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Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

表現主義の庭の歪な男たち

2017-05-31 | 文化一般
承前)エミール・ノルデ展で油絵も幾つか面白いものがあった。その一つが北海に浮かぶジルトの対岸にあるゼーブルに1926年に購入した自宅の庭を描いた絵である。そこに現在の財団の本拠地でありエミール・ノルデ美術館があるようだ。

何よりも興味を持ったのは、所謂表現主義の反対概念でもある印象派的な画法で散りばめられた庭の花であり、その奥にはニムフのような女性が立っていて、前面で歪な男たちが語らっている絵面である。

そもそも言葉自体のEXPRESSIONとIMPRESSIONの対比とその画風の相違を観て、音楽における表現を考えることも少なくない。大まかなところでは、リヒャルト・ヴァークナーのドビュシーへの影響とか、ロシアの近代作曲家に於ける美術で言うディ・ブリュッケからデア・ブラウエライターへの流れ、遡ればユーゲント・シュティールとアントン・ブルックナーなど語りつくせないほどの材料がある。

しかし、ここでは何といっても、その二つが取り合わされたような画法が使われていて、恐らくこのノルデの特徴のようで、評論家からは配合を勧められてもより強い対照を主張したという。要するにそこにどうしても次元の乖離が生じて、そのグロテスクさが強調されている。

面白いのは、この画家の作品はゲッベルス博士の食堂に掲げられていたというが、ヒットラーがやって来る時には外されていて ― そもそもドイツ表現主義は反フランス印象主義の民族主義であって、ノルデも二度もナチの党員になっている ―、また所謂退廃芸術として認定されてからもダダイズムのグループらによって密かに買われていたということだろうか。なるほど、絵はキルヒナーの方が上手くて異常に高価に売買されているのかもしれないが、ダダイズム運動などが出てくると、そうなのかと思う。(続く)



参照:
百年後の現在の社会の構造 2015-06-04 | 音
市中で鬩ぐ美術品 2006-08-29 | 文化一般
即物的な解釈の表現 2006-03-23 | 文化一般

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