Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

極東アジア人の心理なんて

2009-06-29 | 文化一般
独日協会の関係で質問状が廻ってきた。ハイデルベルク大学で研究しているシナ人学者の極東アジア人のドイツにおける心理を研究するもののようだ。

全部で独文18ページのPDFファイルに及ぶ本格的なもので、夜中に目が覚めたので二十分ほどの時間を費やした。

例えば、出身国の伝統的な文化的な活動や決まりに対して十段階で答えると、「強い拒絶」となり、奥さんがそのような文化的背景をもっていろとすると「拒絶」となるのが私の回答である。それに対してドイツ文化を背景とする配偶者とは「場合による」となる。

また余暇を同じ文化的背景の人物と好んで過ごすかとなると「場合による」と「拒絶」の中間となり私の現実の生活姿勢に即して答える。しかし問いは、こうした主義主張だけに収まらない微妙なところ形を変えてついてくるので、極端な思想的な偏向とは異なる真実の姿が心理学的に見え隠れしてくるのだろう。主任教授の名前を見て驚いた。フロイト教授である。まさかとは思うが、名門大学であるからないとは言えない。

例えば、同郷の者となにかを習ったりするのが快適かとか、はたまたドイツ人とは快適かなどと少しずつ視点を巧みにずらしてくるのだ。まあ、文化的な判断に関してはこれだけ毎日のように書いているので私にはぶれは全くない。

ご存知のように日本語を平常全く喋らなくてもそれをこうして毎日書いているとなるとこれまた特殊な感じであるが、それも事実であるから仕方ない。

国籍に関しては「全く興味なし」、日本文化との繋がりは「中立的」であり、日本文化との関わりあいも「殆どない」のも事実である。シナ人ならばもう少し食事に拘って次ぎのような問いを出すべきではなかったろうかと私は考える。

「生まれ育った食文化にどれほど依存していますか?」と問うてみたいのである。これはなにもその依存から抜け切れないシナ人でなくとも例えばドイツ人に対してもかなり重要な社会的であり心理的なバロメーターであると感じる。要するに、職場などでの集団性を問うよりも如何に直接的な問いかけであるかは、多くの文化圏においては共に会食することが重要な儀式であることでも分かるであろう。そこには同じものを咀嚼して咽下すると言う象徴的な行為が介在しているから、なにもキリスト教のミサでなくとも飲食が動物的肉体的な直截な営みであり尚且つ洗練された文化となるのは当然であろう。

その他は、簡潔に言えば儒教精神の影響とキリスト教のもしくは多神教や一神教の心理への影響に関する間接的な質問設定であり、これまたマックス・ヴェーバーだなんだかんだとほざいている者にとっては今更の感がある。

更に他の相当する人に先送りしてくれというのでシナ人の知人に渡してみようかと思っている。それにしてもこうした問いかけをある程度の知識人層に投げ掛けるのが如何にも極東的なそれも中共?の心理学者の態度であるように思うが、どうだろうか。



参照:
読んだ本・買った本「多読術」「マックスウエーバーと近代」など
マックスウェーバーと近代/姜 尚中/岩波現代文庫 (西部戦線異状なし)
コメント
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