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石塔シリーズ、今回の締めくくりは石塔では無く土塔ですが・・・、十三段の土段の表面を60000枚にも及ぶ瓦で葺かれた十三重の塔です。
当時荒れ果て、小山の様になっていた土塔は平成21年4月、発掘調査の上、復元整備により創建当時の姿も再現されました。
よく似た構造物に奈良の頭塔が有りますが、あちらは七段の土壇を石で囲み石仏を設けて居る。
大阪堺市中心街より南へ約7km、名だたる大古墳地帯の南外れに土塔町と呼ばれる地域があり、今は公園と成った中に、真新しい瓦を葺いた土塔が有る。
我が国唯一の遺構だとされる土塔は、堺出身の奈良時代の高僧、行基が建立したとされる四十九院のひとつ、近くの大野寺の仏塔で、平安時代の「行基年譜」には神亀四年(727)起工とあり、鎌倉時代の記録にも、本堂・門とともに「十三重土塔」と記された塔が描かれているようです。
実際に目の当たりに見る復元された土塔は、瓦を覆い被された何か超近代的な方形墳のようにも・・・・
近代的なモニュメントのようにも見えたり・・・・、一見してこれが十三重の仏塔だとは説明板がなければ誰もそれとは気がつくまい。
発掘調査によると土を盛り上げた底辺は、一辺53.1m、高さ8.6m以上(十三層目の建物が不明なため)、各層は瓦で覆われ「神亀四年」と記された軒丸瓦も出土しているようです。
現在の姿は一部発掘状況が解るようにし、全体を盛土で保護、十二層まで復元、約2分の1の面を創建当時のままに再現されています。
まあ見事なんだけど・・・、どう見ても新しすぎてやっぱりシンボルモニュメント・・・・、これが仏塔だとい言われてもなんだかなあ・・・・。
整備しないで置いておくと、ただの築山だし・・・・。
非常に貴重な遺跡のため昭和28年(1958)国の史跡に指定されています。
撮影2010.1.10