は誤診やミスもあったでしょう。私の若い頃もそんなでしたから。しかし救急医療はそれでよいのではないですか。そのようなおおらかさが戻れば、志ある若い医師達は進んで夜勤や救急医療の現場に戻ってきてくれると思います。
医療は「夢」ではなく「現実」であること、種々のメディアで医療を扱った記事を見るとき「夢」を語っているのか「現実」を語っているのか、「夢」でも良いと思いますが、それを明示した上でそれを実現するための「方策」をしっかりと述べているのかが、記事の質を決めるものと言えるでしょう。
昨日は日本の医療問題の根本について書きました。要は経済問題である。ということです。本日は種々のメディアなどで医療問題を扱う際に欠かせない視点について述べます。昨日に引き続き本日は病院責任者当直をしています。勤務医なんてそれが普通です。明日の夜は家に帰るぞ。
医療を語る時に欠かせない視点―それは「日本の医療はどうあるべきか」という原則が述べられているかどうかです。
1)日本の平均寿命は世界一であり、2000年のWHOの評価の通り、医療の効率性、医療機関への敷居の低さ、実効性とも世界一なのだから医療の質は現状維持で良い。国民皆保険を維持して必要最低限の医療は保障できるように公的予算を付け、自己負担も相応にするのか良い。 これは私の意見です。
2)人の生命は地球より重い。全ての国民が普く最高の医療を受けられるようにしなければならない。 これも日本の医療のあるべき姿を示す視点で、実効性はともかく医療を語る上でこの立場であることを明記してくれればひとつの見識と言えます。
3)お金を払える人は良い医療、そうでない人は標準医療の2階建て構造の医療が良い。 これも現実的な考え方で、その方向性を将来の日本の医療像として示している物もありますが、原則を明示すると人の命を差別化するのかという批判をする人がいるのでなかなか示せないようですが。
4)お金のある人だけ、保険を払える人だけ医療を受ければ良い。 これはアメリカ型医療で、アメリカ礼賛の医療番組の視点は本来これであることを明記しないといけません。
2)の立場を取る論者はこれが莫大な費用がかかるものであり、国民にこの費用負担、税金であれ自己負担であれ「覚悟しなさい」と断ってから論を進めなければなりません。「費用負担については知りませんけど」医療はこうでなくては、という人は「お前に医療を語る資格などない」と始めから明言しておきます。医療は夢ではなく「現実」だからです。
分りやすい例をあげます。ある病態においてCTスキャンの検査を受けることで100人に一人の割合で病気が見つかるとします。その一人は検査を受けることで病気が見つかるので大変助かるのですが、残りの99人は無駄に検査を受ける事になります。この99人の医療費(公費私費含めて)、費やされる医師、技師の時間、労力それら全てを必要なものと考えられるか、一人の病気は見逃すことになってもそれは致し方ないと考えるのが合理的か、という問題です。2)の立場を取ると一人のためであれ、全員CTを撮りなさいということになります。
現実には100人に20人の割で病気が見つかるとなればCT検査をすることは正当化されるでしょう。患者さんの立場に立っても20%の方に入らなかったという安心料として検査費用を負担することも納得できると思います。
かつて割り箸がのどに刺さって、脳に達して子供さんが亡くなるという事故がありました。非常に気の毒な事例と思います。しかしその時に診察をした医師がCTを撮らなかったことは医療ミスであるとして訴えられました。毎年何人もの子供がのどに割り箸を刺して脳に達して亡くなっているのならば、検査を怠った医師は当然行うべき検査を行わなかったミスを問われても致し方ないでしょう。しかし古今東西このような事例は初めてに近いものなのですから、「医療の常識」から考えると過剰な検査はするべきではない、医師の処置は誤診ではあったけれどミスではないことになります。
問題はこれをミスとして医師が事実上(正式な判決は別として)裁かれてしまったことにあります。医者は医療を「夢」ではなく「現実」として扱います。政府も医療を「現実」として扱い、余分な検査をすれば保険を査定してカットし、病院負担(持ち出し)にしてきます。しかしマスコミや司法(現判決では刑事民事ともに無罪)は2の立場をとって医師を批難してしまったのです。
毎日「現実」として救急医療を行っている普通の医師にとって「夢」の通りの医療をしろ、しないと訴えて犯罪者にしてやる、と言われれば「私にはできませんから救急医療は辞めさせていただきます」と答えるのが当たり前です。それが現在の医療現場です。
昔開業医は電話一本でかかりつけの患者さんの所にバッグ一つ持って往診に行ったものでした。当然大した検査もできないし、大病院に行っていれば助かった病気も「先生に診てもらったのだから仕様がないね」といって自宅で息を引き取ったものでした。救急外来も研修医のような若い医者が野戦病院のような所で「お産以外は何でも診ますよ」と言っていました。9割方は問題なかったでしょうが、1割位は誤診やミスもあったでしょう。私の若い頃もそんなでしたから。しかし救急医療はそれでよいのではないですか。そのようなおおらかさが戻れば、志ある若い医師達は進んで夜勤や救急医療の現場に戻ってきてくれると思います。
医療は「夢」ではなく「現実」であること、種々のメディアで医療を扱った記事を見るとき「夢」を語っているのか「現実」を語っているのか、「夢」でも良いと思いますが、それを明示した上でそれを実現するための「方策」をしっかりと述べているのかが、記事の質を決めるものと言えるでしょう。