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Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

恋慕のクララとの対峙

2025-06-16 | 
クロンベルクアカデミーでのプログラムのお勉強は出来なかった。それでも2ユーロしたプログラム冊子の内容は全然悪くはなかった。この中でブラームスのピアノ四重奏が最も馴染みのない曲で、シューベルトのハ短調四重奏の断章とシェーンベルクは馴染みの楽曲だ。

その意味からすると、ハ短調のブラームスは奏者もアカデミー以上のプロフェッショナルで、各々が素晴らしい音楽を聴かせた。然し、主役のヤンセンとガッツリ組めるヴィオラのアミハイ・グロースは良かった。ベルリンのフィルハーモニカーの首席でもあるが、同僚の梅さんも今井のセミナーでこのアカデミー出身でミュンヘンで優勝している。グロースはヴァイオリンのヤンセンの関係での登場と思うのだが、二人共呼ばれている。

今回初めて室内楽でそのヴィオラを聴いたが、10月7日関連でペトレンコ指揮でバルトーク協奏曲を演奏した時も素晴らしかったのだが、中々いい演奏をしていた。

ヤンセン自体はソリストとして、ここ数年生でも聴いてきていたが、当初は楽器遣いとしてどこまで評価するかに疑問もあった。それでも先輩格の同郷のクーレンよりは音楽的な表出力もあって、越えていたのは確認していた。

それでも昨年の四季やそれらの演奏からの安定感でもあるのだが、大変真摯に楽曲に対しているのはよく分かった。それは今回のブラームスでのその語り口はとても確り一貫していて、いい加減に表情をつけるようなことはない。それゆえにブラームスの音楽的なコンセプトは余すことなく示される。

それと会話するヴィオラもああした大管弦楽団ではなかなか示せない合わせ方でもある。語り口はより、高度な合奏者としての意識がよく分かった。それ以外にもピアノの上手な押し出しで、チェロもそれなりのいい演奏をしており、室内楽合奏はお互いに影響するものであるから、とてもいい経験にもなっているのだろう。

嘗てならばその程度の室内楽のチェロ奏者は和声の底を埋めるような演奏をして、胴音でサウンド化された室内楽が大会場で多く演奏された様な前世紀とは異なっている。なるほどここのカザルスザールのもっとも新しい室内楽音響で、最早そうした鈍感な演奏が為されることもないのだが、とてもそういう意識の分かる演奏で、流石にアカデミー生の演奏ではない。

それはなるほど専門的な四重奏団の演奏ではないシューベルトとは明らかに異なる。このブラームスのハ短調曲でのホ長調三楽章アンダンテでのクララシューマンへの恋慕もそれゆえにこそ表現される感情の機微であって、如何に音楽的な表出がそうしたサウンド表現からは如何に遠いかの当然を分らせる。

「浄夜」の六重奏はあまり聴いていないのだが、上述したような演奏によって、象徴主義的な意味合いよりもより心理的でもあり、そうした男女の声のない対峙が音楽的に見事に描かれていることがしっかり音化されていた。決して古くはない本来の創作意思に寄り添った演奏だったろう。



参照:
睡眠への基礎環境 2025-06-15 | アウトドーア・環境
一くさりからの芸術 2024-03-21 | 音

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