家から、車でほんの5分も走らなくってこの神社に到着、まあ言えば隣村の鎮守さん。
大阪万博のころ周りの山が、山砂利採集で削り採られ、鎮守の森の裏山にある冑山古墳からは人物埴輪などが出土していて、
この神社は、古墳群を祭祀するための神社であったのかもしれないと云われています。
この旧観音堂村の産土神で、 旦椋は穀物を収納する校倉の古語、また平治の乱で知られた以仁王(もちひとほう)の冑を祀ったとも伝え、冑神社とも称している。
境内の緑は守られ、鎮守の森にふさわしい景観を遺しているが、鳥居の前を通る道路は今でも地元ではダンプ街道と呼ばれ、山砂利を満載にしたダンプカーがひっきりなしに走りぬけ、まがりなりにも静かな景観とはいえない。
鳥居をくぐると参道は、樫が中心の緑豊かな杜で、参道最奥の2本の木の間に勧請縄が渡されている。
この勧請縄は、神社の秋祭り(10/4)を前に新しく架け替えられるもので、新年に架け替えられるほかの勧請縄とはちょっと違う性格のものかも知れない。
縄の中央に太く膨らませた藁の房をつけその上に竹串につけた御幣を3本突き立てている。
縄の近くの木の枝には1索の稲穂が供されていた。
ほかでは見かけたことの無い姿で興味をそそられる。
撮影2007.10.21