rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

書評 日本が中国の属国にさせられる日

2016-08-19 17:30:54 | 書評

書評 日本が中国の属国にさせられる日 副島隆彦 著 2016年刊 KKベストセラーズ

やや衝撃的で挑戦的な題名の本で、販売戦略上ある程度キャッチーなタイトルにせざるを得ない点があったことは前書きにも書いてあるのですが、内容は今までの氏の著作とは少し趣が変わったと思われる内容でした。通常ブログで書いている書評(といっても本の紹介までゆかない単なる感想ですが)の形式ではなくて、直に著者である副島氏に送った感想文を記します。有難い事にすぐに直接著者である副島氏からメールによる返事をいただきました。概ね私の受け止めかたは著者の意図に反していないと言っていただけました。

 

著者 副島隆彦 氏に送った感想

 

 いつも示唆に富むご教示をありがとうございます。今回先生の力作「日本が中国の属国にさせられる日」を拝読し、「今までの先生の切り口と少し違うかな。」と率直な感じを得ました。それは前書きと6章の終論でも述べておられますが、修辞的内容を排して「本音」を直言することで現在の政界・言論界が20世紀的な観念に未だに執着して現在の状況に適合しきれていない状況に警鐘をならしていると思われた事だと思います。

 

 現在右翼左翼ともに何か未だに1980年代的な「セットになった観念」に捉われていて、現実に対応する上で何を言っているか解らないと思う事がしばしばです。共産中国はすでに毛沢東の時代の中国ではなく、米国と次の覇権を争い、必要があれば(国家戦略上利があれば)外国に対して限定的な武力闘争を仕掛ける事も辞さないというのは本当だと思います。「一体どこの国が日本に責めて来ると言うのです?」みたいな事を言っているようでは話にならないのであって、中国が日本に対して武力を使うことに「利なし」と思わせるにはどう振る舞って行くか、という議論が必要なのだとのご提案と感じました。それは「米国の先陣を切って戦場に突入する準備を整える」ことではないことは勿論ですが、もっと根っこの部分から日本のあり方について思想を持ちなさいということかなと愚考しております。以下先生の御著書を拝読して感じたことをご報告させていただきたく存じます。

 

 まず「中国の属国化」というタイトルは中国嫌いの諸兄への先生一流の注意喚起と思いますが、私なりに感じましたのは、広い意味で「日本は中国の文化経済圏の一部である」という先生の主張だと思います。ユーラシア大陸の西の端には種々の問題が山積していますが、統一通貨のユーロ圏という経済圏があり、今回EUからの離脱を表明しましたが、英国がその文化経済圏の一翼を担っています。そして東の端が中国と日本であり、中国は中央政府の統制がめちゃくちゃ強力なユーロ圏のようなものであり、それが二千年来支配者を変えながら続いてきた。現在は漢民族が主体の共産党という中央政府が仕切っている経済圏であると考えられます。日本は好むと好まざるとにかかわらずこの大きな経済圏の一翼を担っていて今後もその影響を受け続けるということだと思います。

 

 企業の経営者たちには中国嫌い、共産党恐怖症の人達が多いというご指摘はその通りでしょう。しかし1億人の日本人が生活してゆくための経済を動かすには今後とも中国とうまく付き合ってゆかねばならず、国益を考慮すれば大陸経済圏の一部として活動してゆく、もっと積極的にかかわってゆくことも必要になると私も思います。現在米国の対中戦略に取り込まれて日中が対立する構図が作られつつありますが、詰まるところ裏で手を結んだ米中に日本が二分割されるような結末にならないよう注意する必要があります。そのような「まさかという事」を平気でやるのが大国というものだと私も思います。

 

 また理屈だけでよい社会が作れるなどという幻想を抱いている左翼への叱責もまさしく当を得ていると思います。人間は理屈だけでは動きません。理屈で動かない人間を処罰や殺戮で言うことを聞かせてきたのが左翼の歴史です。その事実に真摯に向き合いなさいという先生のご指摘は至言と思いました。

 

 今程リベラルと言われる人達の立ち位置がはっきりしない時代はないと思います。1980年代のようなマルクス主義と反米・市民運動がセットになったような状態は比較的解りやすい状態であったと思いますが、反グローバリズムは突き詰めるとナショナリズムに繫がる可能性があり、親韓・親中も中韓のナショナリズム的右翼思想に利用されるだけという構図が見えている状態で「自分はリベラル」と思っている人達は一体何を主張すれば良いのか呆然としているのではないかと思われます。先生が主張されるようにきちんと左翼の誤りを総括してその上で何を目指すべきかを確立しなさい、というのは非常に重要な事と思います。

 

 ファシズムにならない郷土愛やナショナリズムというのは、米国の伝統的右翼・保守というのが国家統制から徹底的に自由であろうとする「リバータリアリズム」という解りやすい立ち位置である一方、日本の保守が米国では国家の統制を強める左翼的思想に近いというのが日本のリベラルにとって混乱する原因になっているように感じます。国家をバックにしたグローバリズム(コーポラティズム)に対抗する思想的な軸を確立するとともに、1億人が食べて行くにはどうするか、といった現実的な対応を提供できるようなリベラル思想がなければ「良くわからないうちにアジア人同士で戦争をさせられる羽目になる」という状況を打破する事はできないのではないかと先生の著作を読みながら痛感しました。

 

 以上雑駁な感想で恐縮ですが、今後とも先生のご活躍、ご教示宜しく御願いいたします。            Rakitarou   拝

 

以下 副島隆彦 氏からの返事

 

拙本 「日本が中国の属国にさせられる日 」をお読みいただき、丁寧な感想をお書きくださりありがとうございます。  正確に 私の考えを理解してくださいまして、心から嬉しく思います。

このように 私は、日本の 右、左 の両方を、結果として敵に回す(ほどではなくて、さらに無視される)ことになります。  私の先生たちが、そういう人たちでした。

そのために 勢力としての 彼らの仲間に入ることが、どうしても出来ません。

言論人として、影響力を持てないままで、生きてゆくのは、大変です。

これも自分の運命と、今では、すっかり諦めています。 諦(あきら)めるとは、何が事実かを明らかにする、ということだと、ずっと考えて生きてきました。

 

私にとっては、この本は、見抜いていただいたとおり、かなりの決断の末の 大きな態度変更の本です。日本共産党系の私の、数少ない、しかし、私から情報を取っていた人たちが、早くも、離反しました。 彼らは、やはり 古臭い左翼です。過去の栄光も、自分たちの先人たちの業績さえも、はっきりと確認できない人たちだ。

嫌われてもかまわない、という生き方を、私は、これからも、死ぬまで続けるのでしょう。

丁寧な読後感想をありがとうございます。重ねてお礼を申し上げます。

副島隆彦拝

 

 私は読んで強い印象を受けた本は、著者に出版社経由で感想を送ったりすることもたびたびあるのですが、きちんと返事を返して下さる著者の方も多く、有難いと思います。副島氏は10数年前に初めて読んだ経済本で強い衝撃を受けて感想を送った時も丁寧に封書で返書いただき、普段はべらんめい調ですが、非常に読者を大切にしている方だと以来尊敬しています。その点、「内田 樹」氏は著作の内容は非常に納得できるのですが、感想を送っても「なんで自分の知らない人の書いた文を読まされないといけないの?」などとツイートされてしまうので、不特定多数へ情報発信をしているプロの言葉と思えず興ざめでした。

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終戦の日に戦傷病学を考える

2016-08-15 23:57:19 | 医療

雑誌「軍事研究」8月号に「戦闘外傷からのサバイバルー駆けつけ警護自衛隊は戦死者続出」という記事が載っており、現代の戦傷病学について簡潔に説明されていて興味深く読みました。私が戦傷病学を学んだのは1980年代であり、当時はまだ米軍の朝鮮戦争・ベトナム戦争時の戦傷病学が自衛隊でも教えられていて、テレビ映画「M★A★S★H」(mobile army surgical hospital)の世界のような感じでした。今では災害医療の常識となっているトリアージ(傷病者の振り分け)も元は大量の戦傷病者を効率的に治療する目的で行われていたものであり、80年代当時我々も習いました。銃創についてもhigh velocity wound、low velocity woundライフル銃か拳銃かといった位は習いましたが現代のような高機能ライフルや高性能爆薬が実用化されていなかったのでまだ込み入った状況ではなかったと思います。米国内では当時から銃犯罪は多発していたので、米国で実際に医療を行っていた医師から「ブルックリンで銃で撃たれた妊婦から子供を取り出した」みたいな話は聞いていました。

 

記事を読んで、現代の戦傷病学を語る上で以前と大きく異なるように感じたのは以下の点です。

 

○  陸上戦闘では小口径銃(7.62mmから5.56mmへ)が中心になっていること。

○  命中精度の高い銃でスナイパーが防弾チョッキのない腰から下を狙うこと。

○  高性能爆薬で四肢が吹き飛ばされる可能性が高いこと。

 

銃の小口径化はNATOに続いて自衛隊でも行われていて、私が習った64式小銃は既に旧式で89式小銃(5.56mm)やMINIMIという分隊用機関銃も小口径を使っています。一方現代戦の特徴である対人狙撃銃の導入も行われています。

 

  陸上自衛隊89式小銃

映画「アメリカン・スナイパー」はイラク、アフガニスタンなどでの米軍の戦闘を具体的に描いていた訳ですが、主人公が前線で哨戒する兵士達をやや後方からスナイプすることで支援する現代戦の様がよく解ります。バトルライフルの命中精度が飛躍的に上がって、ゴーグルを使用すると450mの距離で30cmの的に50%は当たるという状況になり、戦闘の有効射程が700-800mになってきている(裸眼では殆ど見えない所から撃ってくる)現状があります。つまり前線で小口径の銃を乱射して敵を誘い出しておいて見えない遠方からスナイパーが仕留めるというのが現代の戦法です。先週から始まったNCIS LAの新シリーズでもテロリストとの国内における戦闘でこの方法が取られていて「ほう」と感心しました。私は昔64式小銃でスコープなしですが、400m先の4m四方くらいの的にまぐれで当てたことがあります。1-2mmずれてもメートル単位で的が外れるのであくまでまぐれです。南部式のピストルは25m離れて30cmの的に当てるのは時々当たるという程度です。テレビなどで刑事役の人が中央近くにバシバシ当てているのは出来過ぎと思います。

 

爆薬の高性能化を逆手に取ったものが、イラクなどでイスラム原理主義勢力が用いたIED( Improvised explosive device) で、数千円の元手で数百万から千万単位の装甲車などを吹き飛ばすことができるというものです。以前「勝てないアメリカ」という書評で紹介した通りです。ここで大事になってくるのが、四肢からの出血を最小限に抑える止血帯の利用です。米軍では一人最低2個の止血帯をいつでも直ぐに使えるよう携帯することが義務づけられているそうです。

 

   米軍の個人用救急装備

以下備忘録の意味で現代戦傷病の原則を記しておきます。

○  2-2-3の原則 2分以内で止血、20分以内で鎮痛(モルヒネなど)、3時間以内で有効な外科的処置による止血(阻血によって壊死を起こすから)。

○  SABACAの原則 Self-aidまず自分を助けよ

         Buddy-aid戦闘員相互の救護

         Civilian-aid市民への救護提供

○  LLEの原則 戦闘外傷救護の優先順位 Life-Limb-Eyesight(生命、四肢、視力)の順

 

これらはtactical combat casualty careのガイドブックによる防ぎ得た戦死の統計から得られた教訓だそうです。私は幸い戦傷病を診療せずに医師人生を終えることができそうですが、子供や孫の時代の日本人が再び戦火の中でこのような戦傷病と戦わねばならない日が来ることは避けたいものです。自然災害と違い、戦争は止めようと思えば止められるものです。現実に世の中に戦争がある以上、現代の戦傷病学は知っておかねばなりませんが、「殺し合いを避けるあらゆる努力(非武装中立ということではありません)」が第一であることは論を待たないと思います。

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ルーズベルトの三選がなければ第二次大戦も原爆投下もなかった?

2016-08-10 19:15:40 | 歴史

今年も原爆忌が過ぎましたが、広島の原爆投下にあたる8月6日に非常に興味深い番組がNHKスペシャルとして放送されました。「決断なき原爆投下 
~米大統領 71年目の真実~」と題されて、NHKの番組公式サイトにおける説明として「アメリカでは原爆投下は、大統領が明確な意思のもとに決断した“意義ある作戦だった”という捉え方が今も一般的だ。その定説が今、歴史家たちによって見直されようとしている。
アメリカではこれまで軍の責任を問うような研究は、退役軍人らの反発を受けるため、歴史家たちが避けてきたが、多くが世を去る中、検証が不十分だった軍内部の資料や、政権との親書が解析され、意思決定をめぐる新事実が次々と明らかになっている。
最新の研究からは、原爆投下を巡る決断は、終始、軍の主導で進められ、トルーマン大統領は、それに追随していく他なかったこと、そして、広島・長崎の「市街地」への投下には気付いていなかった可能性が浮かび上がっている。それにも関わらず大統領は、戦後しばらくたってから、原爆投下を「必要だと考え自らが指示した」とアナウンスしていたのだ。
今回、NHKでは投下作戦に加わった10人を超える元軍人の証言、原爆開発の指揮官・陸軍グローブズ将軍らの肉声を録音したテープを相次いで発見した。そして、証言を裏付けるため、軍の内部資料や、各地に散逸していた政権中枢の極秘文書を読み解いた。
「トルーマン大統領は、実は何も決断していなかった…」
アメリカを代表する歴史家の多くがいま口を揃えて声にし始めた新事実。71年目の夏、その検証と共に独自取材によって21万人の命を奪い去った原爆投下の知られざる真実に迫る。」というものです。

 

ルーズベルトの突然の死亡(4選されて4ヶ月なので死ぬことは予期されていなかったと思われます)によって副大統領になって4ヶ月しか間がないハリー・トルーマンが大統領として終了間際の戦争の指揮を執る事になり、日本に対する原爆の使用についても大統領として全責任を負うことになりました。原爆の計画が極秘裏に始まったのが1942年ですから、ほぼ完成した状態で詳しいことを知らされずに原爆使用についての責任を持たされたのはやや気の毒な感じもします。番組によると広島・長崎の原爆はトルーマン大統領が決断する間もないうちに規定の方針の如く軍部の計画として使用されたとなっています。当初京都への第一弾の投下が強く主張されたのですが、軍がおらず、市民の無差別殺戮を行うことになるという理由で陸軍長官のスティムソンとトルーマンによって変更させられたということです。恐らく京都に訪問歴がある民間人のスティムソンにとっては古都の文化を灰に帰す事への躊躇もあったのではないかと思います。しかし戦後「戦争を早く終わらせるために原爆が必要だった。」という後付けの言い訳を考え出したのは原爆推進派のスティムソンであると言われており、トルーマンはその説を採用し続けた訳です。

 

この「原爆投下正当化論」というのも広く米国では信じられているものの、近年「本当にそうか」という議論がまっとうなエリート達の間では行われるようになってきており、ハーバードビジネススクールにおける授業でも論理的、倫理的妥当性についてまじめに議論がされるようになってきました。

 

私は以前から、周りが反対したにも関わらず「無条件降伏」というかつての戦争でありえなかった戦争終結条件をルーズベルトという非情な男が設定しなければ、原爆投下はなかったと思っています。そもそもルーズベルトの日本人に対する人種差別意識がひど過ぎます(日本人は劣等民族なので多民族と交配して民族自体を変えてしまえ、と言っている)。日本への原爆投下もルーズベルトにとっては既定路線であり、だからこそ軍人達は全力で原爆を開発し、前大統領の命令通りに出来上がり次第投下したというのが真相でしょう。

 

私は、ジョージワシントン以来の米国の慣例を無視した大統領連続3選という異常事態を固辞する「節度」をルーズベルトという腎不全で高血圧の「まっとうな判断力を失った人間」が持っていたならば、当時多くの米国人達が抱いていた「関係のない戦争に巻き込まれて死にたくない」という願いがかなったのではないかと思いますし、人類初の核兵器使用による無差別大殺戮という汚名を米国が着る必要もなかったのではと思います。トルーマンは核の軍事基地への限定的使用は考えていましたが、市民の無差別殺戮には反対でしたし、広島・長崎と続けて知らないうちに原爆投下による大殺戮がなされて慌ててこれ以上の核使用を中止する指示を出したほどです。

 

Wikipediaの「1940年アメリカ合衆国大統領選挙(ルーズベルト3選目)」の項を見ると、ルーズベルトは欧州で始まったナチスとの戦争に連合国として加担したがっていたのに対して、共和党から出馬した実業家のウエンデル・ウイルキーはルーズベルトの好戦的な姿勢を批判し孤立主義による米国の繁栄を強く訴えて多くの米国民から支持を得たと言われます。注目するべきは大統領選の得票数でルーズベルトが2700万票で54.7%であるのに対してウイルキーは2200万票で44.8%と僅差であるということです。得票数で僅差であっても選挙人の得票では449人対82人と大差がついてしまうのが米国の大統領選挙の特徴ですが、半分近くの米国民はウイルキーの孤立主義を支持していたことが解ります。

 

この状況、現在の米国大統領選に似ていないでしょうか。戦争大好き民主党のヒラリーが実業家で孤立主義のトランプに僅差で選挙戦を進めています。そもそもヒラリーは民主党の中での選挙でも得票数においてはサンダースに追いつかれる所を「特別代議員という高下駄」のお蔭で民主党候補になったようなものです。オバマ政権一期目の国務長官として、ヒラリーの政治手腕やアラブの春を演出してリビアやエジプトをボロボロの国家に貶め、ISにリビアでせしめた武器を供与して結果大量のシリア難民を作り出した業績は十分理解されているはずなのに、ここでヒラリーが大統領になればルーズベルトの三選目と同じ不幸が米国と世界にふりかかることが十分予想されます。

 

佐藤優氏は「世界史の極意」という本で「歴史的事件をアナロジーで認識して現在の問題を捉える」と提言していましたが、その説に従うとこのルーズベルトの3選と現在のヒラリー・トランプによる大統領選というのはその後に起こりそうな事を含めて極めて示唆に富む内容になると思われるのですがどうでしょうか。

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