rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

安保法制に賛成する人の論理

2015-07-30 19:11:56 | 政治

安倍内閣は憲法の解釈を変えることで今まで違憲とされてきた集団的自衛権の行使を憲法の範囲内の自衛権であるとする法律をいよいよ通過させようとしています。当然多くの反対意見が出されていますが、ブログなどでは積極的に賛成する意見も見られます。勿論いろいろな意見があって良いのですが、賛成とする意見の中には勘違いと思われる物や、反対する意見に対して「レッテル張り」(稚拙ながら有効な手段—あいつはファシスト、アカ、売国奴など)によって黙らせることを「良し」とするような危険な物も見られます。

 

積極的に賛成する人達の論拠はだいたい以下のようなものです。

1)      本法案は拡張主義を続ける中国を牽制するために有効な手段である。

2)      中国は尖閣、沖縄を含む日本の領土に対して明らかに侵略意図を持っている。だから中国と敵対しようとする米国・米国同盟諸国と歩調を合わせるにはどうしてもこの法案が必要である。

3)      北朝鮮に対して米国が軍事行動を取る場合、日本はより積極的な役割を果たすべきである。

 

またこの論拠から、法案に反対する人達に対しては以下の「レッテル」が張られます。

1)      法案に反対することで中国を有利な立場に導くから法案に反対する人達は「中国の手先」か、昭和時代の非武装中立論者のような現実認識ができない「お花畑」の住人である。(自分達は厳しい国際社会が理解できているという優越感にも基づいている)

2)      憲法は敗戦で米国に押し付けられたものであり、憲法の遵守に固執する人は「どこかおかしい人達だ」。(自分達は自主憲法制定という独立心があるという優越感にも基づいている)

 

これに対して、法案に反対する人達はもっぱら法案が憲法違反であること、戦争に参加しやすくなることで平和が保たれることはないこと、何よりも戦争自体に反対であること、を訴え続けています。安倍総理による法案に対する国会での説明が全く意味不明であることが事態をより複雑にしているように思います。あのような説明で法案を通されれば、反対派の人達が主張する論理が全く正しい(私も正しいと思っていますが)という結論で、反対派の人達の理屈は完結してしまいます。しかしそれでは賛成派の人達は納得できないでしょう。何故なら賛成派の人達は「理屈を超えた現実に対する対応」において「自分達の論理が理にかなっている」と確信しているからです。だから積極的に賛成している人達を説得するには彼らが確信している論拠が誤りであるという説明を丁寧にする必要があるのです。もとより賛成派の人達は反対派の人達を丁寧に説得する心算はありませんし、論理的に筋が通っている(違憲であるという点で)意見を変えさせるのは不可能と諦めているからこそ「レッテル張り」という「稚拙ながら古来有効であることが解っている手段」で反対意見を黙らせようとしているのです。

 

私は今回の安保法制は米国の世界戦略の変更に伴う要請に基づいて日本の国益とは別の所で無理矢理作らされる法案(近年における米国の国力・覇権の衰退に伴う中東からアジアへの軸足の変更、2015年の国防方針に示されたように、対テロから米国を中心とするグローバル秩序に反対する国家<中国、ロシア、イラン、北朝鮮など>を敵とみなす戦略への変更)だと解釈しています。つまり米国は、アルカイダを敵とみなす戦略から中国・ロシアを敵と見なす戦略に変更したのです。しかし韓国は既に中国に取り込まれている現状から、中ロに対して「日本を最前線」とするには、今まで韓国軍が種々の米軍の戦争に参加してきたように、今後は日本軍が米軍の戦争に参加することでいつでも最前線として戦争に参加(日本が戦場になる)できる準備を法制的にもしてもらわないといけない、という要請から来ているのだと言えます。

 

この法案に積極的に賛成する人達は、法案によって中国の拡張政策に歯止めがかかる、日本やフィリピン、インドネシアなどが積極的に軍事協力することでアジアの安定が保たれると本気で考えています。私は大国の戦略はそのように決められるものではないと思っています。結局は経済的な儲けをどこから搾り取るかという銀行屋の深慮遠謀が戦争するしないを決めているのであって、国力・戦力の弱いスイスが第一次、第二次大戦に巻き込まれなかった理由は自らの国防意識が強かったことも勿論ですが、「大国のいいなりにならなかった事」と「経済においてうまく振る舞った」ということが大きかったのだと私は思います。

 

私は元自衛官でもあり、個別的自衛権は憲法の範囲内である、自衛隊は合憲であると確信してきました。Rule of lawの原則において自分(自国)を守る権利は天与の物であって誰も否定することはできません。しかし集団的自衛権というのは自衛権の範囲ということに国際法上はなっていますが、これは方便(この方が都合が良い)という以上のものではなく、弱い国は自国を守る上で強い国に助けてもらう必要があるから集団で徒党を組むことも合理的でしょ、と言っているに過ぎないものです。だから天与の権利であるところの個別的自衛権とは本来別であると考えるのが筋であって、方便にすぎない集団的自衛権のために「大国の思惑に基づく必要のない戦争」に多くの国が巻き込まれて来たという厳しい現実を我々は認めなければならないと思います。「みんなといる方が何か安心」というのは日本人的な弱い心だと思います。ユダヤ人のしたたかさ、中国人のしたたかさ、を見習って賢く戦争に巻き込まれない道を選んで行く必要があります。法案賛成派の人達は20世紀的な帝国主義観で中国と対している、或はそのように考えさせられているように見えます。中国が攻め込んで来て日本自治区になると本気で畏れているようです。その程度の書類などどこでもいくらでも作り出せるのに本気で中国がアジアを支配する計画であると信じ込んでいます。「沖縄が占領されれば目が覚めるだろう」などとブログに書く人もいます。

 

この状況は、戦前ロシアの南下計画を日本が畏れて、日本が生死を賭けた日露戦争に邁進していった状況に似ています。日露戦争というのは結局英米の資本家が日本に戦争をさせて儲けた上に最終的にロシア革命を起こして、言いなりにならないロシアロマノフ王朝を滅ぼすことが目的であったと思われる訳で、本当に日本にとって必須の戦争であったのかは今となっては疑問です。つまり現在の状況は、日本人に中国に対する恐怖心を起こさせて日中戦争を起こさせ、言う事を聞かない中国を懲らしめる、という日露戦争で日本がいいように使われた轍を再度日本に踏ませようとしているのだと思われます。もう一度言います。今こそユダヤ人のしたたかさ、中国人のしたたかさ、を見習って賢く戦争に巻き込まれない道を我々日本人は選んで行く必要があるのです。

コメント
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