rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

書評 「拝金社会主義中国」

2010-05-31 00:38:52 | 書評
書評 「拝金社会主義中国」 遠藤誉 著 ちくま新書2010年刊

著者は1941年長春に生まれ、革命の動乱で共産党軍に降伏する形で命を永らえて53年に帰国、後筑波大学教授となって北京大学日本研究センター研究員など日中両国においてメジャーとなる地位を確立した上で改革開放後の中国社会を第三者的な目で観察している人です。

私はこの本に魅かれるのは、いくら現実主義の中国人と言ってもあれだけ共産主義革命のために資本主義を否定し、殆ど無実の同胞を見せしめのために何千万人も惨殺していながら、最も憎むべきアメリカ型資本主義をいとも簡単に取り入れて何も感じないものだろうか、ということを現地中国人の視点で書いていることです。

学生時代、私の世代は既にノンポリが主流でしたが、経済学部は依然マル経本流でしたし、一世代上の全共闘世代は「左翼にあらずんば人にあらず」と言われた時代で、ソ連中国北朝鮮は「正義」の代名詞として認識され、アメリカ寄りとか体制派というのは何か後ろめたい気持ちを背負わされたものでした。ソ連が崩壊し、北朝鮮は拉致を実行した悪者になり、中国はアメリカ以上の原始的資本主義国家になりましたが、当時ソ連中国北朝鮮を神聖視していた人達が何ら自己批判をすることなく市民運動家に鞍替えして相変わらず正義を名乗っているのはもともとその程度の偽善者達だったと考えれば良いとして、実際に日常生活で処刑や総括が行われ資本主義を一切否定していた中国で何の矛盾も感じないで資本主義化への頭の切り替えができるものなのかが不思議でした。

この本を読むと、「金儲けをしても良い」と初めて言われた中国の民衆が当初は全く信用せず、恐る恐る少しずつ資本主義的になってゆき、何より公共的な立場の人達が有利な地位を利用して金もうけを初めてあっという間に貧富の差ができてしまった経過。革命の主役であった農民が結局資本主義化から取り残されていった経過。一時は無理しても大学に行って高学歴を目指した方が良かったが、現在は大学卒でも解放軍の兵卒や地方の官吏になるのがやっとという実態。有能すぎる女性は却って幸せになれない、というどこかの国と似たような実態、などなど庶民の目から視た改革開放がどんなものであったかが良くわかりました。

そして「富二代、貧二代」と言われる貧富の差の世襲化、固定化、「未富先老・未富先懶」と言われる乗り遅れた者は頑張ってももう金持ちにはなれないという風潮は現在中国の火薬庫とも言える危険な状態と解説します。また激しい階級闘争を乗り越えてきた共産党老幹部はやはり現在の資本主義体制に批判的であるとも書かれていました。

著者は革命の成就と資本主義化の矛盾について中国人は勿論解ってはいるけれど、中国社会の今後を決定づけるのは結局毛沢東の用いた「誰が飯を与えるのか」という論理で決まるのではないかと結論付けています。つまり理屈先行の共産主義の概念では現在の状態は明らかに共産主義ではないし、単なる独裁政権下の原始的資本主義だけれども、衣食住を普く与えることができれば民衆はどのような政治経済形態であろうと受け入れるだろう、というものです。大事なことは衣食住が足りていることと、中国が外国の侵略を受けていないこと(もっと言うと中華として周辺国の中心であること)が示されていれば「特色ある社会主義」という詭弁だろうが共産党政府に付いて行くだろう、と結論付けているのです。

これはポイントを付いた指摘だと思いました。胡政権の諸政策も正にこれを狙っているように思います。本書は中国をことさら悪く書く事もなく、また美化することもなく民衆の視点で政府に気兼ねなく良い点悪い点を指摘して、現在の資本主義的中国のあるがままを描いている所が良書と思われました。
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医師浪人の問題

2010-05-30 22:18:59 | 医療
今日の問題は医療界のタブーかも知れません。医学部を卒業したけど医師国家試験に(ずっと)受からない人がいます。医師国家試験は以前は年2回ありましたが、現在は年1回であり1浪しても合格するとは限りません。医学部を卒業しても医師国家試験の受検資格はありますが、それ以外の職業には全く就けないので「つぶしが効かない」状態のまま人生を過ごすことになります。

2-3年落ちたら諦めて会社員にでもなれば良いのかも知れませんが、医学部を卒業するだけで6年(あるいはもっと)かかっている訳で20台後半まで社会で働いたことがない人を雇う方も使い難いというものです。

現在、医師になったら先ず初期研修というレジデント研修をどこかの病院で行なわないと次の職に就けないしくみになっているので、医師浪人の人達もこの研修施設と研修希望受験生とのマッチングと言われる研修希望調査を提出しないといけません。私の病院は研修指定病院で、私は研修医を採用する委員になっているため希望者の卒業年次などのプロフィールを見る立場にあるのですが、大学卒業年次が来年予定の現役医学生に混ざって2年前、5年前、中には昭和年代に卒業した研修希望生がいたりするのを見て暗澹たる気持ちになります。

私立であっても医学生を一人卒業させるにはかなりの国費の補助があります。何より医学部を受験し、医師になるためのカリキュラムをこなして卒業するまで本人が払った努力もかなりなものです。国家試験に受からなければ医師になれないのは当たり前(英国では医学部を出れば資格が得られるようですが)と思いますが、それなりの努力を払い、国費を使い、知識のある人を何らかの形で社会が活かせないものか、と考えるのは私だけでしょうか。

私が研修医の頃「国試無双」とあだ名されて20数年目に国家試験に受かって自分より2年位先に医師になっていた40半ばの内科医師が大学にいましたが、まあ人は良いけど医者としては・・・でしたね。

向き不向きはありますが、人手が足りない警察の死亡鑑定とか保健所の衛生管理官とか労働衛生に関する人とか医師でなくても医師に近い知識が必要とされてそれを社会で活かせるような道があっても良いように思います。

自民~民主党政権は「医師不足」の対策は医学部の定員を1.5倍に増やすことだ、として既に全国の医科大学の定員がこの3年間で1300人も増えましたが、国家試験の合格率が100%ではないので当然医師浪人の数も比例的に増加してゆくことが確実です。この増えるであろう医師浪人をどうするかについて、民主党政権も厚労省も全く何も考えていません。この人達を社会がうまく活かす道を作らなければ、国家にとってもつぶしの効かない人生を送ることになる医師浪人の人達にとっても大きな損失になると言えるのではないでしょうか。
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戦争抑止の要

2010-05-30 20:04:14 | 政治
李大統領「戦争する考えない」、北に善処促す(聯合ニュース) - goo ニュース

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前回の投稿で北朝鮮は現段階では戦争をするメリットもないし、中国も協力しないだろうと書きましたが、韓国から「戦争はしない」というシグナルを送ったことは意義のあることだと思います。アジアにおいて日韓中の三首脳が「戦争しない」と言っていれば抑止の要として働くだろうと思います。

一説では、韓国の哨戒艦沈没は米軍との演習中における米潜水艦との衝突が原因ではないか説もあり、確かに北朝鮮がやったにしては自国領海と北が主張する内部での「韓国艦艇の無法な振る舞いに鉄槌を与えた」と言った言説が全くなく、「当局は全く関与していない」と始めから言い続けていて、その辺りの事情を知る中国も「まあ冷静に」と言葉少なめであることも米艦との事故説と矛盾しないかも知れません。もしそうなら北こそ良い迷惑というものでしょう。

いずれにしても「北の所為だ」と振り上げてしまった拳をどこかで降ろすにあたって日中韓で話しておくことは良い事でしょう。しかし鳩山首相は「もっと冷静に」と取りなしても良さそうな所をやたらと「北はけしからん、韓国の立場全面支持、北は謝罪しないと制裁追加と国連安保理に提訴だ」とけしかけているみたいで本心からそう言っているのか不思議に感じます。

社民党を切ってまで普天間強行閣議決定(社民は株をあげましたね)、北には強行な態度、ウラでどのような力が動いているのか、小沢さんの再不起訴決定と関係があったのか、興味のあるところです。
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北朝鮮は戦争を始めるか

2010-05-27 00:09:39 | 政治
韓国の哨戒艇を魚雷で沈めたことが明らかになった北朝鮮ですが、今この時期に北朝鮮が意図していることは一体何なのかは相変わらず解り辛いと思います。

韓国のイ大統領は朝鮮戦争の記念館で声明を発表し、北朝鮮への融和政策を取りやめ、国連安保理に提訴することを表明しました。中止していた北への批難放送も再開すると発表、それらに対して北朝鮮は戦闘開始も辞さないと相変わらず強い調子で反論しています。

北朝鮮や中国のように自国民が餓えて死のうが政治犯を死刑にしようがお構いなしの国では為政者が好きなように対外政策を決めることができるので一見外交上手と思われるような瀬戸際外交も自由にできます。このような国が本気で戦争を始めようとしているかどうかは軍の動きを見る事で推測ができます。朝鮮戦争の時も北が南に戦端を開く徴候は数々の情報から米軍司令部に上がってきていたと言います。情報を生かせなかったのか、先に攻撃させて反撃しようと考えていた所で想像以上に初戦にてこずったのかは解りませんが、現在はテポドンの発射台にトラックが往来している様子で発射準備をしているかどうかまで衛星監視でわかってしまうのですから、小規模な軍事衝突は別として大規模な戦闘準備は米軍に筒抜けになるでしょう。2012年には米軍は韓国軍に指揮権を委譲して韓国からかなりの部隊を撤退するようですから、米軍家族もいなくなる訳で、そうなったら北も韓国に攻め入り易くなることは明らかです。

95-6年当時やはり南北の衝突が懸念される時期があって、韓国の軍事警戒レベルであるウオチコンが戦争に近い状況にまで上昇したことがあり、日本海側の自衛隊では武力衝突が起こった際に銃などを持った武装難民が大量に押し寄せてくる可能性について検討されたことがありました。その中には日本に対するテロリストも入ってくることが予想され、ゲリコマ(ゲリラコマンド)対応について部隊レベルで対応が協議されてもいました。現在がどうかは知りませんが、米軍経由で様々な情報がもたらされていることは相違ないと思います。ただ現政権の対米姿勢からもたらされる情報の質は随分変ってきているだろうことは想像されます。

私は反ユダヤ財閥、反アメリカ隷属主義者ですが、アメリカとの同盟関係(グローバリストとの同盟でなく)は基本的には賛成です。日本が米軍に協力する新しい日米同盟の枠組み通りに活動するならば、日本は米軍の活動や戦略にもっと日本の国益に立脚した注文をつけないと駄目です。そして相手が否がるほど注文を付けても最後には米軍に協力するという鉄則を守ればドイツのようにもっとアメリカから信頼される関係になるだろうと思います。

内田樹さんが言われるように日本は「従者の復習」としてアメリカの国力が衰退するようなアメリカの行動には真っ先に賛辞を送り、金を出して自分も痛みを伴いながらも支配者であるアメリカの衰退を見届ける(戦後日本の対米行動パタン)というのもある意味筋の通った論理ですが、鳩山さんのように言行完全不一致に徹する(アメリカに対してだけでなく日本国民に対してもですが)というのは信頼関係という面では一番まずいやり方のように思われます。

現在の北朝鮮は戦争を始めても中国の軍事的協力は得られないし、単独で韓米両軍に勝つことも100%ありません。逆に中国に対してアジアでの中国のプレゼンスを高めるにはあたしゃどのように振る舞えば良いでしょう?と将軍様はお伺いを立てに先日訪中したのではないかと私は見ています。恐らくは韓国(台湾も)を中国の勢力圏に取りこめる情勢ができれば、中国は北朝鮮を鉄砲玉として使うことは予想されます。それまではヤクザの三下が肩を怒らして街を歩いている、ガンを飛ばせば「何だこのやろう」と突っかかる、一線を超えて刃物が出て殺し合いになった所で本当は怖い大親分の中国が出てきて、自分が利を得るように丸くまとめる、といったシナリオになるのではと予想します。

日本は腹に一物ある上、三下で鉄砲玉の北朝鮮を従えた怖いヤクザ親分(表面的には紳士ですがね)の中国に隷属するのは賢明ではないでしょう。日本がアメリカの鉄砲玉になってアジアで戦争させられるのは絶対に避けないといけませんが、情報と外交技術を駆使して上手な日米同盟関係を継続しつつ21世紀を生きてゆくのが正しい方策ではないかと私は思います。
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省益優先の官僚か私利私欲の政治家か

2010-05-26 20:36:05 | 政治
口蹄疫殺処分、埋める土地なく感染爆発 家畜大量放置(朝日新聞) - goo ニュース

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「官僚主導から政治主導へ」というのは政治家が国益(国民の利益)を第一に優先するから政治判断に省益を優先させる可能性のある官僚主導よりも優れているのだ、という前提が必要です。今回の口蹄疫禍は発見が遅れたとしても発生が明らかになった4月中旬の時点で私が農水大臣(か民主党中枢)ならば国を挙げて対策本部を作って全力で対応することを指示したでしょう。しかし政府として出てきた最初の言葉が原口大臣の「風評被害対策云々・・」であったことには唖然としました。

医師(特に部長職)をしていると常に危機管理というものを考えるように習慣づいてしまっていますが、強力な感染力を持つ口蹄疫が発生したことが明らかで原則が患畜の殺処分であることも常識なのですから「発生と同時に国を挙げて対策本部を作り県をバックアップが当たり前じゃん」と発生の一報を聞いた時に思ったものです。以前ブログにも書いたように、新型インフルエンザの対応も後出しじゃんけん的に空港での過剰な対応を批難する声が随分出ましたが、私は「初期対応としてはあれで良かった、厚労省良くやった」と考えています。結果が解らないものに対する危機管理とはそういうものだからです。

口蹄疫対応の遅れに関連して発生元と見られるA牧場と小沢氏との関連とか、某宗教関連政党との関連とか、消毒薬を国益を考えずに迂回させたとか、様々な攻撃がなされています。攻撃の真偽のほどは解りませんが、小沢氏は政府=政治(民主党)主導=小沢主導を自他共に強要しているのですから、つまらない攻撃の口実を与えぬよう、今回の騒動に直接関係がなくても発生確認と同時に「党としても全力を挙げて早期封じ込めに協力せよ、と指示しました」という声明位は出しておくべきでした。それが政治家としての危機管理というものです。もし本当に「風評被害云々・・」が小沢氏の意図から出たものならば見下げ果てたクズと言わねばなりません。

所で医師の感染症に対する興味として口蹄疫を考えると、口蹄疫とは感染力が強く「比較的」致死率の高いウイルス感染症、と見る事ができます。「比較的」とカッコ付けしたのは患畜が全て死ぬわけではなくけっこう治ってしまうウシブタもいるからです。今回殺処分対象になっているウシブタも感染したけどもう治っているものも随分含まれているようですし、治る病気だからこそワクチンが開発されている訳です(ワクチン打っても抗体が出来ない、或いは出来ても死ぬのであればワクチンと言えない)。ただ治った患畜が保菌動物となってウイルスを広げる培地になってしまう可能性があるので全て殺処分と決まっている訳ですね。ヒトの場合もヘルペスウイルスなどは急性感染が治っても体内に残って体力低下などのきっかけでまた出現しますし、B型肝炎ウイルスのように感染しても抗体ができない人とできる人が混在する場合もあり、ウイルス感染症というのは種類によって独特な感染形態を取ります。

法律にも全頭殺処分が銘記されている口蹄疫は発生初期に徹底的に押さえ込むことがどんな素人でも理解できる対策の基本の「き」である訳ですが、あたりまえの対応ができなかったことはこれからも種々の事例で危機管理について素人でも解る当たり前の対応ができないことが予想されます。テロや自然災害、或いは北朝鮮情勢、これらに対する民主党(小沢氏)の対応が「私利私欲」でなく「国益を第一優先にできるか」については目が離せないところです。
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子育ては人間の本能にはないらしい

2010-05-20 14:11:59 | 社会
小児虐待や自分の子供を養育放棄する悲惨な事例が後を絶たない。犬や猫、小動物でさえ自分の子供を守り育てる本能があるのに情けない親が多いものだと思っていたのですが、22年5月号のマイニチメディカルジャーナルの巻頭言に国立生育医療センター名誉総長の松尾宣武氏が「育児の社会化の危うさ」と題する論説があり、正鵠を射る指摘と思いましたので以下備忘録の意味を含めて転載します。(以下貼り付け)

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育児の社会化の危うさ  松尾宣武 (MMJ2010. vol.6 No5 p233)

 小児虐待が、日常茶飯事的にメディアにより報道されるようになって久しい。事実、最近10年間、小児虐待は一貫して増加傾向にあり、児童相談所における虐待相談件数は約4倍、4万件に達している。小児虐待はときに常軌を逸した形をとり、浴槽に漬け溺死させる、栄養失調で餓死させるなど、嬰児殺し(filicide)の形をとる。

 メディアの関心は、虐待や嬰児殺しの残虐性、冷酷性にあり、定型的な報道は特別な家族の物語として捉えがちである。しかし、小児虐待の歴史は古い。特別な家族に限定される問題でもない。小児虐待は人間の歴史とともにあり、人間性に根ざす。

 小児の歴史研究者である、de Mauseによれば、過去、ヒトの小児期は根拠なく美化され、小児の実際の生活の悲惨な状態は、研究者によって明らかにされることは少なかったという。史的資料は、紀元前1世紀から現在までの約2000年間の育児の歴史が、小児虐待の歴史であることを物語る。

 育児は、古今東西、親にとって大きな負担である。それゆえ、育児を放棄したいという親の想いは、普遍性を持つ。ヨーロッパの上中流家庭では、長く育児を乳母〈wet nurse〉に委ねることが 一般的であり、1780年パリ警視庁の推計では、年間出生数21,000人のうち、17,000人は農村の乳母に預けられ、2,000~3,000人は乳児院収容、700人は住み込みの乳母により保育され、実母による育児は700人、3%に過ぎなかったという。乳児院に収容された2,000~3,000人の子どもは捨て子と推測されるが、実態は定かでない。

 子どもが乳母宅から自宅に戻った後も、育児は親の役目ではなく、召使に委ねられた。また、自宅にとどまる期間は限られ、7歳までには就学、奉公、教会のいずれかの理由により施設に送りだされ、施設収容による、実質的な捨て子状態(institutionalized abandonments)が続いた。

 上述の史実はヒトの育児行動の危うさを示す。言いかえれば、ヒトの育児行動を制御する遺伝的基盤が脆弱であることを示す。ヒトにおいては、子どもの成長・発達に適う育児行動が、それぞれの親に自然に発現するわけではない。岸田秀氏が喝破したように、ヒトの親は生んだ子どもを育てないことができる。殺してコインロッカーに捨てることもでき、お金を取って売ることもできる。

 ヒトは育児行動を根拠づける規範、育児思想を必要とする動物である。しかし戦後社会は、伝統的な育児思想である家の継続・親孝行を全否定した。代わるべき新しい育児思想も生み出していない。この状況がどれほど危ういものか、最近急増する小児虐待は、我々に教える。

 育児思想の再構築なしに、育児の社会化を進めることは、新しい小児虐待・ネグレクト〈institutionalized abandonments〉を生み、小児虐待増加のトレンドを加速することを訴えたい。

(転載終わり)---------------------------------

 子供を育てることで親も成長する、というのは自分自身の実感でもあります。子育ては金がかかる、面倒くさい、自分の自由がなくなる、全てその通りですがそれを我慢して子供を育てなければヒトは子育て本能を持たせなかった神の設定上動物以下の存在でしかないことになります。親に育ててもらった恩は自分の子供を育てることで返す思想、「家庭の存在の必要性」などは子供をきちんと育ててゆこうとする先人の授けた知恵であって、怠け心をもっともらしい理由で権威付けした「子育ての社会化」などという現代の思想は親の責任放棄にほかならないと私も強く思います。
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現代医療の問題点の整理

2010-05-16 16:52:25 | 医療
現在の西洋医学の現状を問題点も含んで列挙すると

1) 急性疾患は治るが慢性疾患は治らない。
2) 急性疾患の治療は格段の進歩がある。しかし高度医療になるほど医療費は高騰する。
3) 慢性疾患は治らないので治療は予防医学(慢性疾患にならない予防、なっても合併症がおこらない予防)にシフトしつつある。
4) 薬剤先行(薬ができてから治療を考える)になりがちである。
5) 生命科学の進歩により移植、透析、遺伝子治療、不妊治療といった本来人間が持つ治癒力を超えた医療(神の予想を超えた医療)が行われつつあり、恩恵を受ける当事者には喜ばしいかもしれないが、将来を含む人類全体に良い結果をもたらすかについて議論されていない。

といったことがあげられると思います。

以上のことをふまえて私見を述べますと。急性疾患に対する医療の進歩が著しいことは異論がないと思います。診断治療の技術進歩により2-30年前ならば諦めていた病態が完治とはいえないまでも日常生活ができるまでに改善されるようになり、平均寿命も延びてきています。一方で糖尿病や高血圧などの慢性疾患は、見かけの検査値を正常化する薬はありますが、疾患そのものを治す薬はありません(原因によって一部外科治療で治るものもありますが)。慢性疾患の進行によっておこる合併症は急性疾患ですから、例えば心筋梗塞などはかなり救命率がよくなっていますが、結果として慢性疾患をかかえた患者さんがどんどん増えてゆくことになります。

そこでメタボ検診の普及に象徴されるように慢性疾患にならないための「予防医療」というものが推奨されるようになってきました。「慢性疾患にならないように日常の食生活に気をつけましょう」と言っているうちは良いのですが、「検査値異常を正常化させるためにこれこれの薬を飲みましょう」という商売になってくることが問題なのですね。

薬によって検査値は確かに正常になります。薬の効き具合は自然科学ですから正規分布に従って効果が出るのだろうと思いますが、「合併症の予防に効果があります」ということになるとかなり詐欺的手法が使われることになります。

例えば1000人に2年間ある薬を飲んでもらい、偽薬(プラセボ)を飲んでもらった人と比較した所(前向きのランダム比較試験と言って客観性を担保する一般的方法)、心筋梗塞の発症が偽薬内服群は20人だったのに薬を飲んだ群が10人だった、とします。するとこの薬は心筋梗塞の発症を50%抑える良い薬だ、という結果になります。これを客観的エビデンスに基づく医療(EBM)と言い現在医療を語る上では金科玉条です。しかし考えてみて下さい、効果があったのは100人に一人で残りの99人は無駄に薬を飲んだ上に一人は心筋梗塞にもなっている訳です。本当にこんな薬、100人が金を出して飲む必要があるでしょうか。

今はやりの骨粗鬆症の改善薬も骨粗鬆症が治るのではなく、飲んでいると骨折のリスクが統計的に減るというだけです。予防医療というのはそのようなものだと国民が理解し、納得の上で医療費を払っているのならよいのですが、そのような議論が国会でされたことはないと思います。

また末端の医師や国民が余計な疑問を持つことがないように現在は学会が決めた「治療ガイドライン」とか「標準治療」といったものが花盛りで、これに沿って医療を行っていればどこからも文句がでないようになっています。逆にこれにそっていないと「やぶ」だの「勉強不足」だの下手して合併症でもおころうものなら「行うべき治療をしていなかった」として訴訟問題にまでなります。だから医師は「本当に必要かな?」と疑問を持っても、学会が決めた「推奨グレード」に沿って薬を患者に処方することになります。

薬先行については、例えば過活動膀胱があげられるでしょう。尿意が強くなって失禁してしまうような強い尿意切迫感を伴う頻尿を「過活動膀胱」と言うのですが、これはマスコミでは最近よく取り上げられますが新しい疾患概念であって実は頻尿に効く新しい良い薬剤ができたからそれを効果的に販売するためにイギリスの医師が考えだしたものです。過活動膀胱の病理組織学的定義はなく、解剖生理的状態も見つかっていません。なぜならこれは症状に付けられた名前であって前立腺肥大症のように病態がはっきりと病理的に定義されたものではないからです。それでもこの薬は頻尿に効くことは確かなので悪いことではないのですが、「薬先行」の良い例と私は思います。他にもメタボ関連の薬などどうも薬先行で検査値の正常値を薬が売れるように変更しているのではないかと思わせるようなものがあるのではないかと危惧します。

「神の予想を超えた医療」については以前にも言及していますので(http://blog.goo.ne.jp/rakitarou/e/7c43d4eea8133f73e5014129f9cf8c0c?st=1)項を改めます。

私は急性期医療を扱う医師は常にリスクを負っているし技術の習得も大変で医師自身の生活の質も悪く給与も安いと感じています。だから日本ではそのような医療を担う医師が減少しているのです。医師不足対策や医療費をどこに重点をおいて配分するかといった答えは既に出ていると思いますが。
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日本は高い値で薬を買わされている事実

2010-05-10 19:14:00 | 医療
医療保険制度の根本見直しに向けた意見書提出へ-がん医療費を考えるフォーラム(医療介護CBニュース) - goo ニュース

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がんの治療薬として最近注目を浴びている「分子標的薬」と呼ばれる癌細胞の成長因子や増殖を補助する因子を阻害することで癌の成長を抑える薬剤があります。一錠数千円するため内服薬でも一日2-3万円かかる場合があります。いままで効果のある抗がん剤がなかった腎癌などにも使われていて、実際私の患者さんも1年以上進行が抑えられている良好な例もあります。このような薬剤は一ヶ月100万円近い医療費がかかり、保健診療であるため当然「高額医療」の給付対象になります。また高額医療の限度額までは患者さんが自費で負担せねばならないからそれなりに毎月数万単位での出費が必要になります。

先日泌尿器科学会の総会が盛岡であり、そこでアジア各国における分子標的剤の使用状況について口演があったのですが、数種類ある分子標的薬がことごとく韓国、台湾では日本の約半額(ドルベース)で売られていることが示されました。会場から何故日本では同じ薬剤が他国の倍の値段で売られているのか質問が出たのですが、口演した台湾の医師は「日本の事は解らないが、台湾では政府が韓国よりも高い値段でアメリカから薬を購入することはしない。」と断言していたのが印象的でした。要は日本は米国から「言い値」で薬を買わされているということなのでしょう。

これ実は薬品だけでなく、カテーテルを始めとする医療材料やCTなどの医療機器全てにおいて日本はアメリカ本国や他国に比べて明らかに割高な価格設定でものを買わされているんですね。価格設定においては、自動車など日本の米国に対する貿易黒字を減らすために割高な医療機材を輸入するという政治的配慮もあったのでしょうし、厚労省など関係官庁の技官がへたれで米国人とtough negotiationが全くできないこともあったかも知れません。しかしそれならば総枠が規定されている医療費にその分を上乗せした政府補助なりがなければ、割高な物を使わざるを得ない結果としての全てのしわ寄せが患者と医療者にかかってきてしまいます。このニュースではそのような切り口の評論がありませんが、厳然たる事実として高度な医療が必要になるほど医療費も高騰するのですから今後もこのような政治的配慮を続けるのかといった議論が当然起こってくるべきだと思います。マスコミは少なくとも国民には日本が割高な医療機材を買わされている事実くらいは知らせるべきでしょう。
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鳩山氏沖縄逆返還で一機に国外移設達成か

2010-05-05 17:48:37 | 政治
首相沖縄訪問 遅すぎた方針転換と説得工作(読売新聞) - goo ニュース

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鳩山内閣としては、普天間の問題について、のらりくらりと決定期限を延ばしている内に「沖縄駐留全部隊グアムに撤収」という結論が出る事を目指しているのではないかと私は見ていたのですが、どうも「今までは真剣に基地問題は考えてませんでした」と言わんばかりの具体案を呈示して本気で落ち着かせたいという状況になってきたように見えます。アメリカの扱い方は北朝鮮の方が上手いようです、見習ったらどうでしょう。

一案として、いっそのこと沖縄をアメリカにもう一度返上するというのはどうでしょう。沖縄全基地を国外(米国)に移設したことになりますし、思いやり予算も一機に削減できます(事業仕分け的にも◎)。「日本は日本人(だけ)のものではない」という持論にも矛盾しません。経済は米国内ながら円も使えて関税もかからないような特別区にして日米経済のアジアにおける中心交流点として繁栄させるというのも手かと。日本近海に米国領海が広がることで中国に対しても大いに牽制になることでしょう。

しかし中国を重視するオバマ政権が中国に対する米国債の債務をチャラにする代わりに沖縄(と台湾)を中国に献上なんてことになるかもしれないからやはり日本がきちんと確保しておかないと駄目でしょうね。
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映画「バリーリンドン」感想

2010-05-04 01:06:43 | 映画
バリーリンドン(1975年) 監督スタンリーキューブリック、主演 ライアンオニール

18世紀にアイルランドに平民として生まれた若者が支配階級である貴族になるために費やした波乱の人生を描いた小説を、奇才スタンリーキューブリックが映像化。アカデミー美術監督、装置、衣装デザイン、編曲の4賞を受賞した作品です。「2001年宇宙の旅」や「時計仕掛けのオレンジ」、「博士の異常な愛情」など独特の世界を表現してきたキューブリックの作品の中では主役が演技派でないとか内容が凡庸であるとか評価が分かれる作品でもあります。

前半は若きバリーリンドンが故郷のアイルランドを貴族に対する横恋慕の決闘を機会に飛び出して軍隊に入り、そこそこ活躍して大陸で賭博師として成功するまでを描き、後半は富裕な貴族の若い奥方の後添いになって貴族の生活を手に入れるものの貴族の地位までは得られず、しかも継子との決闘に破れて再び平民として落ちぶれるまでが描かれます。3時間に及ぶ大作で前半と後半がシンメトリーな構成で、画面も明と暗、動と静に分かれますが、評論家の評価は後半の美を追求した画面構成に高いものがあるようです。これは私も同感でこの絵画的画面だけでも十分に鑑賞の価値あり、の作品です。

好き嫌いが分かれる所でしょうが、私は賭博師として活躍するあたりから、見る者をぐいぐいと中世の城に住む(現代の生活から見ると)異様な貴族の生活に引き込んでゆき、後半で全てのストーリーが一幅の美しい絵画の中で描かれてゆくような世界に否応なく入り込まれてしまう所が奇才キューブリックの手腕なのだと感じます。すごい撮影に金のかかったであろう作品です。

この映画の観客はライアンオニール扮する主役、バリーリンドンにあまり感情移入できないと感ずるでしょう。極悪でもなく勇敢で剣もたち、平民の出自でその場その場で自分のできることを一生懸命やる主人公には普通感情移入したくなるものですが、全編を通じて他人事のような淡々としたナレーション、絵画的な画面構成、もしかしたら計算済みの役者の大根ぶりで観客は一定の距離を保ち続けさせられます。

私が感じたのは、この映画でキューブリックは敢えて「善悪」の価値判断を出さないようにしていること、そしてあくまで「美」を追求している、ということです。現代社会で我々が持っている善悪の価値判断などというものは日常生活では勿論大事なことですが、現在の善悪の基準など18世紀では通用しないものです。しかし「美」の基準は現在も過去も変わりません。哲学における「真善美」のうち、真にあたる「宗教」は本来18世紀において、しかもアイルランド、英国、ドイツ、フランスを舞台に描くとなるとかなり多くの部分に影響せざるを得ないはずですが、ここは見事にスルーしています。貴族の専属牧師「ラント」も子供の教育係として描かれるのみです。そして善悪を敢えて描かず「美」のみをこれでもかと表現するところに実はキューブリックの狙いがあったのだろうと思います。

この時代、戦争は貴族が自分達の私腹を肥やすために行うものであり、戦利品は自分達の軍隊(貴族が隊長)で山分けにされます。国王は貴族の総大将のようなもので勝った貴族に領地の占有を許し、貴族は国王に謝礼をすることで秩序が保たれる訳です。当時の貴族の善悪の常識ならばバリーは継子をこっそりと毒殺なりして始末し、爵位ももっと要領よく得て、何食わぬ顔で貴族の仲間入りをするのが普通じゃん、というものだったでしょう。しかし平民出身のバリーは今の感覚で言うとそこまで悪になれなかった。最後の決闘で継子のブリンドン卿がピストルを撃ち損ねた時も撃てばよいのに地面に撃って結局ブリンドン卿に撃たれてしまう。つまりブリンドン卿の方が当時の貴族の善悪の常識をわきまえていた訳で、この最後近く、バリーの平民感覚を見せられて観客は少しバリーに感情移入ができるようになる(また観客と同じ平民にもどるし)という監督の仕掛けでしょう。

映画の最後のナレーションの台詞を書いてしまうと監督の最終的な仕掛けが明らかになってしまい、つまらないので書きませんが、人の生涯は虚実、貴賤、善悪、貧富さまざまだけれどどの時代も変わらないのは「美」である、というのが監督の強烈な主張であったように感じます。
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