想定以上の出来だった。挿入された13曲もよかったが、なによりも音楽的にはレハールの楽譜からこれだけの音を引き出したのには驚いた。この点では演出家のマルターラーと急遽指揮を引き受けたエンゲルとの間に齟齬があったと思う。それでも指揮を病気で降りた背景を考えると、そもそも挿入曲をセンス良く繋げていい演奏をするのは到底不可能だったからだと思う。その点エンゲルにとっては音楽のモンタージュなどは朝飯前の仕事であり、コラージュなどはお手の物だ。それは3月に再演もしくは観客を入れての初日を迎える「ボリス」も同様で、手法としてはミュンヘンでリニヴが振った「エディ―ト」よりも遥かに過激である。
こうした従来のスタンダード作品に新たなもしくは他の楽曲などを挿入して一晩の音楽劇場として上演する方法はトレンドの先端にある。その是非や可否は別にして、ポストモダーンな音楽劇場の在り方として当然の方法で、それが上手に処理出来ない指揮者は音楽劇場には無用になっている。少なくともオクサーナ・リニヴは立派にやり遂げた。
しかしそれとは異なる面で、既に言及したようにレハールはオペラを書きたかった。オペレッタ作曲家として成功する前にもマーラーにお願いしている。「ココシュカ」というオペラでその命運を分けるのは指揮者だから自身の将来を掛けて頼むと書いている。そして初演も成功せずにオペレッタの道へと進んでいったようである。
今回エンゲルがなしたことはまさしくマーラーがなせなかったことである。ピアノ譜のようなものしか見ていないが、少なくとも大編成の座付き楽団で作曲家がしようとしたことは明らかだったのだ。往路の車中ではバイエルンの放送管弦楽団が日本でもお馴染みのシルマーの指揮で演奏した録音を流していたのだが、明らかに単純化して適当に音を作っていた。そこで平均化されて削ぎ落とされたものは何だったのか?
その逐一について、総譜も手元になく語ることはできないのだが、先ず何よりも管弦楽の区別化が大きな肝になっている。例えば挿入されたベルクの「アルテンベルク歌曲」から「平和に」を重ねて鳴らせば、その楽器間の組み合わせや混合の音色にも自ずと耳を傾けることになる。
例えば月初めに同じエンゲルが指揮したニールセンの「マスケラーデ」と比較すれば一目瞭然であって、その30年ほどの間に如何に音楽的な発展があったかは明らかになる書法で書かれている。なるほどレハールにおいてはパロディーや模倣もあって、「トリスタン」などもプッチーニ風にしているのだが、作曲家として同時代を創作していた。
売れっ子作曲家ゆえに、バルトークやショスタコーヴィッチなどに引用されるのが常であった作曲ではあるが、通常に思われているように「同時代的な創作」をしていたからこそ引用されていたのだろう。パラダイムの転換が必要である。
兎も角、ミュンヘンの座付き楽団が同僚のドレスデンやヴィーナーよりも美しく響いたのを初めて経験した。ペトレンコ指揮の時はどこまでもあくなき禁欲的な姿勢を保っていたので、こうしたやわらかで官能的な響きは一切聴かれなかった。
恐らく音色的に最も美しく評価されたのがボルトン指揮の時で、柔らかさではリニヴ指揮の時も顕著であったが、混合音色の響きがあの乾いた劇場でこれほど美しく響くことはなかったと思う。カルロス・クライバーが振ったこの座付き楽団もそんなに美しい響きを出せる状態にはなかった。
勿論そこにはペトレンコ指揮下で鍛えられた正確性が大きく寄与しているのだが、後任のユロウスキー指揮ではこうした上質の響きは出せない。その点ではエンゲルの方が遥かに優れた独墺系指揮者であるのは間違いない。(続く)
参照;
決して無抵抗ではない 2021-12-18 | 文化一般
まるで夢のような喜歌劇 2021-12-17 | 音
こうした従来のスタンダード作品に新たなもしくは他の楽曲などを挿入して一晩の音楽劇場として上演する方法はトレンドの先端にある。その是非や可否は別にして、ポストモダーンな音楽劇場の在り方として当然の方法で、それが上手に処理出来ない指揮者は音楽劇場には無用になっている。少なくともオクサーナ・リニヴは立派にやり遂げた。
しかしそれとは異なる面で、既に言及したようにレハールはオペラを書きたかった。オペレッタ作曲家として成功する前にもマーラーにお願いしている。「ココシュカ」というオペラでその命運を分けるのは指揮者だから自身の将来を掛けて頼むと書いている。そして初演も成功せずにオペレッタの道へと進んでいったようである。
今回エンゲルがなしたことはまさしくマーラーがなせなかったことである。ピアノ譜のようなものしか見ていないが、少なくとも大編成の座付き楽団で作曲家がしようとしたことは明らかだったのだ。往路の車中ではバイエルンの放送管弦楽団が日本でもお馴染みのシルマーの指揮で演奏した録音を流していたのだが、明らかに単純化して適当に音を作っていた。そこで平均化されて削ぎ落とされたものは何だったのか?
その逐一について、総譜も手元になく語ることはできないのだが、先ず何よりも管弦楽の区別化が大きな肝になっている。例えば挿入されたベルクの「アルテンベルク歌曲」から「平和に」を重ねて鳴らせば、その楽器間の組み合わせや混合の音色にも自ずと耳を傾けることになる。
例えば月初めに同じエンゲルが指揮したニールセンの「マスケラーデ」と比較すれば一目瞭然であって、その30年ほどの間に如何に音楽的な発展があったかは明らかになる書法で書かれている。なるほどレハールにおいてはパロディーや模倣もあって、「トリスタン」などもプッチーニ風にしているのだが、作曲家として同時代を創作していた。
売れっ子作曲家ゆえに、バルトークやショスタコーヴィッチなどに引用されるのが常であった作曲ではあるが、通常に思われているように「同時代的な創作」をしていたからこそ引用されていたのだろう。パラダイムの転換が必要である。
兎も角、ミュンヘンの座付き楽団が同僚のドレスデンやヴィーナーよりも美しく響いたのを初めて経験した。ペトレンコ指揮の時はどこまでもあくなき禁欲的な姿勢を保っていたので、こうしたやわらかで官能的な響きは一切聴かれなかった。
恐らく音色的に最も美しく評価されたのがボルトン指揮の時で、柔らかさではリニヴ指揮の時も顕著であったが、混合音色の響きがあの乾いた劇場でこれほど美しく響くことはなかったと思う。カルロス・クライバーが振ったこの座付き楽団もそんなに美しい響きを出せる状態にはなかった。
勿論そこにはペトレンコ指揮下で鍛えられた正確性が大きく寄与しているのだが、後任のユロウスキー指揮ではこうした上質の響きは出せない。その点ではエンゲルの方が遥かに優れた独墺系指揮者であるのは間違いない。(続く)
参照;
決して無抵抗ではない 2021-12-18 | 文化一般
まるで夢のような喜歌劇 2021-12-17 | 音