愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

交野市 かいがけ道の石仏

2011年04月10日 | 石仏:大阪

前回紹介の奈良生駒市 傍示(ぼうじ)墓地から戻って直ぐに大和,河内「国ざかい」のなだらかな峠を越えると,其処はもう大阪府交野市の傍示(ぼうじ)集落。

峠の突き当たりに菅原神社があり、目の前には緩やかな棚田がなんとも鄙びた長閑さをかもし出してくれている。

集落はわずか5~6軒、集落の西はずれから看板通りに田圃の中を「かいがけ道」が伸びている。

暫くは棚田の中を通る野道で直ぐに山間の大石が其処此処に顔を覗かす古道然とした散策道となる。

棚田道を歩き出して10分ばかり、右手斜面に5段位の石段が設けられ、その上の1辺1.5m位の三角ニギリ状の大石に、この石仏が刻まれて居る。

地元では「ゴミの木地蔵」と呼ばれているが勿論誰が見ても地蔵ではなく阿弥陀さん、「ゴミの木」は僕の山城でもそう呼ぶが「グミの木」の事で、昔この地蔵の傍に大きなグミの木があったという。

夏場には殆ど生い茂る草に隠れてしまう。

磨崖石仏はオニギリ石の正面、向かってやや左気味の位置に高さ約50cmの舟形後背を深く彫り

蓮座上に坐す定印の阿弥陀如来坐像を半肉彫りで刻みだし、像高40cm有るか無いか・・・磨崖石仏と言うには小さすぎる??

癖の悪い乾いた地衣類がびっしり石の表面を覆い最早像容も定かで無いほど・・・こじんまりと形式化していて室町期のものだろう??

この先更に下ると右手に嬰児山龍王社への登山口・・・・・雨乞いの龍王と間引きの嬰児???哀しい歴史を秘めているかのように石鳥居が立ち尽くしている。

その先少し進むと右手台地上に朽ち果て荒れるに任せたた「かいがけ地蔵堂」の跡地。

枯葉の積もる境内中央に朽ち果てた基壇や瓦の残骸と共に残された地蔵石仏がもの哀しげに立ち尽くしている。

かいがけ地蔵と呼ばれてるようですが??、ほとんどお参りはなさそうです。

舟形後背の頂部辺りが欠損、身の丈約1m、定型地蔵立像、大雑把な造りでもの哀しげ・・・・

このもの寂びた景観にぴったりはまる。

境内地左脇にはこんな不動石仏。

山状石材一杯に燃え盛る見事な火炎後背を彫り刻む。

磐座状に立つ、身の丈70~80cm不動明王立像・・それにしても火炎は大きく激しい・・・

見るからにアンバランス、宝剣は小さく、踏ん張るべき足元は力なく、赤ん坊のそれの如し・・・顔はとんまドラネコ??・・・

火炎の割には余りにもユーモラス・・・なんとも云えず近世のものか??

かいがけ道、里からの入り口辺りの住吉神社付近

付近にあった案内板

入り口近くのかいがけ道はそのまま古道の景観を今に伝えているのが嬉しい。

撮影2011.4.5/他