rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

明解「世界権力者人物図鑑」

2010-03-30 12:24:13 | 書評
書評「世界権力者人物図鑑」副島隆彦著 日本文芸社2010年刊

医者は患者さんに病気について判りやすく説明する義務があります。難解なことを素人にも判りやすく平易にしかも正しく説明することができるのが本当の専門家でありしかも賢い人であると思います。その点私は著者の副島氏は政治経済における本当の専門家であり賢い人であると10年来尊敬しています。名医は8-9割患者の診たてを誤りませんが、副島氏の政治経済の診たては8-9割適確であり、凡百の評論家は太刀打ちできないと思います。

そんな氏が満を持してものした「世界権力者人物図鑑」は「明解」の一言に尽きると思います。世界皇帝Dロックフェラーとその取り巻き、次を狙うJロックフェラー一派、復権を狙うロスチャイルドとゴアら環境ゴロ達、それら現代世界を動かす人達76人の、最も人物が表現されていると思われる表情を大きく捕らえた写真を掲載し「悪いひと」「良いひと」の明確な注釈と共に解説したのがこの本です。副島氏の本は今までいろいろと読みましたが、この本がベストかも知れません。私の中学・高校の息子達にも見せましたが「面白い」と見入っていました。つまらない現代社会の教科書よりも数十倍社会(世界)のことが判るようになるでしょう。

副島氏の「良いひと」「悪いひと」の判断基準はご本人から怒られるかも知れませんが、テレビの「水戸黄門の世界」であると考えれば納得できます。決して権力そのものを否定するのではなくて「私利私欲」「汚い手で民衆を騙す」「民衆から金品を奪う」奴等を「ワル」と断定して切り捨てているのです。例えば次の世界覇権国「中国」の次に最高指導者となるであろう2人、「習近平」はアメリカの財閥、江沢民とつながる上海閥の子飼いで「ワル」、秀才でまじめ、共青団出身で胡錦濤、温家宝につながる李克強は「善人」と顔写真の前面に大書されています(わかりやすい)。

発売禁止になって回収されるかもという懸念もあって平積みになっているうちに書店で購入したのですが、著者が「この本を出した後私はどうなるか解らない、日本人に贈る遺言書のつもりで書いた」と後書きで触れておられるように本書の内容が日本人共通の認識になったら「日本操り」を企む人達にはさぞややりにくくなるだろう、と想像させる良書です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鈴木文部科学副大臣に「唐突」と評された全国医学部長病院長会議の要望

2010-03-28 23:18:11 | 医療
医師不足というのは医師の絶対数が不足しているのではなく、「安い給料でリスクの高い医療を24時間行なう病院勤務医が不足している」のだと拙ブログでも開設以来何度も書いてきました。医学部の定員を増やし、医師数を増やしても医師自身のQuality Of Life(生活の質)が良い科や都市の開業医が増えるだけであれば何の解決にもならないことは明確であるのに、今できる根本問題の解決は行われません。

2月22日に全国医学部長病院長会議は3つの医学部新設を検討している民主党政権に対して、「医学部新設は医療崩壊を加速させる結果になるから止めるように」という要望書を提出しました。この3年間に既存の医科大学は1,221名の医学部定員増に対応してきました。これは定員100名の医学部を全国で12校新設したことと同じです。

医学部の維持には教育・診療・研究のため平均700名の勤務医が必要ですが、全国で大学を除く病院勤務医は人口100万人あたり958名なので新設医科大学を3つ作ることは人口220万人分の病院勤務医を大学教員として引き抜くことになるから地域医療における勤務医不足を酷くするだけであると説明しています。

アメリカの人口は3億を超えたと言われていますが、医学部の数は130校です。日本は1億2700万人なので人口割合でゆくと医学部の数は55校位で良いはずですが(要望書では49校となっていて計算が合わない)現在80校あります。これ以上多額の費用をかけて医学部を作っても20年位で医師数は飽和してしまいます。そもそも90年代に医師過剰を抑制するため全国の医学部の定員を軒並み減らしたのは政府だったではないか、という主張です。当時は人口10万人あたり医師数が200名を超えたから医師過剰であり医療費が国を滅ぼすという医療費亡国論によって定員削減となりました。しかし現在はOECD平均が10万人あたり300名だから医師不足であると言われるようになり、国民一人あたりの医療費もOECD平均より年間400$少ないことが判っています。

今回の診療報酬改定は病院医療を見直すという点では(私も)医学部長病院長会議も評価しているのですが、拙速に医師数を増やすという民主党の動きは現在の医療危機への対応としては方向性に誤りがあるのではないかという同会議の指摘は私も同感です。(民主党としては同会議は医学部造設に賛成してもらえると思っていたようです)

私は国立大学に勤めているのではありませんが、大学の独法化によって各種補助金が削減され、国立大学病院は独立採算を強いられて医業において収益を上げるよう教員達は強制されています。私立大学はなおさらです。(現在の診療報酬体系ではベッドが常にほぼ満床でないと黒字にならない設定になっています)現段階で国立大学(42大学法人)の医療についての借入金総額は1兆35億円と言われています。各大学300-600億の財務省からの借り入れを持ちながら独立採算で利益を出して増加した医学部定員に対応して医学生を育ててゆく(しかも下働きしてくれる研修医は残らない)というのがいかに大変か、大学教員である勤務医がどれだけきついか(本音では辞めて開業したい)というところを良く酌んでくれ、と言う結論です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書評「ノーベル平和賞の虚構」

2010-03-19 19:20:55 | 書評
書評「ノーベル平和賞の虚構」浜田和幸 著 宝島社2009年刊

09年のノーベル平和賞がオバマ大統領に決まってから、日本ではオバマ氏のカリスマ的な人気が大きく下ったように感じます。ノーベル平和賞自体うすうす政治色の濃い胡散臭いものだと皆感じていたと思いますが、今後は「この賞を受けること=恥ずかしいこと」として辞退する人も出てくるのではないかとさえ思われます。

本書はノーベル平和賞が創設された1901年以来の受賞者を踏まえて改めてその政治的意味について解説した良書と思います。そもそも平和賞だけが選考委員会がスエーデンでなくノルウエーであることも政治的な意味合いがあり、ノルウエーがかつての日本と韓国の関係のようにスエーデンの支配下にあったことに端を発しているというのも初めて知った事です。ノルウエーは自国の独立の維持に苦労したことからノーベル平和賞を自国の存立と世界における立場の強化のため、また最近では経済活動に最大限政治利用してきたことが解説されます。著者の表現を借りると「戦争こそ最大の平和ビジネス」として戦争をうまく活用して利権につなげる者を平和賞に選考すつつ新たなビジネスを開拓することがノーベル平和賞の実態である、ということが具体例をあげて判りやすく解説されています。

第1章では「オバマ氏がなぜ受賞したか」を選考委員のヤーグラン氏との古くからの関係や、何を期待されているか、に触れながら解説されています。
第2章はヒトラーまで平和賞にノミネートされた事実や、何度ノミネートされても受賞されないガンジーのことなど、歴史的にどのような意義を持って受賞者が選定されてきたかを考察します。
第3章以下は現代に視点を移してノーベル平和賞と国際投機マネーの関連、核廃棄にからむビジネス、地球温暖化と原発の再興、環境バブル、二酸化炭素排出権ビジネスなどいかにノーベル平和賞がこれらの利権にからんで利用されてきたかを解説します。

ある意味「目から鱗」、ある意味「さもありなん」と思わせる内容なのですが、日本人はこのような生き馬の目を抜くような「表面をきれい事で包んだ」国際競争にあまりにもナイーブすぎるのではないかと感じます。高校無償化に朝鮮学校を含めるかどうか、といった瑣末な話題に時間を割く無駄を廃して「世界の中で日本がもっと逞しく生き抜いてゆくにはどうするか」といった話題をメディアはもっと取り上げて欲しいものです。

本書の内容に関連して、地球温暖化問題でも、マグロの漁獲制限問題でも感ずることですが、西洋人はやはり「自然は人間がコントロールするもの」という傲慢な思想を持ち続けていますね。日本人は「自然といかに共存するか」をテーマに二千年の間生きてきたのでどうしても西洋人の強引な理屈にはついてゆけない所があります。人間も自然も神が作ったという一神教の思想から来るものだから自然が神であるという我々の思想とは相いれないのでしょうが、もっと我々の考え方について積極的に情報発信をしてゆくべきではないかと最近の世界情勢をみて強く感じます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新規医療報酬改定は日本の医療を救うか

2010-03-11 08:11:13 | 医療
2月12日に中医協は新年度の新規医療報酬改定の答申を発表しました。新規改定についていろいろな意見が出されていますが、備忘録の意味で概要をまとめておきます。

まず全体の改定率(予算=ぱい)ですが、平成20年度(21年度は未定なので)の医療費36.5兆円から計算して0.19%増になりました。つまり同じ医療が行われたと仮定すると37.2兆円になる計算です。うち医科の改定率は+1.74%(入院+3.03%、外来+0.31%)、歯科は+2.09%、調剤+0.52%、薬価(材料含む)改定率は▲1.36%でマイナス査定となっています。つまり入院医療と歯科医療にやさしい改定と言えます。病院の9割が赤字で勤務医が次々退職、医療崩壊が叫ばれている現状からは姿勢としては当然と言えます。歯科については歯科医師会が民主党支持だから説もあります。

さて、医科の診療報酬改定の基本方針は(1)救急、産科、小児科、外科医療の再建。(2)病院勤務医の負担の軽減(医療補助者の増員支援)の2点です。これも視点としては極めて「まっとうなもの」と言えるでしょう。

ここまでは少し期待できる感じですが、その具体的な改定内容はというと、(1)の救急、産科、小児科、外科医療再建については、地域連携による救急医療、救急のハイリスク分娩を2-3割増しの点数(管理料として3万円が4万円になるなど)に、小児夜間休日診療を3,500円から4,000円にといった内容。(2)の勤務医の負担軽減については、入院基本料を若干増やし、栄養や呼吸器ケアチームなどの加算、事務作業補助加算、がん医療の充実化に向けて、化学療法、説明やカウンセリング、緩和ケア、癌リハビリの加算を増加(1000円ずつ位)しています。また患者サービスの視点から明細書発行の義務づけや医療安全を推進している場合の加算、薬剤指導加算などがそれぞれ1000円ずつ位増えています。また入院が長くならないように、在宅医療や地域連携がより評価されるようになり、DPC上入院期間分類が2種類から3種類になって長期入院が不利になる一方手術時の出来高計算(手術中に使用した薬剤や物品は別途請求が現在もできる)の範囲を増やすことも示されています。

開業医に対しては地域医療貢献加算という名目で夜間休日に患者からの問い合わせなどに対応する体制を取る事で診療に30円加算してもよいことになりました。病院の時間外外来(救急でなく)による勤務医の疲弊軽減に向けた対策ですが、昔は開業医は往診を含めて24時間対応が当たり前だったのですからドイツのように救急は入院が必要なもの以外全て開業医が診る(交代でやれば良いだけの話し)という原則を作っても良いくらいだと思いますね。

医薬品については今回厳しい内容になりましたが、薬価的に安い後発医薬品(ゾロ品)使用促進が1層進められて、後発医薬品加算が増加しています。

まとめとしては、病院に対しては「急性期医療の支援」「長期入院から在宅医療への誘導」、診療所に対しては「病院医療の補完、支援に対しては報酬増」、薬局に対しては「調剤よりも情報重視(後発品や服薬指導の充実)」という内容になりました。

これで日本の医療崩壊は止まるか?つまり勤務医が辞めなくなり、若い医師達が救急や外科を目指すようになるか、といえば大いに疑問ではありますが、「基本理念は正しい方向を向いていて、今できることはやった」と思いますので明日から良くなることは無理としても将来につながる改定であることは間違いないように評価します。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一流のメディアである条件

2010-03-10 19:03:25 | 政治
「9/11陰謀論」を与党要職にあって展開する外交感覚(gooニュース・JAPANなニュース) - goo ニュース
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

民主党の国際局長がアメリカ政府の公式見解と異なる認識を示したことは民主党の反米傾向を示しているのではないかというワシントンポスト紙の報道に、内容はともかく足下すくわれるのはまずいね。というこのコラムの主旨は正しいと思います。ただアメリカ人の多くはイラクが大量破壊兵器を持っているからという開戦理由がデマ(政府も過ちを認めてるし)であったこともあり、またアルカーイダやビンラディンがもともとCIAの一部だったことも知っている訳で、911も公式見解は怪しい位の認識は持っているでしょう。

ワシントンポストの記事が日本に向けた政治的圧力を目的としたものと見れば納得できる面もありますが、ジャーナリストとして真摯に書いた内容だとすれば随分この新聞もレベルが落ちたなあと感じます。まあ昔から政府御用達的な所はあったわけですが、むしろ日本の与党議員のおえらいさんにも疑問を呈している人がいますよ、ということを提言して「911の何が問題なのか」や「テロとの戦争を終わらせるにはどうするか」といった読者が知りたい疑問を分析することがポスト紙が報道すべき一流のジャーナリズムではないかと思うのですがね。

FOXTVなど右よりとされる放送局で放映されるテレビ映画でも(私はNCISやボストンリーガルのファンです)アフガンやイラクの戦争を「テロとの戦い」という扱いはしても「正義の戦争」と正面からはさすがに扱っていないように見えます。国民目線からは「しかたなく戦っている」「義務だから」という感覚で戦場はひたすら悲惨、帰ってくると精神的にダメージ受けてて犯罪者になってしまうといった扱い。まあドラマで起こるテロ事件が実際にはアメリカ国内では殆ど起こっていないテロに現実味を持たせて国民に戦争を納得させるというドラマの役割を果たしていると言えるのでしょうが。

今回のアカデミー賞もアメリカの侵略主義を寓話化した「アバター」よりも戦場の現実(まだ見てないのですが、死と隣り合わせの戦場の現実を受け入れる心理を描いた映画と言われてますね)を描いた「ハート・ロッカー」の方が国民に戦争を受け入れさせる意義があると判断されたのでしょう。いろんな意味でアメリカメディアは政府御用達になってしまったと言えるのでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地方空港は国防上の予備航空基地か

2010-03-10 14:26:08 | 社会
64空港、需要予測下回る 20年度実績 乱立原因明らか(産経新聞) - goo ニュース

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
開港前から要らないことが判っている茨城空港がまもなく開港するようですが、関係者がどうせ赤字になることが判っていて県などの地元に費用を負担させている地方空港は、私の予想では百年の計を考えての国防上の航空基地になるために作ったのだろうと考えています。

韓国などでは高速道路が非常時の滑走路になるよう整備されていることは有名ですが、日本ではそのような設備は予算が通るはずありません。また航空自衛隊の基地は限られていますが、新たな基地建設も絶対に不可能と思います。非常時にはジェット機の離着陸にも使える空港を日本中に作るには、頭の良い官僚(天下りを含む)に利用予測を適当にねつ造させて国防費以外で空港を作っておく、というのがあまり反対の出ない賢いやりかただったのだと思います。以前農産物を運ぶための小さな空港を沢山作った時期があったようですが、これなどは陸上自衛隊のヘリ部隊が使用するにはちょうど良い大きさなのではと思います。

茨城空港はもともと百里との軍民両用ですから予備になるのは管制誘導装置だけですが、需要のない64の空港も国防費と思って維持していけばよいのかも知れません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書評 日本の統治構造

2010-03-08 19:19:09 | 書評
書評 日本の統治構造 飯尾潤 著 中公新書1905 2007年刊

07年の段階で政権交代のない日本の戦後自民党政権における三権分立の実態を判りやすく解説した良書。小泉政権が従来と同じ議院内閣制であったのに強権政権であったこと、民主党政権が官僚からの独立を目指して政党主体の政治を目論んでいることなど、どのような視点から理解すれば良いかが本書を読むことでクリアになった感がありますので正に時宜を得た本とも言えましょう。

まず「はじめに」の所で大統領制と議院内閣制ではどちらが権力集中が可能か、という命題に日本では大統領制の方が権力集中的と理解されがちだけれど、「議会と大統領が別の選挙で選ばれる点で権力分立的であって議会と行政府の双方をコントロールできる内閣の長である首相の方が本来大きな権力を持つ」のですと説明、小泉政権の強権政治を思い出して「ああそうか」と読者を引き込んでゆきます。もともと自民党が一党独裁の55年体制を維持しながら営んできた日本の戦後政治は本来の議院内閣制の姿からは逸脱した独特な形であったと著者は説明します。それは政党政治家を内閣の主体と考えず、各省庁の代表者(大臣)が集まって内閣を構成する、しかも省庁の代表は形だけの大臣が代わる代わる就いているだけで実質は事務次官を長とする「官僚内閣制」」でありそのため首相が強権を発動して行政に思い切った改革ができないしくみになり、権力分散型になってしまっていた、と解説します。

政党による内閣運営は戦前からあったように見えますが、実際はさほど機能していたわけではなく、元老による内閣首班指名による天皇への助言によって内閣が決まっていたにすぎません。明治憲法では内閣の権限が明文化されていなかったこともあり、また主権者の天皇の責任も銘記されていなかったために開戦や戦争遂行上の決定・運営をする権力者が曖昧なまま、つまり権力集中がなされないままずるずると戦争をしていたというのが諸外国との決定的な違いだとも解説されています。ヒトラー、チャーチル、スターリン、ルーズベルトらに比べて戦争遂行の青写真をきちんと東条、或いは天皇が撮っていたかと言うとそれは全く否定的です。漠然とした「軍部」が個人を特定せず「独裁」状態だったというのが日本の戦前だったのです。

第3章では「政府・与党二元体制」と題して官僚が政治的な決断を下すようになる一方で政治家が地元の行政に関して権力を持つようになるという倒錯状態の説明がなされます。

議院内閣制の本来の姿は健全な政権交代により政策の変化がおこることですが、自民党の長期独占によって政権交代がないまま自民党の党首が別派閥に代わることで首相が変わってそれが政権交代的な雰囲気を日本に与えてきました。小沢氏が作ったとも言われる小選挙区制は二大政党による政権交代を容易にする選挙制度だったのですが、小沢氏がまいた種がやっと昨年実った感があります。政権交代が頻繁に起こるようになると、今度は民意による政策転換を容易ならしめるために衆議院・参議院の二院体制の是非が問題になります。つまり現在のような多数派のねじれ現象があると政策の変化を実現し難い状態になるわけです。しかも日本に特有とされる会期制度(国会会期内に成立しなかった法案は廃案になる)ことも健全な政権交代による政策の変化を妨げるもとになります。二院制を廃止するのは憲法改正が必要になり実際的ではありませんが、参議院のありかたを運用上制限するような慣習作りが必要という提言は納得できます。

こういった説明から今回の民主党による政権交代というのは日本の民主政治にとっては極めて重要な出来事であることが判ります。官僚内閣制からの脱却や正しいマニフェストの遂行には是非とも全力を尽してもらい、今後の日本の民主政治の発展につながるよう注目してゆかねばならないと感じます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぐわんばれトヨタ

2010-03-07 22:59:26 | 社会
明治維新以来努力を重ねて強国の仲間入りをした日本は帝国主義化して米英にも逆らうようになり、第二次大戦でアメリカに徹底的に打ちのめされました。戦後努力を重ねて経済大国の仲間入りをした日本はバブルでアメリカの象徴といわれるような物件まで買い漁り「ジャパンアズナンバーワン」などとおだてられましたが、バブル崩壊に続くマネー敗戦で経済的に打ちのめされました。トヨタ自動車は良い車を作ることに全社一丸となって努力を重ね、安全で質の良いまた先進的な技術を持った車を作り続けて当時世界一のGMに販売台数でせまりつつありました。ここで無理に世界一を取りに行けばどうなるか、今までの日本の歴史をみれば解りそうなものです。しかし「次期社長と目される創業者一族の豊田章男氏に世界一の会社を継がせねばならない」と言い出したお調子者がなりふり構わぬ増産販売戦略を採りだしました。数年前のことです。

初めて買った車はいすゞジェミニの中古でしたが、2代目からはビスタ、カルディナ、ノアとトヨタ車ばかりを買ってきて、一時ベンツのVになりましたが、セカンドカーはビッツを迷わず購入したトヨタファンであった私もビッツ(初代)以降魅力のある車を作れなくなったトヨタには愛想をつかしています。世界一を取りに行く戦略をとった時と私にとって魅力ある車を作れなくなった時はどうも一致しているように思います。

創業者の坊々社長に世界一になった会社を継がせよう、などというのは小説の題材になりそうな失敗談のテーマです。「社員一丸となって良い車を作ることが第一」という精神を捨てた段階で失敗の道に踏み込んでいったことは一消費者である小生にさえ見えていたのですが、東大出の重役さん達には自分が悪者になってでも「いままでのトヨタの車作りの精神を捨ててはいけない」と言い切れる人材がいなかったのでしょう。

アメリカで売れ筋のRVやピックアップなどを大量生産する工場を拡大したあげくにリーマンショックで売れ行きががた落ちして大きな赤字を出したことが失敗の始まり。GMを抜いたのは良いけれど、GM自体がつぶれてしまって半ば国営企業となり、アメリカが本腰で再建にかかり始めたことが2点目。そしてトヨタが世界一のハイブリッド技術を持っていてアメリカのどの会社もプリウスに匹敵するエコカーを作れなかったことで「これはトヨタを本気で一度つぶさないといかんな。」とアメリカに決断させてしまったのでしょう。

議会による明らかに意図的なトヨタ叩きの次は弁護士達による訴訟の嵐によるトヨタからの財産むしり取りが待っていると言われています。公聴会による発言や記録が全て裁判では原告有利の材料になるでしょう。トヨタは一度アメリカから撤退するくらいの決断を迫られるかもしれません。アメリカに金をむしり取られるくらいならば、利益を社内留保などせずに不況のなか頑張ってきた社員達や使い捨てにされた派遣社員達に十分な手当を施した方がよっぽど日本国のためになったでしょう。昭和初期の失敗も戦後バブルの失敗も日本人の努力が日本人の生活が欧米並みに豊かになる(金銭的にということでなく、十分休みを取るとかレジャーを楽しむ余裕を持つとかの方向で)前に欧米に努力して貯めた資産をむしり取られたように感じます。きっと今度のトヨタもそうなるでしょう。

そのような行く末が見えてきたので、魅力ある車がなくなったトヨタですが(魅力あるのはマークXくらいかなあ)再生に向けて「ぐあんばれトヨタ」とエールを送ります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする