Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

帰納的に求められる結論

2023-05-20 | 
セックスチャットの報告書を纏めている。あまりにもいろいろなことを知り過ぎたので情報整理するのが大変だ。誰が読んでも分るような概要から始めるしかない。そこでECOMASとしてのユニークさやその成功について書けば充分だろうか。大まかな利益配分で、細かな数字までを出す必要もないだろう。先ずはアブストに導入としておけば、別な目的にも使える。重要なのは可能な限り経費として落とすので財務当局対策になることである。

そして個人的には遅れて加入したファンクラブ会員券が切れるので三ヵ月延長した。十数ユーロの事であるから今後も影響力を行使する為には重要だと決断した。現在はホモセクシャルショーなので殆ど意味はなさないのだが、時々都合でソロになったりで使える時がある。

既に言及したかと思うがウイルス性の疾患などがそのショーで受け渡しされなければ、安心して流しておける内容であり、パートナーの彼女が更にワンクールで一万五千ユーロ程を精神的にも肉体的にも容易に稼げるなら文句はない。ロシアの制作会社が絡んでいても大きな圧力は最早掛けられまい。

それ以上にソロのマスターベートショーからホモセクシャルショーへの流れはとても気が利いていて、現在の世界での少子化問題におけるまたは性の公平化におけるヘテロセクシャルを強く意識させる一連の示唆行動となる。ここで習ったのは先ずはそれであり、要するに多くの人がノーマルと感じているヘテロセクシャルな関係は同質間でのホモセクシャルよりも遙かに不自然なものであるという前提である。

そもそも異性の肉体的感覚が1対1では分かり難いのは当然で、そこから「純愛」という概念へと接近した。それはまさしく通常のヘテロセクシャルな関係では中々至れないプラトニックな感覚である。

性向としてのホモとヘテロの間は無段階にあって、どこからという境目はなく、バイセクシャルという人も少なくない中で、ヘテロセクシャルというのが如何に特殊であって、中々理解しがたい性向であることかも納得させられる。

なぜそのことを新たに認識することに意味があるのか。明白なのは少子化とされる先進国社会の中では最早古来の宗教や社会的慣習としての結婚・出産などの意味が希薄になっていて ― 68年の社会革命では未だその概念をぶっ壊すことが目標だったが ―、現在はそうした規範以上に有りの侭の営みが尊重されて、余計に繁殖の意味合いの社会的な合意が必要になってきたという事である。

上のショーにて提供されるのは男要らずのヴァイブレーターであり、女性によるそれも十代の処女によるオーガズムスの追及というとても示唆に富んだショー内容は、当然の事ながら次なる交尾や生殖、出産などへとその意識を向かわせるのである。そうしたコンセプトとして生物学的な理論的背景があったかどうかは知らない。しかし、こうして第二クールに入るとそれは誤魔化しようもなく帰納的な結論へと導かれる。博士論文ぐらいは書けるのではないか。

独公共放送ZDFの番組から ― ここで元歯科衛生士がそちらで生計を立てていて、YouTuberのインタヴューアにホモセクシャルセッションをと誘うと、「あまりにポルノ過ぎる」と断った。まさしく少子化問題の原因でもある社会的な弊害がここに観られる。
Sexy vor der Cam – Hannah und die Lust im Internet




参照:
蕾が膨らむところ 2023-05-12 | 生活
課金無しでは作動しないよ 2023-05-11 | 女

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