前回紹介の念聲寺より一筋北の通りに建つ浄国院(じょうこくいん)にも古風な石仏が建ち並んでいる。
浄国院は南北朝時代の創建、正式名称を浄土宗無衰山浄国院安養寺と称し、宝永元年(1704)の大火で焼失、その後復興され現在の寺観を整えたようです。
本堂脇、寺墓への入口横に一列に並べ立てられた6~7体の石仏が目を引く。
中でも目を引くのは中央寄りに立つこの二体・・・・、向かって左の阿弥陀石仏は建治三年(1277)の銘が右側面に見え、鎌倉時代中期の造立。
板石状花崗岩に二重光背を深く彫り沈め、中に来迎印の阿弥陀立像を厚肉彫で刻みだしている。
裾から下部は欠損、現高約80cm、風化、傷みが進み元の姿は想像するしかないが・・・・、大きく背の高い笠塔婆であろうとされて居る。
右手の石仏も板石状石材に刻まれた定形地蔵立像・・・下部は土中に有り良く確認できませんが高さ約1m強。
風化摩耗激しくつんつるてん・・・・、錫杖を持つ手を腰下でひねっているようにも見える。
阿弥陀立像の左手に立つ阿弥陀・地蔵双石仏。
大和地域では無数に見られる箱石仏で高さ約80cm、蓮華座に立つ来迎印の阿弥陀と定形地蔵を中肉彫りで刻み出す。
その像容から南北朝期の造立。
この中で一番気の毒な石仏さん、激しい火災に遭ったのだろう??焼け爛れ剥がれ落ち、もうこれではただの石塊・・・・・・
善光寺型三尊石仏と云うが素人目には一体何が何やら・・・光背面に何体かの化仏が確認でき、鎌倉末期の造立だとされますが哀れを極める姿です。
一方墓地脇にい列に居並ぶ地蔵石仏。
室町後期から江戸期の地蔵立像・・・・・右手に錫杖を持たず、左手に宝珠を持つ古式な地蔵立像も見られる。
撮影2011.9.10