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愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

秋田県湯沢市 三ツ村の鹿島さま

2012年11月03日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

先日紹介の「御返事」より東へ約2km、雄物川支流の高橋川左岸沿いを1km程遡ると左手、大きな館の下、この藁人形の鹿島様が見える。

ここの鹿島様は前々回紹介の岩崎の物程大きくはないが総高約3m余り、しかし顔は優しくて全て藁製です。

三ツ村集落への入口あたり、通せんぼするかのようにやっぱり両手を挙げていますが、集落は人形の前方稲田の奥に在り、どうも向きが反対の様な・・・・。

腰元に大きく鹿島大明神と書かれた木札と、賽神・・・・・・何とか書かれた護符を付け、やっぱり腰には板の剣。

どうしたことか、不思議なことにこちらの鹿島様には肝心のイチモツが有りません。

ここの鹿島様は約400年前、疫病の腸チフスが蔓延し、困り果てた人々が「村の入口にワラ人形を作りなさい」という神のお告げに依り祀ったところ、疫病がおさまったと言い伝えられています。

よく似た話はどこにでも有りますが・・・、それが誠ならなら、この鹿島様は400年続いてきたことになる。

撮影2012.9.18


秋田県湯沢市桑崎  御返事(おっぺち)の鹿島さま

2012年11月02日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

藁人形道祖神も然ることながら「御返事」と言う奇妙な地名が気になって気になって・・・・・。

「御返事」と書いて「おっぺち」、秋田県でも難読地名の一つとして知られて居るようですが・・、またこの地名に関する曰く因縁が面白い。

「御返事」集落の湯沢市小野町は、鄙びた田園地帯であると同時に平安時代の絶世の美女だと伝えられる「小野小町」生誕、終焉の地とされ、周辺には多くの小野小町の伝承や伝説の地が密集している。

そのひとつがこの「御返事」で小町に想いを寄せる深草少将が、この村で恋文の返事を待ち続けたと言う謂われから、村の名前が「御返事」になったと言う。

しかしそれでは「御返事」の読みが「おっぺち」の理由には全くなっていないが・・・・・平安時代ころには「御返事」を「おっぺち」と発音していたのかも???

そんなこととは殆ど関係の無いように思えるこの藁人形は、訪問先移動の際にたまたまこの地を通り掛かり見つけたものです。

真新しい湯沢横手道路の東側、御返事集落への北入口当たる地に簡素な覆屋を建てられ安置されています。

この地での藁人形は「鹿島様」と呼ばれ、高さ2.5m、お面を被るのではなく全身藁製で、頭部には角、腰には板の刀を差し、両手を広げて厄を通せんぼ。

貧弱な腰から下は余りにもよく目立つ一物・・・・、もっと上に突き立ってればと思うのですが地面に沈しています。

胸には「産土神鎮護疫病抜除符」と書かれた護符と何本ものロウソク・・・。

村を守りきるには、ちょっと心もとない顔つきですが・・・・

撮影2012.9.18


秋田県湯沢市岩崎 緑町の鹿島さま

2012年11月01日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

秋田人形道祖神の中でも最大クラスの藁人形です。

人形道祖神は大別すると昨日紹介の「鍾馗様」、それと今日紹介の「鹿島様」それに小型の「お人形様」などと呼ばれるもの等、細かく分類するとまだまだ多く有りそうですが・・・、その役割には大差なく畿内で僕が慣れ親しんでいる「勧請縄」に相等しいものです。

この鹿島様の有る湯沢市や横手市近郊には人形道祖神が集中して多いようですが、ここ湯沢市岩崎にはこれを含めて三体の鹿島様が造られ祀られて居る。

これはその中でも一番目に付くところに有り、容易く見つけられた。

まるで「男鹿のなまはげ」を思い起こすような怖い面をつけ湯沢市岩崎小学校入口の国道13号線脇にその異様な姿で立ち尽くしています。

高さ4mにも及ぶ荒野の野武士然としたその風貌、今にも「のっしのっし」と歩きだしそうなほどの迫力です。

それにしても腰の刀が小さく、地面の着いた「イチモツ」は見事に巨大です。

それは大和の勧請縄に多く吊り下げられる♂飾りと同じ意味を持つのだろう。

高台から町内を見下ろすように立ち尽くす鹿島様は怖くもあり、また愛着もあり、地域の守り神として相応しく見える。

藁人形ながら見事な出来栄えです。

撮影2012.9.18


秋田県美郷町本堂城回 館間の鍾馗さま/八ツ目川の鍾馗さま

2012年10月31日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

東北へ行き、どうしても見てみたかったものに、この人形道祖神があります。

日本は遠い昔から瑞穂の国、稲作で永らく生きながらえ、独特な稲作文化を形成してきた。

ここ東北、それもこの秋田県に集中して見られる人形道祖神と呼ばれる大きな藁人形は様々な民俗信仰と混合し、「鹿島様」「鍾馗様」などと呼ばれ、「五穀豊穣」「子孫繁栄」「道切り」「道祖神」等々、様々な願いをもって集落ごとに作られ、奉り置かれて居ます。

まずは手始め、秋田県内で数多く見た中でも、周りの景観とも良く溶け合い一番さまに成ってる藁人形の鍾馗さま。

長野県の「芦ノ尻道祖神」を見た時と同じような衝撃でした・・・・。

関西人には馴染みの薄い秋田県中部盆地の美郷町は大曲市街より約10km程東に在る田園地域。

中世にはこの地域を支配した本堂氏の居城、「本堂城」の城下町が有り、今は国の史跡となってだだっ広い野原となった片隅にある「山の神」や「稲荷神社」の祠を従えるようにケヤキの巨木の根元に陣取って居る。

ここは集落の最も大切な場所なのだろうか??村を見渡すかの様に立ち尽くす大きな藁の鍾馗さま。

像高約3m、頭には二本の角、顔には木製面を付け杉の葉で髭もじゃ・・・体躯は藁、筵、俵の蓋、と全て稲藁で造り出し、腰には厄を切り捨てるのか?刀を指している。

どう見ても胴長短足、腰には護符、その横の大きな丸いものは臍だと思うのだけど??やっぱり杉の葉をあしらっている。

厳つくて少しユーモラスに見える鐘馗様は誰が考え出したのか??やっぱり村の守り神として立派に君臨、大切にされているようです。

歴史的にはそう古いものでは無さそうですが、庶民の願いが全て詰まっていそうな気がします。

すぐ近く八ツ目川集落外れには、こんな鍾馗さま。

やっぱり同じ像容ですが・・・、こちらは顔のお面が真っ赤け。

顔面に蔦が絡まって・・・・、もうだいぶお疲れのご様子。

多分この辺り

撮影2012.9.19


奈良県山添村菅生(すごう) 峯出の「山の神」

2012年05月05日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

山添村菅生(すごう)では「山の神場」の事を小場と呼び習わしている。

菅生は山また山の山添村に有っても、辺境感の強い山里、そんな集落には五ヵ所もの小場があるらしいが、今回都合よく訪れられたのはこの「峯出の小場」という「山の神」

名阪国道「神野口IC」で降り、旧国道25号線で伊賀方面へ、名阪の下を潜り暫く行くと山間に軒を並べる菅生の山里。

「峯出の小場」は旧国道25号線の東側山腹に軒を並べる東端、道路分岐点の小さな林の中に有る。

中央部によく目立つ藁苞付けた長い勧請縄が杉の木立の間に掛けられ 、地面には供物らしき物・・・・・。

 

荒々しく切株を出した勧請縄に付けられた藁苞を、此処ではホウガンと呼び、勿論陽物、♂シンボルそのもの・・・

脇に鍵の手の枝切れに掛けられているのは三本木股と二本木股、これも♂♀を表し、命の再生産を願う印のはず・・・。

傍らの木枝にはカギヒキの鍵の手の付いた小枝がかけられていた・・・、ここでもカギヒキ神事は行われているのだろうか??

地表には峯出小場と書かれた木枝を削った木刀・・、鋤、桑、鋸、鉈など農山の七つ道具、脇にクラタテの篠竹を突き立てている。

此処での山ノ神は総てのものを叶えてくれる万能の神のようでもあり、かっての山村が「山の神」と深いつながりであった事を窺わせてくれる。

撮影2012.4.15


奈良県山添村 毛原の山の神

2012年05月04日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

大和高原南東部、山里毛原、集落西の入り口辺りに有る「山の神」

カギヒキ神事の盛んな三重県名張や伊賀地域西部は大和高原の山添村や宇陀市の東北部山間地域と一体になってるような山里地域 です。

<西の口よりの毛原集落>

此処もまた古くは奈良時代の毛原廃寺跡などを残し、古い民俗習俗をよく残し、懐かしい匂いのする集落です。

名阪国道脇から伸びる県道244号で万寿GCを抜け急な峠を下り切ると毛原の里、県道が最後に大きくヘアピンカーブする右手、林道を少し奥に入ったところにカギヒキ場がある。

入り口には知る人ぞ知る一石六体地蔵が有り、僕も何度か訪れていますが、この「山の神」に気づいたのは今回が初めて。

新しく車が乗り入れられるように造られた林道脇の大きな杉の木、地上よりはるかに高い枝にカギヒキのウツギノ枝が掛け吊るされています。 

この地域では縄は掛け渡さないようで、傍らの椎の木にもたくさんのウツギの鍵が吊り下げられ、形状は名張国津地域の物と酷似しています。

ここでもやっぱり枝束には、しっかり 此処では「ワラチンチン」とも呼ばれる藁苞が結わえられていますが、どこか頼りなさげ・・・。

ここでは山の神の神体となる石碑は見当たらず「クラタテ」と呼ばれる篠竹につけた幣が何本も斜面に突き立てられていた。

「クラタテ」は蔵が建ちます様にとの呪具だともされているようです。

撮影2010.4.29


三重県伊賀市 鍛冶屋の「山の神」

2012年05月03日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

伊賀市南部、古山界外(ふるやまかいげ)と鍛治屋(かじや)集落の境界の丘に山神遺跡と呼ばれる古代磐座遺跡が在り、現在もその磐座を神体として祀り、その場をカギヒキ場としている。

いづれも伊賀名張バイパス国道368号線の旧道、名張街道筋に点在する小さな里山集落の一つで、鄙びた集落景観が嬉しい地域です。

地図で確認するとちょうど古山界外から鍛治屋集落に入った丘の頂上付近に巨岩があって注連縄が巻かれ、この大石が古代磐座で有ろうと想像出来る。

この磐座付近からは皿形土器、土師器皿片などの祭祀遺物が出土しており、この場所が古代から特別な祭祀場であったらしい。

今でも磐座自信が山の神の神体として崇められ石碑等は無く、巨石の前に供物などが置かれた痕がある。

カギヒキは杉木立に細いロープを掛け渡し、ここでは青葉の付いた樫の木枝の鍵手を利用している。

ここでも藁苞は重要な意味を成すのだろう・・・・、しっかり枝に結わえられている。

もうごく少人数の村人しか参加しないのか・・・・、ロープ(縄を略式化したのだろう??)に掛けられた鍵の手もたったこれだけ。

名張東南部国津地域から少し離れるとカギヒキも伊賀流になって少し趣が変わる様です。

撮影2011.4.2


三重県名張市 滝之原下出の「山ノ神」

2012年05月02日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

小さな祠に六体の山ノ神、此処も又、国津神社に祀られた山の神です。

春四月、桜並木が続く集落奥の国津神社への参道・・・ここは名張市東南部滝の原地区、周りを新興住宅やゴルフ場にすっかり開発され、すっぽり取り残されたように懐かしい景色の残る里山です。

滝の原下出の国津神社は平成10年9月、紀伊半島を横断した台風7号により、倒木や拝殿の倒壊等大きな被害を受け復興され、神さびた厳かさには欠ける幹事の境内です。

拝殿右脇、山裾に小さな覆屋の祠を設け、山の神を一列に並べています。

脇の杉の木から縄を渡し、この地方ではお馴染み、鍵の手のウツギの枝が吊り下げられている。

ここでは、ウツギの枝以外にもクリ、クヌギ等の枝も使われるようです。

鍵手枝に付けられた福俵と呼ぶ藁苞もその形態が集落ごとに少しは違う様にも感じないではない。

撮影2012.4.15


三重県名張市 奈垣の「山の神」

2012年05月01日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

名張の新興団地、つつじヶ丘住宅からほんの其処、景色が一転する山懐に抱かれた奈垣の国津神社にも山ノ神の「カギヒキ」場がある。

深い考察は専門家に委ねるとしても、国津神社はこの名張東南部から旧美杉村にかけてはどの集落にでも鎮座してるほど多く、奈良県東山中に多く見られる葛神社や九頭神社と同系列の神社と考えられている。

<棚田と山懐に抱かれた奈垣国津神社付近>

前回紹介の布生(ふのう)近くに奈垣地区が有り、国津ふるさと館や国津小学校などの施設が集まり、国津地域とも呼ばれるこの辺りの中心地なのだろう。

国津神社拝殿脇に続く森の磐座に立つ樫の老木の根元に三体ほどの山ノ神石碑が祀られ、「カギヒキ」の痕が見られる。

縄は樫の木老木と藪椿古木の間、地表を這うように掛け渡されている・・・・、

ここでもカギヒキの鍵はウツギの枝・・・多くの人が参加したようでこちらは一寸大掛かり。

家族の男性の数と山の神の分だけウツギの枝を束ね、それに此処では「お年玉」と呼び習わす藁苞をつけている。

ウツギの枝の鍵手で「山の神や金銀財宝を引き寄せる」・・・と言うのは、余所者の僕達にとってはかなり奇想天外な発想のように思われるのだが、どんな曰く因縁があるのだろうか??

撮影2012.4.7


三重県名張市 布生(ふのう)の「山の神」

2012年04月30日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

十体もの山ノ神が一列に並んだ布生国津神社境内奥の斜面に有る山の神場です。

布生は往古、布乃布と記し、伊勢神宮領にあって布を献上したことにより、そう呼ばれていたと言う。

<正面惣正寺より見た国津神社>

長瀬の不動寺の脇を通り青蓮寺湖方面に抜ける県道693号線の山道で峠を越えると布生(ふのう)の山里、国津神社の案内板が出ていて直ぐにわかる。

神社は深い緑を背に負い、拓けた境内を持ついかにも村の鎮守さんと言った風情です。

10箇所もの山の神が此処に集められ、合祀されているのだろうか?カギヒキ場の様子は長瀬地区の物と殆どかわりない。

カギヒキのウツギの枝も福俵の数も多く参加人数も多いのだろう・・・。

背景にはびっしり杉木立が在って、此処はいかにも山の神が鎮まりそうなところでした。

藁と木の枝が作り出す農耕民族、原始信仰の一端を感じます。

撮影2012.4.15


三重県名張市 長瀬「山の神」

2012年04月29日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

名張川沿いに走る国道368号線の傍ら、ちょうど川が蛇行して川瀬に成るあたり、崖渕の少ない木立の中に山ノ神場が設けられている。

<山の神から長瀬の中心辺り>

名張方面から行くと、前回紹介、上長瀬より一つ手前の集落、長瀬地区の真ん中辺り・・・、余所者には小字名までは解らないがこの場所も小字名で呼ばれてるに違いない。

元々道路が新しく広くなるまでは、もっと林のように木々が生繁って居たのであろうが??今はすっかり御覧の有様・・、どうも山の神には似つかわしくない場所です。

切石の壇上に三体の山の神碑を祀り、両側の注連縄を渡し、カギヒキのウツギの枝が吊るされている。

使用は前回紹介した上長瀬国津の物と酷似してるが、此処では木枝を削った木牌に「奉納山林道具一式」の文字が見える。

山の神碑が三体と云う事は三小字の山の神をここに合祀したものだろうか??。

撮影2012.4.15


三重県名張市 上長瀬の「山の神」

2012年04月28日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

上長瀬国津神社境内傍らに有る山ノ神の「カギヒキ」場です。

上長瀬地区は三重県奥伊賀、名張市最南端部、旧美杉村と境を接する山深い名張川源流域にあって、まさに山紫水明を絵に描いたような山里です。

国道165号線と分かれ国道368号線で南方の山をめがけて約20分ばかり、源流域の川瀬に続く斜面に小さな集落が点在している。

国津神社はこの付近から伊賀、大和高原域に数多く有る神社で、妙に山ノ神の「カギヒキ神事」を行う地域と合致しているような??

山ノ神場は国津神社境内、拝殿に向かって右手にあって、山の神、庚申、地蔵石仏など多くの小石造物が並べられている。

カギヒキの鍵は背丈ほどの長さのウツギの枝で四~五本を一纏めにして、掛け渡された注連縄に吊るされています。

ウツギの鍵手枝には、この辺りで福俵と呼ぶ藁苞が吊り下げられている。

藁苞はやっぱり♂そのものを表す呪具なのでしょうか??中には川の小石を七個入れるそうですが、意味は解りません。

単に吉兆の印なのかも??

撮影2012.4.8


伊賀市 西高倉の山の神(カギヒキ)

2012年04月27日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

三重県伊賀地方やその南部、名張や大和高原域では「山の神」信仰が根強く残り、この地域では山の神を迎えるために殆ど「鍵引き神事」を行うので「山始め」を単に「カギヒキ」と呼び習わしている。

「鍵引き神事」は山の神を「田の神」として里に迎え入れるために木枝の鍵手で引き寄せる神事で、山の神と共々農作物や銭金や糸錦も村へと引き寄せよ・・・と祈って今尚行われている。

その現場には中々出遭う事は出来ませんが、その場所を後から訪ねることは出来ます。

先ずは滋賀県甲賀市に程近い伊賀市の北端、御斎峠(おとぎ峠)に近い高倉神社一の鳥居と共に有る、神事の行われる「山の口」の大ケヤキ

この地、西高倉の「カギヒキ」は例年1月7日に行われ、「東の国の銭金この国へ引き寄せよ、西の国の糸錦この国へ引き寄せよ、チョイサ、チョイサ」と唱えられると言う。

 両部鳥居脇に立つ「山の口」の大ケヤキと呼ばれる欅の巨木に縄の片方が巻きつけられ、鍵引神事の樫の葉をつけた鍵状の枝がたくさん付けられている。

此処では東近江や湖南地域で良く見かける股木人形を見つけることが出来なかった。

 

又この西高倉では、縄は掛け渡されることなく片方は切られて地表に打ち捨てられているが、これにはどういう意味が有るのか解らない。

勧請縄でも片方が切り捨てられているのを見たことが有る。

不思議なことに、この地で山の神と刻まれた石碑を見なかったのは、僕の見落としなのだろうか??

はたまたこの大欅こそが山の神そのものなのだろうか??

撮影2008.2.16/2012.1.31


三重県名張市 上三谷の勧請縄

2012年04月26日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

何の予備知識も無く、偶々通り掛けに見掛けた勧請縄です。

<鎮守白山神社境内からの集落>

名張市の上三谷地区は、あの赤目渓谷の一筋西側の谷筋、奈良県旧室生村と隣接した山里で、戸数約10戸ばかり小さな集落です。

国道165号線より南方山中へ約3km足らず、県道にも指定されない谷川沿いの広域林道?を走ること5分ばかり、右手細い谷川の上に勧請縄が吊り渡されている。

元々この地が集落への入り口、はたまた特別な意味を持つ場所でもあったのだろうか??現在良く整備された新道が一気に走りぬけ、こんな縄に気づく人など殆ど居ないのではないだろうか??

縄はコンクリートポールと川を挟んだ杉の木に掛け渡されその長さ約5m足らず、中央3mほどがやや太く、藁房が三箇所に取り付けられた、実にシンプルな勧請縄です。

こんな所で勧請縄に出会うとは思っても居なかったので、略式化したこんな縄でも残っている事に感激でした。

撮影2012.4.8


奈良県桜井市 谷の勧請縄

2012年03月20日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

周囲の都市化と共に集落の結界も判別とはしないがこの勧請縄が唯一それを示しているようです。

現在すっかり歩道となってしまった旧道だと思われる一角に六字名号と小石仏の地蔵堂が有り、傍らに建つ金属ポールと、歩道を挟んだ勧請木にシンプルな勧請縄が掛け渡されている。

国道165号線、橿原市方面から桜井市に入って直ぐ、谷信号の次の信号を右折すると、左手歩道上に勧請縄が掛けられているのが見える。

ポプラの樹からポールまで約6~7m、太縄の中央には3本足の小勧請・・・・。

小勧請の縄には三段に分けて常緑樹の小枝が結わえられ、御幣も添えられている。 

ポプラ勧請木の根元には、籾付稲藁、青竹御幣、常緑樹の小枝・・・それらが荒縄で結わえられている。

場所や飾り物から道切りと五穀豊穣を願って掛け渡された縄なんだろう・・・。

周りの景観や騒々しさは都市化の波に飲み込まれてしまっていますが、何とかこの勧請縄だけは残って欲しいものです。

撮影2012.3.3