rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

中国が次の覇権国家になるには

2014-12-25 00:19:04 | 政治

米国の覇権国家としての権威も力も失墜してきた現在、次の覇権国家がどこになるか、或は覇権国家というものは存在しなくなるのかが注目されています。軍備拡張と経済で中国が米国の後を継ぐ覇権国家になるのは無理があるだろうと以前ブログで書きました。その理由は世界に冠たる覇権国家になるには、他国がその国を手本とするようなある種の理想像がその国家に必要とされるからです。かつての覇権国であったスペイン、イギリス、アメリカとも経済や軍事のみならず、その時代の先端をゆく文化があり、周辺国の手本となり、またその国に移住したいと思わせる魅力がありました。しかし現在の中国には手本となる文化も政治もありません。あるのは原始的な強欲資本主義と収賄にまみれた強権的な政治体制、前世紀的な帝国主義思想に基づく軍備拡張主義だけです。これではどの国も付いてきません。では、どうすれば現在の中国が次代の覇権国家になれるでしょう。それには上に挙げた「欠けているもの」を補うことが必要になると思います。

 

1)      原始的な強欲資本主義を正す

 

前項で「ポスト資本主義を意識した経済体制」の必要性を説きましたが、資本主義の最大の欠点は富の偏在であり、富の再分配が確実に行われれば経済も社会も健全なものになると説明しました。中国は共産党政権であり、本来は国民が皆等しく豊かになることが原則のはずです。共産主義の本旨に則れば、資本主義の最大の欠点を正すために個人の所得や富の私有に上限を設けることは理にかなった事であり、法制化することも可能なはずです(やる気の問題だけです)。つまり資本主義を標榜する国家の中で一番「ポスト資本主義」の望ましい体制に移行しやすいのは実は中国であると私は思うのです。

紙幣を発行する中央銀行は西側諸国と異なり完全に国家の統制下にあるはずです。だから金融の舵取りも西側諸国よりも国家の自由にできるはずです。

 

私は日本の江戸時代に倣って、富と権力を分けることがポスト資本主義経済の秘訣ではないかと考えます。江戸時代は侍が一番えらいことになっていましたが、実は身分の一番低い商人が一番の金持ちでした。だから共産党員には強権を与えて政治権力者として庶民を強く取り締まる権限を与える代わりに共産党員には蓄財や資本主義的な利益追求を認めない(公務員としての給与のみ)とする事、不正を働いた共産党員は即公開裁判で重罰に処するといった体制を取る事で現在の収賄にまみれた政治を一掃することができるのではないかと考えます。(習近平氏はそのような事を目指しているのかと最近の動勢から感ずる事もあります)

 

2)      強権的な政治に柔軟性を持たせる

 

不正に対しては強権的に対応しても、地方の自治といったことに対しては柔軟性を持たせても良いのではないでしょうか。但し、中国のような巨大国家では中央集権の手綱を緩めるとすぐに国家分裂の方向に向かう可能性もあり、元々民族が異なる地方毎に連邦制を設けるといったことは独立国の乱立につながりかねない危惧があることも確かです。対外的には中国という国家としての連帯を保ちながら地方の独立性も担保できれば、中国という国はかなり魅力的な連邦国家になって行く可能性があると思います。それには中国という国家に属していることが各民族にとって得であると感じさせる必要があります。

 

3)      協調性に基づく外交

 

軍備を楯にして領土領海を広げて行くような帝国主義的な覇権主義は19世紀から20世紀にかけて日本や西欧列強の帝国主義に恣にされたリベンジとして「一度やってみたかった」事だろうとは思いますが、中国人が自らを賢いと自負するならば、今時これをやっても世界中から軽蔑されるだけだということに気がつくべきでしょう。核弾頭とICBMはあるのですから、後は警察的な軍隊を国際的な治安維持のためだけに最小限保持するといった体制を取ってゆくことで近隣国との摩擦を少なくすることが可能と思われます。本来冊封体制というのは配下の諸国に対して細かい口出しはせず、軍事的な侵略も殆ど行わずに保たれていたはずです。統治体制は盤石でも軍隊は弱かったというのが歴代中国王朝だったように思います。その方が実は諸外国から慕われていたといえるのではないでしょうか。

 

ということで思いつくままに中国が次の覇権国家になるための条件を書いてみましたが、これらは絶対実現不可能といえるものではないように思います。行き過ぎた金満資本主義による格差社会の拡大、不正や黒社会の跋扈、バブル経済の行き詰まり、チベットやウイグルなどの民族問題など、中国社会は問題山積と言えます。とても周辺諸国が羨むような状態ではなく、覇権国家としての条件も満たしていません。しかし現状を変えて覇権国家にふさわしい社会に変えて行くことも可能ではないかと私は思います。とんでもない馬鹿野郎も沢山いますが、想像を超えた優秀な人材も中国には多数いることは明らかなのですから。

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ポスト資本主義を意識した政策が出なければ選択しようがない

2014-12-09 18:53:48 | 政治

安倍首相の突然の憲法7条に基づく解散によって衆議院選挙が行われる事になり、投票まで1週間を切りました。争点はアベノミクスの正否だそうです。異次元の金融緩和で市中に出回る「円」の量を倍にして(第一)、公共投資を増やす(第二)、そして民需を活性化する成長戦略と構造改革が第三の矢だったようですが、1、2番目はともかく3番目は目を凝らしてもよく見えない気がします。このアベノミクスを評価したら「自民」に投票、失敗と考えて景気回復にマイナスとなる消費増税延期に賛成するなら「自民」に投票となります。あれれ、アベノミクスを争点にすると自民に投票するしかなくなります。

 

自民以外の政党が経済政策について、アベノミクスに変わる政策を具体的に挙げているかというと「全くない」が現状です。だから争点を経済以外の集団的自衛権や機密保護法、せいぜいTPPなどにせざるをえないのですが、「アベノミクスを争点に解散する」と宣言されてしまったのですからたまりません。京都大学名誉教授 伊東光晴氏は2014年12月の「選択」誌巻頭で「日本経済への処方箋はない、景気停滞期には安静にしてやり過ごすしかないし、できないことを見抜く叡智が必要。企業毎、自治体毎に対処方法は異なるはず」と述べています。特にケインズ的有効需要政策でバブルが起きるだけになったら何の意味もない、と注意を喚起しており、真の需要に基づかない見せかけの景気刺激策に釘を刺しています。

 

日大国際関係学部教授で経済学者の水野和夫氏の著作である「資本主義の終焉と歴史の危機」集英社新書(0732A)2014年刊は、資本主義が発展しつくすと経済成長は不可能になり、後はバブルとその崩壊を繰り返すしかなくなるということを解りやすく検証的に示した好著です。15世紀に中世から近代へ、そして帝国主義の時代へと地理的な拡大に伴って経済が拡大してきた時代を経て、20世紀後半からグローバリゼーションによって地球規模の地理的拡大が限界に来ると次は21世紀にITを駆使した信用経済、架空的空間や先物といった時間的な広がりをも利用した経済拡大が行われてきました。今や実物経済の規模が全世界で74,2兆ドルであるのに対して、電子金融空間には余剰マネーがストックベースで140兆ドルあり(IMF試算)、これにレバレッジを効かせたマネーゲームによって実体経済が稼ぎだすよりも多くの利潤が生み出されるようになってしまったのです。しかしこの利潤には実体経済の後ろ盾がないため「王様は裸だ」と誰かが叫んだとたんに価値が0になってしまう、所謂バブルの崩壊が起こって得をする人と大損をする人が繰り返し再生産されるようになっているのです。しかしバブルの崩壊の後始末は全国民が払う税金で政府が企業を救済する形で行われているのが現状、しかも景気刺激策も国民の税金で行われます。現在政策金利が限りなく0に近いということは、資本主義にとって実態経済における生産設備に投資をしても利潤を生み出す可能性が殆どないということを意味します。利潤を生むのがバブルの危険と隣り合わせの金融経済だけということは、資本主義はこれ以上発展しない、「終点にきている」ということを認識すべきなのです。

 

残念ながら資本主義に代わる経済体制というものは現在提案されていません。共産主義や社会主義は既に失敗であることが示されています。資本主義においては「全ての人が同じように富む」という結論はないことになっています。本書によると、せいぜい15-20%の豊かな人と残りの貧しい人ができて資本主義経済はプラトーに達するというのが資本主義というゲームの「上がり」の状態ということです。先進国と途上国の関係、グローバリズムによって国家の壁がなくなってくると、同じ国家の中での勝ち組と負け組の割合がこの比率に収束してくるというもので、まさに日本もそのような状況になりつつあると思います。

 

アベノミクスが金(円)を増やして電子金融空間のマネーゲームに貢献するだけで、実態を伴う経済成長には貢献しない(株は高くなったとしきりに宣伝してますが)とすれば、資本主義の「上がり」の時期を迎えた日本にアベノミクスは見かけの(架空の)豊かさしかもたらさないことになります。今回の選挙でそこ(資本主義が終わっているからアベノミクスが意味がないこと)をはっきり指摘している候補者や党は見当たりません(理解するのも訴えるのも難しいですけど)。

 

私は個人的にポスト資本主義を意識した社会として、ベーシックインカムで全ての国民が「生きては行ける」状態にした上でそれ以上の幸福を求めるなら自分で努力しなさいとう社会を提案したいです。資本主義の致命的な欠陥を補う方法は所得の再分配を確実に行うこと以外ないからです。生活保護も公的年金も失業保険も子供手当も廃止、全てベーシックインカムに統一です。しかしベーシックインカムに基づく社会を維持する税金はしっかり取ります(消費税30%でも良いと思う)、また個人の収入(労働収入も不労所得も含めて)は年間のベーシックインカムの30倍まで(それ以上は税収とする)という社会の創出がよいと考えています。月7万円あれば何とか食べて行けると私は思います。月収200万あればかなり良い暮らしができるでしょう。個人の資産や相続にも限界を設けるべきでしょう。人間はその程度の収入で一生くらしてゆけば「自己実現」をかなえる良い人生が送れるのではないでしょうか。どうせ生まれてくる時は一文無し、死ぬ時も金を持って行く事はできないのです。教育費、医療費は無料にすれば良いのです。何もしない人だらけになる、ということは日本人の性格からしてありえません。諸外国との為替や交易は工夫が必要でしょうし、政府が通貨発行権を持つべきか、その際の信用をどう担保するかといった問題もあるでしょうが、所詮は人間界の決まり事なので何とでも知恵を絞れば解決できる事ばかりでしょう。金が原因で国家間の戦争にさえならなければ良いのですから。

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