Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

期待される模範的観念連想

2021-12-22 | 
承前)ドルニー体制での新制作がどのようになるか、これは最大の関心事だった。今回は10月の初新制作「鼻」に続いて、音楽劇場としては大制作になる筈だったからだ。結果はその反響の大きさからしても「鼻」を超えた。

制作チームがプログラムで対話しているように、2019年の暮から即ちコロナ騒動が始まってから本格的に動き出している。そこで年末のレハールはオットーシェンクの「こうもり」を其の儘乗り越えるようなことは否定されていたのである。

個人的にはティテュス・エンゲルが指揮のジャムプインしたことで、もしやするとあのカルロス・クライバー指揮の様な名物になる可能性も期待の中に全くなかったとは言えない。そして制作コンセプトには解体よりも再構成が選択されたとある。

これが意味するところは勿論挿入された楽曲の選択でもあるのだが、演出そのものでもある。演出を網羅するには来る一月の録画中継並びに独仏放送局でのアーカイヴ化を待たなければいけない。しかし、幾つかの指摘やまたは指摘されていない観念連想についてもメモしておくべきだろう。

明白な意匠は黒い風船として北イタリアにおけるパシフィズム運動が示されていて、皆が書く「政治化」の一つであった。勿論これは11月の「鼻」における最終場面の「赤い風船」を常連さんなら思い浮かべる。偶然ではなくてこれはそう期待されている。

この作品が音楽のコメディーと名付けられて「アラベラ」のお手本にもなっているらしい。そしてこのレハールの作品を制作する代わりに当時のヴィーンの音楽監督クラウスが初演させたのがクシェネック「カール五世」。ミュンヘンでも先ごろ新制作されていた作品である。また過去を回帰する書法はヴァ―クナーであり、ここでは「トリスタン」となるだろうか。また二対のペアーで同時再演中の「魔笛」と重なるというのだ。そして何よりも挿入されたコルンゴールトの「死の街」のデュエットを歌うジュディッタの花柄ワンピースはマリエッタのそれを思い浮かばせずにはいられなかった。更に「カルメン」の舞台との関連もあるのかもしれない。ドルニーがやりたかった音楽劇場の形は既にここに表れている。なにも舞台の上だけで進行しない劇場である。

再び音楽的な成果に戻ると、フランクフルターアルゲマイネ紙は、「立派でそして楽し気な前奏曲を更に轟くようにティテュス・エンゲル指揮の国立管弦楽団は恐ろしく上手に演奏した」と絶賛している。このような書き方はこの高級紙ではペトレンコ指揮にでも読んだ覚えがない。更に「あらゆる句読点を歌手と息を合わせながら模範的な指揮」としている。公平に考えて、独語圏の指揮者でこれだけできる人はエンゲル以外にいないだろう。

当然のことながらこうした独語歌唱においては中々これが後任者のユロウスキーには出来ないものなのである。ペトレンコにしても上手に解決しているだけで、ここまで柔軟にやれるかどうかはまた別な話である。

そこでインタヴューに戻ると、レハール指揮の録音をどう思うかに対して、「模範というよりも寧ろ興味であって、とても自由なテムポを取っているのを倣いたいが、結局は現場で歌手とのもしくは演出との兼ね合いでなさなければいけないので、机上の空論では仕事はできない。」とこれまた模範解答をしている。(続く



参照:
赤い風船が飛んでいく高み 2021-10-29 | 文化一般
とても腰が低い歌姫 2019-11-19 | 女
コメント
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