金勝寺は生駒谷を流れる竜田川沿いに行基が建立したと伝えられる古刹で、以前ここでも紹介した。
この金勝寺の山門に対面する山の上にある椣原墓地を訪ねてみた。
山門の前を走る近鉄生駒線を越え細い山道を登って行くとこの墓地に出るが、山道を登りきって驚いたことには正面はすっかり宅地開発がされていて、金勝寺山門辺りの古い町並みとは対照的に、見渡す限り新しい町並みが続いていた。
金勝寺山門から見る景色とはまるで異郷のような違いで、テクテク山道を登りきるとアスファルト車道がついていて、墓地きれいに整地され、墓参には車が利用されていが、僕には何処から車で入ってくれば良いのか解らなかった。
この墓地は、この辺り椣原・上庄・西向・吉新・櫟原(椿木)の惣墓(そうばか)[共同墓地]であり、かなり大きな面積の墓です。
墓地、入り口のお目当ての、船型十三仏板碑と大きい六体地蔵が整列している様は絵を見ているように整っていて隙が無い。
船型十三仏板碑は、奈良県では2番目に大きく優美な13仏で天文22年(1553)室町期の像立、高さ1.73m、
各尊名がそれぞれの肩先に刻まれている。
六体地蔵は左端の一体が室町期のもので、他は江戸期のものらしい。
墓地の北東奥には鎌倉期建立の十三重層塔があり、平群町の文化財に指定されている。
花崗岩製。高さ約4.4m、一層目笠 幅0.9m、軸部幅0.49cm、軸部には金剛界四仏が月輪(がちりん)中に薬研彫されている。
さらに奥のほうには厚肉彫りの地蔵が、船型名号碑 永禄十一年(一五六八)とならんで立っている。
この地蔵さん、顔が少しユーモラスで何処と無く親しみやすい顔立ちでした。
撮影2006.5.21