Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

不適切な「ポジティヴな移民」

2019-10-27 | マスメディア批評
「ポジティヴな移民」という言葉がなぜ不適切な言葉かを説明する。削除、訂正の必要な言葉である。あらゆる考え方の違いを無視してもこの二つの言葉「ポジティヴ」と「移民」の繋がりは誤った言葉である。この点に限定して述べる。

問題の発端は、日本の雑誌「レコード芸術」の指揮者キリル・ペトレンコ特集の鼎談において、ペトレンコをベルリンにおいて「ポジティブな移民」として、その出身地であるシベリアからの移民としていることにある。

シベリア生まれのユダヤ系音楽家が父親のヴァイオリニストに付いて母親と共にオーストリアのボーデン湖に近いフェルトキルヒヘと移ったのは本人がハイティーンの時で、その後地元の音楽大学で教育を受け、後にヴィーンの大学で指揮科を卒業する。どの時点でオーストリア国籍を取得したかは不明であるが、少なくとも現在はそのようになっており、確かにオーストリアでは移民となるのだが、オーストリアの報道等でも移民とは形容されていない。

恐らくどこの国においても最初から自国の高等教育等を受けた有名人は自国民として扱いたがるからであるが、移民一世に対し移民と呼ぶことも少なく、二世は移民とはされない。それどころか今回の発言の様にベルリンから見たと断りがある以上は、キリル・ペトレンコはEU国民としてその全域の一都市に居住して仕事をしているに過ぎない。

法規的に、EU域内国民若しくはそれに準ずる身分のものはEU域内で自由な居住と仕事が可能なので、EU内移民は最早存在しない。それ故にベルリンにおける「移民ペトレンコ」は存在しない。正確には移民の背景を持ったオーストリア国民であり、「ベルリンでの移民」はフェーク情報である。訂正が必要となる。

「移民」と形容するだけであれば言葉足らず若しくは無知とも理解されようが、「ポジティヴ」と是非をそこに加えて「ポジティヴな移民」と表現されると不適切極まりない。実際に、本件の舞台となるベルリン、ドイツ連邦共和国でこの組み合わせの使い方は存在しない。存在するのは、移民の経済効果の是非、現行移民法での移民統合化適応の社会的是非のみである。もしそれ以外でドイツ語で存在するとすればナチ政権下での人種法でのセレクションに基づいた好悪ぐらいであろう。つまり非合法な用語である。よって、非合法化の議論されるNPDとAfDの両政党等もこの組み合わせは使わない。これによって「ポジティヴな移民」発言の削除、訂正は避けられない。

しかし、ここで「ポジティヴ」と「移民」の二つの言葉の組み合わせが決して不注意で使われた訳で無い事は三つ目の「ペトレンコ」を組合せると明白になる。つまり、移民統合化の適応の基準に関しては、話者らの見識程度では関知するところではなくとも、今夏のオープニングコンサートのプロジェクトとしてEU市民の鑑とされるパーソナリティーを示しているぐらいなので、そもそも是非の判断の対象とはならない。それは、連邦共和国首相メルケル博士をして、ベルリンでの「ポジティヴな東ドイツ人」とは誰も呼ばないのと同じ理屈である。

すると残る可能性は経済的にベルリンに貢献する移民と言う意味だろうか?この場合、経済的にと必ず付け加えられるべきで、それを敢えて省いていて、要するにシベリア出身のユダヤ系オーストリア人へのヘイト発言としていると捉えられて当然なのである。

如何にもこの二つの要因が組み合わされているかのような体面をとりながら実はヘイトな好悪の視線をそこに隠しているとしても間違いないであろう。これらから、「ポジティヴな移民」との不適切な言葉を削除訂正しない限り、その真意が問われることになる。その対応如何によっては、雑誌「レコード芸術」のみならず出版社「音楽の友社」の存続が掛かっているのではなかろうか?



参照:
「ポジティヴな難民」の意味 2019-10-23 | マスメディア批評
外国人を叱る統合政策 2018-05-22 | 文化一般
コメント
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