rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

ナショナリストと右翼

2013-10-23 22:44:03 | 社会

しばやんさんの興味深いブログ記事にコメントを書かせていただいたのですが、自分のブログにも備忘録的に少し考えをまとめておこうと思います。

 

民族主義、愛国主義と右翼は戦後同義として捉えられていたように思います。軍人は愛国的でないと勤まりませんから自衛官=右翼と考える人は沢山いました。しかしこれは正しい認識でしょうか。

 

日本は大戦中ソ連との不可侵条約を破る事なく、大戦後半ではソ連を信用してあわよくば英米との仲介をしてもらおうなどとまで考えていたと言われています。元々満州を作ったのはロシアの南進を恐れた日露戦争からの継続でソ連の南進を防ぐ国防のためであったはずなのに、本来仲良くやろうと思っていた中国との戦争に引きずり込まれ、日本経済を発展させる上で重要な隣国であり、貿易の盛んであった米国との戦争まで始めてしまいました。

 

何らかの陰謀でこうなった、と言っても仕方ない(陰謀に乗る方が阿呆だから)訳で、当時の俊才達が知恵を巡らせて国家を操縦していたにしては基本方針が守られていないように感じます。

 

「くくり」から言えば、共産主義者や資本家はグローバリストであり、軍人や農民はナショナリストです。共産主義国家であっても軍人はナショナリストであって国際共産主義者の思想とは相容れません。だから目付役の政治将校が必要になるのです(特に旧東欧圏とか)。現代中国は資本主義とナショナリズムに走った時点で共産党自体が共産主義などどうでもよくなっているのが現実で、中国軍は党の軍隊なのですが、蓄財に走ったりしてかつての地方軍閥のようになっている所もあると聞きます。ここで右翼左翼というくくりを彼らのそれぞれに当てはめようとすると訳がわからなくなります。戦後日本で使われていた右翼左翼の定義は極めて情緒的で曖昧であり、日本の左翼は韓国のナショナリストと結びついていたり、資本主義を推進する右翼がグローバリズムのお先棒をかついでナショナリズムに反する行動をとったりしました。

 

米国は共和党がナショナリストで民主党が資本家を中心としたグローバリストというくくりが解りやすかったのですが、ネオコンと呼ばれるグローバリストが共和党に入り込んでややこしくなりました。現在の茶会は本来のナショナリスト、リバータリアン的なやや極端な人達ですが、共和党を元の状態に戻そうとしているようにも見えます。ソ連のシンパが入り込んできたのもグローバリストの民主党側に多かったと思われます。

 

小泉政権以来の自民党は従米の中でも米国のグローバリストに従うことを旨としてきました。本来ナショナリストの安倍晋三氏がグローバリストのオバマ政権に盲従しているからやっている政策に一貫性がない状態になっているのです。安倍首相は従うならアメリカのナショナリスト達に従えば良いのにと思います。

 

今では右翼と呼ばれる人達の中に似非右翼(愛国主義と関係なく単なる反共、反社会組織とつながって北朝鮮からの覚せい剤などを扱うための組織、日本人が愛国心を持たないように意図的に戦前を想起させる言動をとるなど)が入り込んでいることが明らかになったのですが、ナショナリストとは本来健全な社会人で国際的にどの国に行っても通用するエリート層の人達のはずです。私のコメントに対するお答えで「しばやんさん」も近衛上奏文にある「右翼は国体の衣をつけた共産主義」と喝破している部分を紹介しており、軍部官僚にもマルクス主義的思想が広まっていたのではと指摘されているのは非常に興味深いと思いました。

 

大きな政府か、小さな政府か、という選択はグローバリストであれば小さい政府で自由な方が良い、税金も払わずタックス・ヘイブンに逃げることを良しとすることになるのでまたややこしいことになるのですが、ナショナリストとしては政府がしっかりしていないと国が危ういことになるのである程度大きな政府を容認する方向になると思われます。ただ「国民が飢えているのに先軍政治の北朝鮮」や、「グローバリストのための使い切れないほどある米国の軍隊」のような馬鹿げた状態は大きな政府の悪い見本でしかないでしょう。

 

右翼左翼についての考えは以前ブログでまとめたことがあります。また初めの話題については、日本は米英の帝国資本主義グローバリズムと戦うために、場合によってはソ連の帝国共産主義グローバリズムと一時的に手を結んでも良いくらいに考えていたのかもしれないと思うのですがどうでしょう。

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米国対イスラムの映画2題の感想

2013-10-15 12:51:50 | 映画

ゼロ・ダーク・サーティ 2012年(米) キャスリン・ビグロー監督 ジェシカ・チャスティン主演

 

2010年にハート・ロッカーでアカデミー作品賞と監督賞を受賞したキャスリン・ビグロー監督が、2011年5月のアルカイダ指導者で911の首謀者とされたウサマ・ビンラディン氏をパキスタン北部のアボタバードの隠れ家をNavy Sealsを使って急襲殺害した事件を主題にそれにいたる過程をCIA女性捜査官マヤを主人公に2012年に制作した映画。2013年のアカデミー賞にノミネートされましたが、後に紹介するアルゴが獲得しました。

 

中国の作家が当局から発禁や逮捕されない程度に暗喩・比喩を滲ませて国家社会の現状を描く事に長けているように、このキャスリン・ビグローという監督も「反米」というレッテルを張られて映画界から追放されない程度に、「アメリカ酷いよね」という映画を作る事に長けているとハート・ロッカーの感想で紹介しました。この映画もその路線を踏襲していて、911の首謀者とされるビンラディンを執拗に追求して潜伏先を確定し、殺害を国家に要求するというCIA女性捜査官のヒーローぶりを描きながら、実は映画の前半はナチス顔負けの容疑者への拷問が延々と続いたり、アルカイダへの捜査が失敗して逆に自爆テロに遭う様子、CIA(国家)のアルカイダへの興味が事件後数年して既に消失して対策班も気がついたら1班だけになっていたこと、ビンラディン殺害ミッションも国益の上からは不必要と思われる状態で、しかも本当にビンラディンだったかも疑わしいのに行われた事など赤裸に描かれています。

 

この「本当に彼だったのか」という最も重要な主題は最後まで明確にされず、マヤが死体を確認した時に「彼だ」と言って頷くことで証明されたことになっているのですが、あの状況では死体が誰であっても「彼だ」といって頷く他ないという状況が映画でしっかり描かれていた事で状況の真実性が十分伝わったように思います。この映画で描かれた内容(ヘリの墜落とかも)が真実だろうということはAFPBBなどの記事からも解るのですが、「殺害されたのが誰であってもビンラディンだったことにしておく」というのが「真実」ですと良く描いたものだと感心します。現に殺害されたのがビンラディンであったという決定的な証拠は写真一枚すら未だに発表されていません。マヤにとってはビンラディンを殺害することは10年の人生をかけた重大事でも米国にとっては既にどうでもよいことになっていた、という真の状況を実に上手く映画化したものだと思います。アルカイダはビンラディンを中心とした中央集権的な組織などでは全くなく、散在性に多数の司令塔を持つ緩いネットワークからなるイスラム原理主義の反米組織であることは我々でも知っている常識であって、あそこでビンラディンと思われる人物をパキスタン領内で軍を使って殺害してもテロが減る訳でもなく、逆に米国にとってパキスタン・アフガニスタン内に敵を増やしただけに終わることは米国の指導者達にも明白でした。今やシリアではアルカイダが加わる反政府組織にアメリカが支援をしようという世の中です。マヤが容疑者を拷問してまで追求した国益(米国が豊かになること)は、今日、政府組織の閉鎖や債務上限の突破による国家デフォルト危機という形で結果が出てきているのですが、テロとの戦争で誰が儲けたのかを米国民が改めて問うにはとても良い映画だと思いました。

 

 

アルゴ 2012年(米) ベン・アフレック監督・主演

 

1979年のホメイニ・イラン革命の際に起こったアメリカ大使館人質事件で、大使館から脱出してカナダ大使公邸に匿われた6名のアメリカ人(実際はスエーデン大使公邸などを点々としていたらしい)をカナダの映画スタッフと偽装させて2ヶ月後に無事脱出させるまでを描いた映画。イランの人達が米国を敵視するに至った自業自得的な経緯も初めに紹介されているのですが、映画の主体は、この奇想天外な脱出作戦をイランの革命防衛隊の裏をかいていかに成功させるかという点に描かれていて、ややスペクタクルに作り過ぎで非現実的との面も指摘されていますが、映画は映画で良いと思いますし、私としては「映画的」によくできていて飽きさせない内容でした。

 

ベン・アフレックはマット・デイモンと脚本を共作した「グッドウイルハンティング(1997年)」でも金をかけずに良い映画を作る才能を見せてくれましたが、このアルゴでは「人を殺さずにイスラム相手に手に汗握るスペクタクル作品が作れる」という見本を示してくれたように思います。その点「ゼロ・ダーク・サーティ」とは対象的で、前者でなく「アルゴ」が2013年のアカデミー作品賞を獲得したのも頷けます。服装や電子機器などの考証もよくされていて、アメリカに夢が持てた時代を表現しています。8/10点は付けられる作品です.

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書評 タックス・ヘイブン

2013-10-09 21:21:15 | 書評

書評 「タックス・ヘイブン」—逃げていく税金 志賀 櫻 著 岩波新書1417 2013年刊

 

東京大学在学中に司法試験に合格する俊才である著者が、卒後大蔵省に入省し、その後税務畑を歩む中でOECDなどの国際的な場で日本を代表して活躍するようになり、一時警視庁に出向してこれまた湾岸戦争などの国際舞台を経験する中でタックス・ヘイブンとの関わり、諸外国の税務関係者と共にタックス・ヘイブンをどう対処するか奮闘した経緯などを一般の読者にも解りやすく解説したもので、非常に興味深くスラスラと読んでしまいました。

 

タックス・ヘイブンの特徴として1)まともな税制がない2)固い秘密保持法制がある3)金融規則や法規則が欠如している、といったことがあげられ、高額所得者や大企業による脱税・租税回避、悪徳資金のロンダリングやテロ資金の隠匿、投機マネーによる秩序ある経済の破壊、の温床になっていると説明されます。

 

タックス・ヘイブンには、バージン諸島やクック諸島などの南の孤島、モナコやサンマリノなどの都市、金融センター(ウオールストリートやロンドンのシティ)内のオフショアセンターなど様々な形態があって、それぞれに特徴があると解説されます。本書ではこれらのタックス・ヘイブンで実際にどのような租税回避が行われているかが解説されると共に、日本を含めた諸外国がいかに協力してタックス・ヘイブンによる租税回避に対抗してきたかについても解説されます。私などは、米英は「政府がらみでグローバリズムの権化」のように普段感じているのですが、米英の税務当局も決してタックス・ヘイブンを放置しているわけではなく、何とか税を回収し、悪徳マネーを表に引きづり出そうと四苦八苦していることが示されます。マネーロンダリングと取り組むFATF(financial action taskforce)とか国際金融について問題を話し合うFSB(financial stability board)などの国際機関について、実際に著者が参加した内側からの解説は非常に興味深いものがあります。

 

タックス・ヘイブンも経済の発展のためには悪い所ばかりではなく、きっとそれなりに必要悪な部分もあるのでは、と私のような経済の素人は思ってしまうのですが、著者の揺るぎない視点は「タックス・ヘイブンは人類にとって百害あって一利なし」という立ち位置で貫かれており、安心感を持って読み進むことができます。

 

著者も指摘しているのですが、タックス・ヘイブンを利用しているのは民間ばかりではなく、「MI6やCIAなどの各国諜報機関もからんでいることがある程度解っているから厄介」と暴露しているのですが、「タックス・ヘイブン退治のための新たな税制」や「秘密を暴露させる法制」について解説があり、少しずつ実効性を持ってきていることは希望を持たせます。

 

NHK特集のブログでも触れましたが、強大なマネーによる金融マネーゲームによって金融が不安定になると、庶民が額に汗して働いた所得から納められた税を原資に政府から金融機関救済の補助金交付がなされたり、国債が発行されたりして金融の安定が計られるのですが、それらは税を納めた庶民の元には還元されず、富裕層や巨大なファンドに吸い上げられてタックス・ヘイブンを経由してより大きな行き場のないマネーにと変わってしまいます。日本も消費税増税が決まりましたが、これらの税が日本の国民のために使われて我々の所得となって還元されるのならば問題がないのですが、景気刺激のためにこの20年間使われてきた政府の支出は、結果的に日本の経済を回す事に使われず、行き場のないファンドマネーとして国民の手から離れていった事が問題なのです。そしてこの事を皆が解っていても解決策がなかったことが一番の問題だと日本だけでなく、国際的に共通の認識ができてきたのだ、とこの本を読むと感じます。つまりこれは日本だけではなく、米英、欧州、そして中国でも対策をとりはじめているということです。

 

行き過ぎた管理社会につながる危惧はありますが、各国の行政官僚によるタックス・ヘイブン(強大なファンドマネー)退治という国際協力を私は支持します。「タックス・ヘイブンを利用する者は必ずそこに居住し、それ以外の国に入国する際は10億円の入国料を払うこと」というような国際協約を作ってもよいと私は思います。オフショアセンターはなくても普通の庶民は困りません。庶民と関係のない世界の超富裕層の方達はアンパン一個500万円といったタックス・ヘイブンの小島で一生暮らしたら幸せだろうと思います。

 

これは私の妄想だけではなく、本書でもシチズンシップ課税、出国税、以前ブログでも紹介した金融取引税・トービン税などの新しい税のありかたとして紹介されています。

 

著者の志賀氏は1949年生まれの60台の方ですが、ひ弱な東大の秀才というより銃弾の飛び交う紛争地にも乗り込んで日本の国益を追求するといった男気を感ずる頼もしい方であり、文章も簡潔明瞭で解りやすい、世の中に対する基本姿勢もぶれない、という点で本書は十分一読に値する書籍と思いました。

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政府機関を閉鎖してでも国民皆保険が否な米国

2013-10-02 21:20:12 | 政治

米国の政府機関が10月1日から一部を除いて閉鎖されてしまいましたが、その原因が「オバマケア」と呼ばれる医療保険制度を共和党が絶対に認めたくないから、ということについて日本ではあまり詳しく報道されていません。

 

野党共和党が多数を占める米下院は、医療保険制度改革の実施を1年遅らせることを盛り込んだ来年度予算案を9月29日に可決したのですが、与党民主党が多数を占める上院が拒否して空転。12月15日までの暫定予算も下院が可決したものにはオバマケアに関する予算が含まれないために、上院はこれを拒否してとうとう10月1日からgovernment shut downになってしまいました。数日前からアメリカのニュース番組などでは大騒ぎになっていましたが、日本では殆どスルーされていました。さすがに10月1日になってからは報道されるようになりましたが、今ひとつ「大変だ感」がありません。10月中旬に政府債務が再び上限に達する事態も差し迫っているのですが、こちらもあまり緊張感のある報道はされていないように思います。

 

政府債務の上限は今までも何度も(戦後90回とも)引き上げられてきたので、今回もぎりぎりの所でデフォルトになる前に引き上げられるだろうという楽観論があるのだとは思います。またオバマケアの問題もマケイン氏など共和党の一部からも「余りに大人げない対応は良くない」という声も出てきているので、どこかで妥協するのでしょう。そこまで計算ずくで日本であまり報道されないのならばメディアの見識と言えるかも知れません。

 

米国で国民皆保険が嫌われる理由の一つは、米国の医療制度が商業主義的であり、民間の保険や病院が高い利益をあげている事があげられます。公的保険であるメディケア(高齢者)やメディケイド(貧困者)は価格統制があって医療機関はあまり収益をあげることができません。今回のオバマケアでは国民全員が何らかの医療保険制度に加入することが義務づけられて、いままで既往歴があると加入を断られていた民間保険に代わって、Marketplaceという政府系の保険ならば誰でも制限なく加入できるようになります。しかも乗り換えもできるので民間保険会社としては自由に商業主義を貫く事ができなくなります。目標としては日本のような診療報酬制度でがっちりと保健医療を統制してゆくことが目標ですから、医療者側も収入減と多忙化を覚悟せねばならず、嬉しくない状況です。

 

アメリカは「医学は一流ですが、医療は三流」とは、私が10年前から言い続けてきたことですが、アメリカの医療者達は日本の医療者のようなサービス精神はなく、あくまで商業主義的であることは知っておくべきです。まだヨーロッパの医療者達の方が日本の医療者に通ずる奉仕精神があるように感じます。それはカソリック的な宗教観とプロテスタント的な資本主義の精神の違い(マックスウエーバーの項参照)かも知れません。とにかくブロイラーのように患者を5人並べて次々と前立腺のロボット手術を行い、後のフォローはしないで高給をもらうとか、全体のプロセスの一部に特化した医療作業だけを流れ作業的にこなしてゆく、といったことが抵抗なく行われるのがアメリカ的医療です。しかも費用は高い。

 

ただ、現在の米国は日本と違って返す当てのないGDPの倍以上の債務というのはなく、財政再建は比較的順調に進んでいると言います。そんな中でメディケア、メディケイドの占める予算が膨大(少し伸び率が減少とも言われるが<図はリンク先から引用しました>)なところに新たな政府系保険に莫大な医療費がかかることが予想されるのですから、頑張って財政再建に取り組んできた議会としても安易に賛成できないという面もあるでしょう。もっとも地方財政は次々と破産状態になっているので、今後どうなるかは何ともいえませんが。

 

私は、国民皆保険は「国民が健康を維持することで国力を維持できる源」として重要であって、国防力に等しい大事な制度だと思います。愛国心があるなら、国民皆保険は堅持するほうに賛成しないとおかしい。グローバリストで国家など関係なく、世界中好きな所で金を稼ぎ、遊んで、医療も金をかけて存分にやってもらう(医療ツーリズムはこの思想)という人にとって国民皆保険は邪魔な存在でしょう。どうも愛国心を普段やかましく言う米国で、国民皆保険の精神が希薄なのは不思議に思います。

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