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Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

ぼくだって「研究」したい

2008-10-09 23:51:35 | Weblog
ノーベル物理学賞・化学賞ともに,日本人が受賞したというニュース。NHKの解説者によると,ノーベル賞の授賞対象になった研究の多くは,研究者が30歳前後に生み出されているという。その頃いかに研究に集中するかが重要なのに,いまの日本では,その年代の研究者たちが研究に専念できる環境に置かれていない,と解説者は指摘する。だから今後が心配だ,と。

ぼくの目には,理工系の若手研究者たちは朝から晩まで研究室にこもって実験したり計算したり,かなりの程度研究に専念しているように見える。だが,研究費が絶対的に不足しているとか,そもそもそうした場にいられる人が限られるとか,いろいろ問題があるのだろう。元々「論文生産性」が低い文系の人間が考える「専念」とは,レベルが違う話かもしれない。

社会的に意義深い研究などしておらず,論文生産性はきわめて低く,将来の伸びしろも少ないこのぼくでさえ,「研究に専念できる」環境におかれたらどんなにいいだろう,と思っている。極論すれば,メシフロネル以外の時間はすべて研究に没頭していないと,よい研究成果など生まれないと思う。1日に2時間ずつ研究して,それを重ねていけば成果になる,なんてことはない,と。

ところが,優秀な研究者とは,それができる人々のようなのである。研究以外の活動にそれなりに時間を割きながら,それでも平均以上の研究成果を上げている人たちは決して少なくない。つまり,限られた時間に集中する力,頭の回転の速さ,そしてセンスのよさといった能力が鍵なのだ。一方,そうした才能に恵まれない凡庸な研究者こそ,研究に専念できる環境を必要とする。

研究したい,という気持が才能と一致しないことがある。だが,凡庸なので研究に専念するしかなく,その結果他の人が見逃した何かを見つけることがあるかもしれない。歩みが遅いことにもメリットはあるのだ。そして,人並み外れた才能に恵まれつつ,メシフロネル以外の時間を研究に捧げた人が,ノーベル賞クラスの研究成果を上げるのではなかろうか。あくまで想像にすぎないが。