Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

イザ「フーガの技法」

2021-08-21 | 
急いでソコロフ演奏の「フーガの技法」を流した。最初からクリアーな運びでまるでグールドがオルガンで弾いたような全てがくっきりに音楽となっていた。こういうのを聴くと世界中で多くのファンがいて、そして評価が高いのも大納得である。

キリル・ぺトレンコなどもそのピアノを評して「天才があそこまで練習するのだから」としていた。確かにバロック的な明快さと遠近感のグロテスクさなどもこういうピアニズムによって活きると思い、こういう録音などで更に人気が出るのだろうと思った。

ある意味ペトレンコ指揮の音楽芸術にもある明晰さなのであるのだが、その目指すところが異なるなと感じた。それは一体なになのか。インタヴューでの練習云々が何かそれを暗示していたような気がする。

そしてそれだけでは終わらないのがやはりバッハの創作である。複雑になって来て、それがくっきりと描かれるだけでは余計に分からなくなってくる。

ソコロフの最大に問題点は、アーティキュレーションがそのロシアンリズム感覚から合理性が十分では無く、動機が意味を持って描き切れていない事である。反面そこにピアニズムが立脚しているので、明晰さにもなっているのだ。端折ったような歌いまわしなどはそこから来ている。

正直、生で聴くまではトリフォノフがそこまで弾き分ける力があるのかどうかは分からないが、隔し録りを聴く限りは、動機の扱い方には期待したいところだ。

それにしても音楽家の世界とは不可思議なもので、天才指揮者が天才と呼ぶピアニストがこうして出来ないことがあるのだ - 勿論ご本人はそれが正しいと思って弾いていて、市場もそれを喝采している訳なのだが。 しかし私などは天才中の天才なものだから音階を弾いた時から演奏を断念している。しかし世界には数え切れないほどのプロの演奏家がいて活躍しているのだ。

今日は比較的暖かくなった。衣裳を考えなければいけない。快晴で摂氏23度以上あるので、まだまだ本格的な秋の井出達でもなく、7月の様に盛夏でもないのでと考える。少し古いデザインだが賢三の五線ならず六線があったので「フーガの技法」でそれだなと思った。

往路の経路はフランスを通らないが、帰りはどうしようかと考えていた。調べて見ると住居から30㎞圏内がフリーなのでそれに当てはまらない。トランジットを証明しないといけないとなると出来ないことはないかもしれないが復路も迷うところである。

本当はカメラの多いカールスルーへ周辺は通りたくないのだが、検問に引っ掛かるのも面倒だ。



参照:
あっちへこっちへフーガ 2021-08-20 | 雑感
秋のマーラー九番演奏会 2021-08-18 | 音

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