goo blog サービス終了のお知らせ 

Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

軽く回り過ぎるエンジン

2016-12-02 | 雑感
草臥れた、ミュンヘンからの帰宅すると二時を過ぎていた。勿論午前中は仕事にならない。眠たいのだ。帰路はスピードを出し過ぎて、往路でいつもよりも倹約した筈が、いつもよりも燃料を使い過ぎたようだ。エンジンオイルを入れ直したところなのでエンジンが軽く回り過ぎてついつい加速してしまい。冬タイヤの速度リミッター210㎞が効き続けた。週末よりもなぜか車も少なく走り易かった。理由は平日の時間帯で、深夜になると仮眠して翌日に備えるトラックが多いからだろう。週末になると行楽や長距離が前後に多く走るからだろう。

行きも帰りも路上状況も乾いていて、工事現場も二か所しかなかったので走り良かったのだが、帰りにはひやっとすることもあった。二列に並走しているトラックに突っ込むときに三車線目を追い抜く車を行かせてから追い越し車線に出ようとすると、前のトラックを避けるために踏んだブレーキとハンドル捌きが微妙に重なった。車体のバランスが崩れた。要するに回避のハンドル捌きなのだがスピードが出過ぎていたのだろう。カウンター気味のハンドルでバランスをとって何事もなかったが、目が覚めた。

帰路にスピードを出すのも心理的に帰宅を急ぐだけでなくて、やはり二時過ぎなどの危ない時刻に走りたくないからで、居眠り運転を避けたい気持ちもあるからだ。少々燃料代が掛かってもスピードを出して居眠り運転事故を避けれれば安いことだ。

往路には念願の原発の写真を撮れた。ドナウ河畔のグンデレミンゲンの沸騰水型の水蒸気塔である。現在稼働中の八基の二基である。それぞれまだ五年、十一年と動き続ける。もしここで放射能漏れが起きると、川下のニュルンベルクや風下のアウグスブルクなどが危ない。早めに止めてもらう方が安心である。

今回は開演が19時30分と遅く、終演が22時45分と遅かった。そこで昼前にゆっくりと出かけた。夕方に駐車場入りして、駐車料金を倹約する気持ちもあった。だからいつものサーヴィスエリアで一時間ほどバイエルン放送を流しながら陽射しの強い車中で横になっていた。ドレスデンでブッフビンダーがモーツァルトの協奏曲を弾き振りしている実況録音が流れていた。なるほどピアノは技術的にはしっかりと弾いているが、そのピアノもオーケストラも下手だった。こうした演奏ならば名演奏の録音を流していた方が価値があるだろう。座付き管弦楽団もこの程度の演奏をしているようではヴィーンのその域にも至らない。

その前にバイエルンに入るまではSWRで、スズキがマインツの音楽学校でワークショップを行っていて、そのインタヴューや音などが流れていた。鈴木氏は、「グラーブという言葉の低さ」などについて語っていたが、全くその内容がないので、あの放送を聞いた人は皆、あれでは駄目だと思っただろう。何処で習ったのかは知らないがドイツ語を喋るのは良いが、音楽的な内容がないことを喋っているのでは仕方がない。内容がないことを語るぐらいならば音楽家はあまりペラペラ喋らない方が良い。プロテスタント教徒の特徴だろうか?

車中ではそれ以前に単語の問題から、「弁証法」について久しぶりに考えていた。十年ほど前にここで書いたことを見るとそのような難しいことが沢山出てくるのだが、そうした言葉すら最近は日本語では浮かばなくなっているのに気が付く。日本語が浮かばないときは、その概念を辿ってみるのだが、中国語のそれにあたる概念が浮かんでこない。痴呆症かと思うぐらいなのだが、一つにはランニングして体動かしているような生活をするとそうしたことへの思考が鈍るようである。要するに専門外への意識が薄れるということなのだろうか?スポーツ痴呆症で、なるほどなと思う身近な人たちが直ぐに思い浮かぶ。

どうもそれはハイデルベルクの脳の専門家が話していた。若いころの教育やその他が痴呆症などの発生に深く係っていて、ここでいう専門的なことでの教育や教養などということらしい。どうしても平常から繰り返し扱っていないような物事は脳が受け付けなくなるような状況になることが老人性痴呆症の一種なのかもしれない。



参照:
花冷えにPWRの白い天蓋 2015-04-04 | 暦
経済的に降臨するミュンヘン 2015-05-26 | 暦
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボットネット「未来」の攻撃

2016-12-01 | テクニック
この度の四千万を超えるルーターを襲ったのは「アンナ先輩」の作ったボットネット「未来」からの犯人だと分かった。これで狙われたのは独テレコムのルーター経由でポート7547に繋がるグリッド電化製品となる。それは世界で4000万機あるとFAZは検索機「ショーダン」を使って調べて報告していて、ドイツ国内だけでも310万機存在するという。7545など使ったことがないと思うので、調べてみるとLAN外から遠隔操作をする為のポートらしい。

LAN内での遠隔操作は無くてはならない機能になっていて、今これも陽射しがあるうちに事務机のデジタルモニターを利用してドッキングステーションを遠隔操作をしながら書いている。しかし外からの遠隔操作には否定的で、今回のようなことが起こらなくてもどうしようもない弱点だと考えているからである。遅かれ早かれ発生すると考えていた今回の事件を受けてルーターの安全基準などが押し上げられて十分な処置がとられたなら考えても良い。LAN内の暗号化の問題などもこの数日間で扱っていた課題であり、複雑な安全処置と扱い易さをどのように両立させられるかが問題になるのだろうか。

昨晩車中でのラディオの討論会は興味深かった。それによれば「街の光を制限して暗い社会に変えることが明るい世界に結びつく」ということらしい。要するに明るくすることで、特に家庭では良いのは衛生面だけで、それ以外は睡眠障害やその他数多くの弊害があるだけで良いことがないらしい。それ以外の市街地でのそれは商業主義的な観点で明るくすることだけが目されていて、アジアを代表とするような不夜城が出現することになる。だからシヨーウィンドーなどでも明るさ規制をしない限りは制限が出来ないということであった。広告塔も街路灯も暗くして、夜間はあまり外出しないような世界像であり、嘗ての共産主義政権下における不自由さを排除可能な社会が理想であろう。夜が明るい限り文化は生まれないと思う。夜を暗くすることだけで人々の生活や創造力は、文化的だけでなく社会学的、生物学にどれだけ進歩することだろうか。衛生面も明るい時間に掃除するだけで十分だろう。そうした社会を作ることが我々の目標である。十代の時から日本の蛍光灯の非文化的な色合いに苦情してきた自分自身としては我が意を得た気持ちになった。だから先頃国民投票で維持が決まったスイスに原発などは要らない。チューリッヒはまだまだ明る過ぎる。

またまた沢往復で記録が出た。前回までの記録22分39秒を5秒間短縮した。往路も10分40秒ほどで12分で2㎞走行を超えているから悪くはない。その後に減速どころか加速して、坂も折り返し前ほどに落ちておらずラストスパートは最高速度に迫っている。復路で二組の夫婦に出会ったのが減速にブレーキをかけたようだ。零下の外気温でも手袋をしてパンツを脱ぎ棄てて走り出しただけの甲斐があった。往路の最後でお辞儀をしてしまったが、復路で最高速度を出せた意味は大きいだろう。折り返しまでの上り勾配は横から見るとそれほどではないのだが、復路の加速を観れば如何に傾斜があるかが分かる。もう少し地形の特徴を読み込んで走りに活かせれば22分割れも見えて来る。それでもゴールした時には人から声を掛けれれるほどハーハーしていた。この気温では汗をびっしょりとは掻かなかった。



参照:
経験のトロイの馬 2016-10-27 | 雑感
「天才ソコロフ」の響き 2016-11-17 | 音
気に入りだしたシナモン 2016-11-30 | テクニック
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする