Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

極右の横分けで公職追放

2021-05-18 | 文化一般
中部ドイツ放送局は、先週の約束通り、クリスティアン・ティーレマン解雇問題を扱う。今回は同州のもう一つの中心地ライプチッヒのゲヴァントハウス管弦楽団の支配人シュルツにインタヴューしている。先週金曜日にはドレスデンの音楽大学の理事でティーレマンを指揮科の名誉教授として受け入れたケーラー氏にインタヴューしていた。

後者は月曜日のフランクフルターアルゲマイネ新聞にこの件でインタヴューされた記事が掲載されている。金曜日のインタヴューでは何を言うかと聞くと、結局自身のプロジェクトでティーレマン-シュターツカペレ-音大の三和音に不協和音が響く様で、芸術性とか言いながら、結局指揮科とシュターツカペレとの関係などが潰されて、またリヒャルト・ヴァークナーが「不思議な縦琴」と名付けたシュターツカペレの音響の研究もティーレマン指揮でとかいう焦点の定まらない論拠になり、最終的には政治的な判断に口出し出来ないとなって、一体何が根拠なのかも曖昧になっていた。元歌手出身で演出家、シュターツカペレの支配人になってという経歴の人の弁である。

新聞では幾らかは自身の考え方を整理していたが、それでも薄弱な意見を述べている。管弦楽団の特殊性をして、例えばベルリンの様にラトルとの関係をとことん突き進めて終わりにするという事がティーレマンとの関係でもまだまだこれから必要だったとしているが、ただのオタクの推薦の辞にしかなっていない。

二十年以上ティーレマンウォチャーをしているので政治的云々は少なくとも表に出ていることに関しては最早誰よりも知っていると思うが、その芸術的な評価つまり違う視点からの評価を聞いてみたいのである。あまりにも馬鹿らしいのは「我々エリートの評価が一般に受け入れられない」というような発言をしていて、高級紙で何一つも核心を述べられない「専門家」がエリートな筈が無い。まさしくここで擁護者が言いたい肝がこれである。

その核心は一度でもティーレマン指揮の演奏を体験したなら分かることで、それが中々浪漫音楽表現としては結実しないことも玄人ならば直ぐに分かる。ネオロマンティズム表現も曖昧模糊とはそう易々とは成立しないのである。

その点、ゲヴァントハウスのシュルツ支配人の受け応えは明晰明快である。質問の楽団とオペラ劇場の関係に話が振られると、ライプチッヒではそれどころかカントールも係って三つ巴で更にややこしいが四週間に一度皆が顔を合わせるとあった。ここまで行くと、ゲヴァントハウスのカペルマイスターのネルソンズがゼムパーオパーと兼任するという事の可能性が否定されていないことに気が付く。

公共放送としては、両論を並べてティーレマン信奉者にも聞かせる内容としているが、関心を持つような聴者にとってもこうして意見を並べるとその歪さに気がつく様になっている。

ウォチャーとしては、正直今回の政治的な決断には驚いたが、その芸術的な価値の評価という事でとても興味を持っていた。そして今回の様に一斉にメディアがとんでもない叩き方をするようになるとたじろぐところがある。一連の政治的な制裁は、クリスティアン・ティーレマンのドイツ連邦共和国での公職追放に等しい。私が知る限り表に出ている情報ではもちろんそこまでの仕打ちを受けるまでの事は無い。内務省が隠された証拠を握っているという事を示すだろう。

横別けの髪形は極右のそれで、髪型を変えても駄目だ。もはやドイツの舞台では仕事が無くて、請負仕事以外は好きな東プロイセンで気持ち良く過ごせるだろうと書く者もある。南ドイツ新聞の記者でdpaに投稿している人である。

個人的にはその政治姿勢を追求してきたので、髪型やその人物像まで批評する心算などは無かった。それどころか芸術性という事では実現する為の本人の能力を低評価していても決して軽く見ていたのではない。しかしこうして信奉者の言葉を聞くと、まさしくこの指揮者の明晰でないその裏に何かがあるように見せようとするポピュリスト政治家などが取る態度と共通のものをそこに見つける。要するに中は空っぽなのだが、何かが詰まっているように見せるようなハッタリでしかない。



参照:
待てないティーレマン去就 2021-05-12 | 文化一般
骸の上で商売をする 2021-04-18 | 音
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