愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

福島県南相馬市小高 泉沢大悲山薬師堂磨崖仏

2012年09月29日 | 石仏:東北

新潟から東北六県の石仏と巨樹を巡る旅から帰って初めてのUPはこの「泉沢大悲山薬師堂磨崖仏」から・・・・・。 

立ち入り禁止区域外であっても、あの忌まわしい東北大震災の福島原発から直線距離にして約15km、目と鼻の先にあるこの磨崖石仏に会って来ました。

前日郡山に宿を取り、朝一番バカナビに入力、出掛けましたがとんでもない事態・・・・福島県中通りから浜通りへの阿武隈越えは殆どが未だに進入禁止、不案内の土地を随分遠回り・・・3時間あまりも費やしてなんとか到着。

周りには民家や福祉施設なども有るのですが人影は勿論、物音一つなく、荒れ果て静まり還っただだ広い駐車場から石段を上り境内につくが、ご覧の有り様・・・・・。

堂前の石灯籠は崩壊、磨崖石仏を覆うこの覆屋も、中に入るのをしばし躊躇するようなかなり怪しい状態でした。

もう一年半もなんの手入れもなく見放された薄暗い堂内、恐ろしい程、静寂の中で目にする磨崖石仏は身震いするほどに鬼気迫るものを感じました。

 薬師堂石仏と呼ばれるこの磨崖石仏は砂岩壁を、間口約15m、奥行き・高さ5~6mにくり抜いた岩窟の奥壁から側壁に掛けて、八体の大きな石仏が厚肉彫りにされています。

<中尊の釈迦如来>

現在正面奥壁に釈迦を中尊にして左右に弥勒仏を配した三尊・・・・顔面は悉く風化摩耗が激しく顔容は定かでは有りません。

因に中尊釈迦如来は約1.4m基壇上、約90cmの蓮華台の上に、二重円光背を背負い結跏趺坐する像高2.8mの量感あふれる坐像で光背の微細な表現も素晴らしい。

<向かって右手の弥勒仏>

こちら像高約2m、体躯に鮮やかな彩色痕が残るものの顔容と下部は風化剥離が激しい。

向かって左手、三尊脇侍もうひとつの弥勒佛と観音菩薩立像・・・・、更に左手には阿弥陀如来坐像が有ったと言うが元存しません。

向かって右手側壁には観音菩薩立像、次に地蔵菩薩立像、かろうじて足許と頭部の一部が確認出来ます。

右端は薬師如来と云う事ですが薬壺の確認も出来かねるほどに傷んでいます。

しかしこれほどに傷んでいてもその気迫と作者の力量はは十二分に伝わって来ます。

大同二年(807) 徳一大師の作だと伝えている。

あの大震災でも崩れ去ることなく残った磨崖石仏、すっかり見放され、手付かず状態が続いて現況状態より悪化しないか少し心配な状況でした。

因に付近の阿弥陀磨崖は見る影もなく岩壁と同化、観音堂の千手観音は、あいにく進入禁止で近づけず。

帰りがけに駆け抜けた小高の中心街は人影もなくすっかり静まり返っていました。 

撮影2012.9.25