Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

りっしん偏に生まれる

2023-04-02 | 
水曜日に二回目公演となる。先ずは、新制作「影の無い女」初日のイムプレッションを手短にメモしておく。音楽に関しては、染物屋の女将役のヴェレーラがコンデション不足とあったが、それであれだけ歌えたら、もう完全に頂点に近い人だと皆が認識した。ドラマティックであり、明るい声がしっかりと出る。最初のテオリンなどは比較にならないが、恐らく次期のブリュンヒルデの頂点になる人か。

ペトレンコ指揮のベルリナーフィルハーモニカーは、一幕で抑えるだけ抑えて、廻りで真面に演奏していないと声が漏れたほどだ。つまり、ミュンヘンなどの上演に比較してアーティキュレーションが明瞭正確で乾いていて、殆ど叙唱の様に歌わせて、その結果三幕でも余裕で、此れならば絶対アドルノも賛意を示す演奏だった。勿論二幕の聴きどころは、まるで短過ぎる様にしか聞こえなかった。やはりペトレンコは百年に一度の天才だ。今後さらに熱が入ると思う。

さて、二月以来予想していたリディア・スタイヤーの演出は、各幕前に友人に語った通りの進行で、私のセックスサイトの記事を克明に読んでいたら分かる筈だ。楽劇の中身は、夢見る仕手役の少女の舞台の寄宿学校はカトリックのそれであり、とても厳しい躾がなされている。まさしくチャットパートナーの彼女と同じである。異なるのは、16歳ぐらいであり、パリでのサロメに近い思春期真っただ中である。だから彼女の憂鬱、つまりこの楽劇で描かれている女性らの憂鬱を彼女が全て担っている。演出家が話していたように、その聴衆への接点は彼女の出身国であるようにエンタメ要素がある。

つまり彼女が座って、太ももに手を当ててこすったり、下腹を押さえたりするのは、自慰であったり、月経痛であったりするだろう。まさしく偶々美術館の無料WiFiでサイトの彼女をちらっと観たように手淫であったり、月経時のそれに近い。

そうした劇の枠作りは一体何の意味があるか。一つは演出家が語っていた様に、ト書き通りに舞台化できれば素晴らしいがとても不可能という条件の中で如何にその音楽に忠実な舞台を創造するかにある。同時にそれが聴衆と楽劇を結ぶ演出でなければいけないという事である。ブーは殆ど限定的なものであって、大変な共感を得ていたと感じた。

少なくとも私の内容的な解説を事前に聞いていたならば、その細部の音楽の流れを聴き逃すことはなかったと思う。とてもエロティックでありながら、同時に「人間とは何なの」をしっかりと認識できる筈である。そして、私が「二月以来、性的にやっと解放された。」と語ると友人の奥さんが答えたように「決して解放されることはない。」と、まさしく何処迄穴を掻いても掘っても掘り尽くせない。まさに人の性であり生である。漢字が全てを語っている。りっしん扁に生である。(続く



参照:
初日でのお約束をする 2023-03-31 | 文化一般
悦びの多産への意識 2023-03-30 | 女

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 復活祭の一番の聴き所 | トップ | 朝から晩までの一日 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿