初夏の朝の散策の一時。違う店でパンを取りに行くついでに森を散策した。朝八時には約束があるので、それまでに戻って来なければいけない。
逆算すると三十分つまり三キロ近くはじっくり歩ける。流石に一台も人影も全く無い森の中の駐車場に車を停める。谷に下りるのではなく、平坦な林道を奥へと進む。朝の強い陽が差し込む森に、半袖の腕に冷たい気体が満ち溢れ、ゆっくりと漂っている。空腹を覚えながらも朝の清々しい陽射しが嬉しい。
それにしても二十年近くも住んでいながら、これほど身近にこれほど素晴らしい森林歩道があったとは思わなかった。森が深く美しいことは知っていたが、車で通る谷間は光が薄く、湿り気があってあまり気持ちが良くないのだ。
だからこうして山の稜線の上に車を停めて歩き出せる所は気持ちが良い。同じ道を行き帰りするだけなので面白味はないと言っても、それを補いあまりある美しい森の風景である。
松などに並んで、白樺の幹が朝日を跳ね返す光景は、恰も日本の上高地から明神池辺りへの空気感に近い。とても空気が軽く、日の光もそれに近い透明感がある。朝の誰もいないこの時間が楽しめるだけでもおとくである。
逆算すると三十分つまり三キロ近くはじっくり歩ける。流石に一台も人影も全く無い森の中の駐車場に車を停める。谷に下りるのではなく、平坦な林道を奥へと進む。朝の強い陽が差し込む森に、半袖の腕に冷たい気体が満ち溢れ、ゆっくりと漂っている。空腹を覚えながらも朝の清々しい陽射しが嬉しい。
それにしても二十年近くも住んでいながら、これほど身近にこれほど素晴らしい森林歩道があったとは思わなかった。森が深く美しいことは知っていたが、車で通る谷間は光が薄く、湿り気があってあまり気持ちが良くないのだ。

だからこうして山の稜線の上に車を停めて歩き出せる所は気持ちが良い。同じ道を行き帰りするだけなので面白味はないと言っても、それを補いあまりある美しい森の風景である。
松などに並んで、白樺の幹が朝日を跳ね返す光景は、恰も日本の上高地から明神池辺りへの空気感に近い。とても空気が軽く、日の光もそれに近い透明感がある。朝の誰もいないこの時間が楽しめるだけでもおとくである。
