Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

更年期を乗り越える認知年齢

2015-03-20 | 雑感
昨晩の身体を解しに短く走った。時間の無い時に走る急坂の登山道を7分1137歩登り戻ってきている。昨年の同じころに、やはり同じように身体ならしに同じような感じで走っている。ショーツにTシャツだったかどうかは分からない。二月の体調の悪いときには9分掛かっているが、その差は見当がつかない。

ラディオでは、演出家のカストロフが、ベルリンのポストから退くことが報じられていて、あまりにもクールになったベルリンの居心地が悪くなったようである。それでもぬるま湯でないだけよいらしい。

男性の更年期についての質問を受けた。友人などを見ていて気がついたことなどを、ハイデルベルクの脳生物学などの研究を加味して考えているものだ。加齢による遠視や脱毛、その他の肉体的な要因よりも、そうしたものと平行して顕著に現れる心理的な加齢に注目する。

典型的なのは無気力であり、重症の場合は自殺の多発などに現れる現象であり、そこまで行かなくとも、ホルモンの分泌などの変化があるのだろうか、それまでは何も疑問を持つことなく行ってきた活動が突然客観的に捉えられてしまうなどの一種の覚醒が生じることである。例を挙げれば、今までは好奇心を漲らせて車を走らせてはじめての場所へと向かったり、仕事で出張に出向いたりとする行為自体も、肉体的な疲労感以前に、すでに今まで経験したことの繰り返しとしてパターン化されてルーティン化する学習効果の中で、動機付けとなる好奇心に陰りがさす場合などが典型である。

あらゆることに好奇心が薄れて、昔のような血を踊らすことも大きな感動も失せてくるのである。何を見ても経験しても、それ以前にあった蓄積との相対的な評価を持って判断することになり、唯一無二の経験などはなくなってくるのは記憶がある限り当然であり、学習効果であることは間違いないのだが、そうした感動がなくなることで動機付けがなくなり、無気力になるのは自然なことなのだ。

こうした状況を更年期と観察するのだが、そこから大抵の場合は何らかの意識活動によって抜けるのが通常で、おそらくその過程は社会環境などにも左右されるのだろうが、個人差があるとするのが上の認知年齢の研究結果でも明らかになったことである。

個人的には、精神知的な活動に関してはまだまだこれからの事であり、動機付けもあり身体的な運動に努めることとなった。身体的には、物理的な限界があるからで、十年計画でその後には運動能力を維持することが精々であると思ったからである。そして運動量を増やして数年で、まさか十代の運動能力を超えるようなことになるとは思わなかったのである。



参照:
認知年齢の大差は何処に 2009-09-04 | 生活
阿呆のギャグを深読みする阿呆 2014-08-04 | 音

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 99年8月11日の原発避難演習 | トップ | 反射する喰われる太陽 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿