草臥れた、ミュンヘンからの帰宅すると二時を過ぎていた。勿論午前中は仕事にならない。眠たいのだ。帰路はスピードを出し過ぎて、往路でいつもよりも倹約した筈が、いつもよりも燃料を使い過ぎたようだ。エンジンオイルを入れ直したところなのでエンジンが軽く回り過ぎてついつい加速してしまい。冬タイヤの速度リミッター210㎞が効き続けた。週末よりもなぜか車も少なく走り易かった。理由は平日の時間帯で、深夜になると仮眠して翌日に備えるトラックが多いからだろう。週末になると行楽や長距離が前後に多く走るからだろう。
行きも帰りも路上状況も乾いていて、工事現場も二か所しかなかったので走り良かったのだが、帰りにはひやっとすることもあった。二列に並走しているトラックに突っ込むときに三車線目を追い抜く車を行かせてから追い越し車線に出ようとすると、前のトラックを避けるために踏んだブレーキとハンドル捌きが微妙に重なった。車体のバランスが崩れた。要するに回避のハンドル捌きなのだがスピードが出過ぎていたのだろう。カウンター気味のハンドルでバランスをとって何事もなかったが、目が覚めた。
帰路にスピードを出すのも心理的に帰宅を急ぐだけでなくて、やはり二時過ぎなどの危ない時刻に走りたくないからで、居眠り運転を避けたい気持ちもあるからだ。少々燃料代が掛かってもスピードを出して居眠り運転事故を避けれれば安いことだ。
往路には念願の原発の写真を撮れた。ドナウ河畔のグンデレミンゲンの沸騰水型の水蒸気塔である。現在稼働中の八基の二基である。それぞれまだ五年、十一年と動き続ける。もしここで放射能漏れが起きると、川下のニュルンベルクや風下のアウグスブルクなどが危ない。早めに止めてもらう方が安心である。
今回は開演が19時30分と遅く、終演が22時45分と遅かった。そこで昼前にゆっくりと出かけた。夕方に駐車場入りして、駐車料金を倹約する気持ちもあった。だからいつものサーヴィスエリアで一時間ほどバイエルン放送を流しながら陽射しの強い車中で横になっていた。ドレスデンでブッフビンダーがモーツァルトの協奏曲を弾き振りしている実況録音が流れていた。なるほどピアノは技術的にはしっかりと弾いているが、そのピアノもオーケストラも下手だった。こうした演奏ならば名演奏の録音を流していた方が価値があるだろう。座付き管弦楽団もこの程度の演奏をしているようではヴィーンのその域にも至らない。
その前にバイエルンに入るまではSWRで、スズキがマインツの音楽学校でワークショップを行っていて、そのインタヴューや音などが流れていた。鈴木氏は、「グラーブという言葉の低さ」などについて語っていたが、全くその内容がないので、あの放送を聞いた人は皆、あれでは駄目だと思っただろう。何処で習ったのかは知らないがドイツ語を喋るのは良いが、音楽的な内容がないことを喋っているのでは仕方がない。内容がないことを語るぐらいならば音楽家はあまりペラペラ喋らない方が良い。プロテスタント教徒の特徴だろうか?
車中ではそれ以前に単語の問題から、「弁証法」について久しぶりに考えていた。十年ほど前にここで書いたことを見るとそのような難しいことが沢山出てくるのだが、そうした言葉すら最近は日本語では浮かばなくなっているのに気が付く。日本語が浮かばないときは、その概念を辿ってみるのだが、中国語のそれにあたる概念が浮かんでこない。痴呆症かと思うぐらいなのだが、一つにはランニングして体動かしているような生活をするとそうしたことへの思考が鈍るようである。要するに専門外への意識が薄れるということなのだろうか?スポーツ痴呆症で、なるほどなと思う身近な人たちが直ぐに思い浮かぶ。
どうもそれはハイデルベルクの脳の専門家が話していた。若いころの教育やその他が痴呆症などの発生に深く係っていて、ここでいう専門的なことでの教育や教養などということらしい。どうしても平常から繰り返し扱っていないような物事は脳が受け付けなくなるような状況になることが老人性痴呆症の一種なのかもしれない。
参照:
花冷えにPWRの白い天蓋 2015-04-04 | 暦
経済的に降臨するミュンヘン 2015-05-26 | 暦
行きも帰りも路上状況も乾いていて、工事現場も二か所しかなかったので走り良かったのだが、帰りにはひやっとすることもあった。二列に並走しているトラックに突っ込むときに三車線目を追い抜く車を行かせてから追い越し車線に出ようとすると、前のトラックを避けるために踏んだブレーキとハンドル捌きが微妙に重なった。車体のバランスが崩れた。要するに回避のハンドル捌きなのだがスピードが出過ぎていたのだろう。カウンター気味のハンドルでバランスをとって何事もなかったが、目が覚めた。
帰路にスピードを出すのも心理的に帰宅を急ぐだけでなくて、やはり二時過ぎなどの危ない時刻に走りたくないからで、居眠り運転を避けたい気持ちもあるからだ。少々燃料代が掛かってもスピードを出して居眠り運転事故を避けれれば安いことだ。
往路には念願の原発の写真を撮れた。ドナウ河畔のグンデレミンゲンの沸騰水型の水蒸気塔である。現在稼働中の八基の二基である。それぞれまだ五年、十一年と動き続ける。もしここで放射能漏れが起きると、川下のニュルンベルクや風下のアウグスブルクなどが危ない。早めに止めてもらう方が安心である。
今回は開演が19時30分と遅く、終演が22時45分と遅かった。そこで昼前にゆっくりと出かけた。夕方に駐車場入りして、駐車料金を倹約する気持ちもあった。だからいつものサーヴィスエリアで一時間ほどバイエルン放送を流しながら陽射しの強い車中で横になっていた。ドレスデンでブッフビンダーがモーツァルトの協奏曲を弾き振りしている実況録音が流れていた。なるほどピアノは技術的にはしっかりと弾いているが、そのピアノもオーケストラも下手だった。こうした演奏ならば名演奏の録音を流していた方が価値があるだろう。座付き管弦楽団もこの程度の演奏をしているようではヴィーンのその域にも至らない。
その前にバイエルンに入るまではSWRで、スズキがマインツの音楽学校でワークショップを行っていて、そのインタヴューや音などが流れていた。鈴木氏は、「グラーブという言葉の低さ」などについて語っていたが、全くその内容がないので、あの放送を聞いた人は皆、あれでは駄目だと思っただろう。何処で習ったのかは知らないがドイツ語を喋るのは良いが、音楽的な内容がないことを喋っているのでは仕方がない。内容がないことを語るぐらいならば音楽家はあまりペラペラ喋らない方が良い。プロテスタント教徒の特徴だろうか?
車中ではそれ以前に単語の問題から、「弁証法」について久しぶりに考えていた。十年ほど前にここで書いたことを見るとそのような難しいことが沢山出てくるのだが、そうした言葉すら最近は日本語では浮かばなくなっているのに気が付く。日本語が浮かばないときは、その概念を辿ってみるのだが、中国語のそれにあたる概念が浮かんでこない。痴呆症かと思うぐらいなのだが、一つにはランニングして体動かしているような生活をするとそうしたことへの思考が鈍るようである。要するに専門外への意識が薄れるということなのだろうか?スポーツ痴呆症で、なるほどなと思う身近な人たちが直ぐに思い浮かぶ。
どうもそれはハイデルベルクの脳の専門家が話していた。若いころの教育やその他が痴呆症などの発生に深く係っていて、ここでいう専門的なことでの教育や教養などということらしい。どうしても平常から繰り返し扱っていないような物事は脳が受け付けなくなるような状況になることが老人性痴呆症の一種なのかもしれない。
参照:
花冷えにPWRの白い天蓋 2015-04-04 | 暦
経済的に降臨するミュンヘン 2015-05-26 | 暦