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愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

奈良、天理市福住町 南田(みのだ)の勧請縄

2012年03月19日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

本来掛け渡されるべき谷を名阪国道の高架橋に乗っ取られ、傍らに追いやられ形だけ残され続けられてる勧請縄。

此処は名阪国道福住IC依り東へ直ぐの谷間に細く軒を並べる南田(みのだ)集落の北入り口に当たる場所、空撮地図を見てもらうと解るように南田集落への入り口付近を名阪国道が高架橋で横切っている。

元々名阪高架橋の有る位置に高く掛けられていたようですが、国道側からの苦情でこんな片隅にこんな状態で置かれているようです。

高みに掛け渡されると脇見運転で危険だからと言う理由なのだろうが、高架橋に目隠しすればそれで済む事なのになあ・・・。

仕方なしに高みに掛け渡されずに丸められ、低い木の枝に吊り下げられた勧請縄です。

もうこんな形になって永らく経つそうですが、偶々通り掛かったお年寄りは・・・・、「もうこんなになってしまったらお終いですわ、縄の綯い方も間違いなら赤い南天の実も要らないものやのに」と・・・・。

間違いなく伝えようとしてもそれが正しく伝わらないことも一杯あるし、まあ形だけでも残ってるほうが有り難いけど・・・、

もうこの福住地域にはこの縄だけしか残って無いようです。

撮影2012.3.3


橿原市太田市(おだいち)町 天満神社の勧請縄 

2012年03月18日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

見事な無患子(ムクロジ)と椋(ムク)の勧請木に長く掛け渡された勧請縄です。

奈良、国中(くんなか)平野の南東寄り、橿原市の太田市(おだいち)町は大和川の支流寺川そのまた支流の鏡川(かがり)川が集落の東側を流れる田畑の中に有る小さな集落です。

集落の北端に村の鎮守、天満神社がすっかり木立の少なく成ってしまったような、がら~んとした明るい境内に建って居ます。

石段の奥、境内入り口に勧請縄は掛け渡され、石の鳥居はその奥にある。

道路を挟んだ向こうの空き地にも同じような椋の木が有るのがどうも気に掛かる・・・、昔は道路を挟んであの椋の木との間に掛け渡されていたのではないだろうか??

掛け渡された太縄は約10m以上も有ろうか?中央には妙な形の二つの飾り勧請が吊り下げられている。

大和地域では良く見かける類で藁房は見たとおり♂のシンボル、傍らの小枝の塊は♀のシンボル。

見事なタマタマとモジャモジャの女性自身・・・・実にあっけらかんと白昼堂々ぶら下がっています。

命の再生と五穀豊穣を何よりも願う農民の心が今に伝わる素朴な庶民信仰なのだろう。

撮影2012.2.26


奈良県天理市 長滝町の勧請縄

2012年03月17日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

天理市長滝町、集落の入り口に掛け渡された勧請縄です。

今は名阪国道が出来、余り利用されなくなった旧国道25号線、天理市街より東方、天理ダムを越え、大和高原域入り口に有る小さな山間集落の長滝町。

旧国道25号線より谷沿いに北方へ約1kmも登り詰めると長滝集落 ・・、集落の入り口と思しき辺り、両側の木立から木立まで、細いながら長い勧請縄が掛け渡され、僕の好きな景観をかもし出しています。

縄はシンプルで3箇所に藁房を下げ、樒の小枝を付けて居るだけの単純さ。

まさしく道切り・・、これから先邪悪なものは通せんぼ・・、と云わんとばかり・・。

撮影2012.3.3


旧山城町 綺原(かんばら)神社の勧請縄

2012年02月29日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

我が山城に残る、唯一の白鳳期丈六金銅仏が有る蟹満寺と、在所道を挟んで対峙する綺原(かんばら)神社の勧請縄です。

旧山城町(現木津川市)北端に近い綺田(かばた)は、往古渡来系豪族の秦氏がこの地に住し、その始祖「綺氏」を祭祀した云われるのが綺原(かんばら)神社で正式名称はは綺原座健伊那太比賣(かにはらにいますたけいなだひめ)神社と言う古社です。

木津川に注ぐ天神川南辺、小高い西面斜面、緑濃い境内への石段を登りきった所、弐重塔と書かれた勧請石柱に勧請縄が掛け渡されている。

閏年に係わらず、ここでの下げ飾り縄は12個、それぞれの小勧請には樒(しきみ)?の小枝がびっしり取り付けられている。

この勧請縄は居籠(いごもり)祭で知られた涌出宮の宮座「古川座」の人達が涌出宮の勧請縄と同時期に奉納するとか・・・そう云えばこの地域には古川姓の家が多い。

その昔、涌出宮の鎮座地もこの地と同じ相楽郡蟹幡郷と呼ばれていた。

撮影2012.2.21


京都府精華町舟 春日神社の勧請縄  

2012年02月28日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

精華町下狛舟集落、春日神社鳥居に掛け渡された勧請縄です。

 精華町の北端、京田辺市に近い木津川西岸域に下狛と呼ばれる地域があってその一画、木津川に注ぐ煤谷川南辺に舟集落の春日神社が鎮座している。

下狛地域には春日神社が三社もあって、この地域がいかに興福寺や春日大社との結びつきが深かったのだろうと想像するに難くない。

NET地図では舟という地名は出てこないが、地域の公民館は未だ舟集会所と成っていて古い地名を今に伝えている。

春日神社の周りはすっかり新興団地に囲まれ、新旧混在の中に肩身の狭い神社になっています。

丹塗りの大きな鳥居に掛け渡された勧請縄には小さな藁房が13個、これは閏年を表すものでしょうか??

両脇には独得な大きな藁飾りが吊下げられています。

説明はしにくいですが一寸他では見れない独得な意匠です・・・・、何を現したものでしょうか???

真ん中に長く垂れた縄飾りは蛇か龍の尾の様に見えなくも無い。

割り拝殿の奥、本殿を覗いて見たら同じものが掛けられていました。

我が山城に残る数少ない藁飾りです。

因みに国土地理院の地図には舟という地名は載っていますが他のNET地図では全く出てこない始末です。

撮影2012.2.22


奈良市 藺生(いう)町の勧請縄

2012年02月27日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

石仏行脚の際、たまたま見つける事の出来た勧請縄です。 

名阪国道針ICの有る旧都祁村(現奈良市)は鄙びた奈良大和高原にあっての中心地、そんな中、藺生(いう)町は隣町桜井市と境を接する純里山集落。

この藺生は大和でも早く開けた地であり、葛神社も九頭・国津に等しくこの地域には多い神社で祀雨神、水の神として出雲建雄神を祭祀する。

集落の奥まった南外れ、宮池と言う溜池の南端に式内葛神社が鎮座、前を通る道路上には勧請縄が掛け渡されている。

縄は約7~8m、神社境内脇の勧請木柱から路上を跨いで対面斜面、大樫の勧請木まで吊渡せられている。

髭の生えた太縄中心辺りの三対の小勧請が吊り下げられ常緑樹の小枝が付けられています。

こうして有るべきところに有るべくして有ったという感の強い勧請縄・・・、単純な造形だがやっぱり嬉しい。

撮影2012.2.22


奈良市 下誓多林(しもせたりん)町の勧請縄

2012年02月26日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

奈良春日奥山の原生林を抜け柳生に至る旧柳生街道沿いに有る勧請縄。

集落の名は「下誓多林」・・・、ほとんど地元の人か酔狂なハイカーが歩くぐらいの辺鄙な山里ですが・・・、それがなんとも心地よいところです。

行きかたは色々有りますが、大柳生から田原方面に抜ける県道47号線で大平尾(おびらお)町、その先大平尾の外れから谷底めがけ斜面を降りるような在所道を下りきれば正面にこじんまり軒を連ねるのが下誓多林の集落。

上流、上誓多林の春日原生林より流れ出した白砂川沿いの旧柳生街道はこの集落内を抜け、川沿いに大柳生、柳生へと至る剣豪の道。

村外れ、白砂川が少し蛇行する川瀬の林内を行く道路を跨いでこの勧請縄が掛けられている。

細い縄の両端を自然木に結わえ約5m、小勧請は五ヶ所に分けて五本づつ、各々の小勧請には青葉の小枝が取りつけられている。

この様式は、これから下、白砂川沿いに有る大柳生内に有る二ヵ所の勧請縄とは少し違い、多武峰(とうのみね)方面で見かけるものに良く似通っている。

しかしこの旧街道沿いには僕の好きなものがよく残っていて、なんとも気分がほころびます。

撮影2012.2.12


宇陀市 大宇陀宮奥の勧請縄

2012年01月31日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

夏場見たときにはすっかり萎び果て見るも無残な姿に成っていたので正月過ぎのこの時期、もう新しく成ってるだろうと行って来た。

いつの頃か7~8年前には未だ開通してなかった談山神社から大宇陀方面に抜ける新道がすっかり出来上がり、長いトンネルを2つ越えるともうそこは大宇陀。

殆ど通行量のない大峠を談山神社方面から長いトンネルで越え、宮奥ダムを眼下に見下ろす辺り、道路脇にポツポツ民家が点在する。

集落は斜面の狭い棚田脇に約10軒ばかり、集落の旧道、山裾斜面の木立から、道路を跨いでこの勧請縄が掛け渡されている。

10m以上にも及ぶ縄に人形と思える縄飾りを12箇所の吊るし、その縄飾りに樒(しきみ)の小枝を四段に分けて付け小勧請として、中心には竹串にさした御幣を上向きに付けている。

これはこの大峠トンネルを抜ける櫻井市側、針道集落の勧請縄と同じ仕様で、昔から隣村同士で繋がりの深かったことを窺わせるに充分。

今でこそ簡単に足を延ばせる山間僻地、息を潜めるように、わずかばかりの棚田と林業を生業にしてきたのだろうか???

1月13日年末寒波の雪がまだ消えないで残っていた。

撮影2012.1.13


伊賀市 千戸(せんど)の勧請縄

2012年01月30日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

伊賀市西部で木津川に合流する服部川の中流域、北側の里山に有る小さな千戸集落。

集落億の丘陵地に新しく新興団地が造成され、集落を掠めるように新道が集落をぶち抜き、小川は三方側溝で固められているが、勧請縄はこうして今年もも健在。

国道163号線で伊賀市街方面から名阪国道の高架を潜り、服部川沿いに約も5分走ると千戸集落への真新しい進入道。

ハンドルを山手側、左に切り暫く進むと集落の入り口辻だったと思われる小さな地蔵堂脇、小川の流れを跨ぐようにコンクリートポールの勧請木の間に、この勧請縄が掛け渡されている。

伊賀地域では富が村から流れ出ないよう・・、また村に災いが入り込まないよう川の瀬に勧請縄の掛け渡される事が多い

藁飾りは伊賀地方で見かける鍋敷き、鍋つかみ風の物と小勧請が三箇所に垂れ下がり、省略化が進んだのかちょっと物足りない気もする。

それでも、こうして正月明けの寒空に揺れる縄飾りはどこか日本人の原点を見る想いがして嬉しい景観です。

撮影2012.1.22


木津川市 鹿背山の勧請縄

2012年01月29日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

鹿背山は我が山城の母なる川が伊賀方面の山間渓谷から平野部に出て流れを穏やかにする辺り、南岸に緩やかな起伏を持つ丘陵地です。 

往古対岸には恭仁京(くにきょう)が造営され、鹿背山丘陵の北東斜面には国分尼寺も造営され、往古より歴史深い土地です。

木津川市街を目と鼻の先に見、最近の住宅開発が目の前まで押し寄せているものの、集落は東西に伸びる緩やかな谷間や丘陵斜面に懐かしい里山風景を残し軒を連ねている。

JR木津駅より府道47号線を道なりに東進、消防本部の建物を越え、次の信号を右折すると直ぐこの勧請縄に出遭う。

この地は木津川南岸より集落への進入口、集落の入り口に当たる場所、拡幅された道路の両脇に鉄製ポールを建て、道路上に約10mほどの勧請縄を掛け渡している。

縄は細く飾り物も単純、半紙の幣と榊の枝を交互に付けている。

山城の集落ではこうして集落の入り口に勧請縄を掛け渡すところは皆無、そういう意味では単純簡略ながら貴重な勧請縄です。

ポールに巻きつき登る縄は蛇の尻尾を思わせる。

撮影2012.1.9


三重県旧美里町 平木の山の神

2011年05月09日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

旧美里町の一番伊賀寄り、伊賀越えの長野峠近くに平木と言う集落が経が峰西山麓に拓けている。

県道から集落に入っていくと棚田に囲まれて民家が建ち並び此処もいかにも長閑な山村・・・、しかし戸数はかなり多くて50~60軒ばかしか??

右手一段高くなった高みには安養寺と言う無住の寺、寺らしからぬ建物とがらんとした境内が有ってまるで公民館を兼ねてでも居そう 。

実は公民館が道路左手の有るんですが・・・。

寺から一段上に見える木立の森が平木天王社、この境内に美里町では3箇所目となる木股人形が見られる。

二対四体のオッタイメッタイが仲良く立並んで臆することなく大股開き、実にアッケラカンとしたものです。

撮影201.4.2


津市美里町穴倉 別所の山の神

2011年05月08日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

同じく旧美里町穴倉(あなくら)は前回紹介の高座原(こうざわら)の隣村。

穴倉から経が峰への道筋の奥まったところに約10軒にも満たない小さな集落があります。

日本のふるさとをそのまま絵にしたような鄙びた山村風情そのままで、この土地の空気を感じるだけで豊かな気持ちになれるような・・・・

そんな一番奥の高台に金剛寺と言う古刹が有って、その脇道に山の神場が残されている。

茂みの一段高い場所に石の祠が在ってその中に1対のオッタイメッタイ・・・いかにも微笑ましい。

高座原のものほど生々しさは感じなく素朴で微笑ましい感じがそのまま現れている。

シンボリックな呪具と言うより素直な形として見られ、日本の原点の一つかも知れない。

撮影2011.4.2


三重県旧美里町 高座原(こうざわら)の「山の神」

2011年05月07日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

伊賀と伊勢を分ける布引山系、その主峰の一つである経が峰東南部に広がる北勢地方の一部を芸濃地域と呼んでいる。

この地域は伊賀や近江から伊勢への古道や間道も多く、古い文化を数多く秘めた興味深い土地柄です。

伊賀東部、大山田から布引山系を越える伊賀越えで峠を越すと其処は旧美里町の山間集落が点在する鄙びた山里。

そんな山里に2~3近江と良く似た股木人形の山の神行事が残る集落が有ると言うので訪ねて見た。

そんな高座原は経が峰東南山麓の小さな農山集落。

集落から経が峰へ通じる林道脇に大きな山の神場が有って例の股木人形オッタイ(男体)メッタイ(女体)が見られる。

山の神場の大きな岩には殆ど風化した多尊石仏・・・・・・、仏教遺跡だろうか??はたまた原始信仰と仏教が混交して聖地化した土地なのだろうか??

今はこうして山の神を祀る聖地とされている。

なんとも解りやすい・・・・・これ以上の具象化はないと思うほどに見事ないでたちです。

これが生の原点、全てへの再生産といわんばかりの大らかさ・・・其処には何の衒いもない。

行事(神事??)の一部始終を見たわけでないので何ともいえませんが、少なくとも我ら農耕民族の命と実りの再生産にかけた願いのようなものを感じ取ることが出来るような気がします。

撮影2011.4.2


宇治田原町 岩山の勧請縄

2010年03月11日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

昔流に言えば隣村である宇治田原町、宇治田原町の入り口は郷の口、今でこそ街並みを避けてR307のバイパスが町内を一気に抜けてしまう。

集落内を走る旧道は、郷の口、荒木、岩山と各集落を抜けて湯屋谷、信楽方面へと続ていた。

宇治田原町の町役場をを越え、中学校を超えた辺りが岩山、集落はなだらかな丘陵状斜面にへばりつくように家並みを連ねている。

集落入り口に当るのだろう、双栗天神社(さぐりてんじんじゃ)の大きな社碑の立つ辻にポールを建て、その間に約10mばかりの勧請縄を渡している。

主縄には何の飾りも無く、いとも単純明快、逆にこれだけ単純な勧請縄も珍しい。

神社社碑の脇にはそれなりのケヤキが在って以前はこの木を勧請木の片側として使って居たのではないだろうか??

撮影2010.2.20

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東近江市 神明宮の勧請縄

2010年03月02日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神



 


東近江市野中心街から、愛知川を超えて北方向に約10分ほど走った旧集落地域、南清水の変則的な四辻脇に鎮座する神明宮。




南清水集落の入口に当たるのだろうか?神社境内脇を通る道路の頭上にこの縄が掛け渡されている。



NETを検索やっと見つけた資料に依ると・・・・2月始めの亥の日、午前1時に社殿において、唐門屋根に蒸米のにぎり飯をのせた素焼きの皿を置く。こうして社守の資格を得ると、蒸米・大根の漬物と神酒で祝いを行う。その時、勧という長さ11メートル・太さ15センチ程の縄をない、その中ほどにで輪(60センチ・太さ15センチ程)をつくり、御幣を10本余り刺す。


  ほぼ上記の通り間違いないが、境内のケヤキの幹から道路を跨いでポールまで7~8m、中心には檜の枝葉の環、を吊り下げ、上下左右に二本ずつの子縄を組み、竹串に刺した御幣を三本突き立てている。




ポールの根元には白砂の狭い祀り場が有って、青竹に弊、その根元には篠竹の御幣が14本?見える。



東近江のスタンダードな勧請縄の様式を踏襲している様に見える。




撮影2010.2.13


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