Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

再生不可能な科学的教養

2011-08-09 | 文化一般
再生可能エネルギーを自然エネルギーと呼びたい思考態度が分った。日本発のYOUTUBEを見て武田氏の発言などを偶然に見つけた。やはり科学に対する基本的な教養が日本人には欠けているという、明治以降の富国強兵のなかでの科学技術文化導入と教育の問題だと再確認した。

その詳しい解析に関しては先ほど触れた日本近代史の新著の小冊子やレヴィ・ストロースなどの本の内容を改めて吟味するとしても、結局は日本の近代化の様相を明らかにすることでしかない。

再生可能エネルギーは永久機関と同意義なのか? - どうしてこうした言動が生じるのか理解に苦しむ。なぜ、未だに日本人が産業科学技術をリードすることがありえないのかの致命的な状況がここにある。

たとえばバイオマスエネルギーのCO2ニュートラルの性質などは、「再生」のもっとも典型的な発想であり、大気中の炭素の出入りをマクロの量で計るだけの発想である。実際にはバイオエネルギーを効率よく生産するための遺伝子工作などによる植物の栽培や採取などが必要で、当然のことながら環境に与える影響は化石燃料以上に甚だしい。

同様に、自然の運動エネルギーや位置エネルギーを発電などの代替エネルギーとして利用する場合、エントロピーの拡大と消費や損失は間違いなく生ずるのであるが、その全体量をマクロに無尽蔵と見ているに過ぎない。

なるほど科学・技術史的に展望すれば、内燃機関の発展から核開発へと至っているのであり、それ以上の経済性や合理性のあるエネルギーなどは容易に得られないことは承知である。

光の弱い関係で北海での風力発電が重要となってきている連邦共和国においても、経年耐久性の低い風力発電などは過渡的な再生可能エネルギーであり、サハラ砂漠での太陽熱構想もその経済性や環境へ影響の条件付きなことは周知の事実である。

脱原発での主力エネルギー源は石炭の火力であり、天然ガスなどの化石燃料であることは変わりない。しかし、技術発展の文明の進歩には、レギュレーションなどの環境の枠組みと具体的な推進策が不可欠なのである。文明などは自然に螺旋状に前進などしないのである。持続可能とは、言い換えると設置された環境の枠組みでしかない。

そこでは、カーボンニュートラルにおける石油メージャーの思惑とそのロビー活動や政治が重要な役割を果たしているのと同じように、議論の中での社会の合意形成が健全な進歩への大切な要素となっている。

科学技術を誤りなく扱うには、無為自然な哲学などではなくて、どのように社会がその技術を消化して利用するかという智慧でしかないのである。なぜ、まともな知識人のいない後進国の日本に原爆が落とされ、福島の事故が起こる必然があったかの答えがここにあるのだ。

だから、菅首相の脱原子力宣言を聞いて、FAZ新聞などはその「根拠のないエネルギー政策」に驚きを隠さないのである。



参照:
原発廃止後のエネルギー貯蓄 2011-04-10 | テクニック
再生可能な環境税の導入 2011-06-11 | アウトドーア・環境
脱原発は集団ヒステリーか? 2011-06-15 | 文学・思想
ベルリン、原子力の創世と終焉 2011-07-07 | 歴史・時事
潮流を正しい力に換えるには 2011-07-30 | テクニック
獅子のように強い心で 2011-07-08 | アウトドーア・環境
風車と冷却塔のある風景 2006-04-14 | アウトドーア・環境
現実的エネルギー政策 2006-10-18 | アウトドーア・環境
観光資本化されている近代工業 2010-05-21 | テクニック
とっても危険で、ちょっと面白い 2010-05-22 | 雑感
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする