rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

明治維新で始まった大日本帝国は何故第二次大戦の敗戦で終焉を迎えたか

2014-01-22 21:53:27 | 歴史

「明治維新で始まった大日本帝国は何故第二次大戦の敗戦で終焉を迎えたか、300字程度で述べよ。」という試験問題が高校三年の息子の歴史・期末試験に「公開問題」として出されました。受験を控えた3年生に今更落第はないでしょうからどのように答えても論理的歴史的に誤りでなければ点数をあげることができる。しかも高校を卒業して大学・社会へと出て行く教え子達の歴史観を端的に把握できる極めて優れた出題と言えます。歴史を倫理的善悪でしか考えられないレベルの人達には回答不能と思いますが、この先生は答えられるような歴史の授業をしてきたという自負があるのでしょう。20年分位の教え子達の回答を時代の変遷とともに集積すると一冊の本が書けるかも知れません。

 

皆さんならばどのように回答するでしょうか、私も良問なので自分なりに考えてみました。

 

1)      諸外国との関係を中心に答える。(比較的オーソドックスな回答と思う)

 

江戸末期の帝国主義西欧列強にとって、日本を含む東アジアの植民地化が究極の目標であった。日本は幕藩体制から維新によって近代国家となり、日清日露の戦で辛勝した結果、帝国主義国の一端に加わる事によって植民地化を免れる方策を取り成功した。その後満州事変から日華事変へと帝国の版図を広げるにあたり、旧帝国主義陣営との経済的利害対立が先鋭化し、日本はアジアの覇権を断念するか、旧帝国主義陣営と戦争をしてでも帝国主義を続けるかの選択を迫られた。日本は新興帝国主義国である独伊と組んで旧帝国主義国と戦う道を選択し、結果的に敗戦を迎えることで帝国主義の強制的終焉に至ったのである。(281字)

 

2)      政策決定のメカニズムから答える。(少し司馬史観が入る)

 

明治維新によって形成された大日本帝国は立憲君主制を取る近代国家でありながら、実態は元勲と呼ばれる維新の功労者達による集団指導体制に支えられていた。大日本帝国憲法において、天皇は君主で絶対権力者である一方、政策施行上は責任を問われず、しかも君主を支える軍、政府、議会の権限は並列であり、天皇と同じ視線で国家戦略を立てる機構が存在しなかった。昭和初期までは軍・政府・経済界に影響力のある元勲により大局的な国家政策が練られてきたが、それ以降は並列の各機構がバラバラに、特に力を持つ軍部が国政を壟断する傾向に至り、大局的国家戦略がないまま成り行きで戦争に突入し、惨敗を期す事で帝国も終焉を迎えたのである。(298字)

 

3)      米国を軸に答える。(戦後も含んで常に米国に翻弄されてきたと言えるし)

 

黒船の来航を契機に維新により近代国家への道を歩み始めた日本は旧帝国主義国が第一次大戦で自滅し合う中で米国とともに新興勢力として世界の中で認められるに至った。英から米へ経済の中心が移り行く中で、米国は旧帝国主義国が開拓していないフィリピン、東アジア、中国を版図に加えようとしたが、そこで日本と利害が対立した。日本は米国に妥協し、共同歩調を取る選択をせず、帝国主義国の一つとして独自にアジアの盟主となる道を選んだ。結果的に日本は明治以来ロシアを軍事的な脅威として備えて来たにも関わらず、仲間のはずの中国と戦争を始め、さらに最終的に米国に戦争を仕掛けて惨敗し、新興帝国の座を失ったのである。(292字)

 

4)      終戦の形式から答える(戦争形態の異常性による必然)

 

明治維新は日本自身の選択によって幕藩体制を終わらせ、近代国家に生まれ変わるために独英などの国家体制から学んで、立憲君主国としての大日本帝国を独自に形作った。しかし第二次大戦は帝国主義同士の戦いであったにも関わらず連合国は、勝敗の行方が見えてきた時点で戦後の世界支配体制を米英ソの3国で仕切ることができるようにするため、終戦の条件を今までの戦争の常識にないunconditioned surrender「無条件降伏」に定め、敗戦国は国家を終焉させる他戦争を終わらせる事ができなくした。日本は体制の維持を望んだが叶わず敗戦を迎える。結果的に敗戦国とその支配地域は、戦後米英かソ連の定める政治経済体制に国家を変貌せざるを得なくなったのである。(297字)

 

いや、それは違う、とか俺ならこう答える、というものがあれば是非コメント下さい。しかし日本の戦前と戦後を俯瞰する上でこの問いはかなり重要なものと私は思いました。

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書評 集団的自衛権とは何か

2014-01-09 00:18:56 | 書評

書評 集団的自衛権とは何か 豊下 楢彦 著 岩波新書1081 2007年 刊

 

国際政治論、外交史を専門とする関西学院大学法学部教授であった著者が第一次安倍内閣の時代に戦後体制からの脱却を提唱し、改憲や集団的自衛権の容認に動こうとした安倍政権の危うさを日本国憲法の法律学的検討、外交史的考察から検討したもので、現在の第二次安倍内閣が目指している対外的な政治も第一次の時と同じであることから本書の内容は時宜を得たものになっています。

 

集団的自衛権を論ずる場合、1)日本国内において同盟国である米国の軍隊が攻撃されている場合自衛隊はどのように対処するか、2)PKO活動中に国外で友軍が攻撃されている場合にどう対処するか、3)北朝鮮から日本を飛び越えて米本国にミサイルが飛んで行く時にそれを撃ち落とせるか、4)米軍がどこかで戦争をしている時に同盟国軍として一緒に戦争に参加するか、といった場合に分けて検討されます。1)は多くの日本人は国内であるから一緒に戦う、2)は場合によって目の前で攻撃を受けていたら助けるけど遠方まで出かけてまで戦うべきではない、3)4)は不可、という答えが多いのではないかと思います。1)から4)まで全てOKという人もいるでしょう(法解釈上は集団的自衛権を認めるなら全て合法だから)。また厳密に全てが不可という意見も集団的自衛権を認めないという立場からは合理的であると言えます。朝鮮戦争やベトナム戦争では、日本の米軍基地から戦場に向かっていた訳で、日本国内は攻撃対象にはなっていませんでしたが、戦術上は日本の米軍基地を空爆したりミサイル攻撃したりすることもあり得たはずです。米軍基地を爆撃するために飛来した北朝鮮空軍機を日本の自衛隊機が迎撃すればそれは北朝鮮と戦争をしていることになります。

 

本書ではその前半において1970年代から「国際法上は日本国にも集団的自衛権は認められているが、日本国憲法においてはその使用は認められない」とした政府解釈について歴史的背景を含めて詳しく解説しています。米国は日本を軍事的に無力化することを戦後政策の柱として日本国憲法を策定したのですが、冷戦及びその後の湾岸・中東戦争、或いは中国・台湾・朝鮮における周辺事態に対して、米軍と共に戦うことを日本に求めるようになりました。しかし日本は「憲法上できない」と頑に拒否してきたわけで、それならばできるように「改憲」しましょうというのが歴代自民党(の改憲派)の意見だったのです。結果的には米国の都合で押し付けられた憲法を米国の都合で改憲しようということであり、あくまで意思の主体は常に米国にあるとも言えます。

 

私は前半についてはある程度既視感のある内容だと感じたのですが、後半「第4章 自立幻想と日本の防衛」あたりから著者の国際政治・外交史の豊富な知識を元にした「そもそも米国の外交政策が場当たり的で、日本の国益と常に合致している訳でもないのに集団的自衛権における敵の共通項を米国に求めることは不合理だ」という検討に非常に惹かれるものがありました。米国は「敵の敵は味方」という安易で場当たり的政策を取る事が多いために、例えば911では不倶戴天の敵であるはずのアルカイダがソ連のアフガン侵攻、アラブの春でのリビア、シリア内戦では味方になっていたりします。英国は常に米国に寄り添うように戦争を共に戦ってきましたが、米国の外交政策を決める上での発言力はありません。日本が改憲までして米国の使い走りとして他国と戦争をしたところで日本の国益にもならず、米国の政策に対して発言力のあるイコ—ルパートナーになることもない、という主張は説得力があります。また核拡散におけるパキスタンの危険性についての言及も日本の核武装論が主に北朝鮮と中国のことしか念頭にない偏った議論であることも明確に論じられていて説得力がありました。

 

私自身は昭和時代の「専守防衛」を旨とする自衛隊のあり方が最も日本には望ましいと考えていますし、その点で「自衛隊は合憲である」と以前も主張しました。また日本の核武装にも反対であり、日本こそは世界で唯一の被爆国としての揺るぎない地位をもっと主張して国際政治をかき回すべきだと考えています(こいつ被爆国、被爆国とうっとおしい奴だ、と嫌われて始めて発言力がある国と認められると考えます。日本は大人しい良い子すぎます。韓国の嘘っぱち従軍慰安婦と異なり日本は世界が認める被爆国であり、第二次大戦後世界で核戦争が起こらなかったのは日本が身をもって原爆の悲惨さを世界に示したからに他なりません)。豊下氏の著書は(米軍を対象とした)集団的自衛権行使が日本の国益に利することがないことを非常に論理的に示した点で有意義なものと思いました。

 

同書の内容に少し関連して、近代国家(国民国家)における軍人の精神構造と「テロとの戦争の時代」における軍人の精神のありかたについて、「しばやんさんのブログ」にコメントをした内容について追記します。

 

しばやんさんのブログでは、太平洋戦争末期において、日本軍の中枢にかなりソ連のコミンテルンに操られた人達(個人が認識しているかどうかは別として)が混ざっていて、終戦工作をソ連に頼ろう、逆にソ連に参戦してもらおうとする勢力があったことを最近明らかになった当時の記録などから示している非常に興味深いものなのですが、「近代国家における軍人は、その精神構造において元々社会主義に親和性があるのではないか」というコメントです。

 

(以下転載)

 

近代国家における軍人は社会主義に親和性が高いかも知れません。

 

しばやんさんのブログはいつも精緻な資料蒐集と分析で大変勉強になります。今回のシリーズも大変興味深い内容でためになりました。以前日本が本来信用できないソ連に終戦工作を頼ろうとしていたのか不思議に思った事をコメントさせていただきましたが、逆に取り込まれていた部分もあると解ると合点がゆくところがあります。

 

いつの時代もどこの国でも、国際関係の仕事をしている人達は自分の得意とする国や地域があるもので、その人がその地域や国を詳しいからといって他国のために働く(魂を売る)という訳ではないだろうとは思います。知日派と言われる外国人達が全員日本のために自国の国益を損ねてまで働くとはとても思えません。だから現在の外務省職員にしても当時の軍人にしても自分の専門とする国とは良好な関係を築いて自分の地位を高いものにしたいという我欲はあるでしょうが、他国の国益のために国を売る事まではしないのではと思います。そこに騙し、騙されの複雑なやりとりが絡むと一層外から判断することが難しいものになるだろうと思います。

 

さて、戦前の純粋な気持ちを持った日本の軍人達は当時の若者達が社会主義思想に傾倒したように我欲にまみれた資本主義よりも社会主義的な思想に親和性があったことは容易に推察されます。元々裕福なお坊ちゃんが軍人になる事は少なく、比較的貧しい田舎出の優秀な次男坊三男坊が兵学校などに進んでいったのだろうと思います。その点学徒出陣まで兵役を免れていた大学生達とは少し違っていたのではと思います。

 

中世における戦争は領主達(貴族)が領民を率いて或は兵隊を雇って略奪のために戦争を行ったのであり、植民地争奪戦なども結果的には国の利益よりも自分の利益に直結するから戦争をしてきたものと考えられます。つまり軍人は資本家的な思考をしていたはずです。現在の中国解放軍も次第に革命前の軍閥のようになりつつあるようで、金と権力が結びついた構造になりつつある点で既に中国は中世に戻りつつあるのではないかと考えます。本来近代国家における軍人は戦争によって自分が豊かになる事はなく、あくまで国益が追求されるのみであり、自分が戦うことによって国民が幸せになる、と言う代償しかない点で非常に社会主義的な精神を強いられ、それを受け入れていると言えるでしょう。それは自由主義国家(西側)社会主義国家(東側)を問わず共通の事でした。だから一個人として軍人同士が話をすると体制によらず結構価値観が似ていて気が合うということがありました。

 

ところが、グローバル社会になって、米国が「テロとの戦争」を始めて見ると、軍人達はいくら戦っても国民が幸せになったり豊かになったりする訳ではなく、グローバル企業(や一部の資産家)が商売をしやすくするためにそれを妨害するローカルなテロリズム(或はそれを快しとしない一般の人)と戦争をするだけになってしまいました。つまり近代国家における軍人の精神構造では対応が難しくなっている。むしろ中世の貴族や資産家が傭兵を雇って自分達の取り分を増やすために戦争をしている姿に戻りつつあると考えるほうが理解しやすく、米国でもブラックウオーターなどの傭兵企業が大きな役割を担うようになっています。

 

長いコメントで恐縮ですが、しばやんさんの渾身のブログを拝見してそのような感慨を持ちました。中国は国内の人民解放軍が中世の軍閥化しつつある事を危ぶんで国民国家型の軍(党の軍ではなく)に変換しようと試みているように見えます。強力な軍を背景にした国家資本主義が中国の目指す「21世紀生き残り戦略」のように見えますが、そのとばっちりを日本があびないようにうまく振る舞って行く必要があると思います。

 

(転載終わり)

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南スーダン情勢について

2014-01-06 18:46:38 | 政治

昨年末から自衛隊がPKO任務で派遣されている南スーダンについて話題になっています。しかし網羅的に適確に状況を説明しているメディアが見当たらず、自衛隊の保有する小銃弾を韓国の部隊に譲った事が武器輸出にあたるかといった皮層な論議しか見当たりません。CNNなどの海外メディアでは断片的ではありますが、連日南スーダン情勢が報道されていますが、日本のメディアにとって、武器輸出云々は大事な問題だったけれども大規模な民族虐殺事案に至りそうな事件本体については無関心のようです。

 

南スーダン共和国は2011年にスーダン共和国から分離独立した新しい国家で、イスラムと非イスラムで争ったダルフールに加えて砂漠地帯が少ない南スーダンの独立はその地域の人達にとっては悲願であったようです。南スーダン内部でも古くから民族対立があり、独立にあたって一時的に呉越同舟になっていた南スーダン軍が2013年の7月に主要部族と異なる出身の副大統領が解任されてから副大統領を支持する反乱軍が組織されて内戦に突入したようです。そのあたりの説明はdoragonarさんの記事に詳しいので参照してください。

 

今回既に1月2日の時点で反乱軍によって包囲されてしまった韓国軍駐屯地に虐殺(の怖れが高い事)と戦乱から逃れた難民が多数押し寄せていて、より北部に駐屯するインドの部隊では隊員に死傷者まで出ている状況を鑑みて隊員一人数十発に相当する分でしかありませんが、韓国軍から自衛隊に銃弾の提供要請が出された事は状況から見て理解できるように感じます。事態は週単位で大きく変化しており、駐屯開始時には戦闘地域になかったPKO部隊に銃弾の十分な備えがないことを責めることはできません。従って日本政府が人道上の緊急事態として銃弾の譲渡を緊急に決めた事は(安倍首相のやることが全て褒められた物とは全く思っていませんが、この件については)極めて当然の事と私は思います。

 

問題はそれを武器輸出と同次元に扱って政治問題化しようという「日本国内における問題意識のあり方」と「軍」による国際的な協力要請を、協力を受けてから「そんなに必要じゃなかった」とコメントした韓国政府の素人ぶりにあります。武器輸出というのは「商売」の話です。今回は国連を通しての緊急要請に応えたものであって武器を輸出した訳ではありません。国連事務総長の「感謝する」という公式声明からも政府の決定は国連憲章に照らして問題ないものであると言えます。また韓国政府は他国に「軍事的協力要請(例え銃弾の供給のみであっても)」を行っていながら後から「やはり要らなかった」などということは国際的な信用問題として絶対言ってはならない基本事項です。援軍を要請しておきながら助けてもらった末に「来なくても良かったんだけどね」などという国に誰が今後命がけで助けに行くでしょうか。下手をすれば途中で敵方に寝返って返り討ちに会うかもしれないような相手を今後真剣に助ける国はなくなるでしょう。それくらい「軍」にかかわる対外的な意思表示は明確かつ途中で変えてはならないものであり、慎重に扱わねばならない事項です。韓国は朝鮮戦争もそれ以降の米軍への「助っ人戦争」も自国が主導して行った事がないので自国軍が主体的に意思表示を行う事の重大性について考えてみた事もないのだろうとは思います。しかし、北が攻め込んできても韓国軍を助けにいった結果「来なくてもよかった」「北がすんなり統一する機会が失われた」などと後から言われる事が今回の事で十分予想されることが解ったのですから、米軍としても今後の朝鮮半島へのコミットについてはいろいろと内部で検討する機会にはなったことでしょう。韓国政府としては憎らしい日本であっても「この件については感謝する」とすぐさま公式声明を出す大人の対応を渋った「大ちょんぼ」はおおきなツケとなることでしょう(このような指摘をするメディアがいないのは不思議に思います)。武器輸出については次期トルコ製戦車に三菱重工のエンジンを使おうとか、攻撃ヘリに日本製のエンジンを使おうというような商売の方が問題なのではないでしょうか?

 

1月5日にはエチオピアで南スーダンの停戦について協議が開始されたそうですが、3日には首都Jubaにある米国大使館の館員達の殆どは国外に避難したと伝えられています。我が自衛隊のPKO部隊に被害が及ぶ事がないよう祈るばかりですが、今回の急激な展開は自衛隊のPKO活動にとっても大きな試練になると思われます。「自衛隊がいる所はすなわち非戦闘地域なのだ」と豪語した首相がいましたが、今回は明らかに戦闘地域になろうとしているのですから。解決策は協議による早期停戦の実現と国連軍の増派しかありませんが、虐殺が起こってしまい双方の憎悪が高まってしまうと収拾がつかなくなりそうです。

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仁の思想を加味した日本型民主主義を創造できるか

2014-01-02 14:26:02 | 政治

年初にあたって、希望的な雑感です。前回のブログを含んで、日本人には独特の考え方や政治への姿勢があって、どうもそれは西欧で形作られてきたデモクラシーをそのまま取り入れようとしても受け入れがたいのではないかと予想されました。

 

歴史上、数ある政治形態の中では「デモクラシー」というのが一番良さそうだということにはなっていますが、それは絶対的な真実ではありませんし、人類の衣食住が足りて、ある程度の自己実現が可能で生き甲斐がある人生が保証されるならば独裁制だろうが哲人政治だろうが「政治形態は人間が良く生きるための方便」でしかないのですから構わない訳です。本当は一部の人間の利益にしかならないのに、「国民全ての利益」だと騙して戦争を仕掛けたり、窮乏生活を強いたりすることは形の上では民主政治であっても許されない事です。

 

先の選挙の結果などを見ても、日本人は政治に不満があってもそれを自分から積極的に変えて行こうとはしません。というより「現在の日本にはこのような政治が望ましい」という具体的なビジョンを明確に示す事をあまり好まない傾向があるように感じます。「何とか良きに計らってくれる」のが良い政治だと考えている国民が殆どではないでしょうか。であるならば、数々の選択肢を明示されて、そこから自分に最もふさわしい政治を選んで行くような民主主義のやり方は「日本では無理」と考える方が良いと思います。

 

諸外国の民主主義も教科書どおりの民主主義が行われているかについては怪しい所が多いと思います。共産中国は「中国独自の民主主義のあり方」と現在の状態を強弁しているようですし、米国の民主主義も資本家(権力者)が決めた選択肢を民衆は選挙で選んでいるに過ぎません。欧州についても海賊党とか緑の党といった民衆から出てきたと思われる勢力もありますが、貴族制が元になったエリートを中心とした民主主義であるように見えます。だから日本は日本で教科書的ではないけれど、歴史的な日本人のDNAに染み付いている方式の民主主義があっても良いでしょう。私はそれを「仁の思想を加味した民主主義」とでも呼べばよいと思います。「仁政」は「お上」(殿様、今では政府や官僚)が下々(民衆)の事を思いやって、放っておいても良い政治をしてくれることを期待する替わりに「お上」には楯突かない、という儒教思想に基づいているものであって、江戸時代の300年は大きな戦争もせずにそれでやってきた訳です。村社会においては「寄り合い」による決め事や地主や有力者による決定事項がそれなりに為政者側にも影響力を持って作用していたのであり、実際の所は現在の政治状況とあまり変わらないのではないかとも思います。大事なのは「士農工商」と実際に「金と力」を持っていた商人の身分が一番低く、権力がある士が貧しかったから何とか秩序が保たれてきたのだろうと思います。

現在の中国は共産党員が金も力も持ってしまったという点で権力構造が長続きする条件を欠いてしまっています。共産党員は貧乏で一切の私有財産を持たないが、不正を働く金持ちを一刀両断で無礼討ちにしても良い、という権力構造にしていれば、中国の共産党政権は100年以上続く不動の政権になったことでしょう。

 

日本型の民主主義は国民の側にも為政者の側にも「仁」の思想が身に付いていないと成り立ちません。一神教であるキリスト教、イスラム教などの世界では各自の行動が「神との契約」に規定されているから「周りの人にとって良い事が自分にとっても良い事」という思想を完全に取り入れることは不可能だろうと思います。「日本型民主主義」などといってもうまく綱領化することはできないと思われるので、それを他国の人達に説明するのは難しそうです。しかし日本人同士であれば、「仁の心」は理解し合えると思うので、物事を決めるにあたって、ごまかす事なく(一部の人の不利益になってもより広い)「皆の利益になる事」をきちんと説明した上で合意を取る事を怠らなければ日本型の民主主義はうまく機能するのではないかと愚考します。

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