Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

日本の情報統制の進行?

2014-01-22 | 歴史・時事
魚釣島紛争や安倍政権の対中関係から調べ物をした。そこで思い出したのが小平の日本訪問、それも唐招提寺での関西の放送局での中継風景であった。鑑真像を祖国へとの当時の森本長老が小平の袖に掴る情景である。とても象徴的な情景で、ニクソンが北京に降り立った時よりも、田中角栄の毛沢東との面談や周総理との会談などよりも記憶に鮮やかである。

YOUTUBEで日中国交回復の映像を纏めたものを観た。当時は、報道されていなかった裏話も交えて、幾らかは思い起こした。しかし、大平が外相で、重要な役割を果たしていたことは全く記憶から落ちていた。大福戦争の末に総辞職で命を落とす経過も、発注した孫崎氏の本に触れられているだろうか?

中でも興味深かったのは、台湾問題で、中米関係として日米安保条約の担保としての台湾の日本からの不可侵が保証されていていることである。当時は、反覇権主義が朝日新聞などでも最重要課題として宣伝されていたと記憶するが、実際は日米安保条約が網を掛けていたとは知らなかった。成程、沖縄返還がなされて、まだそれほど経っていない時期であることを考えれば、こうしたことも理解できるのである。

そして大日本帝国の侵略戦争であったとする表現は避けられたものの、十分にその意味が盛り込まれているとするのは当然で、当時の日本の反対勢力の意識も良く分かる史実である。そして、その後の朝日新聞などを代表とする日中友好ムードの過度の演出へと繋がっていくのだった。

ここからも分かるように、日中国交回復における議論が、その反対派の意見も含めて十分にメディア上で交わされたとは思われない状況は、今日の日本のジャーナリズム不在を考えれば当然のことであろう。特に冷戦下の所謂50年体制の保革均衡の政治体制からすれば、十分に内容ある議論などは不可能であったのは当然であったろうか?

このような情報量に比較して、その後の小平の来日に関してはなぜかあまり日本側の情報はネットで殆ど見つからないのである。その理由は全く不明であるが、中共側の情報量の豊富さは驚くほどで、その位置づけが全く中日で異なっていることが一目瞭然となっている。

つまり、小平の訪日は、中共側にとってはとても大切な出来事であり、魚釣島の件も次の世代に引き渡すとした日中の合意を決して隠蔽していないのである。それは公然とした事実であるのだが、なぜか日本では殆ど情報操作されているようにしか思えないのである。先の日中国交回復からの継続性は何時の間にか日本では破棄されていて、国交回復時点の反対派の主張が多くの若い日本人の認識となっているのである。明らかに洗脳教育が、江沢民時代の反日教育以上に進んでいることが証明されているようである。

もはや日本人で、そのマスマディアの報道内容を信じる者には余程呑気な人しかいないと思われるが、経済力だけでなくて情報量で中共の方が日本よりも大きくなってきている証拠であり、如何に日本が退化して行っているかの表れに違いない。



参照:
1972年"北京の五日間"こうして中国は日本と握手した
1978年小平訪問日本全程實錄 妙答釣魚島問題 (YOUTUBE)
老支那人と小日本人 2014-01-08 | 歴史・時事
上から目線でしょうか? 2013-12-04 | マスメディア批評
終わり無き近代主義 2005-09-03 | マスメディア批評

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