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Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

貧相なエンタメを嘆く

2019-01-03 | マスメディア批評
年末年始の批評を幾つか目にする。なぜか最もエキサイティングで今後とも重要で話題となるベルリンでの第九があまり触れられていない。昨年のマーラー版への反響は就任初めての第九ということでそれなりにあった。恐らく今回のはより楽譜に当たらなければいけなかったかもしれない。どちらにしてもこの二回の第九コンサートの録音は第九の録音の比較ということでこれ以上の喜びは無いものだ。なるほど合唱団や独奏者はライプチッヒのそれには至らないかもしれないが、これほど興味深いものは知らない。

それに比べるまでもなく、その他の催し物の批評を書く評論家には、仕事とはいえながらご苦労さまと言いたい。ヴィーンの新聞はノイヤースコンツェルトはドレスデンのそれを睨みながらとなっている。しかしそれよりもARD対ZDFがドイツのメディアの構造の作り方だ。つまり、ミュンヘン対ドレスデンとなる。ミュンヘンのティーレ氏がそれについても言及している。

New Year's Eve Concert of BRSO


Die Fledermaus Aus Der Semperoper


つまりナレーションでのゴチャルクの実力と腰の曲がらないデョモンでは勝負ありで、寧ろ疑問を呈しているのはプログラミングだ。そもそもそれほどのものかとは思うが、どうも私同様な感想を得たようだ。そもそもこのようなエンターティメント企画だからどうでもよいようなものだが、会場のライティングなどにも言及していて全く私と同じ気持ちが伝わる。そしてそのプログラムで何を示しても、結局キッチュになりかねないという恐れが実はヤンソンス指揮のこの放送管弦楽団にないかということが意識に上ってしまうのだ。

それに輪を掛けてランランが出てくるものだから、そんな高額なソリストが本当に必要なのだろうかと訝る。まさしくモーツァルトの楽章とあの「黄河」まで、アンダンテに続いてアダージョを弾いたランランが示したものだ。キッチュ以外の何ものでもないとなる。

それどころかランランは前日にも出演予定だったのを取り止めて、大晦日だけにしたらしい。代わりは流石にユジャワンではなく、スンジチョウだったようだ。ゴオチャルクもアンコールで長くなるのを見て、次の番組出演に早退したことにも触れている。全体の印象として貧相さは免れなかった。

一方新聞にはヴィーンのノイヤースコンツェルトの申し込みが直に始まり、その桟敷価格が千ユーロを超えていると知って驚いた。社交でその額を払うならもっといい使い道がありそうなものだ。だからNHK単独で8Kで中継録画を試みるというのだろうか?一体どのような経済効果があるのだろう。NHK小役人の容易な企画だろう。

今晩は再びプロムスの再放送で、ユジャワンの弾くプロコフィエフの協奏曲三番が楽しみだ。ラペリもよかったか。シュミットの方は会場の音響がもう一つだったような印象があるが、再度確かめてみたい。



参照:
ヴァルツァーの躍動感 2019-01-02 | 文化一般
花火を打ち上げる奴 2019-01-01 | 暦
コメント (20)
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