Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ローアングルからの情景

2006-04-07 | 
一昨晩は、イースター前の春冷え前の最後の温かい日と聞いたので、晩の7時過ぎからワイン畑の中を少し歩いた。何よりも今晩は山沿いでは大雪が降るような事をラジオで聞くと、最後のチャンスと思い夕飯前の時間を割くしかない。

まだまだ殺風景なワイン畑もある所まで遣って来ると、紫色の小さな花が咲き乱れていた。どうして、今日までこの花について気が付かなかったのだろうか?真っ赤なケシは野草として夏先に良く見たが、これをこうした形で畝に生やしているのは限られるのかもしれない。どうもスミレ科のようだ。

なるほど、かの文豪ゲーテも書いているではないか。「スミレは想った、せめても僕が最もこの世で美しい花だったらな。少しの時間でも良いから、あの子が摘みあげてくれて、ぐったりとなるまであのオッパイに押さえつけてくれたらな。せめて十五分だけでも。」

これが第二節となるは、1775年のフィリップ・クリストフ・カイザー作曲の歌劇「エルヴィンとエルミエール」からの引用で、文豪二十六歳の時の作品である。

その詩にモーツァルトがをつけて、最も有名な歌曲"Das Veilchen KV 476"となっている。スミレと羊飼いのディアローグに、冒頭の16分音符の前打音の付いた佇む小さな頭のスミレの情景から、スラーの付いた羊飼いの歌へ、低いバスを伴った重量感を増した娘の歩みへとピアノは事細かに情景描写をする。

そして結局、気づかれる事も、摘まれる事も無く、踏み付けられて、半音階下降へと至り、息絶える。そしてフィナーレでは、冒頭のスミレの動機を欠いた野原の情景がアングルを変えて再び拡がる。

第一節のト長調による羊飼いの娘の足取りは軽く、殆んどコケットでさえある。1785年モーツァルト二十九歳の作であるからして、この羊飼いの娘に、オペラ「フィガロの結婚」のスザンナや「ドンジョヴァンニ」のツェルビーナや「コシ・ファン・トュッテ」のデスピーナを想像しても良かろう。

このスミレのローアングルの情景は、オペラに無いような精妙さに満ちているので、ハイアングルからではなかなか気づかないものであると思った。

余談だが、三月のスミレは珍味らしい。
(上のリンクの2曲目として、エディット・マティスのスミレが一部聞ける。その24・25曲目で其々ヘルマン・プライとマティスのマンドリン伴奏を受け持つ越智さんは永くマンハイムで教鞭をとられていた。二年前まで当地の独日協会の役員を務める。)


聴き比べ:フィッシャー・ディースカウトとバレンボイムのピアノ伴奏のバリトン版をオリジナルのソプラノ版に比較想定して書いたが、良い伴奏はなかなか少ない。

バーバラ・ボネーとジェフリー・パーソンズ
ジュリアン・バンスとアンドラシュ・シッフ
ジヴィラ・ルーベンスとアーヴィン・ゲージ
コメント
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