rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

法律家は医療のことは解らないけど冷静に判断してます

2009-03-19 19:25:28 | 医療
医療関係の訴訟に詳しい弁護士さんの講演を聞く機会があったので備忘録として内容をまとめておきます。

1) 医療訴訟はいつからどのくらい増加したか

96年には国内で年間500件代だったものが年50―100件位増加してゆき、04年には1000件を突破したが05年頃から減少して800件代になっている。

2) 増加の背景にある患者側の因子は

医療の万能を求める過度な要求があることは確か。夜間休日でも専門的治療が受けられねばならないといった思い込みがある。

3) そのような要求に基づく訴訟に対して司法の結論はどうなっているか

地域特性を加味した医療慣行、時代による医療の限界を考慮して判決が出されている。

4) 医療行為の結果として起きた合併症について、全ての合併症についての事前の説明責任は医療者側にはあるか。

軽易でも頻度の高いもの、希でも重篤なもの以外は法的説明責任はない。例えば採血時の神経損傷による一時的しびれなどは説明責任の範囲外である。

5) カルテの記載について、問題が起こった時に後から記載を追記することは違法か。

1-2日以内にその時の状況をできるだけ詳しく記載しておくことは違法ではない。時間が経ってから改めて状況報告を記載する時はカルテでなく別の報告用紙にその旨を明記して記載を残せば違法ではないし、裁判でも証拠として扱われる。一番問題なのは何も記載されていないことである。

6) 医師と看護師の記載で違いが見られた時の証拠の重要性はどちら。

看護師は病気を「診断」できない。病態・病状の記載は証拠として扱われる。

7) インフォームドコンセントの法律的意味は。

医療を行う前、行った結果についての説明は医療者の義務。同意なしに医療は行い得ないし、結果の説明を行う義務はあるが患者側は承諾する義務はない。また医療事故が起こった場合の免責にもならない。

8)不幸な結果に終わった場合、患者側は医療者に謝罪を求めることが多いが、どう対応すべきか。

罪を認めて許しを乞う形の謝罪は行うべきではないが、医療者として良い結果になるよう努力したけれどそうならなかった残念な気持ち、お悔やみは素直に表現すべきで「期待に添えず申し訳ない」という気持ちは伝えるべきである。しかし何度もしつこく謝罪を要求された場合は目的は別であるので答える必要はない。

9) 司法の場において異型輸血などの明らかな「医療ミス」と誤診や高度な判断、手術の結果が悪かった時の問題を同じ「医療ミス」として扱う傾向にないか。

現実には前者が本来の「医療ミス」であって、後者を「医療ミス」として扱うことは殆どない。しかしマスコミでニュースになるのは数少ない後者が訴訟の場にのぼるから「ニュース」になるのであって本流ではない。マスコミや一部の弁護士達は後者も同じレベルの「医療ミス」として取り上げたがる傾向にあることは確かである。本来、結果責任を問う(刑事・民事とも)ことは医療訴訟ではまず成立しない。司法全体としては報道されているよりも医療に対して冷静である。

10) 医療訴訟における賠償額は交通事故の賠償額より高いのではないか。

健康人が被害を受ける交通事故と病人が被害を受ける場合では本来損害の算定が異なるべきだが、医療は契約関係の結果であるから交通事故より高くすべきだという意見もあり、現実には交通事故と同等の被害算定がなされている。

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9)10)は小生の質問に演者が答えたものです。    (以上)

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市長をリコールすると地方の医療崩壊が防げるのか

2009-03-12 19:08:00 | 医療
銚子市では市立病院の休止を決めた市長をリコールする動きがニュースになっています。岩手県では県立病院のベッドを休止するための予算成立のために議会で知事が土下座をする様子が報じられました。昨日茨城県では医師不足のために存立が危ぶまれる病院の統廃合を県が市町村に勧告する事態が起こりました。存立が危ぶまれる筑西市民病院は20名以上いた常勤医師が現在5名に減少し、160床のベッドが60床になり、実質稼働40前後という状況と言います。同院の事務長は市議会で医師確保の努力の状況を説明してまわり、何とか存続できるよう四苦八苦しているようです。

「日本の医療問題は詰まる所経済問題である」ことは前に説明した通りであり、日本の医療費を1.5倍にすれば医療問題は解決します。ただし現在都市部で問題になっている医療崩壊と地方で問題になっている医療崩壊は内容がやや異なります。都市部では病院の質が維持できないことが問題なのですが、地方では病院そのものが消失してしまっているのです。そこには新研修医制度導入によって医局制度を崩壊させたことによる医師不足も原因になっています。

「いわゆる医師不足」=「安い給料でリスクの高い医療を行う勤務医の不足」であることも前に説明しました。大学病院や都市部の基幹病院では負担が増えるばかりで給与は開業医の半分以下、神業のような医療を行っても上手くいって当たり前、いかなければ犯罪者にされる医療の現状に嫌気がさして働き盛りの医師達が次々と戦列を離れ開業しています(立ち去り型サボタージュ)。大学は業務を維持するために今まで地方に大学から派遣していた医師達を次々と呼び戻しています。大学の医局というのはある程度適正な人事配置をするための強制機関としての役割を果たしていたので、将来より良いポジションで働けることを条件に本人の希望しない地方の病院にも医師達が派遣されていました。新研修医制度の導入によって特に地方の大学病院に若い医師が入局しなくなり、医師が引き揚げた後の地方病院に代わりの医師を派遣することが物理的にできなくなりました。結果として地方の病院は医師がいなくなり、存続できなくなったのです。市長や事務長の問題ではありません。

大学の医局制度は「罪」もありましたが、医師の適正配置や医療技術の均等化といった面では長年の経験で培われた「功」の面も多々ありました。新研修医制度は「罪」を取り除くために導入されましたが、医局制度の「功」の部分を補う方法については一切考慮されませんでした。「これはえらいことになるな。」と我々は導入前に100%予想される今日の姿に暗澹たるものを感じたのですが、我々の意見など全く聞かれる事もなく、既成事実として新制度は導入されました。「アメリカでやっているから」というのが理由でした。

フランスでは勤務医の収入は開業医よりも高額です。ドイツでは開業医の定数が決まっていて自由に開業はできず、また多くの義務が課せられています。ブレア時代に医療費を倍増したイギリスでは行政が病院を含めた医師の配置を決めます。医療崩壊が目前に迫ってやっと今、日本では行政が「どうしようか」と考え始めました。

市長をリコールすることで地方の医療崩壊は防げるでしょうか。
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責任という無責任

2009-03-10 22:30:03 | 社会
以下は朝日メディカルに2003年5月に掲載された市立川崎病院の鈴木厚先生の論説、勝手に引用するのはそれこそ無責任かも知れませんが、あまりに同感であり、現在にもそのままあてはまるので備忘録の意味を込めて引用させていただきます。

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いつの間にか日本中に無責任が蔓延している。

政治家は日本に700兆円の借金を残し、企業の経営者はバブル崩壊の責任を取らないでいる。文部科学省は子供の学力を低下させ、厚生労働省は病院経営を悪化させた。これらは大罪であるが、それを罰する法律がないので、彼らはのうのうとしている。日本のトップは権限はあっても責任はないという。不思議な国、日本である。

一方、学校の先生は、子供に体罰を与えると、それが子供を思う気持ちからであっても、世間から糾弾されるので見て見ぬふりを決め込んでいる。
かつて住民に密着していた警察は、日常の相談まで開いてくれた。しかし人権がうるさく言われるようになってから、問題を訴えても実際に被害が出るまでは動こうとしない。

これらは無責任な国民が、学校の先生や警察の責任ばかりを強く言いすぎたせいである。

無責任な国民は、街にたむろしている非行少年を注意できないでいる。そしてそれを家庭、学校、警察、文部科学省の責任であるとしている。しかし、それでは地域住民としての責任を果たしていない。国会議員が逮捕されると、悪いのは議員本人であるが、議員を当選させた責任は国民にあるはずである。

国民は国民としての身近な責任を放棄し、無責任な傍観者になっている。マスコミは子供の教育に悪いものを映し、嘘だらけの健康番組で視聴率をあげ、収入を得ている。情報汚染が彼らの生活の糧とはいえ、今のマスコミにオピニオンリーダー、社会の木鐸の自覚がない。あまりに正義漢ぶった無責任である。

病院で問題が起きると、その当事者や院長を責める傾向が強く見られる。病院の職員が名札を付けているのは責任感の表れであるが、その責任に国民は甘え、病気が引き起こす悪い結果まで病院に責任を転嫁してくる。
20年ぐらい前から、赤ん妨の頭の形が良くなることから、うつ伏せ寝が主流であった。しかし最近では、うつ伏せ寝で乳児を死亡させた病院が訴えられ敗訴している。また介護のヘルパーが訴えられるケースまで起きている。
患者が食事を喉に詰まらせれば病院が訴えられ、患者がベッドから落ちれば病院が怒鳴られる。このように病院で事故が起きた場合は、家族は被害者となり病院を訴える。しかし家で同じ事故が起きた場合には、加害者である家族は訴えられず、逆に同情される。
病院は家族の仕事を代行しているのに、なぜこのような現象が起きるのだろうか。それは厚生労働省が病院での家族の付き添いを禁止したからである。

かつての病院は家族が付き添い、患者の食事や排泄の世話をしていた。そのため家族は生死の実情や病気そのものを理解していた。そして医師や看護師が忙しく働いているのを知っていた。
厚生労働省が家族の付き添いを禁止したのは世間へのゴマすりである。そして結果的に家族の責任を病院に転嫁させることになった。そのため事故の実体を知らない家族は裁判に訴え、医療の現場を知やない裁判官が実情に合わない判決を出す。

世の中に変人がいるように、もちろん医師にも変人はいる。そして忘れていけないのは、裁判官にも変人がいるという事実である。
裁判官は自分自身の良識で判決を下すとされている。しかし良識は数学ではないので、裁判官によって判決が異なる可能性がある。世間知らずの裁判官が常識に沿った判決を出すとは限らない。そのため欧米では、裁判官より素人の常識を重視した陪審員制度が取られているのである。また変人裁判官であっても、国家公務員なので辞めさせることができないという大きな問題がある。

かつて、クレイジーキャッツの植木等が「無責任」という言葉を流行させた。しかしその時代の無責任はお笑いで片付く程度のものだった。たとえ無責任と言いながらも、心の中には責任感と良識があふれていた。
現在は、誰も責任を取りたがらず、誰かに責任を押しつけようとする者ばかりである。あの時代の数十倍以上の無責任社会であり、責任転嫁も数十倍以上である。

無責任な者は、心のやましさまでも見失い、自分が悪いとは思っていない。そして無責任な者の発言が世の中を殺伐とさせている。このような世の中が良いはずはない。無責任のツケを回される次の世代に未来はあるのだろうか。 連合国軍最高司令官のマッカーサー元帥は帰国後の1951年、日本人を12歳の国民と称したが、今の日本人はいったい何歳位の国民なのだろうか。

(川崎市立川崎病院地域医療部部長 鈴木 厚)

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公共事業としての戦争

2009-03-09 00:45:46 | 社会
大規模な不況を解決するには大規模な戦争が必要であるという意見があります。結果論とも言えますが、第一次大戦も第二次大戦も世界規模の公共事業としてその後の経済発展に寄与したことは確かです。100年に一度の世界的不況と言われている今日、国際金融資本が戦争を欲していることは確かでしょうし、イスラエルによるパレスチナ人虐殺、ソマリア沖への世界中の軍隊の集結、印パ戦争を引き起こそうとしたムンバイのテロ、突然始まった北朝鮮のミサイル準備と韓国への執拗な挑発など、大掛かりな戦争を始めようとする動きが各地で起こりつつあるように見えます。

何らかの意図を持ったマスコミの麻生政権つぶし、小沢民主政権樹立へのキャンペーンの一方で検察の小沢政権抑制捜査が始まり、いずれにしても民意とは無関係な見えざる手による操作であるだけに誰がどのような意図で行っているか皆が興味を持っている所だろうと思います。

日本も戦争に参加させよう、或いは協力させよう、という意図から考えると、国連軍として自衛隊を参加させてくれそうなのは小沢さんで、麻生さんは郵政民営化を遅らせ、ロシアと接近して北方領土の話しなどしているし、失脚した中川さんはアメリカでなくIMFに金を出すなどと国際会議で公言していたものだから「麻生をつぶせ」という方向でマスコミをけしかけていたのだけれど、小沢さんと会ったクリントンさんはどうも期待した反応が得られなかったらしく、「やっぱ小沢は使えない」と判断して今の事態になったのではないでしょうか。

日本の直近で戦争が起こるとすればやはり朝鮮半島ですが、北の生死不明の首領様は経済が落ち込んで破産しそうな韓国に攻め込むか、週刊アカシックの佐々木敏さんが主張するように中国と開戦するかはわかりません。中国と開戦する方が韓国の左派が北と同調して応援するから戦争の規模としては大きくなり国際金融としてはおいしい話しになるでしょう。結局中国、アメリカ、ロシアなどが共同で朝鮮に入っていって日本も復興資金を存分に出す事になるでしょう。戦乱の時には大量の難民が韓国、日本にもやってくると思われます。95年頃にも南北朝鮮が開戦間近になったことがあり、韓国の戦争警報であるウオチコンレベルが上昇して日本の自衛隊が緊張したことがありました。大量の武装難民が日本海を超えてやって来た場合、収容する施設は日本海側にある自衛隊の基地しかないため、どこの基地ではどのように対応して警備するといったことが検討されていました。民主党や公明・社民、また自民党の一部にも在日外国人に参政権を与えようとする動きが執拗にあり、韓国政府も日本に正式に要求していますが、彼らの本音は「将来日本に移住した韓国人が住みやすいようにする布石を打ちたい」のだろうと私は前々から感じていました。バカでない限り安全で住みやすい日本や経済的に豊かなアメリカに移住したいと若い韓国人が考えるのは当たり前で、意図的に反日反米を政府が繰り返しキャンペーンをしても彼らの本音を変えることは難しい。戦争になったら中高年層も荷物をまとめてどこかへ移住しなければいけないのだから日本に行っても住みやすいようにしておこうというのは合理的な考え方とも言えます。

戦争がおこりそうになっている各地のリーダー達は賢明にも挑発に乗らず、何とか自重して戦争勃発を防いでいるように見えます。しかし歴史的に火薬庫と言われているような地域はどこかで火を燃やし続ければ爆発してしまうようにも感じます。その際は日本が直接戦争に巻き込まれるのだけは避けたいものです。自民党にしろ民主党にしろ、その時政権を取っているリーダーは日本の若者が戦争に借り出される事態だけは避けるように全力を尽してもらいたいと思います。原則は陸上部隊が日本固有の領土から外には行かないことです。その原則さえ守っていれば日本がずるずると戦争に巻き込まれてゆくことはないだろうと考えます。
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