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Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

レハールの曲は詰まらない?

2021-12-21 | マスメディア批評
(承前)新制作「ジュディッタ」演出に触れる前に新聞評などが出てきたので、演奏評を読む。

先ずは読み以前に朝7時15分からのバイエルン放送協会の評を聞いた。コラージュで挿入された事で、特にティテュス・エンゲル指揮の座付き管弦楽団があれほど繊細に楽しく演奏したものが中断されることは痛いと書いている。殆ど楽しい場面はなく、バルトークの「マンドリン」が場面展開の場面に演奏されて、精々舞台上を椅子が飛んだりして動く場面が面白かったというのである。

挿入曲一覧:

アイスラー「故郷」1940
レハール「熱」1915
ウルマン「どこから全ての美しさを」1939
ベルク「雷雨」アルテンベルク歌曲から1912
シェーンベルク「幸福の手」作品18、JaOJa
ベルク「ここは平安」アルテンベルク歌曲より
クシェネック「苦しむ世界から控えていればよい」1937
コルンコルト「幸せ、私に残るもの」死の街より
アイスラー「自殺について」1939
コルンコルト「カムウェーデス」1937
バルトーク「マンダリン」1928
ストラヴィンスキー「ワルツコーダ」カード遊びより
ショスターコヴィッチ「タンゴ」1931
「ラルゴ」五つの管弦楽曲より1935

これらの挿入曲について細かく指摘している評はまだ見つからない。理由は複雑さもあって、一度だけでは把握しかねないというのがある。しかし、より正確になんとフランクフルトから出かけたアルゲマイネ新聞が書いている。ベルリン時代にペトレンコの衝撃の問題インタヴューをしてしまった人物である。

既に私が言及したように演出家は、レハールの曲を詰まらないものとしてみていた。こうしたオペラのメッカの大劇場ではあの曲ではもたないと考えていた。しかしそれは違ったのではないかというのが批評の大きな骨子になっている。

一方エンゲルはミュンヘンの新聞のインタヴューに答えて、オッフェンバッハの「ホフマン物語」と比較すべき作品で、オペレッタから外れてオペラを作曲したいという意思があって、実際に1934年にヴィーンの国立劇場で初演されてドラマテュルギー的にも典型的なオペレッタではなく、オーケストレーションも色彩的だとしている。

しかしマルタ―ラーのコンセプトが、既に音楽史は無調へと突き進んでいた時でありレハールがナチに利用された面があるとして、敢えてショスタコーヴィッチやナチによって退廃音楽とされたものを組み合したと客観的な視座を披露している。これは、最初に紹介として載っている音楽学校ではなくて、音楽学と哲学を学んだお陰で、親の意向に従ったことで、劇場のスタッフと話す時に役に立っているというエンゲルのプロフィールにも掛かっている。(続く



参照:
Stört Sie die Musik?, JAN BRACHMANN, FAZ vom 20.12.2021
Dirigent Titus Engel über "Giuditta" in München: In die Tiefe gehen, Robert Braunmüller, Abendzeitung vom 18.12.2021
決して無抵抗ではない 2021-12-18 | 文化一般
まるで夢のような喜歌劇 2021-12-17 | 音

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