米国の覇権国家としての権威も力も失墜してきた現在、次の覇権国家がどこになるか、或は覇権国家というものは存在しなくなるのかが注目されています。軍備拡張と経済で中国が米国の後を継ぐ覇権国家になるのは無理があるだろうと以前ブログで書きました。その理由は世界に冠たる覇権国家になるには、他国がその国を手本とするようなある種の理想像がその国家に必要とされるからです。かつての覇権国であったスペイン、イギリス、アメリカとも経済や軍事のみならず、その時代の先端をゆく文化があり、周辺国の手本となり、またその国に移住したいと思わせる魅力がありました。しかし現在の中国には手本となる文化も政治もありません。あるのは原始的な強欲資本主義と収賄にまみれた強権的な政治体制、前世紀的な帝国主義思想に基づく軍備拡張主義だけです。これではどの国も付いてきません。では、どうすれば現在の中国が次代の覇権国家になれるでしょう。それには上に挙げた「欠けているもの」を補うことが必要になると思います。
1) 原始的な強欲資本主義を正す
前項で「ポスト資本主義を意識した経済体制」の必要性を説きましたが、資本主義の最大の欠点は富の偏在であり、富の再分配が確実に行われれば経済も社会も健全なものになると説明しました。中国は共産党政権であり、本来は国民が皆等しく豊かになることが原則のはずです。共産主義の本旨に則れば、資本主義の最大の欠点を正すために個人の所得や富の私有に上限を設けることは理にかなった事であり、法制化することも可能なはずです(やる気の問題だけです)。つまり資本主義を標榜する国家の中で一番「ポスト資本主義」の望ましい体制に移行しやすいのは実は中国であると私は思うのです。
紙幣を発行する中央銀行は西側諸国と異なり完全に国家の統制下にあるはずです。だから金融の舵取りも西側諸国よりも国家の自由にできるはずです。
私は日本の江戸時代に倣って、富と権力を分けることがポスト資本主義経済の秘訣ではないかと考えます。江戸時代は侍が一番えらいことになっていましたが、実は身分の一番低い商人が一番の金持ちでした。だから共産党員には強権を与えて政治権力者として庶民を強く取り締まる権限を与える代わりに共産党員には蓄財や資本主義的な利益追求を認めない(公務員としての給与のみ)とする事、不正を働いた共産党員は即公開裁判で重罰に処するといった体制を取る事で現在の収賄にまみれた政治を一掃することができるのではないかと考えます。(習近平氏はそのような事を目指しているのかと最近の動勢から感ずる事もあります)
2) 強権的な政治に柔軟性を持たせる
不正に対しては強権的に対応しても、地方の自治といったことに対しては柔軟性を持たせても良いのではないでしょうか。但し、中国のような巨大国家では中央集権の手綱を緩めるとすぐに国家分裂の方向に向かう可能性もあり、元々民族が異なる地方毎に連邦制を設けるといったことは独立国の乱立につながりかねない危惧があることも確かです。対外的には中国という国家としての連帯を保ちながら地方の独立性も担保できれば、中国という国はかなり魅力的な連邦国家になって行く可能性があると思います。それには中国という国家に属していることが各民族にとって得であると感じさせる必要があります。
3) 協調性に基づく外交
軍備を楯にして領土領海を広げて行くような帝国主義的な覇権主義は19世紀から20世紀にかけて日本や西欧列強の帝国主義に恣にされたリベンジとして「一度やってみたかった」事だろうとは思いますが、中国人が自らを賢いと自負するならば、今時これをやっても世界中から軽蔑されるだけだということに気がつくべきでしょう。核弾頭とICBMはあるのですから、後は警察的な軍隊を国際的な治安維持のためだけに最小限保持するといった体制を取ってゆくことで近隣国との摩擦を少なくすることが可能と思われます。本来冊封体制というのは配下の諸国に対して細かい口出しはせず、軍事的な侵略も殆ど行わずに保たれていたはずです。統治体制は盤石でも軍隊は弱かったというのが歴代中国王朝だったように思います。その方が実は諸外国から慕われていたといえるのではないでしょうか。
ということで思いつくままに中国が次の覇権国家になるための条件を書いてみましたが、これらは絶対実現不可能といえるものではないように思います。行き過ぎた金満資本主義による格差社会の拡大、不正や黒社会の跋扈、バブル経済の行き詰まり、チベットやウイグルなどの民族問題など、中国社会は問題山積と言えます。とても周辺諸国が羨むような状態ではなく、覇権国家としての条件も満たしていません。しかし現状を変えて覇権国家にふさわしい社会に変えて行くことも可能ではないかと私は思います。とんでもない馬鹿野郎も沢山いますが、想像を超えた優秀な人材も中国には多数いることは明らかなのですから。